豊かな愛情は誰の為に - 2

ダリア

――――――



〈あ、こわれた〉

〈ドアがこわれた〉

〈ガーベラがおこった!〉

〈にっげろー!〉


 忙しない日々を過ごしていれば私は無事に十三歳になり、私はロイクと結婚した。

 形式的なものであっても色んな人から祝福された。たとえお互いに心が通わなくとも、私はロイクと本当の家族になれたのが嬉しかった。

 お父さんがお義父さんになり、お母さんがお義母さんになった。お姉ちゃんが姉さんになった。

 お隣さんからも祝福された。嬉しかった。


「【女神の夫】と結婚するために女神様に許しを請うなんて変な気分ね」

「……ここで祈ったところで女神には届くまい」


 私とロイクは立場が変わっても関係自体はほとんど変わらなかった。


 ロイクはお義父さんと一緒に領地の中を走り回って忙しい日々が続いた。私が孤児院から動けない分姉さんが動いてくれた。

 私は孤児院の他に邸で協会の仕事もちょくちょくするようになったのでロイクと仕事の話をすることも増えた。



〈大きな鳥が来る〉

〈すごい風すごい風!〉

〈きゃー!〉


「おや、どうしたのかなお嬢さん」

「えっと騎士様はどちら様で……?」

「あー、ここで名乗ってもいいが、せめて大人を呼んでくれないか。先触れを出したがもしかしてロイクは不在か?」


 ターゲスさんとの初対面は雪の日の孤児院の門の前だった。

 あちらは私をまだ幼い子供だと勘違いしていたからどうしたものかと思ったけれど、その後ロイクがすぐに協会から帰って来たので誤解は解けた。肩で息をしてるロイクを見るのは初めてだった。


「ダリアそんな薄着で外に出たら冷えるだろう」

「ごめんなさい、手が空いてるのが私しかいなかったのよ。協会に連絡しておけばよかった」

「いや先触れを見てすぐに協会を出たから行き違っただろうな。悪いのは突然押しかけるあの脳筋だ」

「筋肉を愚弄するような言い回しはやめろ。

 こら目の前で奥方を抱きかかえるな、いちゃつくな。いや悪かった。だが少しだけでも話がしたいんだが」

「茶は出せないぞ」


 でも二人のやり取りを見てるとなんやかんやで仲はよさそうだった。



―――



 ロイクが私のために頑張ってくれたように、今度は私がロイクを支える番だと思えば頑張れた。

 時々寝込んだこともあったけれど、ロイクは表向き私を妻として尊重してくれていたと思う。


「第二夫人は取らない」

「坊っちゃま。それでは……」

「妻はダリアだけでいい」


 その一言は少しだけこそばゆかった。


「おかあ?」

「お母さんよ」

「おと」

「お父さんねー」

「うー」


 私とロイクを親と呼ぶ子供が小さい子から順にちらほら出るようになった。

 色んな子から抱っこをせがまれて大変だった。


 だけど私とロイクの間に子供が出来ないことについて周りから指摘される事が増えた。

 おばあちゃんの言葉は正しい。貴族には奥さんを何人も作る人がいるという事は『声』で聞こえてたから知っている。だから私は寝る前にロイクに話してみた。


「……お前が子供を産めば高確率で死ぬ。そうまでして子供は欲しくない」


 医者の勉強もしていたロイクの判断に間違いはないのだろう。だけどあなたはそうじゃない。


「もし、あなたの女神様を見つけたら、その人を娶ってもいいわよ」

「誰から言われた?」


 ベッドに座って背を向けていたロイクがこちらに振り向くと顔が普段よりも険しくなっていた。

 ロイクが怒る顔を見るのは初めてではないけど、私に向けることは今までなかった。


「えと、私が思っただけだけど……その、ロイク……どうして怒ってるの?」


 指摘すればすぐにはっとしてばつの悪そうな表情をする。そんな顔をされたらまるで私が悪いみたいだ。


「……なんでもない……すまない……」


 罪悪感に満ちたロイクの言葉に私は後悔した。私は彼の気持ちを理解しきれていない己の未熟さを責めた。

 でも答え合わせする勇気は無い。むしろしてしまったら彼はまた壊れてしまうかもしれない。

 私は起き上がりロイクの手を握る。


「ごめんなさい、不躾な話をして」

「お前がそう言った理由も理解している。ただ……お前が自分を蔑ろにしようとしたのが許せなかった」


 その言葉の真意は何?


