四章 不忘蔵王と少女の笑顔 2




 


 満月を背に悠然と聳え立つ建物は、腹ばいになった獣のようでいて、夜空に浮かぶ満月に照らされた白く美しい龍のようにも見える。


 


 スマートフォンに目をやれば、今は夜中の十一時半を回ったところ。日付が変わる少し前。イルカに言われた《今日が終わる刻》に、あたしは学校へと再び訪れていた。


 


 なんだってこんな時間に。と考える必要は無いだろう。


 


 こんな時間である事に意味があるのだ。こんな時間に、そう、きっと人の目が無いこの時間だからこそ、見せられるものがあるのだろう。


 そうでなければ夕刻にでも、いや、あの時あたしに伝えてくれたって構わなかった筈だ。


 


「さてさて」


 


 賽はとっくに投げられた。あとは吉が出るか凶が出るか――。なんてお決まりのセリフを言うつもりは無いけれど。街を脅かす悪を倒す手がかりを探しに、遊び人は一人で冒険へとでかけましょうか。











 誰も居ないはずの教室から、人の叫び声に似た音が聞こえる。




 不幸な死を遂げた生徒の噂とか無いよなぁ……。だって、九王ノ宮は新設校なんですよ!


 ないよない! あるわけナイナイ!




 真夜中の校舎内で、自分以外に動く人影を見る。




 うそーん! なんで鏡なんか廊下に置いてんだよー! って、今後ろで何か走んなかった!?


 ねぇ、居たよね!? なんかイタよね今!?




 カタリカタリと、床を踏みしめるような音がし、眼前には白い影が――。




 ぎゃー! おばけー! あくりょーたいさんあくりょーたいさん! どーまんせーまんー!


 って、カーテンじゃねーかばっきゃろー! ちゃんと窓閉めて帰りやがれぇぇいぃぃ!!




 うぇーん! もうおうちかえりたいっすー!


 つーか入る前に偉そうな事考えてすいませんでしたーー!






 おあつらえ向きの様に何故か開かれていた(イルカが開けたのだろう。たぶん)玄関口から堂々と中へ入り、礼儀の行き届いたお嬢様たるあたしは下駄箱からしっかりと上履きを取って履き替える。そして三年生の教室となっている一階を渡り終え階段へと辿り着く頃には、そりゃもうあたしは心の中で三〇回ぐらいショック死してたね。




 今だって階段上ってるけど、頭ん中じゃああの二階との真ん中にある踊り場の奥の窓から、変な影が出てこないかとか考えてしまっては、そりゃもう生きた心地がしない。




 たくましいあたしの想像力が今はにくらしー!




 考えながら、踊り場に背を向けて二階を目指す。




 えーん! 後ろからなんかがくっついて来てる気がするよーぅ! でもそれ以上に怖くて振り向けねーーっっ!!




 『夜の学校? はんっ。んなもんでビビってるなんて小学生ですか夜に一人でおトイレいけますか可憐なお嬢さはぁ~ん!』


 などと思う無かれ。ぱねぇっす。まじでハンパネー怖さだから! 馬鹿にするなら一度一人で学び舎でも巡ってみるといいさ!




 ちなみに美人で可憐でおしとやかなお嬢さんとはあたしの事だ。何か見えない誰かから突っ込まれた気がするので一応補足しておく。


 


 などと、そりゃーもう怖さを紛らわす為に必死でどうでもいい事を考えながら、あたしは三階に位置する一年生の教室、A組の前までやってきた。


 


 イルカから指定された我らがF組はここから五つ先の教室なわけで。でもまだ五つの教室の脇を跨いで行かなければならないわけで。えーんもうちょっとでゴールだよコンチクショー! とか思いながら歩みを進めるあたしの耳に、その音は聞こえてきた。


 


 ちなみにその時のあたし、口から心臓が三つぐらい出てた。




 手に持ったトマトを地面に落としたら、きっとこんな音がするのだろう。その何かが潰れる様な音は、不定期な間隔を空けながら幾度と無く聞こえてきた。




 


 ずぶ、びちゃ、ずる。


 


 ずるる。ずるる。びちゃ。びちゃ。びちゃ。


 


 ずぶ、ずぶり。ずぶり。


 


 もうね、きっとその時のあたしの感覚は恐怖で麻痺していたんだと思う。だって、普段のあたしなら絶対にそんな所に近づかない。


 生きるかもとか死んじゃうかもとか、そういう冷静な判断の前に、きっと、怖くて足が進まないんだ。






 でもね。その時のあたしは、きっと心が麻痺していたんだと思う。




 だってさ。






「……ぁ……ぅ……」




 だって、その何かをつぶす様な音と共に聞こえてくるのは、人の声だったから。




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