豊かな愛情は誰の為に - 3

ダリア 最終話

――――――




 街を回り終えた私は一日だけ休むことにした。年上の子たちは代わる代わる時々私の様子を伺いにきた。

 けれど一人でじっとするのも久しぶりで今までどうやって暇つぶししていたか忘れてしまった。

 窓の外に二羽の鳥が飛んでいる。つがいだろうか。


「空を、飛べたらいいのに、な……」


 そうして色んなところを回るのだ。だけど子供達を残して行くことはできない。ならみんなをまとめて一緒に空を飛べないだろうか。


〈あなた暇つぶしの達人じゃなかったの?〉


 久しぶりにお隣さんの声を聞いた。


『お隣さんみたいに意識だけでも飛ばせないかしら』

〈止めなさい死ぬわよ!?〉


 ならお隣さんはどうなのだ。と考えが伝わったのか〈私は良いのよ〉と言った。ようやく私はお隣さんの正体を知った。


『死んだら、貴女に合えるかしら』


 くすくすと笑い声だけが聞こえた。



 一日休んだ後、私はいつもの日常を取り戻した。子供たちは心配そうだったけれど「もう挨拶回りは終わった」と伝えればほっと安堵していた。

 ロイクからは私が協会へ行くのは年に一度くらいの頻度に抑えようと提案をされた。だいぶ心配されたらしい。なら私が挨拶回りしていたのもばれていたのかもしれない。


 私はその分子供達の時間を取るようにした。本を読んだり花冠を作ったりゲームをしたり抱きしめたり。一緒に眠る頻度も増やした。



「ロイク、写真を撮りたい」

「写真?肖像ではなく?」


 絵も無かったけれど、そういえば歴代のカレンデュラ家当主の肖像画は途中から描かなくなったらしい。どれも同じ顔だかららしいけど本当かしら。


「そんな大層なモノは要らないわよ。……少し、羨ましくて」

「は?」


 私が頭に思い浮かんだのはシードの所に行った時に見た写真だった。

 私達の会話を聞いたお義父さんが折角だしウイエヴィルから家に呼ぼうと提案してくれた。お義母さんもうきうきで私を着飾ると言ってくれた。


「ロイクとの写真もできるかしら」

「要らない。ダリアだけでいいだろう」

「ロイク?」

「……」


 ロイクは根負けして私との写真を撮る事を了承した。

 ロイクは私に弱いのは幼い頃から変わらない。


 写真屋を呼んだ日、写真を知らない子も多かったから、自分達の顔が白黒で写されるのを見て驚いていた。


「ダリア、そんな小さな写真でいいの?」

「良いの。寝室で眺めたくて」


 久しぶりに着飾った私は大人っぽくなっていた。

 私とロイクの写真は簡素な写真立てに入れて寝室に置くことにした。



〈丘の上がキラキラしてる〉

〈キラキラしてるねえ〉


 シードとはあの日以降直接やり取りをしていない。

 あれから半年後にマーガレットから時計屋の店主が亡くなったことを聞いた。ガーベラも気にしていたようだけど孤児院で大人が何人もいなくなるのはよろしくないのでマーガレットが代表としてお別れしに行った。