「ごめんなさい、でも謝らないで。ロイクは悪くない」

「あぁ」

「ロイクはロイクよ」

「……あぁ」


 私の言葉に肯定するような、嘆くような、安堵するような声にも聞こえた。

 あぁ、これはこの男を縛る呪いだ。

 私は女神に会えない辛さに付け入ろうとする狡い女だ。

 だけどそうしないとあなたの中に私が入り込める場所はないでしょう。

 そして女神様が現れたらあなたの中から私はいなくなってしまうでしょう。

 いつまであなたは私の傍にいてくれるのでしょう。


「許せ、ダリア」


 指が解ける。その指の隙間が名残惜しかったけれど引き留めることは出来なかった。

 ベッドは暖かいのに心は寂しさで冷える。


 両手を握り祈る。

 あなたがロイクでいられるように、私があなたの心を守るから、だから女神様、せめて私が生きてる間だけでも、ロイクを独り占めさせて。


 私のロイクを連れて行かないで。



―――



「お初にお目にかかります、奥様。フレイ・デーモンライトと申します。以後お見知りおきを」

「ダリア・カレンデュラです。ロイクのお友達に会えてうれしいわ」


 珍しくロイクが私にもう一人友達を紹介してくれた。

 お医者様だった。お医者様は学院を卒業してからずっと王都の病院で働いていたけどカレンデュラに移住することになったそうだ。

 新しいお医者様がこの領地に定住してくれるのは嬉しいけど、次会った時に姿が変わったから驚いた。


 挨拶代わりに彼の魔法で私の身体の状態を調べてくれた。だけどその人は私の手首に触れた途端何かに気付いたのか私の顔をまじまじと見てきた。


「まさか……夫人、貴女は……」

「フレイ、何か分かるのか?」

「……いいや……」


 意味深長な顔になっていたから気にはなったけれど、ロイクから睨まれたみたいでなんでもないと誤魔化された。

 残念ながら私の体質は治す事は出来ないと言われた。



―――



 ロイクは私の事を尊重してくれている。

 それは表向きの妻としてなのか、孤児たちの母親役としてなのか。そんなことを考える隙も無いくらい忙しかったけれど、私が先に寝た後ロイクが頼んでもないのに私を抱きしめていることを知っている。


