一章 不忘蔵王と正義のミカタ 8


 バヒュンと、風船の中の空気が弾ける音を何倍にもしたような爆音がしたかと思うと

 

 

「ざおーはゆっくりきーてーぇぇーねーえぇぇーーぇぇーーーぇーー……」

 

 

 正義の味方はドップラー効果(遠ざかるパトカーのサイレンが変な感じになるアレだ。たしか)をエッセンスに加えながらぶっ飛んで行った。

 

 さて、流石に今のジェット噴射はあたしの想像をそれなりに超えていたんだが。

 

 

 しかし突っ込む相手も居ないし、動きようも無いので、とりあえずは午後の授業に思いを馳せるフリでもしましょうか。

 


 


 

 

 大地を踏み砕き疾走する姿は見紛う事なき凶悪なる巨獣。荒ぶる咆哮をあげながらその巨体を揺らす姿は、見るものを恐怖へと追いやる為にだけ存在している。

 

 人が決して挑んではいけない化物。その顎によって生を奪われた生物は数知れず、矮小なる人類はそれに抗う術を知らない。 

 

 まして、彼の者の前に立つなどという愚考を犯したモノは、その人生を振り返る走馬灯の訪れを待つ間も無く、その漆黒の巨体に命を貪られる。

 

 

 

 そんな悪魔よりも尚恐ろしい怪物の前に幼い少年は踏み出してしまった。

 

 

 怪物を恐れ、決して自らに被害をかぶる事の無い距離から、その少年の姿を視界に捉えてしまった大人達は、悲鳴とも諦観ともとれる叫びをあげる。

 

 誰もが少年の死を想像し、そして誰もが若いながらにその身を散らす彼を悼んだだろう。

 

 意思を持たぬ機械のように、ただ眼前に存在する障害の全てを蹂躙する怪物にとって、その幼い少年は獲物と認識するにすら当たらない小石程度のもの。


 

 

 少年が怪物に気づいた時は既に遅く、巨体はその幼い少年を、自らの両腕を持って肉片へと変えた――。

 


 と、あたしが認識してしまっても、それがあたしの非であると責める人間は居ないと思う。

 

 実際、あの距離にあってあたしにはそう見えてしまったのだ。少年には心底申し訳ないけれど。

 



「もう怖くないよー。泣かない泣かない!」

 

 

 そこは歓声に包まれていた。

 

 あるものは歓喜の声をあげ、あるものは驚愕に目を見開いている。

 

 

 片道二車線の国道。十字路にあたるそこには、しかし青信号であるにも関わらず金髪の少女と、幼稚園児だろう、黄色い帽子を被った幼い数人の子供達を中心にして、彼女達を取り囲むように人の壁が出来ていた。

 

 信号によってせき止められた車の中に居た何人もの人たちも、何事かと車を降り、その奇跡を目の当たりにしていた。

 


 あたしがタイフォンの背中から降りたのはそんな人垣の外側、ちょうど抱きかかえられた一人の子供と、子供を抱える少女の黄金の長い髪だけが見える位置だった。

 

 タイフォンの体色が今まで以上に透明になっている(どうやら高度を下げるにつれて透明度が増すらしい。目立たせない為だろうか?)せいもあるだろうが、それ以上に人の目が少女たちに向けられている事が大きいだろう、あたしが中空から降り立った事に気づいている人は居ない。

 

 

抱き抱えられた一人の子供が、少女の長い金髪を泣き喚きながら引っ張っている。

 

「あー! 髪の毛ひっぱっちゃだめだよー!」

 

 

 そんな事を言いながらも、しかし少女は髪を引っ張っている幼い子供に対する笑みを全く崩していなかった。

 

 

 彼女たちの近くには、他の車よりもひと際大きな四トントラックが駐車している。いや、駐車していると言うよりは、何か巨大な力によって無理矢理止められたように斜めになっていたという方が正しいだろうか。

 

