第八番 稲部朝穂 対 道村泰子

 パンダ短歌でついに一勝をもぎ取ったあきらは、傲然ごうぜんと客席に向かってお辞儀じぎをし、朝穂あさほに対してもにこっとお辞儀をして、ステージを下りていった。

 朝穂も、屈託くったくなく、同じように笑って、しかも手を小さく振って答える。

 これって……。

 じつは心のなかでは恨みのほむらが、とかでは、ないよね。

 晶のかわりに古典文芸部のほうから上がってきたのは一年生だ。

 ここまで古典文芸部は全員が一年生。

 名まえは道村みちむら泰子ひろこという。

 朝穂に向かって軽くお辞儀をして席に着く。朝穂のほうも、いま晶に向かってやったのと同じように手を振っている。

 でも、朝穂の表情は、さっきの晶のときよりずっとやわらかくなっていた。

 両者、あらためて立って礼をして、次の短歌に進む。


 * * *


 【八重やえがきかい


 わが胸にあなけ飛び散る血の色はゆうえほどに美しくはなし


 ともゑ(稲部いなべ朝穂)


 * * *


 【古典文芸部】


 白鳥は悲しからずやだがしかしぜいたく言うな飛べるんだから


 ひろ子(道村泰子)


 * * *


 しばらくスマホを見ていたあい

「えっとぉ」

と、そのおっとりした口調で言い始めた。

 「若山わかやま牧水ぼくすいの、白鳥はかなしからずや、って歌の本歌ほんかりだとしたら、「かなしい」の字が違ってるけど」

 脱力したのは、道村泰子も含めて、全員……。

 でもないな。

 稲部朝穂と千英ちえは、ぜんぜんこたえていない。

 そのかわり、客席には、あーっ、という、笑いとため息の中間ぐらいの声がひろがる。

 「さすが明珠めいしゅじょだね」

と言っているのは、あの瑞城ずいじょうの制服の子を含む一団のだれからしい。

 なんか。

 恥ずかしいなぁ。

 「あとねえ」

千英ちえが言ったとき、千枝美ちえみはさらにろくでもない展開が待っているのでは、と直感した。

 直感は諦観ていかんに変わる。

 ま。

 いいか。

 「鳥が飛ぶのって、エネルギーがいるんだよ。だって、体ごと空気中に浮き上がるんだから。鳥とおんなじ重さの模型飛行機作って飛ばすのにどれぐらいのエンジンがいるか考えたら、鳥が飛ぶのはけっこうなエネルギーってわかると思う」

 はいはい。

 「だからさ。鳥って、飛ぶ必要がなくなったら、飛ぶ機能から退化するんだ。キウイとかヤンバルクイナとか」

 「じゃあ、ペンギンは?」

 愛。

 つき合うな!

 「ペンギンは、飛ぶ機能を泳ぐ機能に転換したんだね。ペンギンって水中での運動能力高いから。でも、魚からタンパク質を取るなら、飛んで上からねらうより、水中を泳いで接近するほうがいいよね」

 「っていうかさ」

 千枝美が言う。

 「千英ってなんでそんなにペンギンに詳しいの?」

 「好きなんだもん」

 「じゃあなんで、生物部に入らなかった?」と聞こうとして、われに返る。

 千英の部活の話をしているのではなかった。

 それに、答えはわかっている。

 「生物部だと幽霊部員になれないから」

 そこで

「えっと」

と千枝美は声色こわいろを変えた。

 「ともゑさんの短歌は?」

 というより、道村泰子の短歌についてもまだ何も言ってない感じだけど?

 「動脈の血と静脈の血で赤さが違うっていうけど。ヘモグロビンが酸素と結びついてるかどうかで違うっていうんだけど、あんまりよくわかんないんだよね。だから、大動脈に孔を開けたのか大静脈に孔を開けたのか、それとも肺動脈か肺静脈かで、違うと思う」

 愛がおっとりおっとりとそういうことを言う。

 もーっ。

 そのまえに、手術とか以外でそんなとこに孔開けたら、死ぬでしょうが!

 科学部に判定を任すからこんなことになる。

 短歌の話、ぜんぜんしてないじゃないか!

 わざと、あきらめの気もちが伝わるように、千枝美は言った。

 「じゃ、判定行きます?」


 * * *


 【判定】

 愛   ともゑ(八重垣会)

 千英  ひろ子(古典文芸部)

 千枝美 ともゑ(八重垣会)


 今度は、愛が「痛くて」とか理屈をこねずに稲部朝穂に入れてくれてよかった、と思う。

 しかし、千英は、鳥が飛ぶのにエネルギーがいる、とか言っておいて、けっきょく鳥のほうに入れたのか。

 最後に勝ちはしたものの、一回も「完勝」を得ることなく、稲部朝穂が退場する。

 一礼して、それでまた道村泰子に手を振って、ステージを下りていった。

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