四章 不忘蔵王と少女の笑顔 4


 いきなり横合いから滲むように現れた黒い影。

 

 夜の闇を照らすように満月の光を浴びて輝く短い金砂の髪に、魔女のようにも執事のようにも見える、けれどフォーマルな黒い服。

 

 それは、あたしをここへ呼び出した神ヶ崎イルカの姿だった。

 

 

「……大丈夫?」

 

「ああ、うん。ちょっと取り乱したけど平気、今はそれなりに大丈夫」

 

「……頭」

 

「そりゃ今までの見てればダメに見えますよねはずかしーーっ!」

 

 

 顔から火は出ないけどずっと見てたのかよさすがのあたしも穴があったら飛び込みたいっっ!

 

 

「……まだ余裕がある」

 

 

 いや、ないっす。マジな話。

 

 

「だいたいさ、今のは何? 本当にユイガなの?」

 

 

 ここに来いとあたしに言ったのは、この目の前に居る神ヶ崎イルカだ。

 

 そして、あのユイガ、もしくはユイガに似た誰かの姿をあたしに見せようとしたのも、彼女の仕業に間違いないだろう。ここにイルカが来たのが何よりの証拠だ。

 

  

 そうである以上、 彼女はあの《ユイガのような誰か》を知っているはずだ。

 

 

「……蔵王。キミには失望した」

 

 

 しかしイルカの返答は、あたしの想像の斜め上を行っていた。

 

 

「えーっと……それ、どういう意味?」

 

 

 だからあたしが戸惑うのも無理はないと思う。

 

 

「……蔵王がユイガの友達なら、蔵王はユイガを抱きしめていい子いい子すべきだった」

 

 

 ううん。言っている事がよく解らない。

 

 

「……それが主人公の素質」

 

 

 なんて押し付けがましい見解だろうか。あたしにはあんな状況で混乱した頭を抑えて動けるような甲斐性は残念ながら無い。

 というか、そんな強靭な鋼のような心を持っている人間は、それこそ本当に漫画や小説の主人公だけである。だが残念ながらあたしは、美少女である事を除けばごく普通の女子高生だ。

 

 

「……一人で漫才やってる場合じゃない」

 

「うるせいやい!」

 

 

 さっきのはあたしなりの気の落ち着け方だ!

 

 

「……でも、その割にはもう冷静」

 

「そりゃあねぇ……」

 

 

 言いながら、あたしは教室の中央に落ちている肉片の群れの中から、大きめのお皿ぐらいのサイズをした白い物体を取り上げた。

 

 

「《タイムセール30%引き!》だってさ。これ見たら、テンパってた頭も冷えるっつの」

 

 

 最初は確かに驚いた。最初は確かに恐ろしかった。

 

 でも、これを見つけてから改めて回りを見渡せば、いくらあたしの頭だって冷静にはなる。

 だってこれ、この場所には違和感バリバリだったんだもん。

 

 

 つまりその白い物体は、スーパーなどで見かける食肉用の素材が入った発泡スチロールだったのだ。

 

 

「そこに落ちてるのは牛肉の切り落とし、あっちは輸血用血液の入ったパックだよね? これだけの量をどうやって調達してきたのか知らないけど」

 

 

 一見すると皮膚をはがされた人の腕(言ってるだけで痛い!)のように見えるあれとか、一見すると人の小腸(言ってるだけで気持ちが悪い!)に見えるそれとかは、多少そう見えるように加工はしてあるものの、実際は全てそこらへんのスーパーやらで調達できる食材であった。

 

 

「これなんかマグロの目玉? うぇー、グロい。でも人間のじゃないよね、あっちにでっかい魚の骨っぽいのもあったし」


  

 そこまで解ればあたしが取り乱す理由なんて無い。だって、一番恐ろしかった疑問が払拭されたのだから。


  

「あたしが聞きたいのはさ、あれが本当にあたしの知ってるユイガなら、なんでこんな所で、なんでこんな事をしてたかって事」

 

 

 そして……なんであたしに助けを求めるような事を言っていたか。である。

 

 

「……今のは、蔵王達が悪と呼んでいる物」


  

 悪? 今のが? どう見たってユイガだったよ?


  

「……今のは、姉さん」

 

 

 姉さん。ユイガが姉さんと呼ぶのは一匹、いや、《彼女》だけだ。


  

「……」

 

 

 そこまで言って、イルカはじっとあたしの顔を見上げてくる。


  

 ええと落ち着けよく考えろ。イルカの言葉が本当なら、あのユイガに似た先ほどの美人さんはイルカの姉であり《悪》でもあり、そしてあの白蛇だと?

 でもってユイガはイルカが自分の妹だと言っていたし、それなら《悪》はつまり。


  

「――ユイガが《悪》」

 

 

 自分で言って、すぐさまその意見を否定した。

 

 考えていた可能性ではあった。あったけれど、でも、そんな筈は無い。あたしだって、あの子が悪を喚んでいる可能性には思い当たっていたし、恐らく水奈と九王ノ宮の上層部とやらも同じ見解だっただろう。


  

 でも。だって。悪が現われるときユイガはいつもあたしと一緒に居たし、その悪を自分のただ一人の神様であるタイフォンの力を使って倒していたじゃないか。

 

 彼女が《正義の味方》である為に《悪》を無意識下で喚んでいたと仮定しても、彼女が悪であるなんて、そんな事。

 いや、そもそも神災はただ一人の神に愛された人間だ、彼女が悪を喚べるのなら、同時にタイフォンが存在している理由が説明出来ない。まして、彼女が悪だと言うなら。


  

 ――言うのなら。

 

 そこであたしは一つの可能性に思い当たった。

 

 いや、今までの理屈を否定できる可能性を孕んだ選択肢を思い当ててしまった。

 

 

「でも、そんなはずは……」

 


 ない。と、否定出来るだけの材料が今のあたしには存在しない。


 あたしには、《ユイガが神様を操る神様》である可能性を否定出来るだけの理由を見つけられない。


 


「……迷える事は幸福な事。本当に不幸なのは、迷えなくなった時」

 

 

 イルカがどこかで聞いた言葉を口にする。

 

 

「仮に……」

 

 

 イルカはまだそこに居る。それはつまり、まだあたしに伝えたい事があるからだ。まだあたしが知らなければならない事があるからだ。

 

 

「仮に、あたしが思う通りだったとして。さっきあの子が泣いていた理由はどうしてだ?」

 

 

 彼女が――ユイガが口にしていたのは、実際にはあたしやその他の人間が食べているものと同じもの。人が生きる為に、なんて言ったら聞こえはいいけれど、その為に作られた《食品》だ。もちろん、その食品となってしまった《彼ら》に感謝と謝罪の念を送る事は間違っていない。

 

 生きる為に他者を犠牲にしている事を理解している人間は少ないけれど、人はそれでも、自分を生かす為に死んでいった彼らに謝辞を捧げるぐらいの気概はあったっていい。

 いや、あるべきだ。いただきますの語源だって、料理を作った人への礼であると同時に、食事となった彼らに対して『あなたの命を私の命にさせていただきます』という感謝の言葉であると聞いた事もあるし。


 

 そういった意味では彼女の涙は至極真っ当なものなのだが……。

 

 だが、あの様子を見てしまったあたしには。

 

 

「あれはまるで、本当に人を、その、殺してしまって」


 

 

 そして――まるで人を食べているようだった。


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