 手を差し出す温もりや私を心配する言葉、そのどれもが嘘だなんて思えなかった。

 けれどそれを私の口から言ってしまえばこの関係が壊れてしまう。だからこれは私の中に留めておくことにした。


 子育ては難しい。それはロイクと結婚してから更に感じる事が多くなった。

 次々と子供達が卒業していき、次々と新しい子が入ってくる。時々難民の人限定で一時的に預かることも増えて子供達の間のいざこざも増えた。

 ボランティアの人も入れてどうにか回っているけれど、そうはいかない部分もあった。


「ダメだ。いくらなんでもダリアに全て任せる訳にはいかない」

「ロイクは来たばかりの子を心細くさせようとするの?」

「そんなことは言ってない。ただ俺はお前ばかりが過干渉に接する必要は無いと言ったんだ」

「でもあなたはあの子に近付けないじゃない!」


 リナリアの事で話し合うつもりがヒートアップして子供達を泣かせてしまったりもした。


「お二人とも子供の前で喧嘩するんじゃありません!もう、お二人が夫婦喧嘩するなんて思いもしませんでした」

「ホント、アタシも驚きました。リナリアのことはアタシ達が力になれないの申し訳ないけど……」


 マーガレットとガーベラからそんな事を言われたら私は苦笑した。



 結婚して三年が経った頃、領主になったロイクと私は月に一度の頻度で一緒に協会に通うようになった。

 以前から仕事はしていたから慣れるのは案外早かったけれど実際に直接人と会うと全然違ってくることを知った。


「いやぁ、私も深窓の令嬢だと侮っていたようだ」

「ふふ、お義母さまによる教育のたまものですわ」

「夫人からですか……」


 時々協会の人からお義母さんの話を聞いていると、その場にいるはずもないお義母さんの高笑いが聞こえたりもした。

 商人じゃなくなってもいきいきしていたみたいだ。


〈へいたいがいっぱいいる〉

〈闇の子がいっぱい〉


 協会がある街は綺麗だったけれど色んな『声』が聞こえてきた。だけどお隣さんの声は聞こえなくて少しだけ寂しかった。



―――



 アイーシュに移住したフレイ先生が正式に私の主治医になった。

 前のお医者様は元々高齢だったから診療所と孤児院の行き来がしんどかったところに来たらしく快く引き継いでくれた。

 姿がころころ代わるものだから街の人も怪しがってあまり良い印象を持ってないけれど、ロイクが信用している珍しい人なので私も信用している。ちなみに今日は色白で水色の髪に紫色の瞳をしていた女性の姿だった。

 それからはフレイ先生が週に一度の問診に来てくれるようになったのだ。


「家族が、ロイクが心配ですか」

「え……?」

「すみません、偶然心を読んでしまいまして、気になったので。あと魔力の肉体強化は魔力消費するにはちょうどいいかもしれませんが、頻度を減らした方がいい」

「気を付けます」


 診察の際はロイクも同席するけれど、珍しく先生は触診した後二人きりで話をしたいと言ってきたのだ。

 ロイクはそれを気にしていたけれど、リナリアのように二人きりで話をすることもあるから黙って席を外してくれたのだ。


「彼の話は色々聞く。それをどうにかしようと躍起になっている貴女の評価の方が高いですよ」

「それはあまり嬉しくないわね……」


 ロイクは領民に圧をかけてくるようになった。

 それでも難民は増えていくのだから受け取るのにしんどいと思う人が多い。私はせめて何かできないかと色々話を聞き回っているところだった。


「彼は己の感情には鈍感だ。貴女が遠くに行ってしまえばどう動くか見ものですね」


 フレイ先生はちょっと度が過ぎるいたずらっ子の印象だ。ロイクをいじることを楽しんでいるように見える。


「……学院でのあの人を知っている貴方が言うならそうなのでしょうね」


 先生のお父様がよろしくない研究をしたので先生共々病院から追い出されたらしいけど、その研究をある程度許す代わりに診療所で働くという契約をしている二人は言うなれば悪友なのかもしれない。


「言葉にしていないだけで彼は貴女を愛してますし、頼りにしてる。そうでなければ彼が私やターゲス殿を貴女に紹介しない」

「そう、ね」


 フレイ先生は兎も角ターゲスさんのはどちらかと言えばあちらの方が強引だったかもしれないけれど。

 ロイクは否定するかもしれないけれど、ロイクは家族として私を愛してくれている。


「貴女はロイクに恋していたから殊更分からなくなっているんでしょうが、歳を重ねた夫婦は互いを尊重こそすれども、若者のように激しい動悸を起こすほど感情が揺らぐ人はほとんどいませんよ」

