五章 不忘蔵王と蒼極天の神 5


(なんで……)


 

 悲しみと怒りは似て非なるもの。



(どうして……)

 

 

 悲哀と憤怒は表裏にして差異無きもの。

 

 

(こわい……)


 

 恐れているものが理解できないモノであり、理解できないモノが自分である事に恐れを抱く。


 

「こわいよ……」


 

 明るかったはずの空にはいつの間にか灰色の雲が渦を巻き、巻き起こる風がガタガタと周囲に連なる建物の窓を不気味な音で揺らしていた。

 

 この街で空に一番近い場所。

 駅前に建設中の入居者の居ない超高層マンションの屋上。


 

 誰も居ないそこで。


 

「こわい。こわいよ……」


 

 神ヶ崎ユイガは震えていた。自分の中で生まれた正体不明の感情に。


 

「たすけて。たすけて。たすけて……」


 

 神ヶ崎ユイガは怯えていた。

 自分の信じるものが否定された事で自分の体が無くなったような未知の感覚に。


 

「ざおう……。ざおぅ……」


 

 それでも、彼女が縋るのは自分を否定した相手だった。

 

 自分の命を救った彼女。

 自分の進むべき道を示してくれた彼女。

 自分が存在する意味である彼女。

 

 彼女が自分のすべて。自分のすべては彼女の物。


 

 そんな彼女に必要ないと言われた自分。


 

「助けてよ……ざおー……」


 

 もうそれ以上言わないでと悲しんだ。


 どうしてそんな事を言うのかと憤りもした。

 

 けれど、だけどそれ以上に恐ろしかった。

 

 彼女に必要とされなくなる事が何よりも恐ろしかった。

 彼女に必要とされなくなる事で自分がどうなるかが解らない事が恐ろしかった。



 だから、今の正義の味方に正義は無い。

 

 あるのはただの混乱。

 あるのはただの混沌。

 あるのはただの虚無。


  

 そして正義の味方は正義の味方の意味を考える。


 

 彼女は言った。正義の味方なんて人に任せておけばいいと。

 彼女は言った。正義の味方なんて子供の幻想だと。

 彼女は言った。正義の味方なんて今の世界に必要ないと。


 

 そして正義の味方は思った。

 

 人に任せる事の出来ない、子供の幻想なんて及びもつかない、今の世界ではどうしようもないものが存在すればいい。

 

 正義の味方は不忘蔵王が居るのだから、正義の味方は必要ない。

 

 だから、この世界に必要なのものは一つだけ。


 

「助けて……。助けて……」


 

 雨も降っていない空から、大地を貫くような雷が轟音と共にマンションへと落ちる。

 

 何かを砕くような音と共に鉄骨が電気を迸り、組み上げられた資材が雪崩の様な音を出して崩れる。

 

 探検気分ででも入り込んで居たのだろう、遥か下、白いシートのかけられた工事中を示すシートの内側に、悲鳴を上げながら外に出ようとしている子供の姿が見える。


 

「ねぇ……。ダメだよもう……」


 

 少女の顔に嘲笑とも悲哀ともとれる色が浮かぶ。


 

「逃げ……て! はやく……!」


 

 そうして、正義の味方は正義の味方をやめた。

 


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