第一番 澄野優 対 片山留美南

 梅雨に近い六月のことで、マルシェの日は曇りだったが、雨は降っていなかった。

 ステージ上には、まんなかと左と右に会議室机が置かれる。

 そのまんなかに審判役の科学部員、右の机に古典文芸部、左の机に八重垣やえがきかいのメンバーが座る。

 古典文芸部と八重垣会は、歌を披露ひろうするメンバーだけの登壇とうだんなので、その机ぜんぶが使えるが、科学部はまんなかの会議室机に三人で詰めて座らなければいけない。

 千枝美ちえみはいちおう部長なので、まんなか。

 右に白石しらいし千英ちえ、左に澄野すみのあいと、両手に花!

 それが、ちょっとくつろいだ姿勢を取るとマジで腕の肌が触れあう距離にいるのだから。

 暑苦しい。

 暑苦しいけど、愛の肌にはわざと触れて腕どうしきゅきゅっとこすり合わせてみたい。

 かわいいんだよね、愛。

 千英はさっきから落ち着きなくうごいて、そのたびにひじを千枝美の体にぶち当ててきているから、肌を触れあわせて、みたいな願望は最初から起こらない。

 古典文芸部側から最初にステージに上がったのは、澄野すみのあいの妹、澄野ゆうだった。

 姉と違って、何があっても動じない感じの優が、いまは緊張の面持ちでいる。

 八重垣会のほうの子があとから上がってくる。片山かたやま留美南るみなという一年生らしい。

 この子はよく知らない。背が低くて、髪を後ろでふたつ結びしている。ぴん、と外側にはね返った髪がかわいい。

 この蒸し暑い季節に、半袖制服の上から藍色のベストを着ていた。

 明珠めいしゅじょ偏差値へんさちが高いだけじゃなくて、かわいい子も多い!

 千枝美自身は、偏差値もいまひとつだし、かわいさは「いま三つ」ぐらいだけど。

 優と留美南が向かい合ってお辞儀をして席に着く。

 それぞれが提出した短歌を、マルシェの実行委員会の人が後ろのスクリーンにそれらしい毛筆フォントで提示してくれる。

 読み上げるのは、それぞれの部員だ。

 留美南は緊張しているらしい。

 ところで、この澄野優というのは、姉に輪をかけて優等生だ。勉強熱心で、小テストでは満点を連発する。

 それで、留美南は、負ける、と思っているのかも知れないが。

 短歌勝負になれば、それはまた別だろうと思う。

 第一番は古典文芸部が「先攻」、八重垣会が「後攻」で、第二番はその順番を入れ替えて八重垣会を先攻にするらしい。第三番はまた古典文芸部先攻で、順番に後退する。

 そこで、まず、優の短歌が、つづいて、「なみ」というペンネームらしい片山留美南の短歌が提示される。


 * * *


 【古典文芸部】


 パンと来て ダダダダダダダ パンダだよ パンダはパンダ ダダダダパンダ


 優(澄野優)


 * * *


 【八重垣会】


 壊れやすきものあり

 きて磯に立つ

 波のかおりのわれを吹き過ぐ


 なみ(片山留美南)


 * * *


 愛は、古典文芸部の短歌が映し出された時点で固まってしまった。

 それはそうだろう。

 自分の妹が、いちばん最初に登場して、しかも、相手方の顧問に「パンダ短歌」を突きつけて挑発したのだ。

 その細川ほそかわ恵理えり先生は、客席のパイプ椅子のいちばん前の列に座っている。

 隣には、この企画の仕掛け人、メイ先生が座っている。

 メイ先生の隣には、小太りというか、小太り以上大太り以下の女のひとが座っている。このひとはライバル校瑞城ずいじょう菅原すがわら先生という先生だとメイ先生が紹介してくれた。その瑞城のマーチングバンド部の出演があるので出て来たのだという。

 恵理先生は別に怒った様子もなく、苦笑いするようにステージを見上げていた。

 その先生たちの様子を、ステージ上の審査員席から幽霊部員志願の千英がちらっと見てから、言う。

 「この、なみちゃんの、って、短歌じゃなくて、詩だよね?」

 科学部の、文系知識のない子に判定役を委ねるから、こういう疑問が出てしまう。

 ちなみに、登壇とうだん者は審査員が何を言っても口をはさめない規則になっているから、こう言われてもその片山留美南という子は黙っている。

 「ああ」

 愛が覚醒かくせいした。

 「愛が目覚める」!

 そう表現すれば、とてもかっこいい。

 その目覚めた愛が言う。

 「これ、三行分かち書き短歌、って言って、石川いしかわ啄木たくぼくが始めた書きかただよ」

 知識はあるんだよね、この愛って子。

 それは、超優等生の妹の姉だもんなぁ。

 「ああ。そうなんだ」

と千英が言う。

 「最初の、五、七、五の七の途中で分けてるんだね」

 まあ、そういうことだ。

 あまり時間がない。ともかく一〇ペアが対決しないといけないのだ。後には、問題の瑞城の管楽器グループが待っているので、こっちが時間オーバーしてしわ寄せが行くと、もともと関係が微妙な明珠めいしゅじょと瑞城の関係にも波及してしまう。

 そこで、千枝美がまとめに入った。

 「「壊れやすきもの」っていうのは自分の心かな? それを抱いて、磯っていうから、岩の浜辺? そこに立っていると、波が打ち寄せて、その香りが吹き過ぎていく、みたいな?」

 「それと、優ちゃんの短歌の勢いのよさと、どっちを取るか、だね」

 千英が言う。

 まあ、勢いはいいかも知れないけど。

 それに、と、千枝美は思う。

 「パンと来て、ダダダダダダダ」というのは、この恵理先生の授業の始まりを、よく表現している。

 とてもよく表現している!

 少し遅れて「パンと来て」、起立、礼、とかやって、みんな着席していないうちから、「ダダダダダダダ」と話し始めるのだ。

 あのきゃんきゃんとうるさく響く声で。

 ほんと、疲れる。

 だから、こっちに入れると、恵理先生、どう反応するだろう、という興味もある。

 でも、ここは、片山留美南という子のデリケートさに一票入れたいと、千枝美は思った。


 * * *


 【判定】

 愛   なみ(八重垣会)

 千英  なみ(八重垣会)

 千枝美 なみ(八重垣会)


 審判は三人なので、二票を取ったほうが勝ちになる。千枝美のコールで同時に札を上げる方式なので、時間差で出して駆け引き、というのはできない。

 第一番は全員一致で八重垣会の勝ちとなった。

 この歌合うたあわせの目的が、八重垣会の圧勝を演出することであるとするなら。

 順調なすべり出しと言えよう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る