母よ、輝く心の喜びよ - 10
とある女 最終話
―――
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自分の母が失踪、父が死亡したことをきっかけに数人の叔父叔母達の様子がおかしくなった。
頭痛から気狂い、魔力の上昇など症状は様々だったが共通して彼らは両目を真っ赤に輝き、最終的には皆死んでいったらしい。
そしてある日伯母も同様に様子がおかしくなり、魔力暴発させた。両目を真っ赤にしては「やめて母さま!」と叫びながら頭を抱えてうずくまる伯母を見るのは初めてだった。その時読み取った感情は恐怖と怒りと少しばかりの愉悦だった。
伯母が感情を理解出来ないまま自分は伯母の魔力に巻き込まれて死んだ。
しかしどういうわけか目が覚め、目の前には随分と成長した妹が説明してくれた。我に返った伯母が自分たちに血を飲ませてくれたから自分達は生き返ったのだと。
眠ってからすでに千年近く経っており、知らない間に島の中は地形も文化も変わり言葉すらも変っている。そしてなぜか種族間で縄張り争いもしていたし、母の魔力を感じる知らない種族も入り込んでいた。
その後も次々と目覚めた叔父叔母やいとこ達と幾度となく話し合った。
妹はその場から逃げた伯母を追いかけ、自殺した直後にあの方の記憶を消したのだそうだ。
それでもその魔法は不完全で、またいつか生き返る伯母が記憶を復活するかもしれない。その時が怖いと言って北の地へ旅立った。
しかし妹が島を出て行ってから数年後、帰ってきたのは妹ではなく様子がおかしくなったままの伯母だった。
伯母はそれこそ以前変わらず落ち着いていたが言動がどこか感情的になった。
自分の容姿を嫌うことは変わらないが鏡を見ると何かに怯えるように目を逸らすようになった。
お付きの者を付けず一人で行動することは変わらないが放浪することはなくなった。
自ら幼い見た目を誤魔化すために身長を伸ばさなくなった。
人を殺すことを厭わなくなった。
大陸の使者を問答無用で瞬殺したのを見て自分は意を決して伯母を問い詰めれば、今まで知らなかったことが次々と出てきた。
全てを知り感情が整理できない状態で伯母に殺意を向けてしまえば、「殺すなら人目の付かないところでしてください」と笑顔で言われた。
たった数年で伯母は歪んでしまったのだと思い知らされた。
かつての伯母を知らない民はあの方に対して良い感情を持っていない。それを伯母は理解していたし、そう思われるように振舞った。そう演じながら伯母は自分たちに引き継がせようとしていた。
「何故山には魔力を注ぐのに畑や家畜に魔術を施さないのか?何故わたしの魔力を他者の為に使わなければならないのですか」
「……あの土地良いですね。そこに街を作りましょう……え?恵みもない不毛な土地?わたしの言う事が聞けないのですか?」
「そうだ!大陸には魔族の奴隷を従える首輪がありました。こちらにも取り入れましょうか。奴隷自体この国には無いので、結婚した女性に付けるのはどうでしょう。だって妻は夫の奴隷なのでしょう?」
「罪人に首輪を付けたところで外されたら意味もありませんもの。刺青の魔術陣は効果があるでしょうか?ちょっとそこの貴方。試してみませんか?」
「あら、あのお墓は何時からあるのですか?……ふむ。深く掘ってみてください。中心部です。えぇ。だってあの下に魔石が沢山ありますし。――え?そんなの、もうこの世にいない者に何故敬意を払わなければならないのですか?」
それでも日に日に伯母の言動が苛烈さを増し、どんなにこちらが働きかけようと伯母の周囲の感情は変わることはなかった。
民の感情がどうしようもないところまで落ち切った時、竜人族の情報が入ってきた。そして自分はある作戦を決行することを決めた。
