花殺しの天使
春の日ざしのなか、公園の花壇の上に天使のような少年が降り立っていた。片親のどちらかが白人らしい、西洋人形めいた純真無垢な
その艶やかなローファーの足許には、累々と横臥る
全滅している。
少年は画材を抱えて立ち尽くすわたしににっこりとほほ
彼は花壇から飛び降りるとどこかへ駆け去ってしまった。こんな非道を働いておきながら、その所作はなんと優雅で爽やかだったか。
わたしはこの数日いつもそうしていたように
わたしはなんとしてもまた彼に逢いたいと思った。特徴的な制服から学校はすぐに知れた。だがこの地域からはいくらか離れた処にある私立で――いやそれがどうした、調べて待ち伏せでもする気か――と独り悶々とする日々が続いた。
ところが数日後、母親に連れられてわたしの家にやって来たのは少年のほうだった。わたしは自宅で小さな水彩画教室を開いていた。彼は案外真面目に指導を受けた。
少年の名は
ほかの生徒たちが帰ってから、彼は単刀直入に云った。
「このあいだ、公園でぼくを見ましたよね。」
「なんのことかな。」
「あの絵。」
彼は部屋の隅に立てかけてあるわたしの
「もうあんなことをしてはいけないよ。」最近、近隣のあちこちで花壇や鉢植えが荒らされているという話を耳にしており、わたしは小暗い気持ちになった。
「なぜ。」
「花が傷つくと悲しむ人がいるからだ。」
少年は鼻で嗤った。「ぼくは花なんて見ると反吐が出るけどな。」
「もうしないと約束してくれるなら、お母さんには黙っておいてあげよう。」
少年の眉がぴくりと動く。
「それと、もう一つ――わたしの絵のモデルになってくれないか。」
「条件が多すぎるな。」彼は艶やかに
わたしは唖然とした。この少年は初めからこの筋書きを持っていたのだ。
「……判った。」
少年は勝ち誇ったように咲みを大きくした。
「ほら、先生だって本当は、花のことなんてどうでもいいんじゃないですか。」
それから毎週水曜の夕方、亜蘭は水彩画教室のあとわたしのモデルを務めた。母親の了承も得ている。
教室として使っている部屋の隣がわたし個人のアトリエで、授業のあとそこへ彼を招き入れて椅子に坐らせる。
「裸になりましょうか、」
「きみにそんなことをさせるつもりはないよ。服のままでいい。」
わたしは内心の動揺を悟られぬよう、精一杯抑えた声で云った。少年はただくすくすと咲う。
最初はただ、数分置きにポーズを変えて何枚か鉛筆で
亜蘭が慣れてきたところで、いくらか長く時間をとって
「……今日はこのくらいにしよう。」わたしは自分のために云い、切り上げた。少年はほほ咲んで立ち上がり、背伸びをした。
近隣では相変わらず花壇が荒らされ、鉢植えは倒され、塀に這わせた花は無惨に摘み取られその場で踏み潰された。咲き初めた薔薇も、愛らしい
なぜ彼はこうも花を憎むのだろう。
それから数週間、わたしは鉛筆や水彩で何度も少年を捉えようとしたが、一向にうまくいかなかった。少年を初めて見た日、記憶だけで描き留めた印象のほうが随分ましだ。
わたしはこの小さな美神を描くという無謀を諦め、彼の罪を彼の母親に話すべきなのだ。そうして関わりを終わらせる。それがまともな大人がとるべき道だ。
だがわたしにそんなことをするつもりはなかった。ただ、懸念は口にした。
「口を出さないとは云ったが、」ある日の素描の終わり、わたしは云った。「あまり派手にやりすぎると、わたしが黙っていようがいつか周りに悟られてしまうよ。防犯カメラをつけているお宅もあるのだから。」
「カメラの有無くらい調べてますよ。」急に犯罪者の口調になる。
どうして――と口に出かけた問いを呑みこんだ。わたしにはまだ亜蘭になにも訊く資格はないのだと、弁えていたからだ。
亜蘭が荒らしたと思われる花壇を見かけるたび、わたしはその小さな荒涼とした空間に目を留め、これは彼なりの創造なのだと哀しく理解した。
少年は瞭らかに、
ある雨の日、水曜でもないのに突然亜蘭がやってきた。全身ずぶ濡れだった。
彼を玄関で待たせ、わたしは慌ててバスタオルを取りに行った。玄関に戻ると彼はセーラー衿の上着を脱いでいた。わたしはその身体に目が釘づけになった。その白磁のような膚は、無数の
「先生……。」
少年はわたしに抱きついた。わたしは彼をバスタオルで包み、そっと抱擁した。
「どうしたんだい。」
「ぼくを描いてください。この瑕痕も全部――」
「判った。おいで、」
わたしはもうためらわなかった。濡れた衣服を預り、彼が身体を拭いたあと、いったんわたしの服を着せる。温かい紅茶を淹れて彼に飲ませるあいだ、アトリエでモデル台の準備をし、モデルとなる彼のために暖房を入れた。
亜蘭はわたしが貸した
「
わたしは黙って頷き、素描を始めた。それきりのものではなく、これから描く作品の下絵にするための。
硝子玉のような目で虚ろに宙を見る少年を、わたしは初めてまともに捉えることができた。本当はずっと彼の闇を暴きたかった、その希いが叶いつつあるいま、こんなにも素直にわたしの筆は動く。わたしは最低の人間だ。
下絵から実制作に入るまで、あと何回か少年にモデルを務めてもらうことになる。そうして彼の納得のいく作品を描くことができたならば、わたしはやっといくつかの質問をする資格を得るだろう――
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