「まぁ!」


 動悸が激しくなれば命にかかわるからだと言われると納得しかけたけれど、「だから貴女も何度か死にかけたんでしょう?」なんて言われれば少しだけ苦い気持ちになる。

 先生は私の反応に笑いながら半分冗談だと言った。


「心配する気持ちは理解できますが、貴女ご自身のことを優先してください」


 この先生が私に施しているのはあくまで延命するためのケアに過ぎない。既に私は余命宣告を受けた身だ。本来私が生きていられるのは奇跡なのだ。


「ありがとう。先生」


 フレイ先生はニコリと人の良い笑みを浮かべるだけだった。



 お義父さんは使用人を連れて王都に向かう計画を立てようとしていた。

 王都で隠居生活を満喫するのだそうだ。何度か王都に行っていたので既に土地の目星は付けているらしい。

 流石に高齢のマーガレットと幼なじみのガーベラの二人はカレンデュラ領に残ってくれるようだ。だけどそれにお義母さんは少し不満気味だった。


「まったく、男って身勝手な生き物だわ。こんな状況で王都に移住だなんて、ダリアももっと言ってちょうだいな」


 そう言いながら、孤児院を離れたお義母さんが王都に行くことが楽しみであることを知ってる。


「気にしないでお義母さん。……お手伝いさんはお義母さん達のように探せばいいから」

「ダリア……」


 けれどロイクが新しく使用人を雇えるか微妙なところだけれど。


 お義父さんがカレンデュラから離れるのも、私やロイクが子供達から親として認めて貰えるようになってからだろうけど、お義母さんは私のことを未だに心配していた。

 なんせ私は余命宣告を過ぎた身体だ。いつ容体が急変してもおかしくないのだ。

 だから私は未来に託さないといけない。



―――



 私が十七になった頃、街の中を歩いて色んな人に会いに行くようになった。

 カレンデュラ領の人々と仲良くなれば彼らのロイクへの悪感情を知ることができた。でも頻繁に私一人で出かけることは出来なくて年長の子供達が代わる代わる付き添ってくれた。

 一応無理な運動をしないようにと言われているけれど、先生は私が街を出歩いていることを知らないふりしてくれている。


 そのせいか察しのいい子は人目のない所で私の手を握って私の体を案じた。


「ねぇ、母さん。もしかしてもうすぐ死ぬの?」

「……すぐに死なないわよ、どうしてそう思ったの?」

「……まるで最期の挨拶をしに回ってるみたい。母さんがそうやって諦めるのは嫌よ」


 私よりも背の高い娘がそうやって泣きそうな顔になる。


「私は、元々十三歳まで生きられなかった。だから私は少しだけ運が良かっただけで、私の身体は弱いままよ。ここまで分かる?」


 無言で頷く。聞き分けがいい子で助かった。


「だから……せめて、あなたが孤児院ここを卒業するまでは、小さい子達をよろしくね」


 私は酷い母親だ。子供達に死を覚悟させるのは辛い。

 私はきっとこれから先も愛してくれたみんなに大小様々な傷を付けるだろう。私はその先で皆を抱き締めることは出来ない。

 だからせめてその傷の先で乗り越えられるようにと願うばかりだ。


〈本当にそれだけで後悔しない?〉


 聞こえたのは『声』か、それとも私の声だろうか。



―――



〈『命』から人が減った〉

〈『命』がキラキラしてる〉

〈キラキラしてる〉


 一年かけてあらかた私が知っている孤児のいる家や店などを回り終え、最後は私一人で向かうことにした。


「ダリア。久しぶりだね」

「えぇ。いつもお宅には無茶な要望出しているんだもの。たまにはご機嫌伺いしないと」


 目も合わせていないのに私だと分かった事に驚いたけれど、天井に鏡があったのでそれで気付いたのか。


「旦那があぁだもんねえ……この前時計じゃないのを頼んできた時はうちの爺さんキレるかと思ったよ」

「余計なことをいうんじゃねえ!」


 扉が開いたままの店の奥からしゃがれた老人の声がする。店主だろう。「地獄耳め」とシードはぼやきながら店の奥へ顔を覗かせる。


「爺さん、領主夫人が来たよ」

「ばかもん、そんなお方がうちの店に来るもんか」

「来てるんだって。手紙も来てたでしょ。一時間くらい店番変わって」

「……プレートをひっくり返せぇ」


 シードはため息を吐きながら店主の言われた通り店の出入り口にあるプレートを『close』に裏返す。お客さんが来たらどうするのだろう。

 店内に置かれている椅子とテーブルへ私を案内すると店の奥に行ってしまった。会話が聞こえるが内容までは分からなかった。

 辺りを見回すと店のカウンターには小さな写真立てが置かれており、写真には椅子に座り両手で杖を持っている腰の曲がった狼族のおじさまと、その斜め後ろにはシードが立っていた。記念写真のようなものだろうか。

 その狼族のおじさまが店主である彼の師匠だろう。シードはズボンにシャツ一枚というシンプルな格好なのに対しておじさまの方はチェックのスーツに蝶ネクタイと片眼鏡モノクルなのが印象的だった。