仲間の一人は伯母をよく思っていない文官だったということもあり、伯母を暗殺することに驚きつつも否定的ではなかった。
自分が言ったことが全て事実とは限らない。そこに自分の感情はどこにも無いのに、彼らは自分が伯母のことを殺してでも排除したいくらい疎ましく思っていると思っている。
しかし実際のところはどうだ。刺された瞬間の伯母の表情は慈愛に満ちた笑みを浮かべ、あろうことか己を殺した自分を褒めるではないか。
あの方を一時でも解放させるにはこうするしかなかったから実行しただけだ。自分は伯母を恨みながらも敬愛していた。殺意を向けたことはあった。しかし自分はそこまで根が悪人ではなかった。生き返ることが分かっていても気が晴れることはなく、むしろ最悪な気分だった。
これで自分は島をのさばった悪女を殺した英雄になる。伯母をよく思っていない部下たちはそれに歓喜していた。
しかし周囲の者はそんな自分達の様子に戸惑っただろう。刺された本人は笑みを浮かべ、刺した本人が涙を流している。数では負けるのにそれでも守ろうとこちらに剣を構える護衛。後から駆け付けた侍女は傷付いた伯母の怪我見て悲鳴を上げるも必死に手当てをしようとする。その様子に戸惑う自分側の従者。
伯母の身近な人間達はあの方の人柄や本性を知っていた。特にあの方が擁護した人族はどんなに同族があの方に切り捨てられようとあの方を崇拝する者が多かった。
畑や家畜に魔術を施さなかったのは、魔力だけで育成や飼育すると実ったものの質が落ちるから。反面山に魔力を注いだのは、その魔力で魔力を多く含んだ植物を増やす事で、畑に魔力に飢えた魔獣が来るのを防ぐためだった。
不毛な土地に街を作らせたのは魔力が寄り付かない土地の方が魔石の鉱床が生まれず、街が将来陥没しないから。
既婚の女性に首輪を付けさせたのは婚姻の印だけでなく、月の道が出来た女が無理矢理隷属の首輪を付けられて無体を強いられないようにするため。
刺青を試そうとしたのは、その者が税の横領をしたからで、墓もかつて罪人を埋めた場所だったからだ。
涙を流しながら自分はざまあみろと伯母を疎んだ奴らを罵った。
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今度も死ぬことができなかった。
その絶望を抱いたままゆっくり目覚める余裕はないようで、遠くで爆撃音が聞こえてくる。
意識が戻ったわたしの側に駆け寄ってきた侍女から、色々話を聞いた。
ベトゥラは既に他の従者全員を連れて島へ帰ってしまったこと。
竜人族の襲撃によってわたしと側にいる侍女は死んだことにする代わり、今回ベトゥラが許可なく大陸に来たことは内密にするという交渉をしたこと。
そして今回の件がきっかけで属国が北の国に反旗を翻した為に反乱が起きていること。
そして更に面倒なことに、今わたし達がいる場所は北の国とその反乱を起こしている属国の境界近くの地下要塞の中にいて、先日からナルシサスが面会依頼を何回か出しているということだ。
避難所も兼ねているため死んだ事になっているわたし達が居ても問題ないらしいが、要塞なので監視が強ということから誤魔化しても直ぐにバレるだろうとの事だ。
しかしやたら爆撃音が多いと思ったらそんな場所で匿われていたことに顔を顰める。
「わたしはそのまま死んだことにできませんか……」
「ベトゥラ様が、貴女が不老不死であることを明かしたために私達はここに残らざる得なかったのですわ」
「…………」
わたしの身柄を十年そちらの国に引き渡す代わり、今まで島から輸出していた魔石を輸入出来ないかと打診しているのだそうだ。これは暗にわたしが魔石製造機だと言っているようなものである。
つまりわたしは実の甥に殺されたことにされた挙句、人身御供された。
ベトゥラめ、後で覚えていろ。