 ……いや違う。あれは無理矢理止められたと言うよりも、受け止められたといった感じ、見えないエアバッグがそこに存在していたような印象だった。

 

 

 そう、ユイガはタイフォンから飛び降りたあの後、この交差点へ向けて一直線に空を翔け、猛然と走るこのモンスタートラックを謎の力で無理矢理抑え止めたのだ。

 

 

 その空気の壁に阻まれスリップを起こしたトラックの運転手と思わしき人の良さそうなおじさんが、しきりにユイガに向かってペコペコと頭を下げている。

 

 

「おじさんもよく見てあげてね。青信号でもちっちゃい子供が近くに居たらじょこーをしっかり!」

 

 

 立ち並ぶ人々の歓声の中でもユイガの声はよく通り、あたしの耳にまでハッキリと聞こえてきた。

 

 

「ほらー! 泣かないのー! 男の子は女の子を守れる正義の味方にならなきゃだめなんだから!」

 

 

『ねっ?』と、抱き抱えた子供に諭すように言うその姿は、聖母のようにすら見える。全く、美人はどのタイミングでも美人なのだ。羨ましい。

 


『姉ちゃん何もんだー?』

 

『すっごーい! 見た見た今の? スーパーマン!?』

 

『かぁっけぇーーッッ!』

 

『っていうかまた怖いぐらいな美人さんね……ちょっと嫉ましい!』

 


 

 周囲の人々からあがる賛美と賞賛の声は途切れる事無く続く。

 

 

 人の壁を掻き分け、あたしがその円の中央へと寄った時に、抱き抱えられた園児の声だろう、泣き声が混ざったような声が聞こえた。

 

 

「ぃっく……。う、うん。わかった……。えっと、正義の味方のおねえちゃん」

 

 

 彼の声に触発されたのだろう、彼女を取り囲んだ園児達からも『ありがとーおねーちゃん!』『正義の味方のお姉ちゃん!』『姉ちゃんかっこいー!』との声が上がる。

 

その声に応じる様に彼女は声を上げ

 

 

「うん! お姉ちゃんは正義の味方! かみさまたいふぉんと一緒に、みんなを守る正義の味方だよ!」

 

 

 そう声高に宣言した。

 

 《神》という単語で《神災》を思い浮かべた人間もその中には居ただろう。そう、神の力を使う災いという名の人間を。けれど、その言葉に意味は無い。

 

 

 『神災って。また、聞いてた噂と随分と違うものね~』

 

 『神様ねー。そりゃさっきのスッゲーの力も納得できるのか?』

 

 『んなの関係ねーって! 見たろさっきの? 姉ちゃんがあの子達を助けたのはちげーねーんだから!』

 

 『かみさまー! かみさまおねえちゃん! ありがとー!』

 

 『しんさい? 何それ? 食べ物?』

 

 『あんたなんで、あの学校もあるこの街に住んでてそれを知らないのよ……』

 

 『ほ、仏様じゃぁ……。仏様がワシを迎えにいらしたのじゃぁ……ナンマンダブナンマンダブ……』

 


 

 なんか的外れな声も聞こえてくるけど。しかし、彼女のあの姿を見てそれを《災い》と呼ぶ人間など居ない。

 

 

 彼女達が――神災が、どれだけ忌み嫌われた存在だったとしても。どれだけ人に恐れられる存在だったとしても。それでも、今の彼女はそんな者じゃない。

 

 あたしだけではない。それを、みんなだって理解してくれている。

 

 

 だって、彼女の笑顔は災いなんかじゃない。女神様のそれだったんだから。

 

 子供たちに囲まれて、照れくさそうに笑顔を向けるユイガを、あたしは何故だか少しだけ誇らしげに見ていた。

 

 

 ねえ蔵王。幼いあんたは、今のあたしから見れば現実を知らないただの子供でしかなかったかもしれないけれど、それでも、今のあたしなんかよりもずっと凄いヤツだったよ。

 

 だって、一人の少女を、本当に正義の味方にしてしまったんだから。

 


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