公爵家の人々

 宿泊用の部屋は、消し飛んだ屋敷の端の方の、適当な場所を選んだ。

 しかし、広く豪華な部屋ではまったく落ち着かず、トリスはほとんど寝ることができないまま、朝を迎える。


 大きく、透明度の高い硝子がらすの窓に、朝陽が差し込みはじめて程なくした頃。部屋の外で複数人の話し声が聞こえてきた。

 トリスは、布団から抜け出す。初冬とはいえ寒さが身にしみる。身を丸めながら、外の話し声はなんだろう、とトリスは部屋を出る。すると廊下には、十人ほどの男女が、無残に消し飛んだ屋敷の先を見ながら談笑していた。


 この人たちも魔族なのだろうか。

 もう、油断はしない。ここは魔族が闊歩かっぽする世界。

 猫の姿をしていても、鳥の姿をしていても、魔族である可能性が高い世界なのだ。

 扉の隙間から様子を窺っていると、群衆のひとりがトリスに気づく。


「やあ、おはよう。ぐっすり眠れたかい?」


 体格の良い中年の男が話しかけてきた。


「は、はい」


 警戒心むき出しのトリスに、集まっていた全員が笑いだす。


「そんなに警戒しなくても良いですよ」

「ははん、さては俺たちが魔族かと思っているんじゃないか?」


 なるほど、とさらに笑いが増す。


「ってことは、あなた達は……?」

「安心しなさいな。私たちも、君と同じ人族だよ。君のことは、お館様やかたさまから聞いているわ」


 集まっていた人々は、全員がアステルに仕える人族だという。

 とはいっても、住み込みで働いているわけではないらしい。聞けば、近くの村から毎日通ってきているのだとか。そのため、夜の屋敷はアステルと黒猫だけになってしまう。


 トリスは、働いている者たちが奴隷ではなく近くの村人だということに、まず驚く。

 魔族のもとで働く人族は、全員が奴隷なのだと思っていた。

 そして次に、近くの村というのが人族の村だと教えられて、驚愕した。

 まさか、魔族の奴隷狩りに蹂躙じゅうりんされることなく存続する人族の村が存在するなど、隠れ里でひっそりと息を潜めて生きてきたトリスには信じられない。しかし、どうも本当らしい。


 誰もが陽気に、村のことを話す。

 奴隷として酷い扱いを受けていたり、魔族にしいたげられていないと、彼らの笑顔が物語っていた。


 トリスはたまらず、自分の村の惨劇を話した。

 辺境の貧しい隠れ里。魔族の影に怯えながら送る日々。そして、現実となった奴隷狩りの惨状。トリスの話を、集まっていた人々は沈痛な面持ちで聞いていた。


「……だから、人族の村が公然と存在しているなんて、俺には信じられないんだ」

「普通はそうだろうなあ」

「私たちの村も、公爵様でいらっしゃるお館様の庇護ひごがなければ、とっくに奴隷狩りにあっているよ」

「お館様に拾ってもらえるなんて、あんたは幸運だよ」


 そばに歩み寄ってきた小太りの女性は、はげますようにトリスの肩を叩く。


「下ばっかり見ていたって、良いことなんてないぜ。ほら、視線も気分も前を向いていこうや」

「そうそう、せっかくの拓けた風景も下を向いていたら台無しよ」

「違いねえ、ちがいねえ」


 ひげを生やした男性の相槌あいづちに、一同にまた笑いが生まれた。

 どうも、無意識の内にうつむいてしまっていたようだ。トリスは促されて、視線を上げる。

 視線の先には、見渡す限りの世界が広がっていた。


 昨夜、黒猫が吹き飛ばした屋敷の先。大きく抉れた大地が円形に広がっている。屋敷は森に囲まれていたが、その森の一部も、抉れた大地の形に添って消失していた。


「昨夜の爆発音は凄かったが、ここまでの規模とはなあ」

「シェリアー様を怒らせちゃ駄目だよ」

「そうそう。普段は俺たち人族にも寛容だけど、怒らせるとお館様よりも容赦ないからな」


 怖い怖い、と言いつつ笑いが起きる。

 陽気な人たちだ。

 談笑している者たちを見て、トリスも気分が上向きになってきた。

 そして、黒猫の姿をした魔族の名前がシェリアーなのだと知る。


 トリスたちが談笑していると、廊下の奥から屋敷の主人であるアステルがやってきた。

 いち早く気づいた中年の男性が、みなを促す。すると、トリスを除いた全員が廊下の端に一列に並ぶ。


「おい、なにをしているんだ」

「トリス君、早くこっちに来て並んだ方がいいわ」


 言われるものの、トリスは突然のことで身体が動かない。

 なぜ端に整列しなければならないのか。


 確かに、アステルは魔族で貴族。しかも公爵という大貴族だが、魔都でも、帰路の間も、主人をうやまう行動はしてこなかった。それでもアステル本人からとがめられたりしなかったせいか、今更のようにかしこまることができない。