他に面会依頼している者はいるのかと問えば首を横に振られる。どちらにせよ彼とまた話さなければならないのか。
「わたしに付き添って貰えますか。
「我が君の御心のままに」
そしてわたしは侍女に付き添ってもらう形で面会に応じる事になったのだった。
―――
面会の了承をすればすぐにでも会いたいと言われたが、目覚めたばかりで本調子ではないと言い訳をすれば二日後に面会の予定が決まった。
衣服は島から持ってきた中で必要最低限のモノしか残せなかったためにまともなドレスは持ち合わせておらず、遺髪として長い時間かけて伸ばした髪を眠っている間にばっさりと切られたので各段に質素な恰好になった。
身なりを整える間、わたしは首元に手を当てる。今回は公にできるものではない。侍女がいるので二人きりになることはないだろうがもし隷属の首輪をかけられるような場面が起きたら困る。
せめてもの妥協案として大判のハンカチを畳んで首に巻き付けた。
「……そこまで怯えるのでしたら、私が身代わりとしてなっても良かったのですよ?」
「いいえ。相手はすぐに別人だと分かるでしょうから意味がありません」
それにクローバーは北国の言葉が分からない。それでも侍女として付き添うメンバーに選ばれた理由は、クローバーの顔は成長した時のわたしと少し似ているからだ。
黒髪黒目で髪はうねりが強いがそれさえ誤魔化せることができれば叶いそうだが、相手が相手なので諦めた。
わたしが一度死んでから、ヴァイオレットやベトゥラなどその他わたしの血を飲ませた者達が魔力を放出している間だけ片方の瞳が赤くなることが発覚した。
さらに調べてみればクローバーのように生まれつき魔力を放出すると片目が赤く光る者がいて、彼らはそろって魔力が多いということが分かった。そんな者が生まれるいくつかの条件が上がった。
・わたしの血を飲ませた者
・両親が人族と魔族の混血児
・島出身の人間と大陸出身の混血児
わたしの血を飲ませた者は確実に左右どちらかの目が赤くなるが、下二つの混血として生まれる条件としては生まれる確率はまばらだった。その上でわたしはとある仮説を考えた。
母は死ぬまで己の髪を切っては燃やしていた。その行いに果たして意味があったのかどうかは分からない。
けれどもしその燃やした煙が遥か遠くの地へ渡り、巡り巡ってその土地の者の中に入り込み、それが彼らの魔法となったのだとしたら、母の胎で魔法を授かった者と母の塵で魔法を授かった者の間に生まれた子供は必然的に魔力が強くなるのかもしれない。
しかも以前魔法を暴走させたわたしをはじめとした母の血肉を口にした弟妹達の両目が赤いのも、口にした母の血肉の量が多ければそうなるだろう。
わたしや彼らの魔法が暴走する前に、わたしや彼らの血を一人でも多くの者に共有すれば、彼らを魔術の礎にしなくて済んだし、わたしも大勢の弟妹や甥姪達を殺さずに済んだのではないだろうかと考えるが過ぎたことだ。
本当にこの数年、後悔の感情を抱くことが多い。
〈お待たせして申し訳ございません〉
ノックの後に堅い声が室内に響き、わたしも意識が引き戻される。北の言語だったのでクローバーは分からないはずだ。
女性の声であることに首を傾げるが従者だろうと思い、中に入るよう促した。
「ナルシサス殿はいらっしゃらないのですね?」
わたしは侍女がにも分かるように島の言語を使う。あちらはわたしと目を合わせると何かに気付いたのか大きく目を見開いたがすぐに取り繕う。
別の言語で質問を繰り返そうとしたが、あちらも理解できたのは意外だった。
「申シ訳ゴザイマセン。コノ宛名ニシナイト応ジテクレナイト思ッタノデス」
片言な言葉で返答する彼女に後ろで控えていた侍女は警戒を強める。入ってきた者はわざとナルシサスの名前を使っていたのだから仕方ない。
相手に座すよう促せば、大きな腹を撫でながら足元を気にしながら長椅子に座る。
