五章 不忘蔵王と蒼極天の神 13


 

「ユイガは正義の味方になってもいい。悪にだってなりたいのならなればいいさ。ユイガは好きなようにしていいんだ」


 

 手のかかる子供に言い聞かせるように、何も知らない彼女に母親の愛情を注ぐように。


 

「ユイガはさ。ただ優しいだけ。だれよりも優しくて、だから正義の味方になりたかっただけ」


「気づいてるか? ユイガがまだ自分のことを《正義》って呼んでる事に」


 

 そう、彼女は何も知らない子供だけれど。それでも、誰よりも優しかった。


 

「好きなように生きな。あたしに言われたから正義の味方になるんじゃない。自分が思うとおりに生きるんだ。泣きたくなったら泣いて、自分じゃどうしようもなくなったら助けてって叫べばいい」


 

 これはあたしが彼女に教えながら、同時にあたしがあたしに言い聞かせている言葉でもある。

 

 つまるところ、あたしは気づけなかったんだ。

 

 彼女が泣いている事に。

 

 《悪》を倒し続けている自分に疑問を持っていることに。

 彼女がどうすればいいのか解らず、ずっと悩み続けていた事に。


 

「この子がさ、タイフォンが、助けてって言ったんだ」

 

「……?」

 

「あたしもさ、諦めそうになった。ユイガが学校の屋上に居ると思って、あたしは死に物狂いでそこまで行ったんだ。でも、ユイガはこんな所に居た。それに気づいた時、あたしはもうどうしようもないと。きっとユイガを助けられないと、そう思った」


 『あたしは、一人じゃ空なんて飛べないからさ』と、少しだけおちゃらけて言った。

 

「うん……。だって、正義ももう、ざおうに会えると思わなかったよ」

 

「そんな諦めかけていたあたしの前に、この子が現われた。……なあユイガ。タイフォンはユイガの神様だけど、でもその前に、タイフォンはユイガと同じなんだろ?」


 

 彼女の神であるタイフォンは、同じエイピスから生まれた兄弟。いや、分身と言ってもいいほどに近い存在なのだろう。


 

「この子もさ、ユイガに消えて欲しくないって。でも自分じゃ助けられないから助けて欲しいって、そう言ったんだ」

 

「タイフォン……」


 

 大気が揺れる。

 タイフォンから漏れ出たその音は、ユイガにかける優しい声のようにも聞こえた。


 

「タイフォンがそう感じているって事は、きっとユイガもきっとそう思っているんだって、そう思ったんだ。ユイガはぽやぽやしてるように見えてかなりの頑固ヤローだからな」


 

 笑いながら彼女の柔らかい髪を撫で上げる。


 

「ユイガ。消えるなんて言うな。居なくなるなんて言うな。ユイガが居なくなったらさ、この子もイルカも、水奈や玉兎や蘭堂にクラスのみんなだって、きっと寂しがる」


 

 それだけじゃあない。


 

「あのトラックに轢かれそうになってた所をユイガが助けた子だって、絡まれてたのを助けられた先輩達だって、風船をユイガに取ってもらったあの子だって、他にも、ユイガが助けた人たちは沢山居る。ユイガが居なくなって、たとえそれが《悪》が居なくなる事に繋がると知ったって、それでユイガが助けた人たちが喜ぶと、本当にそう思うか?」


 

 ユイガはその言葉を聞いて、何かを考えるようにしていたが、やがて。


 

「わかんない。わかんないよ……」


 

 わかんないか。やっぱりこの子は、頭は良いけどまだまだお子様なのかもしれない。


 

「なら教えてやる。《誰も喜ばない》さ。《悪》が出なくなるだけなら、そりゃ喜ぶ人だって居るだろう。でもな、ユイガはもう違うんだ。《悪》を生み出していたかもしれないけれど、それ以上に《みんなを守る正義の味方》なんだよ」


 

 《悪》によって家を、店を、自分の持ち物を無くしてしまった人は居るかもしれない。

 

 いや、居るだろう。

 だけど、怪我をした人は居ない。

 命を落とした人だって居ないんだ。


 だが、《正義の味方》に命を救われた人は沢山居る。

 《正義の味方》によって、涙を無くして笑顔を取り戻した人は、数えるには両手の指じゃあ全然足りない。

 

 

「《悪》が居なくてもさ。ユイガはもう十分に《正義の味方》なんだよ。それに、《悪》で被害を受けた人だって、水奈が、黄ノ宮の家がしっかりフォローを入れてくれてる。あいつとあいつの爺ちゃんにはしっかり感謝しなくちゃな」



 だから後の事も心配するなと、あたしはこの子に言い聞かす。ユイガが居なくなって喜ぶやつなんて居ないと。ユイガが居なくなって、どれだけの人間が悲しむかと、何も知らないこの子に教えてやる。


 

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