五章 不忘蔵王と蒼極天の神 3


「うへへ~……。どうよぅ~……。あたしだってその気になればおっぱいおっきくするのぐらい簡単なんでゃかりゃぁ~~。もうユイガにばっかりでかい胸させてあげなぐぇうぅぅぅぅっっっっ!」

 

「ざおー!」


 

 翌朝。


 二度目の惰眠という名の至福の時間は、しかし襲来した巨悪によってあっさりと打ち破られてしまった。

 

 あたしのお腹の上には満面の笑顔を振りまく正義の味方。

 庶民の幸せを守るのがあなたの務めなんじゃなかったんですか。

 

 でも青いキャミソールの肩から覗く首元がちょっとセクシーでエロ可愛いのは許すいいぞもっとやれ!


 

「行くよー!」

 

 

 両手を挙げて可愛さアピールでも狙っているのだろうか。

 

 や、きっとそんなん計算してないなこの娘は。

 大きい体にはあんまり似合わないけど、それでも端正な顔が笑顔に染まる姿は見ていてやっぱり可愛らしいぜちくしょうこのやろう羨ましい。


 

 壁の時計を見上げれば時間はまだ一二時を回る前。

 ぇー、折角の休日なのに午前中に起きるなんてそんなの間違ってるよー。

 

 

「いー! くー! よー!」

 

 

 ばたばたとせわしなくあたしの上で両手足を振り回すユイガ。

 

 待て! 本当にまだ一二時だぞ! こんな時間に起きたら、勿体無いお化けとか勿体無い神様に怒られる!

 

 

「ていうか重いよ! いくら女の子で細身のユイガだって、あたしより身長高いし絶対重いから!」

 

「そんなことないよー! ねー? たいふぉん~?」

 

 

 カーテンの隙間から差し込む日の光の向こうに見える巨大な半透明魚が大きく口を開ける。

 

 

「そんな事無いよって、そりゃあたしより軽いですよアピールですかユイガさんはそんなに自分のスタイルが自慢なんですかっ!」

 

「ちーにゃーうーにょー!」


 

 口に両手親指を突っ込んでぐりぐりぐり。ほら、ちょっと可愛くなくなった! けどちょっと別の方向で可愛いくてこれはこれで悔しいっ!

 

 

「いきゅーにょー!」

 

 

 まーだ言うかこの口は。


 

「まったく……」

 

 

 手を離したあたしは、そのままユイガに押される形でベッドから這いずり出る。


 

「んで、行くってどこに?」

 

「ぱーとろーるーであります!」


 どこで覚えてきたのか、警官のような軍曹のような格好でビシっと右手を額に当てるユイガ。

 

 そりゃびっくりだよ。朝っぱら(昼だけど)からいつものそれかい。なんて、実は大体解ってたけどさ。

 

 

「いこー! ごーごー!」

 

 着替えたあたしの手をひっぱるユイガ。

 

 こんな風なやり取りも、ユイガが来てから毎日繰り広げられてきた光景だ。

 

 だけどさ。


 

「行かない」

 

「……?」

 

 

 何を言われたのか解らないというユイガの顔。


 彼女は昨日の出来事を覚えていないのだろう。あたしが昨日、夜の学校で彼女と出会っている事も。


 先ほどのやりとりだけでもそれはよく解る。彼女は、神ヶ崎ユイガは、《あたしが全て知っている事》を知らない。

 

 いやそもそも。


 彼女はきっと、あたしが知っているどころか、《自分が神によって作られた人間で、悪を望んでいる事》を知らない。

 

 あたしはだから、もう一度その言葉を口にする。

 

 

「行かないっつってんの」


「……?」

 

 どういう意味? と、その瞳が訴えてくる。


 

「一人で行きなって。あたしはもう付き合わないから」

 

「……」

 

 

 あの騒がしいユイガが押し黙る。

 

 それはきっと、彼女にとって想像できない、想像した事の無い答えだったのだろう。


 

「大体さ」

 

 

 ユイガはただじっと、上着のすそを握り締めてあたしの目を見ていた。


 

「馬鹿じゃない? 何が正義の味方だよ。子供かっつの」


 

 ただ、じっと、真っ直ぐにあたしの目を見ていた。

 

 

「ああ、ユイガは子供だね。がきんちょだから解らないのか。そんな物、今の世の中必要あるわけ無いじゃん」


 

 そうだ。それは子供の誇大妄想なんだ。

 

 

「あんたと会った時からずっと思ってたよ。なーにが正義の味方だ、何がみんなの笑顔を守るだ。ってね。正直めんどくさかったよ。あんたに付き合うのは」


「おまけにこっちの事ほっぽって人のこと死にそうな目に合わせたりもしやがって。ふざけんなよ」


 

 ユイガの手は震えていた。

 

 

「しかもあたしが居ないとその正義の味方も出来ないってか? 保護者付きの正義の味方だって? あははっ。ばっかみたい。なんでそんなに勝手に勘違いしちゃってんの?」

 

「あたしが言った? そりゃ言ったかもしれないね。だって、そん時のあたしは《何も知らないバカな子供》だったんだから」


 

 ユイガは何も言葉を返さない。ただじっと、あたしの言葉を聞いている。

 

 

「あんたは子供だよ。何も知らないバカな子供。もう卒業しなって」


「そんな子供、そんな正義の味方を夢見る子供、今時流行んないよ。テンプレートな勇者様に観客は飽き飽きしてますってね。正義の味方はフィクションの中だけさ、あんな怪物、自衛隊にでもなんでも任せておけばいいんだ」


 

 ユイガはあたしの目を真っ直ぐに見て。


 

「だからもうやめ。行きたきゃ一人で行きな。何も知らない誰よりも愚かで無様な正義の味方さん」

 

 

 その瞳に涙を溜めていた。

 

 

「だって……ざおーが」

 

「あたしがなんだって?」

 

 

 びくりと、まるで小動物のように肩を震わせるユイガ。

 


「ざ、ざおーが……ざおーが正義の味方は悪を倒して……」

 

「だーかーらーさー!」


 

 圧迫するようなあたしの声に、ユイガの声は更に小さくなる。

 

 

「重いっつってんの! やりたきゃ勝手にやれ! 人のせいにすんな!」

 

 

 叫び、そしてあたしは部屋を出た。


 大きく音を出して扉を閉めた後。

 そこには、正義の味方だけが取り残された。



 

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