声の主であろうその女性はその土地の平民の衣装を身に纏っていた。袖の隙間から見える腕は細く、おそらく十分な栄養が足りていない可能性があり痛ましく見えた。髪は茶髪だが心的負荷によるものか染めていたのか髪の根本がわずかに白くなっている。
大分痩せてしまっているが、相手が何者かはすぐにわかった。
「……誤魔化さなくとも、わたしは目覚めさえすれば応じましたよ」
むしろナルシサスの名前を使わないで欲しかった。
「久しいですね。ネモフィラ」
水色の瞳が大きく見開く。〈噂は本当だったのね〉と北の言語で呟く。この言語は主に北の遊牧民が使う言葉だった。
怪訝な顔で見る侍女に「島に戻る前に世話になった者達の一人」だと説明するがそれでも侍女は警戒を解く様子はなかった。
それをネモフィラは居心地が悪くなっているようだが気を回すつもりはなかった。
「……なんで?」
「わたしの目は特殊なので」
その間後ろで侍女が二人分の茶を用意してくれたが、生憎わたしも匿われている身であるためこの場で用意できる菓子がなかった。
わたしの目で見る限り胎にいる子供は辛うじて生きているようだが、明らかに栄養が足りていない。
ネモフィラはちらちらとわたしの後ろにいる侍女を気にしているようだった。
〈侍女は国の言葉が分かりませんから、気にせず話してもいいですよ〉
〈……ナルシサスに会えたのかしら〉
わたしは無言を貫く。それが肯定だと察したようだ。
〈戦争で一族が散り散りになってからナルシサスに会えてないの……十分な支援ができるようにするって最近一方的な手紙が来たけど、貴女に会うのは賭けだった〉
どうやらネモフィラのいた地域ではわたしの存在は有名だったらしく、北の国では島に必要以上に手を出してはいけないと内部での取り決めが出来るほどだったという。
黒髪に赤い瞳。面長な顔に切れ長の目をしている女は食えない性格だが、その魔力を首輪で封じればたちまちあどけなさが残る少女に変わるという身体的特徴まで知れ渡っており、ネモフィラはそれがわたしなのではないかとうっすら勘づいていたらしい。
しかしイキシアとの間に既に複数の子供がいたネモフィラは、死んだことになっているはずの女に今更会いたいと思わず、ただ流れ着いた土地で静かに暮らすつもりだったという。
ナルシサスも同様でどういう伝手でなったのかは知らないが国の役人になっていることは知ったが、最近来た手紙のおかげでナルシサスの所在が分かったという。
〈それからわたし達が暮らしてた土地も戦争になって、この要塞に逃げたら黒髪のある国の要人がこの要塞にいるって噂を聞いたの〉
〈イキシアは……?〉
〈徴兵されてからその後は分からないわ〉
子供達も辛うじて生き残っているが、元々貧しい暮らしをしていたので栄養は偏り日に日に弱っている。
なけなしの知識で薬を作ろうにも素材が無いし、そもそも弱っていった原因が栄養失調なので獲りに行こうにも外は戦火にまみれた荒野だから獣も薬草も望めない。
ネモフィラがわたしに会いに来た理由は援助を求めるためだと分かった。
〈わたしは今、甥に殺されたことになっています。あなたを援助することはできません〉
〈支援が欲しくて来たんじゃないわ!!でも、殺された?〉
〈はい。わたしはあちらで暴君を演じましたから……当然の報いですよ〉
それでもなぜか後ろにいる侍女含めてわたしに信頼を寄せる従者はいたのだが、大体が差別などによる被害を受けていた者が勝手に恩を感じただけだ。
絶望を抱いたのだろうか。ネモフィラの顔から感情が抜け落ちる。
〈わたしの、せい?〉
ネモフィラの言葉に首を横に振る。わたしが狂った要因の一つかもしれないが、これはわたしの報いだ。
〈わたしは全ての属性の魔力を大量に持っていて、尚且つ長く生きているだけで、何でもできるわけではないのです。万能ではないのですよ〉
