第2話 あたしちょっと月面訛りがありますもので
「そ、そのぅ。私うっかり落っこちてしまいまして……」
落ちたのはわかる。だから僕は慌てている。
「家に帰りたいのでロケットを用意していただければと思いまして」
どんな家だ。
「あ、あの、あたしの喋り方、変だったりしませんか? 通じにくくないでしょうか? あたしちょっと月面訛りがありますもので……」
女の子は、はにかみ顔でそこまで言うと、小さく溜息をついた。
僕は笑顔のままに彼女の言葉を聞いていたが、脳が理解を拒む事態から、さらに脳が理解を拒む事態へとシームレスに移動され、その笑顔の意味するところは、微笑から苦笑に変わっていた。
どうも、可哀相な女の子に出くわしてしまったらしい。
飛び降りの可能性、怪我の状態、未成年の夜間徘徊。
心配するべき点はいくつもある、いくつもあるが……。
それ以前の問題で早急な保護の必要がありそうだった。
慎重に言葉を探す。
「え、えっとね、その、僕には残念ながら宇宙開発に携わっているような友人はいないんだ。だからロケットは用意できない」
いたとしてもロケット一発お願いしますで準備できるものでもない。
「そんなことより、えーっと、君……は、どこからか落っこちたみたいだけど、怪我は大丈夫? それから、どうしてこんな遅い時間にこんな所にいるの?」
「あのぉ、ロケットじゃなくても、宇宙に出れるものならなんでもいいんですけど」
「ああ……ええと、その、とりあえず質問に答えてくれるかな? 大事なことなんだ」
「へ?」
「おうちはどこ?」
分かりやすいように短く、要点だけを尋ねる。
すると、女の子は一瞬首を傾げ、次に上目遣いになり、ようやく質問の意図を理解したのか、ふと合点がいったように立ち上がった。
黒いスカートのお尻を軽くはたく。
日傘を拾い上げ、優しく肩に寄り添える。
そして僕に背中を向けて、一歩、二歩、三歩。
歌うような足音が夜空に響く。
そして指差した。
夜空に光る、おぼろげな五日月を。
「あそこです」
そう言って、僕に向き直り、微笑みを浮かべる。
細く弱々しい五日月の欠けた部分を補うように、女の子の周りだけ明るい満月の晩のように輝いて見えた。
言ってることがとんでもなく奇妙不可思議なことも、その瞬間だけは頭から吹き飛んでいた。
気を確かにして、僕はなおも女の子に問いかけようとした。
でもなんだか慌てふためいている自分が、急に馬鹿馬鹿しくなってしまい、結局飲み込んでしまった。
「あ、ああ、そりゃ……アポロでもないと無理だな」
彼女はちょっと想像力が豊かな女の子のようだ。
或いは頭の打ち所が悪かったのかもしれない。
これ以上問いかけを繰り返しても、身のある答えは返ってこないかもしれない。
それどころか、この現場を誰かに見られたら僕が痴漢だ誘拐犯だと勘違いされかねない。
だから、近くの交番に速やかに届けて、あとは公的機関に任せる。
それが一番いい方法だ。
「大変だね、あいにく僕はロケットは用意できないけど、交番に行けば用意……」
してくれるんじゃないかな? と続けようとしたところで、言葉は尻切れトンボになってしまった。
静かな夜に場違いな音が鳴った。
空気が読めない騒音の犯人は、女の子のおなかの中でぐるぐる唸る虫だった。
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