「トリス、なにやってんだ!」


 中年の男性の叱咤しったにも身体が動かないトリスを見て、アステルは苦笑した。


「かまわない。こいつは魔族に対していつも不遜ふそんな態度だ」


 奴隷商から逃げたり、公爵に体当たりをしたり。いつも反抗心ばかりで、たしかに魔族を敬ったことなんてなかったな、と内心でうなずくトリス。


「そこが面白い」


 立ちすくむトリスの横を通り過ぎ、アステルは屋敷の端へと向かう。


「森まで消滅させてしまったのか」


 ため息を吐きながら、アステルは指を鳴らした。

 一瞬で。

 昨夜、シェリアーが消し飛ばしたはずの屋敷の先が、元通りになった。

 廊下の脇に整列していた使用人たちが、感嘆かんたんの声を漏らす。


「いったい、どうなってるんだ?」


 魔都の宿屋でも見た。

 一瞬で魔剣を出したり、宿屋を再生させたり。

 不思議がるトリスを見て、アステルは楽しそうに笑う。


「さて、長旅で疲れている。もう一眠りするから、夕方まで起こすな」


 笑いながら、アステルは来た廊下を戻っていく。


「ああ、お館様。ご相談がございます」


 中年の男性が声をかけるが、アステルは止まらずに去って行く。


「夕方、お前たちが帰る前に聞く」


 言われてしまえばそれまで。使用人たちとトリスは、アステルを見送るしかない。


「お館様から、魔都から人族の少年を連れ帰ったと聞いていたが、あんた、なかなか度胸があるな?」

「そうかなぁ?」


 奴隷扱いはされていないが、魔族には絶対服従として生きてきた使用人たちからすれば、トリスは奇異きいな存在に映っているのかもしれない。そうなのだろうか、と思いながら、トリスがアステルとの出会いを話すと、全員が驚き、感心するようにトリスを見た。


「なるほど、お館様が興味を示しそうな出会い方だ」

「納得だな。お館様が人族を連れ帰るなんて聞いたことがなかったが、トリスは凄いな」

「わたしなんて、シェリアー様どころか、お館様でも畏れ多くで話しかけられないわ」

「そうかなぁ。アステル様は気分屋だけど、けっこう気楽に話せると思うんだけど。ところで、俺がこの部屋に泊まっていると誰に聞いたの?」


 使用人は屋敷に住み込みで働いてはいないという。では、昨夜の屋敷にはアステルとシェリアーしか居なかったはずだが。

 はたして、この広大なお屋敷の中で、トリスが使用した部屋を、使用人の人たちはどうやって知り得たのか。


「今朝来たときに、お館様のお話と一緒にシェリアー様から聞いたんだよ」


 なるほど、シェリアー様は忠実な家来なんだな、とトリスが軽い口調で言うと、なにを恐ろしいことを言っているんだ、と叱責された。


「お館様とシェリアー様は対等な立場だ」

「お館様のお客様という感じだぞ?」


 使用人たちは一様にトリスの暴言に驚き、トリスは使用人たちの言葉に驚く。


「ええっ。ということは、シェリアー様も公爵ってこと?」


 魔族の国々を全て含めて十人も居ないと言われている公爵位の大魔族が、身近に二人もいるとは。

 しかし、トリスの驚きは否定された。


「シェリアー様は貴族ではないらしいぞ」

「旧知の仲らしいけどねえ。なにせ、何百年も前から一緒に住んでいるらしいから、真相は誰も知らないんだよ」

「まあ、家来でないのは確かだな。喧嘩もたまにするしなあ」

「あのお二方の喧嘩になんて巻き込まれたら、確実に死ぬな」


 使用人たちの話では、アステルは四百年ほど前に爵位を授かり、この地に住み始めたらしい。

 そしてシェリアーは、少なくともそれ以上の年齢らしかった。


 人族にとって生きるには過酷な世界。魔族の奴隷として、死ぬまでき使われる者。隠れ里でひっそりと生きる者。幸、不幸と人それぞれの人生だが、平均すると人族の寿命は五十年程度になる。健康な者は六十、七十と歳を重ねていくが、普通は天寿など全うできない。