まるで己の規格外を周知させているようで心苦しいが事実だ。周囲には数人の兵士がわたし達の会話を聞いている。はじめは監視のためだと思っていたがどうなのだろう。
正直植物なら一から育てることも出来なくもないが、種が無ければ育てられない。家畜についても同様だ。保存食がメインになっている地域で生の家畜の肉片を探すのは難しい。そもそも場所がないし、外で行うにも戦闘中なので危険だ。
「クローバー、彼らに渡せるわたしの食料はありますか」
「いいえ。我が君は身体が特殊であるため、我が君に用意された食料はありません」
クローバーは他の者達と同様に要塞の食料を分けてもらっているのだろう。彼女も一月見ないうちにかなり痩せていた。
遠くで爆発音が聞こえる。まだ戦闘は終わらない。また大きく地鳴りがした。爆発した場所がかなり近い。
しかしネモフィラはわたしの会話を聞いて首を強く横に振った。
〈ち、ちがうの!いえ、食料に困っているのは本当だけど貴女からもらおうとなんてはじめから思ってなかったわ!〉
〈ならどうしてわたしに会おうと思ったのです〉
かつてわたしが愛した彼女は一人の母になった。子を守る母に憧れがあったから出来る限り支援しようと思っていたのだが、何を求めてこちらに来たのだろう。
〈謝りたかったの……!ずっと……ずっと〉
「…………」
突然泣きじゃくる彼女を見てどうしたらいいのか分からなくて戸惑う。
顔は似ているのに謝罪する態度は全然違うのだなと呆然と思った。
〈ごめんなさい……ナルシサスが貴女を殺したって言ったとき、やっと私は……私の過ちを理解した……〉
〈……なにを謝りたかったのですか。ヴァイオレットのことなら貴女にも理由があったのでしょう〉
〈でもマグノリア〉
〈わたしはマグノリアじゃない〉
ネモフィラの身体がびくつく。強く言ってしまったことを謝罪する。
〈どちらにせよ、わたしはあなた達と関わることは出来なかった〉
〈……どうしても?〉
無言で頷く。もしわたしの記憶がすべて戻っていたとしても、わたしは民の皆と共に暮らすことは出来なかった。
〈そう、せざるを得なかったのです〉
ネモフィラにここまで話して彼女はどこまで理解できるだろう。
〈貴女は神様じゃないわ〉
〈……そうですね〉
〈でも嘘じゃないのは分かる。信じられないけど……〉
また遠くで爆破音が轟く。しかし今回のはすぐ近くだ。後ろにいたクローバーが会話に割り込んだ。
「我が君、これ以上は危険でございます」
「ゆっくり話すことは難しいようですね」
周囲の兵士も動き出す。奥から建物が崩壊すると叫び声が聞こえてくる。ここでも様々な言語が飛び交う。
「避難者が集まっている場所に向かいましょう。ネモフィラ動けますか?」
彼女は恐怖で震えているのかこくんと頷く。
「我が君!」
「クローバー、この先その呼び方では怪しまれるでしょう……ソーレルにしましょう」
「ここまで来ても自分の名前を明かすつもりはございませんのねぇ」
クローバーは困った顔を浮かべるが、わたしの名前を呼んで欲しい人はどこにもいないのだ。己の名前くらいどうでもいいだろう。
隣で聞いていたネモフィラが反芻する。
「ソーレル?」
「
「そう」
なぜ嬉しそうなのだと思ったが指摘する時間はない。
再度爆発音と同時に足元が大きく揺れる。これはこの要塞も落されるのではないだろうか。
わたしは死んでもいいが彼女たちはそうじゃない。逃げられるだろうかと内心焦る。
<私の子供達は?>
「!?」
一瞬自分の赤子が脳裏に過り手が痺れた。
ネモフィラが言っているのはネモフィラの子供だ。彼女の子供は胎の中にいる子だけじゃない。
「二人とも焦るお気持ちは分かりますが落ち着いてくださいませ!」
