一角獣
その古い
「それ、いつも見てて飽きないの。」
いつの間にか
「飽きない。」小夜子はそう云ってもう一度タペストリーを見てから、応接椅子の一つに腰かけた。哲もいつものように向かいに坐った。
鈴蘭の形をした卓上の
小夜子は叔母が淹れてくれた紅茶を飲みながら、淡々と学校での出来ごとを話した。哲はただ、時おり頷きながら聞いている。
学校に行かない哲のために、叔母に週に一回ほど話し相手になってやってほしいと云われている。小夜子は面倒ではあるが厭ではなかったし、哲もこれといって愉しんでいるわけではないが退屈でもないようだった。
「あのタペストリーなんだけどさ、」
クラスメイトが教師に仕掛けた他愛もない悪戯が失敗に終わった話をしていたとき、哲が唐突に遮った。
「ぼくは気味が悪い。」
小夜子は振り向いてタペストリーを見やる。「わたしは綺麗だと思うけど、確かに普通の家の壁にかけるようなものではない気がする。」
「昔から、妙な夢を見るんだ。」哲はタペストリーを視界に入れたくないかのように目を伏せている。「中世ヨーロッパらしい街が廃墟と化している。路は人々の屍躰で埋まって血と汚物にまみれていて――その上を、あれにそっくりな貴婦人と、彼女を乗せた一角獣が踏み躙りながら通って行くんだ。その世界では彼らだけが光を帯びていて美しい。残酷なくらいに。」
「哲は、その夢のなかではどこにいるの。」
「カメラみたいに俯瞰しているか、その屍躰の山に一緒に埋まっていることが多かった。ちなみに踏まれたことはない。」
「あのタペストリーはわたしたちが生まれるまえからあるわよね。その夢は小さいころから見てたの、」
「うん。でも年月が経つごとに屍躰の山はどんどん汚く、おぞましくなっていくんだ。特に最近は酷い。」
小夜子は哲の透き徹るように白い
「それって、あんたが学校に行かないことと関係ある、」
「そうかもしれない。」彼はあっさりと云った。「べつに、学校で虐められたりしているわけじゃない。ただ――学校に行くと皆がその屍躰の山みたいに、
それから哲は少しの間を置いて云った。「実は、夢のなかでぼくは――最近は、その貴婦人の立場で一角獣の上に乗っている。ぼくたちだけがその世界で綺麗で、穢れがなくて、皆を踏み躙っていく――目醒めると、いつも自分が厭になるよ。」
「…………。」
小夜子はなにも云えなくなった。その気持ちが少し解るような気がしてしまったからだ。教師に幼稚な悪戯を仕掛けようとした同級生たち。彼らは英語で正しい発音をする者を揶揄い、数学の美しさに気づくこともない。保健の授業の内容を下劣な冗談にして消費する。休み時間に読書している者を嘲笑う。――そんな知性とは縁遠い彼らを卑しい存在のように踏み躙りたいという、おぞましい心が彼女にもないとは云えなかった。
二人は自然と跡切れた会話を無理に続けることはしなかった。紅茶を飲み終えると、小夜子は雨のなかを帰宅した。
その夜、小夜子は哲が説明したとおりの夢を見た。
彼女はセーラー服のまま一角獣に乗っていた。滅んだ街に累々と横たわる、汚物にまみれた屍躰を踏み躙り、純白の一角獣は優雅に歩いていく。屍躰の一人ひとりがどんな顔をしているのか、それが彼女の同級生であるかどうかは判らない。
一角獣が進んでいった先に、廃墟と化した巨大な聖堂があった。その辺りにはもう屍躰はない。一角獣が姿勢を低めて促したので、小夜子は下りて聖堂に入った。一角獣は後から静かに
苔生した聖堂の奥の罅割れた祭壇の手前で、哲がうずくまっていた。寝間着にカーディガン姿のままだ。小夜子は彼の許に膝をつくと、その細い肩を抱きしめた。
大丈夫。大丈夫だから……。
彼女は半ば自分に云い聞かせるように、掠れた声でささやき続けた。
一角獣は少年と少女を間近で見守っている。やがてその足許から清らかな、小さな白銀の花が生まれた。
それは聖堂のいちめんに広がり次々と咲き零れていく。そうして彼らを中心に、
※「Mille Fleurs」から改題
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