 シードとガーベラは相変わらず飲み友達程度の仲で止まっているらしい。とっくにガーベラの年齢は行き遅れなのにシードは何をしてるのだろう。


 ロイクが魔術の手紙を受け取る頻度が多くなった。相手はきっとターゲスさんだろう。このまま平和が訪れればいいなと人並みに思う。


 お義父さんとお義母さんはそんな私たちの様子を見て安心したのか、王都へ旅立った。託児所の新設の許可が降りたらしい。いつかあちらの家にも行きたいものだ。


 子供達の入れ替わりが落ち着き、預かっている子供も減り、ボランティアさんを呼ぶ頻度も減ってきた。

 秋が過ぎもうじき冬が来る。初雪が降り始めた頃、咽たと思って咳き込んだ。


「ごほっ……」

「奥様?」


 ガーベラが私を見る。私の顔を見た瞬間慌てて私に駆けよってきた。


「ダリアッ!?……っロイク!早くロイクとフレイ先生を呼んで!!」

「え……?」


 金切り声にも似たガーベラの助けを求める声と共に私はぐらりと立っていられなくなる。ガーベラに支えられたようだけど立つことが出来なくなった。

 口を抑えた自分の手には赤黒い血がついていた。



―――



〈色んなところで煙が見えるね〉

〈南はもう何もないよ〉

〈でもみんな楽しそう〉


〈雪だぁ〉

〈雪合戦だー!〉

〈キラキラしてる〉


 少しだけ騒がしい。

 視線を横にずらせば緑髪に黒光りした肌のフレイ先生がやけに険しい顔をしていたから私はそれが不思議で可笑しかった。

 そんな顔をさせたのは最近ではシードと二人目だ。


「……あなたも、そんな顔をするのね?」

「ここまで急激に容体が変わるなんて、貴女はいままで何をしたんですか」

「思い出を作ってたの……子供達との思い出……」

「貴女なら加減出来ると思っていた私が馬鹿でしたよ……」


 いくら普段は温厚な先生でも、言うことを聞かない患者は嫌いなのだろう。

 それでも私はあの子たちを愛したくてたまらなかった。

 私は大勢の子供全てに十分な愛情を注ぐことはできない。たとえそれであの子たちの記憶に残らなくても、私は私なりに精いっぱい愛してやりたかった。


「それに、ロイクやガーベラさんから最近の状況を聞く限り、色々落ち着いて気がゆるんだんでしょうね。

 それに魔力に頼り過ぎだ。筋肉だけでなく内臓までぼろぼろになってる。食事中も筋肉だけでなく内臓を強化して無理矢理栄養を取っていたのではないですか?」

「分かっちゃった?」

「どの生き物も栄養は経口摂取する方が一番効率がいい。だけど筋肉だけでなく食事をするためだけに内臓を強化するなんて軍人でもしませんよ」


 お医者からくどくどと説教されるのは久しぶりだ。


「しばらくは私も毎日様子を見に行きますが……子供と触れ合うのはいい。でもそれはベッドにいる前提だ。家事も禁止です」

「どうしましょう。ボランティアの募集を依頼しないと」

「すぐに死にたくなければ絶対に動かないでください。魔力強化もダメだ。

 …………もう、いつ心臓が止まってもおかしくない」


 もう私の人生もここまでだろうか。いざ来てしまうとあっけない気もする。


「……後悔は、ありませんか」


 そう言われてふと思い出した。


「王都に……行きたいな。昔見たお城がとても綺麗だった……お義父さんとお義母さんのいるお邸を見てみたい」

「……」


 私が王都に来たのは子供の時以来だ。

 伯爵夫人が王都に足を踏み入れたことがないなんてありえないことかもしれないけれど、それはロイクが孤児である私を守るためでもあったのだろう。

 もうそんな長旅に耐えられる体力はないと分かってるのだけれど。けど王都に行けないのは側にいる彼も同じだったことを思い出す。


「困らせてごめんなさいね」

「貴女は……」


 何かを言いよどんで口をつぐむ。普段なら無言でも紙にペンを滑らせているはずなのに、やけに先生が大人しい。彼の手には彼にしか読めない文字が書き連ねた紙の束。サイドテーブルには先ほど調合したのだろうか、これから私が飲むのであろう液状の薬が試験管に並べられている。