クローバーの喝で引き戻される。わたしはネモフィラの手を引いて大広間に向かう。
広間に入ると、茶髪の子供が駆け寄ってくる。よく見るとイキシアとネモフィラそっくりの顔立ちをしていた。
ここにきてようやく彼女たちが髪を染めていた理由が分かった。この地域に住まう原住民は黒髪こそわたし達以外いないが、濃い茶髪や紫、苔のような緑など深い色の色彩を持った者が多いから目立つのだ。
〈よかった……!〉
しかし油断は出来なかった。また揺れが起きて小さく悲鳴が聞こえる。ネモフィラも子供を抱き寄せながら天井を見上げるが、何か見えるのだろうか。
「クローバー、何か髪を切れるモノは」
「こちらにございます」
隠しから小刀が取り出される。わたしは随分と短くなった髪をひと房取っては乱雑に切り落とす。
髪を代償に目玉くらいの大きさの魔石を四つほど生成すれば、それを見るのが初めてらしいクローバーは挙動不審になる。
「わが、ソーレル様それは……!」
「他言無用です」
クローバーは言いたいことを堪え口を噤む。わたしは四つのうち一つをクローバーに渡した。なにかあった時のための護身用だ。
そしてもう二つを立場が上の兵士に渡せば、驚かれたが使用用途を言えば快く受け取ってくれた。基本的に魔石は魔力を込めて投げれば爆破する。魔力を込めて敵に投げれば攻撃できると思ったのだろう。
夕方ごろには戦闘も落ち着いたらしい。同時に深夜要塞から逃げるよう通達される。クローバーからは胡乱げな目を向けられたが気にしないでおく。
―――
地下通路を歩き、梯子を上ると要塞から離れた場所にある森に出た。
敵に察知されないように歩みを進めるため灯りも付けられない。馬車も使えないような森の中を通るので歩いて進む。不慣れな足場だ。木の根っこでつまずく子供が何人かいた。
しかしそんな真っ暗な場所でもわたしの視界には星空と共にキラキラと空に昇る白い光が多く見えた。中には弔いのために祈りを捧げているのだろう光も見えた。一体何人もの人が死んだのだろう。
出立する前城塞を守っていた隊長から声をかけられ、わたしとクローバーは移動先の避難先よりもずっと北に進むことになった。わたしは彼らよりも安全な所へ向かうことの罪悪感を抱きながら歩く。
クローバーは夜目が効かないので今はわたしに手を引かれている。
「ソーレル様は、何もない所を見る癖がございますわね」
「……わたしにはあなた達には見えないモノが見えるようですから」
わたしはあまり他人を見た目で識別したことがないかもしれない。魔力の色はその属性によって似たり寄ったりなところはあるが魂の形は違う。それが顔がそっくりな双子の兄弟であってもだ。魂は似通ってはいるがやはり色も形も違う。
歩きながらクローバーは小声でぽつぽつと話し始めた。
「島の者達は、貴女の弟妹君が目覚められた時、あの方々を神同然の存在として祀り上げました。ですが彼らはそれだけでは飽き足らず彼らの中に存在しなかった種族を嘲るようになりました。人族もその中にございました。いえ、貴女様を責めているのではないのです」
知らなかった。彼らが口にしなかったのは単純に照れくさいとかそういった理由かもしれないが。
「数年後、貴女様が島にお帰りになられてわたし達人族は安堵したのです……ですが貴女は公平に物事を見て平等に人を処罰する。人族の中でも貴女を畏れるものが現れました。本当の神は貴女様なのではないかと」
「……神はわたしではなくわたしの母です」
「貴女様ならそうおっしゃるでしょう。ですが私達から見れば貴女様も神に等しい存在であらせられますわ。なぜ、こうして話しているか分かりますか」
「……」
「我が君はなぜ己の御母堂を崇拝しておられながら、御母堂の話をおっしゃらないのでしょうか」
「……わたしの口から話すのもおこがましいのです」