 魔族の国では、人族は奴隷以下の存在。街を歩いているだけでも理不尽に殺される。郊外を行けば、恐ろしい魔物や魔獣が跋扈ばっこしている。

 人族は、多くの子を産み育てる。しかし、そのなかで幸せな人生を送れる者は、ほんの一握りしかいない。


 人族とは違い、支配者の身分である魔族の平均寿命は、五百歳前後と言われていた。低級な鬼や力のない魔族は人族と同じ程度しか生きられないが、アステルやシェリアーのように高貴な者、圧倒的な力を持つ者は生を謳歌おうかする。

 そうした魔族から見れば、人族などはすぐに死んでしまう、弱い種族なのだ。


 アステルは二十代前半といった容姿だが、すでに四百年を生きる魔族らしい。魔族にとってはひとり分の人生だが、トリスたち人族にとっては何十世代にもなる、気の遠くなる歳月。

 アステルの年齢など気にしたこともなかったが、少なくとも四百歳だと聞き、人族にとって魔族は計り知れない恐ろしい存在なのだと再認識させられた。


 その後も談笑を続けていたが、ひとりが「そろそろ働くか」と言ったのを皮切りに、全員がそれぞれに散り始めた。


「俺は何をすれば良いんだろう?」

「さあな、俺たちみたいな使用人ではないのだから、何か言われるまで自由にしていても良いのではないかな?」


 トリスの疑問に、中年の男が答える。この男が使用人の仕切り役で、名前はルドーと言うらしい。

 ルドーは「好きにすればいいさ」と軽く言って、自分の仕事へと去って行った。





 トリスは、昨夜の続きで部屋の探索をすることにした。


 これからアステルに扱き使われるのか、使用人たちのように仕事を割り振られるのかはわからない。しかし、屋敷の間取りを把握していなくては、まともに働くこともままならない。かわやを探すのも大切だ。

 だが、屋敷の探索は最初こそ楽しかったものの、敷地が広すぎるのと数え切れない部屋数に、次第に辟易へきえきしてきてしまう。


 夕方近くになり、トリスが中庭で休んでいると、ルドーがやってきた。

 今まで働き回っていたせいか、中庭に座り込んでいるトリスには、初冬の冷たい風が気持ちいい。ルドーも冷気が心地よいのか、額に浮いた汗をぬぐいながら、大きく呼吸をしていた。


「ルドーさん、こんにちは」

「やあ、探索はもう良いのかい?」


 自由気ままに屋敷内を探索していたトリスは、朝に集まっていなかった他の使用人たちからも噂になっていたらしい。


「俺って、やっぱり非常識なのかな?」


 ルドーから自分に関する噂話を耳にしたトリスは、噂になっているなんて、と赤面してしまう。

 使用人たちから見れば、同じ人族でも自分の行動は異常なのだろうか。トリスが聞くと、ルドーは豪快に笑う。


「気にすることはないさ。みんな、お館様が人族を連れ帰ってきたから興味津々なんだよ」

「アステル様が人族を連れて帰ってくるのが、そんなに珍しいんですか?」

「珍しいというか、そんなことは過去に一度もなかったな」


 拝領し、この地に住み始めて約四百年。過去に一度たりとも、アステルは奴隷どころか住み込みの使用人を雇ったことさえない、とルドーは言う。

 ではなぜ、自分は屋敷に連れてこられたのか。これから先は何をさせられるのか。トリスはルドーに質問してみたが、色よい返答は得られなかった。


「やはり、出会い方が興味深かったからじゃないかね。面白そうだから拾ってみるか、的な?」


 言ってルドーは、また大笑いをする。

 どうやら、ルドーは気さくで愉快な性格のようだ。


「今からお館様のところに行くから、トリスも一緒に行って直接質問してみたらどうだい?」


 促され、トリスもアステルのもとへと向かうこと決める。





 アステルの身の回りの世話をしている使用人の女性に、主人が起床しているか確認を入れる。

 先ほど起きたばかりらしい。

 応接室で待つように言われ、ルドーとトリスは指定された部屋へと向かう。


 応接室は、広大な屋敷の一階部分にある。正面玄関に程近い、中庭に面した一室だった。

 屋敷が巨大なため、建物の区画ごとに区分された中庭も無数にある。トリスたちの入った応接室から見える中庭は、先ほどまで二人が寛いでいた芝の中庭とは別の場所だ。ここは、庭の中程から生えたふじの木が中庭に天井を作り、陽の光を薄く遮っている。