 本来ならすでに彼がすべきことは終わっているのではなかろうか。


「ねぇ先生……もしかして、患者の死を看取るのは初めて?」

「そんなわけないでしょう。貴女はロイクの……友人の妻なので気落ちするところはありますが」


 即座に否定されてしまった。後思い当たるとしたら――。


研究対象が死ぬのが悔しい?」


 その言葉に彼はあからさまに驚いた顔をしていた。

 この人は研究気質のあるお医者様だ。どうしても人の死を嘆くようなタイプには思えず、どちらかと言えば悔しいという言葉が当てはまった。


「私の感情を読み取った患者は貴女で三人目ですよ」

「そうなの?……一人はロイクかしら」

「はい」


 ここまで自分を隠さない人はいないと思うけれど。あぁ、いつも姿を変えているから分かりにくいのか。


「一人目は、今の皇太子です」

「あら、皇族に会ったことがあるなんて初耳だわ」

「……言ってませんでしたか?……私の父が彼の主治医だったんです」


 彼は口を閉ざし、それ以上は何も言わなかった。



―――



 夜、目が覚めるとロイクは自分の両手を組んでは額に当てて考えて込んでいた。結婚当初からくっついていた二つのベッドは今は私の世話がしやすいように切り離されているからその顔は暗闇でもよく見えた。

 私が身じろぎするとロイクが気付いてすぐに自分の手を離した。


「……すまない、起こしたか」

「いいの。寝すぎたから目が覚めちゃった……」


 起き上がろうとするとロイクがそっと私の背を支える。私は近くのクッションや枕を取って彼に渡すと、彼はそれで背もたれを作り私がそれに合わせて背を預けて調節する。最後にロイクから水差しを受け取ると私はその水を口に含んだ。

 互いに無言で流れるようにできたのがなんだかおかしくてその場で笑みが零れてしまう。


「どうした」

「子供の頃はよくこうしてロイクに助けられてたなって、思い出して」

「……最近は、倒れることも無かったからな」

「内臓にまで肉体強化をしていたのが、先生にばれちゃった」

「聞いている……内臓にまで肉体強化するなんて何処ぞの脳筋だ」


 もしかしてターゲスさんのことを言っているのかしら。


「後悔はしてないのよ。私がしたかったことだから……だけどフレイ先生を困らせちゃった」

「アイツが困るなんて珍しいな」

「……王都に行きたいって言ったの。お城が綺麗だったから」

「王都に行きたいか」


 極力普段通りに振舞ってくれているけれど月明かりが照らすロイクの顔が憂いに満ちていて、まるで月に攫われるようだ。


「もう、貴方が死にそうな顔をしてどうするの」

「……してない」

「……でもお母さんたちがちょっと心配」

「なぜそう思う」

「だって…………もしかしてロイクは何か知ってるの?」


 〈『命』がキラキラしてる〉その言葉が不穏だと思うのは私だけだろう。孤児院の前で捨てられた子供を見るたびに嫌というほど聞こえたのだ。彼らは方角を魔術の属性に割り当てて話してる。その方角の先に何があるのかは分からないけど、お隣さんは『風』の方角から来ているらしい。

 だから『声』たちの雲行きが怪しいことも察していた。もしかしたら王都が潰されるのではないかと不安で仕方なかった。


「……知っていても教えられない。お前が危険になる」

「もうすぐ死ぬのに……?」

「聞いてるのか」

「……以前からなんとなく私の残り時間が少ないのは分かってたわ。でも、私が頑張ってるのを止めなかったのはどうして?」


 私がこそこそしていることは知っていたのだろうと思った。

 そういえば彼が私に対して過保護にならなくなったのはいつ頃だろう。


「お前が子供達から母と呼ばれているのを見て、お前はもう大人になったんだと自覚せざるを得なかった」

「失礼ね。私はもう大人よ」


 わざと頬を膨らませて見せれば「知ってる」と一言雑に返してくる。やっといつものロイクに戻った。


「出来る限りお前の望みを叶えたい。なにかあれば教えてくれないか」

「マーガレットかガーベラに何か言われた?」

「……どうしてわかった」


 この人がそういう気配りが得意な人ではないことはよくわかってる。それくらい私たちは長く共に生きていたのだ。

 だけど私がいなくなれば、私のロイクではなくなる。それまでは。


「出来る限り一緒にいて欲しいな。昔みたいに」

「それだけでいいのか」

「欲しいものは、無いもの」


 私は今上手く笑えただろうか。



 それからロイクは私の望んだ通り、私の側にいてくれた。

 魔力による肉体強化を禁止されてからはロイクも徹底して私に魔力封じの札が剥がれていないか確認するようになった。私の身体は驚くほど食べられる物が少なくなり、それからはずっとパン粥生活になった。それとなくまた肉体強化できないか聞いてみてもフレイ先生は一切許してくれなかった。