「私は貴女様の弟妹君から御母堂の存在を拝聴するまでその存在を存じませんでした。
時代が流れ信仰が廃れるのは仕方ないかもしれませんが、その歴史まで廃れてしまうのは良くない傾向だと私は思うのでございます」
「……わたしに母の話をして回れと?」
まるでどこかの聖職者のようだ。
「御母堂によって生まれた存在は魔族だけでなく、魔法もそうであらせられるのでしょう?それを大陸の、特に北の者は知りませんし魔族を同じ知能を持つ人間とみなしておりません」
「……」
「私は魔族の存在をあまりよく思っておりませんでしたが、それでも私は彼らを同じ人間だと思っています。ですから流石に彼らが奴隷のように扱われるのを見るは気分が悪くなります。ですから……変えませんか、貴女様の力で」
クローバーから握られる力が込められる。もしかして彼女はわたしが眠っている間に奴隷にされている魔族を見たのだろうか。
そう話をしていると近くで爆発音が響いた。外にいる分大きく聞こえ、共に歩いていた者は大きく悲鳴を上げた。
遠くから「急げ!」と誘導する兵士の声が聞こえてくる。皆は必死に北へ走るがまばらに逃げ出す。
しかし矢や鉛玉の群れを避けることはできない。敵の魔法か魔術だろうか。光と共に空から多くの鉄の雨が降り注ぐ。
わたしは咄嗟に光の群れに向かって懐の魔石を投げると空中で虹色の軌跡を残して広がり一気に爆散し、爆風が来る。これで一掃できたかと思ったが取りこぼした光が一人の子供に向かっていった。
「危な――」
ネモフィラが咄嗟に子供を庇うことで光が彼女の背に直撃する。手を伸ばすがクローバーによって地面に押し倒される。
また鉄の雨が降り注ぐのが見えた。クローバーが懐から出した魔石をその場で投げればこちらに落ちてくる攻撃は相殺された。
攻撃は防がれたものの、周囲の木々が倒され地面も穴だらけになる。色んな所から阿鼻叫喚が聞こえてくる。クローバーもここまでは勇敢だったが流石に限界だったのか恐怖で震え涙が滲んでいる。そう言えば見た目が大人びていたので忘れがちだったが彼女もまだ17歳の娘だった。
わたしはクローバーにしがみつかれたままじっと仰向けになって空を警戒しつつ、ひたすら死んだふりに徹した。そうしてどれくらいたっただろう。薄めで上空にいた鳥族の兵士が引き返すのが見えた。
「……去ったようです」
「良かった……」
力が抜けたのかクローバーの体重が全身にかかる。
素直に重いと訴えればすぐに退けてくれたが、起き上がっても引っ付くばかりで離れる様子はなかった。
「いかがされますか」
恐る恐るといった様子でその場で彼女が問いかける。
いつまた襲われるか分からない。本来ならこの隙に逃げるのが正解なのだろう。
しかしわたしの足は自然と彼女の方へ向かった。侍女も黙ってそれに付き従った。まだ生き残っている者がいるらしい。うめき声が聞こえてくる。
もう何度も家族や仲間の死に涙を流したか分からない。殺されてもむしろ笑みを浮かべていたくらいだ。涙もとうに枯れ果てたと思っていた。
子供を抱きかかえて横たわる女を見付けた途端、全身の力が抜け落ちる。白い光がキラキラと天へ昇っていく最中だった。
クローバーの支えも取り払って這いつくばりながらその元に向かえば、庇った子供諸共息が途絶えてしまっている。
「ソーレル様」
何をしようとしているのかとわたしの手を止める。わたしの手から持っていた小刀がカラカラと音を立てて落ちる。
わたしの血を与えても間に合わないことは目に見えている。震えた手で彼女の頬を撫でればほんのりと温かさが残っていたがゆっくりと冷えていく。
流れるまま膨らんだ腹を撫でる。
「え……?」
「いかがしましたか?」
「間に合うかもしれません」
「我が君!?」
すぐにわたしはネモフィラの遺体を仰向けにして小刀で衣服を裂いて腹を剝き出しにした。
