紫水晶の少年
柘榴のように紅い脣をした
そして、紫水晶の
白い睡蓮の咲く小暗い池の畔で、
紫水晶は、本当はその少年のものだった。
百合彦は一昨日、これを庭園の東屋で拾った。忘れものなら学校の管理室へ届けなければならない。しかし彼はそのあまりに深い紫に魅入られて――魔が差したように、いつの間にかそれを自分のポケットに入れていた。
「それ、ぼくのなんだけれど。」
振り向くと、東屋のすぐ傍にすらりとした少年が立っていた。暗い色の髪に、雪花石膏の膚。柘榴色の脣。そして
「返します。」
少年は
「違う、管理室に届けようと思って――」
「欲しいなら、くれてやる。」
少年は百合彦を置いてそのまま立ち去ってしまった。
それから百合彦はその少年を探している。だが上級生に訊いてみても、そんな生徒は見たことがないと云われるばかりだ。
二日間探したが、なんの手がかりも得られない。そうして彼は、もう一つの可能性を考えてこの睡蓮咲く裏庭の池にやって来た。
この池には少年の幽霊が出るという。新入生に伝わってきた物語は何通りもあったが、共通していたのはその幽霊がこの池に落ちて亡くなった少年であるということだけだった。そして、その事故は意外に最近のことであると。それは一人だけではないこと。
池の畔に坐り、紫水晶を見つめながらあの麗わしい人を想う。今となっては石を返すことよりも、ただもう一度あの少年に逢うことが目的になっていた。百合彦は胸が苦しくなった。
「しょうがないやつだな、きみは。」
まるで彼の心を読んだかのように、涼しい声をして少年が現われた。百合彦が愕いていると、紫水晶の睛をしたその人は軽やかに隣へ坐った。
「これを返そうと思って、」
差し出された石には見向きもせず、少年はただまっすぐに睛を見つめてくる。百合彦は眩暈がした。
「……あなたは、幽霊なんですか。」
「そうかもしれない。」
少年は百合彦の
百合彦は少年から眼を逸らすことができなくなっていた。肩を竦めたが、それ以上身体を動かすことができない。
「怖いのか、……
少年は甘やかにほほ
気がつくと保健室の
「念のためあとで病院にも行ったほうがいい。病院で治る類のものなのかは判らんがね。――
「……あの人のことを、ご存じなんですか。」
「彼はぼくの同級生だ。毎年まいとしきみのような下級生を惑わすから、困ったものだ。きみもたいがい綺麗な石の標本かなにかを拾ったんだろう。」
百合彦は混乱した。大人である保健教師とあの少年がなぜ同級生なのだろう。そしてポケットを探ったが、石はもう無くなっていた。
「危ないところだったな。最近、きみが紫水晶の睛をした少年について訊きまわっているって、不審に思った上級生があの池に行って、たまたま見つけてくれたんだ。」
「……池に落ちて死んだ幽霊というのは、あの人のことですか。」
「いや。宵夜は病気で亡くなったんだ。ぼくの推測だと、その噂になっているのは宵夜にやられた生徒たちだろうね。幸い、きみのように助かる子もいるけれど。」
「なぜあの人の話は噂にならないんでしょう。」
「きみ、石の標本に釣られて彼を探しまわって殺されかけたなんて、周囲に吹聴するかい。」
百合彦は首を横に振った。そしてあの口づけを思い出し、頬が熱くなった。
やがて彼が恢復したのを確認すると、教師は優しく身体を起こしてやり、家に帰した。
教師は保健室の窗から夕暮れに沈む東屋を眺めていた。そして紫水晶の標本を取り出し残照に翳した。
石は少年のころ宵夜に貰ったものだった。これをあの東屋に置いておくと、必ずそれに魅入られる生徒が出てくる。彼らはどこかで池の幽霊の噂を聞きつけ、なぜか石とそれを結びつけて池までのこのことやってくる。そこで声をかけると、紫水晶の睛をした少年に逢った、と口を揃えて云う。一通り話を聞いてから教師は標本をとり戻し、彼らを池に突き落とした。
池の幽霊について毎年ちぐはぐな噂を流していたのも彼だった。紫水晶を仕掛けるのもすべて、再び宵夜に逢いたい一心だった。幼い愚かな生徒たちには姿を見せるのに、なぜ友人であった自分の前には現われてくれないのか。
いっそう不可解なのは、宵夜も時に生徒を殺そうとすることだ。
教師は立ち上がり、保健室を出た。校舎を出てまっすぐに裏庭の池へ行くと、その
「……宵夜、」
教師は石を握りしめ、睡蓮の咲く池の畔でつぶやいた。「なぜきみまで罪を犯すんだ。」
「おまえのしていることが愉快そうだったから、真似してみた。」
涼しい声に振り向くと、そこに少年がいた。紫水晶の睛。柘榴の脣。残酷な微笑。長い年月、どれほど見たいと希っても叶わなかったもの。
「おまえに罪の自覚があったなんて、意外だな。いつも物を
「きみに逢う手がかりが、どうしても欲しかったんだ。」
教師は顫える手を伸ばし、雪花石膏の頬にふれた。そして少年を引き寄せた。
「どうして、ずっとぼくには姿を見せてくれなかったんだ。」
少年は、ふふ、と
「ぼくは気まぐれなんだ。」
そして顔を上げると、教師と口づけを交わした。甘い冷気が教師の身体に広がっていく。教師は氷のように冷たい少年の身体を掻き抱いた。
翌朝、教師は真白な睡蓮のあいだに仰向けに浮いている姿で発見された。その顔は凍てついた微笑を湛え、手には紫水晶を握りしめていた。
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