「お母さん、ガーベラ姉さんに教えてもらってスープ作ったの。スープなら飲めるでしょう?」

「ありがとう。美味しいわ。将来はいいお嫁さんになれるかしら」


 時々リナリアが私のところに来ては治癒の魔法を施してくれたけれど、少し症状が軽くなっただけでその度にリナリアはどうして、どうしてと水色の瞳に涙を浮かべていた。


「……リナリアは今まで手探りで直すべき場所を理解していたらしい。人体の構造を理解できれば、将来は優秀な医者になれるだろうな」

「楽しみね……」


 でも私のせいでその道を諦めてしまわないか心配だ。私の死を乗り越えて前を向ける子、向けない子、ロイクはどちらだろう。

 夜にロイクは両手を組んで考え込むようになった。彼が何を考えているのかは分からない。


『僕はロイクが他人に慰められて癒える人間とは到底思えない』


 私もそれには同感だ。ロイクは気を許していないことはよく知っている。なら子供達ならどうだろう?だけどあの子たちにそんな負担はかけられないし猶更ロイクも弱みを見せることはないだろう。私もそうだから。


「ロイク、便せんってある?」

「誰かに手紙でも書くのか」

「……そうね。……誰に書こうかしら?」

「なんだそれは……」


 ロイクは私が多めに便せんを頼んでも何も言わず寄こしてくれた。全員に当てた手紙はまるで遺言状のようだ。いや、彼らがこれの封を開ける時にはすでに私は死んでいるのだから同じなのか。

 未来の貴方へ。これが届く日が来るのだろうか分からない。けれど私はいつか絶対に来るはずの未来で託すことにした。


 女神様はどこにもいないかもしれない。

 だけどロイクがこの先別の誰かと共に歩くことが出来る日が来るのだとしたら、それは女神様以外にいないだろう。


『お隣さん、お隣さん』

〈貴女から呼ぶなんて珍しいわね。どうしたの?〉

『お隣さんにお別れしようって思って』

〈いやよ〉


 そう言うと思った。


『なら、貴女の名前を教えて』


 お隣さんに名前を教えてもらうついでに、私の名前も教えた。知ってるって言われたけど、今までお互いに自己紹介していなかったのだからいいだろう。名前を反芻する。

 どんな容姿しているのかと聞けば髪の色も瞳の色も私と同じなのだと言い、お隣さんの旦那さんからは「天使」だと言われていたのだそうだ。なら私も天使と名乗っていいのではないかと冗談めかして言えば〈私の専売特許だからだーめ〉と言われた。

 お隣さんから名前というのは呪いに使えるのだと教えてくれた。私の名前は呪いになるのだろうか。分からない、だけど誰かの記憶に残すことも呪いになるのだとしたら女神様に意趣返ししてもいいのではないかと罰当たりなことを考えてしまった。


〈貴女も、父さんのことが好きなら呪うことが出来ると思うわ〉

「愛してると好きは違うと思うの」

「どうしてそう思う?」


 思わず声に出してしまった言葉にロイクが反応してしまった。お隣さんも〈あー、声に出しちゃったか〉と言っている。

 お隣さんに伝えるついでに私はロイクに言うことにした。


「だって、子供達は愛してるけれど、恋はしてないじゃない?」

「確かにそうだな」

〈確かにね〉

「あ、それと、神様を愛するのは崇拝であって、子供のように愛してないわよね」

「何が言いたい」


 思い出すのは毎晩のロイクの姿だ。


「ロイクは、女神に対する愛が変わってしまったんじゃない?少なくともあなたは【女神の夫】ではない」


 毎晩両手を組んで何かを考えている姿は神に祈りを捧げているようだった。以前の私が祈りを捧げていたように。今は私のことを愛してると信じることができるから祈らなくなったけれど、反面今のロイクは私を失うことを恐れているのだと思う。