周囲の者はわたし達のことに目もくれず身近にいた者の死を嘆いたり、逃げる算段を付けようとしている。中には遺体を漁って物盗りをしようとする不届き者もいる。
「クローバー、お湯はありますか?」
「水を汲む
仕方ない。子供とネモフィラが着ていた外套をそれぞれひん剝いて布替わりにする。わたしは彼女の剝き出しになった腹を躊躇なくナイフで切り裂く。
後ろから小さく悲鳴が聞こえてきたが気にする暇はない。傷口から赤い血が滲むがせめて羊水まで溢れないよう浅く裂いていき、己の魔法でどうにか赤子を取り上げるところまで持ちこむことが出来た。
まだ羊水が吐き出せていないのか、わたしは赤子の足を持って逆さ釣りにして無理矢理吐き出させる。妹が子を出産する際に立ち会った現地の産婆が行っていた方法だ。クローバーは今度こそ大声で悲鳴を上げようとしたので視線で黙らせた。
ある意味危機的状況で生存本能が動いたか、赤子は産声を上げるのを確認すると私はすぐに抱えなおし子供の口を布で抑える。
腹を切り裂いたネモフィラを弔う時間は無かった。赤子は子供の外套で事足りそうなのでネモフィラの外套を隣にいた子供と一緒に被せてやる。
「急ぎましょう」
「っはい」
不安げなクローバーを嗜めながらその場から逃げる。
赤子を抱えながら夜通し走るのは久しぶりだった。赤子を抱きかかえながらそれからのことを考えた。
途中川沿いに来たが、その子供は早産だったせいか次第に弱っていた。
「我が君……」
赤子には罪がない。クローバーも近隣の家に住むヤギを勝手に拝借しては乳を貰ってきたようだがそれを与えようにも、子供は飲み込んでくれずそのままたらりと口から零れる。
私は小刀で己の指を切ろうかと考えたがためらう。
あの時はまだ血を与えられた本人に体力があったから生き返ることが叶ったのだ。だがこの赤子は明らかにわたしの血に耐える体力が無い。
『お前の魔法は人に向けてはいけない』
以前父から言われたことだ。もう何度も無視しているが今更その言葉が頭に過る。
わたしの魔法は使い方によっては動物の姿形を変えることが可能だ。そういうこともありわたしは人間の身体を作り変えることは父から禁じられていた。
「……わたしの魔法を一部差し上げます」
クローバーが抱きかかえている赤子の心臓に手を当てる。
生まれたばかりの赤子の心臓に己の魔力を注ぎこみ、魔力核を己と同じように作り変える。初めてのことなのでどうなるか分からない。禁忌であることは分かっていた。
しかし弱り切っていた鼓動は徐々に強くなる。あうあうと喃語を上げ始めたのでクローバーが咄嗟に匙でヤギの乳を与えると飲み込んでくれるようになった。
「飲みました!飲みましたよ我が君!」
クローバーは年相応にはしゃぎ、わたしは自然と安堵の息が漏れる。
そして空が白じんで来た頃子供の全貌が明らかになった。父親の色を引き継いだのか、水色の毛が頭皮から薄っすらと見えた。
「目の色も水色でございますね。母親に似たのでしょうか」
「……そう、かもしれませんね……」
しかし子供は泣き始めたのでクローバーは慌ててわたしに子供を渡す。寝心地が悪かったらしくすぐに収まった。
「流石我が君。慣れていらっしゃいますね」
子供に罪はない。しかし自分の子供がもし手元にいたのだとしたらどれくらい成長していただろうか、この子の兄貴分になってくれていただろうか。
この子に愛情を注げばあの子たちを忘れてしまうのではないかと一瞬躊躇いを抱いた。
訝しんだクローバーがわたしの顔を覗き込む。
「我が君?」
「いきましょう」
「どうなさったのですか我が君」
「ソーレルですよ」
わたしはまた歩き出す。今はせめて、この子が大人になるまでは生きようと思った。
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