 花の咲く季節になれば、大変きれいな景色になるらしい。

 初冬の今、残念ながら藤の木は茶色の枝ばかりだった。


 暖炉だんろに火を入れ、主人の来訪を前に部屋を暖める。

 魔都よりも冬は寒くならないらしい。しかし、今年は近年まれにみる寒さだった。

 魔都では布きれのような服装だったトリスも、現在はアステルから与えられた上等で厚手の服を着ている。それでも、夕方になってしばらく経つと、寒さを感じ始めていた。

 トリスよりもずっと質の低い服を着ているルドーは、もっと寒いに違いない。


 暖炉の火にまきを入れながら暖をとっていると、応接室の扉が無造作に開かれた。

 まず入ってきたのはシェリアー。続いて、アステルが入室する。

 アステルは上座の長椅子に腰を下ろすと、二人にも向かいの椅子に座るように促す。シェリアーは暇そうに部屋の中を歩き回っていた。


 トリスは促されるままに座ろうとして、ルドーを見る。

 ルドーは、緊張で固まっていた。


 仕切り役のルドーでさえ、やかたの主人であるアステルの前では緊張で動けなくなる。


「普通はルドーのようになる。魔族を前に、恐れもおびえもないのはお前くらいだ」

「そりゃあ、普通の魔族を前にしたら、ものすごく怖いですよ?」

「それは、わたしは普通の魔族じゃない、という意味か」

「納得できないな。昨夜こいつは、私にも不遜な態度だった。私も普通じゃないのか」


 いつのまに近づいてきたのか、シェリアーがトリスの足下で不満そうに鳴く。


「そ、そんなことはないですよ。お二方とも、偉大な魔族様です」


 慌ててつくろうトリスの横で、ルドーは固まったままだ。


「ルドー、固まったままでは話にならない。何か相談があったのだろう?」


 アステルに催促さいそくされて、ようやくルドーはぎこちない動きで椅子に座る。


「じ、実は……。村の周りの森で異変が起きまして……」


 ルドーの話によると。ここ最近のこと、村周辺の森で魔獣らしき者が徘徊はいかいしている形跡があるらしい。村の雄志数人が討伐に向かったが、余程に狡猾こうかつなのか魔獣を発見することすらできなかった。それで、村と屋敷を毎日のように往復する使用人たちのなかには、不安を抱く者たちが現れだした。


「わたしに、討伐に行けと?」


 トリスには冗談で言っているようにしか聞こえないアステルの言葉だが、ルドーは顔面蒼白で大慌てで否定する。


「いいえ、そうではございませんで……」


 目が泳いでいる。冷や汗をかき、顔から完全に血の気が引いてしまっている。

 ルドーたち使用人にとって、魔族のアステルはそれほどまでに恐ろしい存在なのか。

 たしかに、他の魔族であればトリスも恐怖を感じていただろう。しかし、アステルに対してはさほど怖さを感じない。

 見た目が美しい麗人であるからなのか。または、魔都で助けられてから屋敷に来るまでの間、普通に会話をしてきたからなのか。命の危機を感じるような脅しを受けたことがない、ということが大きいのかもしれない。


「今回お願いしたいことなのですが。あの……その……」


 しどろもどろのルドーを見て、アステルとシェリアーは笑っていた。魔族の目には、ルドーの全てが滑稽こっけいに映っているのかもしれない。


「村にはまともな武具がございませんので、できればお貸し頂きたいと思いまして」


 ルドーは、今にも口からあわを吹いて倒れてしまうのではないか、と思えるほど緊張しているように見えた。

 何か手助けできれば、とは思うが、トリスにもどう補佐してやれば良いのかわからない。ルドーの手助けどころか、自分は屋敷で何をすれば良いのかさえわからない状態でここに居るのだ。