 ロイクがあの女神以外の神様の存在を話したことはない。だからロイクが知ってる神様は女神様以外にいないだろう。暴論かもしれない。ロイクも「それは……」と言葉が詰まっている。


「……これは、あなたが考える事ね。ごめんなさい」

「ダリア、俺は――」


 これ以上は言わせない。これは私から最初で最後の呪いの言葉だ。

 手を伸ばせば反射するように私の手を取ってくれた。もう私には握る力は残っていない。それが相手も分かったのか少しだけ顔が強張った。

 これから先、ロイクは自分の女神様に会える日が来るかもしれない。

 だけど私はやっぱり貴方に私のことを忘れて欲しくない。女神様が自分の夫を呪った理由はよく分かる。でもそのせいで私は少しだけ辛い目にあったのだからこれは私からの小さな意趣返しだ。


「愛してる。愛してるわ。ロイク」


 あぁ、やっといえた。



―――



 たまに周りを振り回して我儘になるところが嫌いだった。

 病人だし、魔力が暴発したと時は最悪被害が出ないように外に放り出されることもあったと聞いたから同情こそすれども、かつて僕の故郷にいた地主の娘のように周りから甘やかされて育ち、さも自分を中心に回っているように我儘に振舞うような子だろうと思っていたのだ。

 だからたとえ僕の好きな子や友人が彼女を構っているところを見ても敢えてあまり関りを持たなかった。


 嫌いというより怖いと思うようになったのは、僕が孤児院に入って三ヶ月くらい経った頃だった。

 彼女しかいないはずの部屋で彼女が一人で何かを話していたのだ。初めはただの独り言か一人でごっこ遊びをしているだけかと思っていたけど、ドアの隙間から覗いて見ればさも彼女の中に二人いてそれが話しているように見えた。

 一人は年相応の少女なのにもう一人は少女ではない大人の女性か人間ではない別の誰かのようだった。

 だけど夢中でその様子を見ていたらあちらが気付いたのか、女がこちらに向けた時に見つめる目が己の深淵を覗かれているようだった。

 それとなく彼女によく構っている友人に聞けばそれは彼女の独り言だろうと一蹴されてしまっていた。


 だからあの子が床に臥せている時も、相手は病人であるにも関わらず彼女の瞳だけが気になり、彼女の行動そのものですら本人の計算のように思えた。


「……お願いだから……ロイクを連れて行かないで……」


「もう少ししたらわたしも死ぬから、せめて、わたしが生きてるときだけは……」


 偶然うわ言のような、寝言のような言葉を聞いた。

 その後あの子が十三歳までしか生きれないと知り、あの子はあの子なりにあがいているのだと知ってあの子にも人間らしいところがあるんだなと思った。

 それと同時に僕はあの子が化け物のような存在だと思っていたことに気付いて罪悪感を抱いた。


 だからあの子が大人になって白いドレスを着た姿を大勢の人の前で見せている姿を見て心のどこかで安心していたのだ。

 僕が相手をどう思おうと感じようと相手にとっては知ったことではないのは分かっているだけれど。


 それから数年後あの子が僕の店に来た時、結婚式で見た笑顔から一変してボロボロな笑顔になっているあの子顔を見て思わずキツく当たってしまった。

 彼女が死んだら残されたその周囲を気にかけることは出来ただろう。だけど彼女のは託すというより逃げるために押し付けているように感じたから。


 それからあの子と直接関わりを持つことは無かったけれど、あの子のせいであの子を気に掛ける彼女へアプローチをするのにいらぬ罪悪感を抱いてしまい何も出来なかった。


 それから二年後あの子は空に逝ってしまった。

 頼まれたことをやると約束した覚えはないけど半分くらいはこなしてやろう。

 半分、つまりあの子の夫になにも言わなかったのは必要ないと思ったからだ。それに男を慰める趣味は無いし、彼は彼一人で向き合うべきだと思ったのもある。だけどまさか失踪するなんて思わなかったから、あの子の先見の明は合っていたのかもしれない。