 しばらくするとシードが二人分のティーカップをテーブルに置いては、私と対面する形で座った。私がお茶を口にするよりも先にシードが話を切り出した。


「それで、わざわざ手紙をよこして君一人で来たってことは、別れの言葉でも言いに来た?」


 やっぱり察してた。


「私には、時間がないから」


 正直この店に来るまでにもかなりの体力を消耗していて、ひたすら魔力を肉体強化で消費している。以前なら疎ましく思ってた魔力も今はかなり必要としていた。


「いいや、君がみんなに会いに行くことは悪い事じゃない。だけど……そっか。じゃあ領主夫人の最期のお言葉を頂きましょうか」


 冗談めかして畏まるシードに私はくすくすと笑いながら皆に言っている事を伝えた。


「領主やその家族に暴言や暴力を行わない事。殴りかかっても必ず領主から返り討ちに遭うので控えること。文句があるがあるならその理由も書いて協会に投書して頂戴」

「さすがの僕も領主に野蛮な真似は出来ないよ」

「あと、カレンデュラ家の卒業生は出来る限り邸に顔を出すこと。媚びは売っておいて損は無いわ。特にマーガレットにはね」

「はは、出来る限りそうする」


 苦笑しながら返事をしてくれる。だけど真面目な話マーガレットは裏の女主人だと思う。少し笑ったところで私は一呼吸置いた。


「それとこれは私個人のお願い。シード。私が死んだら、ロイクとガーベラの側に居て欲しい」

「……えぇと……ガーベラは兎も角、ロイク……領主様にそんなことは恐れ多いことは……」


 じっと彼を見つめれば数秒、時計の振り子がうるさい時間が過ぎた。シードは目を伏せ椅子を座り直す。


「……ダリアは自分以外の誰かが彼の隣を歩く姿を見ていられるのかな」

「その時にはもう私はこの世にいないでしょう?」

「悟ってるねえ。悟ったふりして諦めてる」


 お茶を一口飲んで喉を潤す。


「いくらでも言えばいいわ。だけど」

「手伝える事があれば僕も時間を空けてでも手伝うさ。でも生憎、僕には君の存在を埋めるパーツは持ち合わせてない」


 正直なところ私は孤児院にいた頃、シードとあまり話をしていない。今でもガーベラのことで少しからかったくらいだと思う。

 出会った頃がお互いもう少し幼かったら多少の関わりがあったかもしれないけれど、それだけだ。だから知っているのはロイクとガーベラと仲が良かったということだけ。


「隣にいてくれる人がいると分かるだけでも違うと思うのだけど」

「ガーベラはひたすら泣いたら乗り越えるだろう。僕はロイクが他人に慰められて癒える人間とは到底思えない。ロイクの事は君が一番わかってる筈だけど?アイツはずっと一人だよ」


 こちこちと時計が響く空間で沈黙の時間が過ぎる。


「……師匠の爺さんは、かなり頑固だけど、マーガレットさんには弱くてね」

「誰が頑固者だ!」

「ほら」


 突然の話に私は左手を頬に当ててこてんと首を傾げる。

 だけど彼の視線の先には壁中にかけられた時計たちがあった。


「注文もないのに大体一か月にいっぺんくらいマーガレットさんが来るんだよ。その度に爺さんは来なくていいってつっけんどんになるんだけど、僕は彼女に聞いたんだよ。どうして来るんですかって」


 突然がしゃんと音を立てて店の壁にかけられた一つの時計が落ちた。

 店の奥からどすんと何かを床に突く音と共に写真と同じ顔の老人が顔を出した。シードは店の奥を気にせず「失礼」と一言立ち上がるとその時計を持ち上げて確認する。


「何があった!」

「大丈夫、時計が壁から落ちただけだよ」

「だ、大丈夫なわけあるか!」


 ほらと言って店主に見せると店主は杖をカウンターに引っ掛けては首から下げていた片眼鏡のレンズ越しに確認する。

 作業着だろうか二人とも同じエプロンを着ていた。


「ガラス窓以外はどこも無事だよ。ほら後は片付けるから」

「フン……てめぇで直せ。驚かせやがって」

「分かった。後でやる」


 店主は杖を取りながら私と目を合わせると一瞬眉を顰めたが「……わしもボケたか」なんて言いながら片眼鏡をはずしながら店の奥に引っ込んでしまった。本当にどうしたのだろう。