「ふむ、武具か。そうだな」


 何かを思いついたように、アステルはトリスを見る。


 なぜだろう。とてつもなく嫌な予感がして、トリスはとっさに視線を逸らした。

 しかし、目を逸らしたのは良いが、強い視線を感じて、恐る恐る視線を戻す。すると、アステルが意地悪そうな笑みを浮かべていた。


「今日は随分と暇そうに屋敷内をうろついていたようだな」


 嫌な予感は的中した。


「トリス。魔獣を討伐してこい」

「はああっ? そんなの無理ですよ。できるわけないじゃないですかっ」


 慌てて拒否するトリス。


 魔獣といえば、高い知性を持った獰猛どうもうな生き物だ。下手をすると人族などよりも遙かに知能が高く、なかには特殊な術を使う者までいる。


 世界には魔物まもの妖魔ようまといった、魔獣の他にも危険な生物が生息している。そのなかで、普段の生活で最も出会いたくない外敵、それが魔獣なのだ。


 魔物であれば、トリスでも対処できる。複数が同時に現れたり、強めの魔物であっても、数人で対処すればどうにかなる。

 魔物や魔獣よりも恐ろしい存在は妖魔だが、ほとんど見かけることはない。もしも遭遇してしまった場合には、運が最低に悪かったのだと自分の不運をなげくしかない。

 しかし魔獣は、魔物ほどではないが出会う頻度が高く、妖魔ほど恐ろしくはないが狡猾こうかつで凶暴だ。もしも魔獣に狙われれば、凄腕の者が束になっても適わない。ましてや、トリス程度の力量では、とうてい対処などできるはずもない。


 ルドーの村の雄志が数名で討伐に出たらしいが、場合によっては返り討ちにあっていたかもしれないような、恐ろしい生物なのだ。


「そもそも、なんでトリスがこの部屋に居る?」

「ええっと、それは……」


 自分は屋敷で何をすれば良いのか、と口籠くちごもりながらつぶやくトリス。すると、アステルはにやりと意地悪そうな笑みを浮かべる。


「ほうら、やっぱりすることがない暇人ひまじんなんだろう。仕事だ仕事」


 言われても、無理なものは無理だ。


「魔獣の討伐なんて、命がいくつあっても足りませんよっ」


 生まれ育った村でも、魔獣の被害はまれにあった。だが、そういう場合は無理に討伐しようとはせずに、魔獣の脅威が過ぎ去るのを息を潜めてやり過ごすことが普通だった。

 魔獣は縄張りを持つ生き物だが、定住はしない。ある程度、えさとなる獲物が減ると、またどこかへと移動する。わざわざ危険をおかしてまで討伐しなくとも、魔獣は自ら去って行くのだ。

 それに、魔獣の討伐だと言われても、トリスは武器を持っていない。そもそも、対峙する勇気もない。


「魔都での威勢はどうした?」


 状況が違う。

 魔都では死を覚悟した捨て身だった。だが、一度救われてしまうと、今はやはり命が惜しい。


「無理、無理。絶対にむりっ」


 全身で拒否を示す。

 アステルには、それが面白いらしい。笑いが止まらない。


「そんなに無理か。しかたない、特別にシェリアーをお供にやろう」

「にゃっ!?」


 いきなり名前を呼ばれ、油断していたシェリアーが鳴く。


「なんで私が人族のお供をしなければいけないのだ」


 シェリアーは、心底不満そうにアステルを睨む。


「いいじゃないか。昨夜のばつだ」


 アステルは、この騒動にシェリアーを巻き込めたことが嬉しいのか、腹を抱えて笑いだす。

 もう、笑いが止まらない。

 長椅子に横になり、身体をくの字に曲げて笑い続けるアステル。

 取り消せ、とシェリアーがアステルに飛びかかるが、意に介さない。


 このまま本当に魔獣の討伐へと駆り出されては大変だ。トリスは助け船を求めてルドーを見る。しかし、ルドーはうつむき、完全に固まってしまっていた。


 駄目だ、どうしよう……


 そういえば、村の雄志が一度、討伐に向かっている。ならば、彼らはそれなりの腕前のはずだ。村の人と協力すれば、討伐は無理でも、追い払うくらいはできるかもしれない。まあ、それも希望的予測なのだが。

 そもそも、アステルはトリスに、シェリアーと二人だけで討伐に行け、とは言っていない。そうなんだ。村の人たちとシェリアーと協力して、魔獣を討伐しろということなのだろう。

 シェリアーは、ひと鳴きで大規模な破壊力を示すような魔法を使う上級魔族だ。この上なく心強い。

 僅かだが、希望の光がさしてきた。


「村の人は何人くらい討伐の応援に来てくれるんでしょうね?」

「ん? お前は何を言っている」


 シェリアーがあわれむような視線をトリスに向けていた。


「魔獣は狡猾なのだろう。だから村の者が来たときには身を潜めて見つけられなかったんだ」


 今回も大勢で討伐に向かえば、姿を現さない可能性がある。と指摘を入れるシェリアー。


「えっ、てことは……?」

「お前がひとりで討伐に行くんだよ」

「シェリアー。お前も行くんだよ」

「にゃっ」


 アステルの笑いは、最後まで止まらなかった。

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