 そして更にその数年後、なぜか僕はあの子の夫だったロイクと酒場で飲み交わしていた。


「シード、お前は幽霊の類を信じるか」

「どうしたのさ、生憎僕はそういう類は子供の躾に必要な方便程度にしか使ってないよ」

「昔言ってただろう。ダリアの独り言について」


 ロイクから珍しく酒場で飲もうと誘われ、僕はガーベラに罪悪感を抱きつつも男二人、久しぶりに麦酒を煽っていた。

 本来ならお互いに子供を放っておくわけにはいかないのだが、子供達はガーベラと一緒に孤児院に泊まることになっている。ガーベラにとっては職場であると同時に実家のようなものだから安心だろう。それに最近入ってきた彼の使用人がようやく仕事に慣れてきたようなので、夜中何かあっても彼らに任せても問題ないだろうとのことだ。


 ロイクとは子供の頃は木刀を使って遊んだりもしたが、大人になってくるにつれて仕事や身分の違いで徐々に疎遠になってしまっていた。

 今でこそガーベラの雇い主で娘達を預かってくれたりと多少の恩はあるけど、本来ならここまで気安い仲ではないしこうして二人きりで酒を飲みかわすなんて事は有り得なかっただろう。


「そうだったっけ……いや、そうだね。だけどどうしたのいきなり」

「王都に行っている間に色々昔のことを思い出した」


 そういえば領地の管理をやめるという噂を聞いたがどうなったのだろう。


「若い婚約者が近くにいたのに?」

「だからここで話してる」

「フレイ先生はどうしたのさ」


 一応彼(?)もロイクの友人だし王都の病院に勤めていたくらいだから身分も同じくらいだろう。たまに首を傾げる言動はあれど、診察時は気さくに世間話をするし自分らのような平民に対して悪意を感じないがあれでもロイクと同じお貴族様の一人だ。


「アイツは学院に居た頃から俺の不幸を喜ぶ異常者だぞ。気色悪い」

「そんな気はしてたよ」


 だからと言って僕を選ぶ必要はないだろうにと思ったけれど、孤児院時代も彼はガーベラと喧嘩をするか、ダリアの世話をしないとずっと一人だった。

 今でこそ彼が孤立していた理由がなんとなく分かるけど、ガーベラがこの男に魔法抜きで勝ちたいと躍起になっているせいで僕が何度彼に嫉妬したか。そんな僕の当時の心情を知って知らずか話を続けた。


「ダリアは幼いころから見えない者の声を聞いていたらしい。だがアイツは聞くだけじゃなく引き寄せたり憑依させていたみたいでな」

「お前の方が危ない奴ばかり引き寄せてるだろ!?」


 幽霊と話をする幼な妻に筋骨隆々な軍人に人の不幸を笑う狂科学者マッドサイエンティストな医者。それに加えて何度も誘拐される竜人族ときた。彼女とは一度しか会ったことないけど大体忘れた頃に新聞に載っているのだ。


「自分の身体に意識が共有されている状態だった。初めは病状が悪化して気が狂ったかと思って様子を見てたんだが、言動が当時彼女の年齢にしてはやたら大人びているのが気になった。年齢と共に話さなくなったが『声』だけは聞こえていたようだ」