 シードは店の奥への扉を閉める。


「うちの爺さん、ロイクのひいお祖父さんと同じ年なんだってさ」

「えっ」


 ということは店主もかなり長生きしているということになる。彼よりも年上らしいマーガレットは一体いくつなんだろう。

 シードは時計を作業台に置くとガラス片をかき集め始めるので私はそっとその場から魔法でガラス片だけをかき集めた。


「……魔法、加減できるようなったんだ」

「努力した甲斐があったわ。部屋のお掃除はいつもこれよ」


 魔力を絞り込む事が一番難しかったけれど、それでもこの程度ならこなせるようなった。

 集めたガラス片をシードが裾を上げたのエプロンのたるみの上に乗せるとシードはそのままゴミ箱にざらざらと音を立てながら捨てた。


「マーガレットさん、誰しも一人で死ぬのはいやでしょう、だって。店には僕もいるし、マーガレットさんの方が年上なんだからそんなお節介する必要はないのにね」


 椅子に戻り座り直しながら話を続ける。


「でも爺さんなんやかんや嬉しそうなんだよ。マーガレットさん来るの」


 思い出しているのか少し笑みを浮かべながら自分のお茶に口を付ける。


「君が身辺整理するのは良いけど、今の君に必要なことは家族と一緒にいることじゃないの。残される側にも君を愛する時間を作ってあげなよ」

「……いやよ」

「ダリア?」


 中庭でたくさんの子供達が私を囲い、少し離れたところでロイクが微笑ましそうにこちらを見ている光景が目に浮かぶ。

 だけどその光景は今の私には愛おしくも目を向けるのは辛い夢だ。


「いやよ……そんなの、そんなことをしたら私……死にたくないって、死にたくないって思ってしまう……!」


 感情をぶつける相手が間違ってる。でも止まらなかった。

 こんなに感情を荒立てたらまた魔力が暴走してしまいそうだ。だけど堰切ったように色んな感情が零れだしていく。


「母親なの!私はあの子たちの母なの!!私が弱れば子供達を抱きしめることが出来なくなる……慰めることが出来なくなる……愛してやれなくなる……。

 ロイクだって、私が死んだら、お義父さん達もいなくなったらあの人はずっと一人ぼっちよ……だから今のうちに彼らに寄り添える人私の代わりを見つけないと私は」

「乗り越えるしかないんだよ」


 語気が強い言葉が刺さる。はたと見上げれば彼の強い視線が目の前にあった。


「君も、僕らも死を乗り越えるしかないんだよ。誰かが死んだら誰かが傷付くのは当然だ。だから残りの時間を大切にするんだろう?

 今更死を嘆くくらいならもっとあがけよ!お前がやってることは逃げだって分かってるだろう!?」


 温厚な彼がそうやって喝を入れる姿を初めて見て、私は目を見開いたまま動けなかった。


「シード……私てっきり、私のこと嫌いだと思ってた」


 理由は分からないけれど彼は昔から意図して私に関わろうとしなかったから、そうなんだろうなと思っていた。実際今日も彼は横に視線を逸らすばかりで私に目を合わせようとしなかったのだし。

 だから今まで私も彼を巻き込むことはあっても個人的に関わろうとはしなかったのだ。

 シードは後頭部をかき、「まいったな」と嘲笑うように私を見た。


「……あぁ、そうだ。僕は君が嫌いだよ」


 あっさり認めるとは思わなかった。


「嫌いなら、私の話を聞くことも怒る必要も無かったと思うけど?」

「そりゃあ……友達の奥さんを蔑ろにするわけにはいかないだろう?」


 今まで挨拶回りでわざわざ店を閉めるなんて人はいなかったのに、長時間私と話そうと思えたのは、彼なりの誠意なのだろう。

 お茶はすでに冷めてしまっていた。


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