 そしてこいつも大分酔ってるな。


「風の魔法なら『風の便り』のようなものが実際に聞こえるというような状態だったんだろう。彼女も時折それを利用していたのが見受けられた」

「あれ、いつの間に魔術の話してます?」

「イーリスと名乗っていたんだ」

「……イーリス?」


 聞いたことない名前だ。「アイリスの古い呼び名だ」と付け足す。アイリスと言えば真っ先に思い浮かぶのは僕も世話になったロイクの母親だろう。


「その同じ名前が刻まれた遺跡を見つけたことを学院で聞いた……鳥族の元祖となった者の一人だった。彼女も風の魔法を使っていた……らしい。

 かつてとある呪術で肉体が囚われていたと言われていたんだが、魂まではその場所に留めておくことが出来なかったようだ」


 つまりどういう事だ。目の前の幼馴染が魔術や呪術だけではなく考古学にまで手を出したということくらいしか分からない。

 そういえば彼も子供の時からジャンル問わず書斎にある本を読み漁っていたな。


「……それが?」

「そのイーリスの霊としてダリアの身体を本人と共有していたと言えば分かるか」

「それは考えすぎじゃない?」


 とはいえあの子が見えない何かを憑依させていたということは事実なのだろう。得体の知れない誰かと仲良くなっているのは普通に怖いけれど。

 彼の首にはかつてダリアが身に着けていたチョーカーのチャームではなく、真っ白、いや、うっすらとオパールのように虹色に輝くチャームが下げされていた。

 本来夫が妻の魔力の色をした首輪をかけるなんてことはほとんどないのに、二人で作って交換でもしたのだろうか。そのチャームを渡した彼の婚約者様に再会できるのは何年後だろう。


「……俺はダリアに言葉を尽くす事は無かった」

「そうなの」


 すごくどうでもいい。仲は悪くなかったんだからいいではないか。……いや、僕も気を付けよう。妻の機嫌を損ねかねない。

 ふと孤児院にいた頃の記憶が蘇る。


「……あの子、小さい頃にうなされながらうわ言で「ロイクを連れて行かないで」って言ってた」


 僕の口から言われると思わなかったのかロイクは黙ったままだ。僕の方も今まで話すつもりのなかった話がぽろぽろと零れる。


「あの子が死ぬ二年前に僕の店に来てさ、「ロイクとガーベラのそばにいてって」頼まれた。泣いたんだよ。本当は死にたくないって」

「……」

「でも自分じゃなくて周りの……特に君の心配ばかりしててさ。自分の代わりを用意しようとしてて……止めたよ安心してって」

「二人はそこまで仲良かったか?」

「いいや。……僕はあの子が怖かった」

「怖い?」


 あぁ、余計なこと言ってしまった。


「それはいいんだよ。あの時珍しく話がしたいって来たから聞いてみれば、何もかも諦めてるような感じだったからイラっときたんだよ。すぐ側にいつ死ぬか分からない爺さんがいたし尚更ね」


 僕の師匠は死ぬまで新しい時計を作ることをやめなかった。あの日ダリアが帰った後爺さんは「儂は死ぬまで店を譲らねえぞ」と一人ごちるように言った。むしろ死んだら任せてくれるのかと思ってしまったけれど、その腕は未だに遠く及ばない。

 ロイクはまた黙ったと思えばにやりとした顔でこちらを見る。ここまで彼が表情豊かになるのは子供の時以来だ。


「シードの逆鱗に触れる相手がガーベラ以外にもいたんだな」

「お前もだよ!また無茶な注文しやがって。僕は細工師でも魔術道具職人でもないんだよ!?」

「時計しか頼んでないだろう」

「魔術付与された懐中時計なんてすぐにでできると思うなよ!まったく……」


 ダリアが忠告してくれたのかあの日以来時計の修理以外の注文をすることはなくなったけれど、先日彼は魔術道具のような機能が付いた時計を注文してきたのだ。

 あの時は魔術道具の職人に伝手がないから面倒だった。職人に伝手が出来ても設計図を作る際に魔術道具のことが分からないからパーツを作る鍛冶師と一緒に話し合いをしたけど議論が白熱して途中から喧嘩になっていた。


「シード益々自分の師匠に似てきてないか」

「……似るに決まってる。もう一人の親みたいなものなんだから」


 すぐそばに置いてある口を付けていない二つのグラス見る。一つは師匠が好きだった酒ともう一つのグラスには透明な葡萄酒が注がれている。

 今夜は久しぶりに酔いつぶれそうだ。


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