母よ、輝く心の喜びよ - 9

とある女

―――

///


 母の死後エライアーとパパルナに、あの二人の記憶と抜き取って欲しいと頼んだ。

 しかしエライアーは両親の記憶を抜き取ったはいいものの、それをわたしに見せることをしなかった。

 パパルナは何か思うところがあるのかエライアーの意見を否定も肯定もしなかった。


 それからわたしは力を制御できなくなったパパルナをはじめとする母の血肉を食べた弟妹達を見て、急ぎ以前より計画していたとある魔術を設計することにした。


 しかし魔術が完成する前にパパルナは生まれたばかりの赤子を連れて島から出て行ってしまった。

 エライアーは相手の『記憶』を読むことは得意だが、パパルナは相手の『感情』を読むことに長けている。

 それは見聞きした事実を照らす【光】と表に見せない感情を隠す【闇】の決定的な違いで二人はすれ違ったのだろう。


 しかしわたしはパパルナが失踪してもその魔術を作るのをやめなかった。


 パパルナを探したいと訴えるエライアーを嗜め、【光】を司るエライアーの他に、【地】のカマイメーロン、【水】のニンファー、【風】のイーリス、【火】のダフニの合わせて5人の弟妹達を礎に縛り付けた。

 一定以上の母の血肉を口にした時点で彼らが不老不死の力を持つのは目に見えていたのだ。それなら永遠の眠りにつく方が良い。

 母を除き誰よりも長く生きていたわたしが言うのだから間違ってないはずだ。


 完成させるのに何十年もかかった。周りは彼らが寿命で死んだのだと思っただろうし、あの礎の仕組みを知っている者はわたししかいない。

 母から生まれた子供たちは皆、寿命がまばらだったということもあり、誰も疑いもしなかった。


 パパルナの変わりははじめはわたしの髪に【闇】の魔力を込めることで補った。

 それ以降は【闇】属性の強い者の肉体で補うようにしたが、母の血肉を直接取り込んでいない者では周りの礎よりも脆く、定期的に核を取り替えるようにするしか方法はなかった。


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「島を覆っているのは『魔術を使うための呪術』です。わたしは【命】を扱うためすべての属性が偏りなくありますが、足りない者が問題なく魔術を使うために作りました」


 【時】と【空】は皆が持っている属性ということもあり必要なかったが、他はそうもいかない。

 全ての魔力持ちが魔法は無理でも魔術で使えるようになれば、父が出来なかったことが達成するとそう信じていた。


「……それをする理由は、女神を……おばあ様を復活させないためですか?」

「……」


 そうかもしれないしそうではないかもしれない。

 生きるという行為は現象の一種だ。魂と肉体はその化学反応で生きるために一緒になっているだけで、本来は別物だとわたしは思っている。生物は何度も生と死を繰り返して巡るのにそこに記憶は付随しないからだ。

 もし母の魂を持って生まれたとしてもその者は別人だろう。父のように記憶を持って生まれているのなら話は別だが。


 彼の握る手は震えていた。母を恐れているのはこの世界でわたしだけだ。わたしと母の確執を知っている者は既に儚くなっているから誰も知らない。

 ベトゥラは魔法の影響かわたしの感情を汲み取っているようだが、理由までは分からないのだろう。


「わたしを恨みますか。ベトゥラ」

「己の感情で殺そうとしてもあなたに敵わないのは十分理解している」

「でも今ならあなたはわたしを殺すことが出来る」


 今のわたしには魔力を封じる首輪を付けている。男のベトゥラなら女のわたしを一刺しするくらい容易い。

 今は死ぬつもりは無いが、彼の怒りを受け入れるつもりでいる。その気持ちですら彼にとって恨めしく思うかもしれない。

 島にいるわたしはなぜか良かれと思ったことが裏目に出ることが多いから。


「それでもあなたはすぐに復活するでしょう」

「はい」


 こればかりはどうしようもない。わたしは幼い頃から母の血を飲み続け、最期は全て飲み干してしまったせいで黒かった瞳は真っ赤に染まり、わたしは中途半端に女神と同等の肉体を手に入れてしまっている。


「ならば、どうして、あなたは生きているのです!?父を縛ったように、あなたも礎となって永遠に眠ればいい!」


 まだまだ若いなと呆然と感じた。

 ベトゥラの肉体年齢は17くらい。ヴァイオレットとベトゥラは繰り返し大陸の様々な土地を回って魔力を注いできたため、眠っている時間の方が長いのだから当たり前だ。


「……母を、両親を待つと約束したのです。わたしが死ぬのは両親が和解した時です」

「意味が、分かりません……」


 弟妹達を犠牲にしてまで封印しておいて何を言っているんだと思っているのだろう。

 己が歪であることは十分承知していた。


「許さなくても構いません。わたしは、わたしが正しいと思ったことをするだけですから」


 歪んだのは彼の顔だった。



―――



 その後わたしは己の後継者としてベトゥラを選び、彼を視察と称して国内を走り回らせた。その理由はエライアーによく似ているからという単純な理由だ。

 それに彼の魔法はエライアーとパパルナの能力を引き継いでいるのは色々と都合がいいだろう。


「いくらに継ぐ権力を持てるようになっても、正直嬉しくありません」

「こちらも趣味の時間を控えて教育しているのですから我慢してください」

「そういう意味で言ったんじゃないんですが」


 父親を封じたわたしへの恨みは未だ整理できていないようだが、彼とはこれまでと同様に接している。しかし線引きはされるようになったのだが。


 まだ若く、感情も育っていないということもあるので、予備だと称して他数人の若者の候補者も選んでまとめて世話することにした。

 この時代に生まれた民の、特に長らく種族をまとめていた者はあまりいい顔をしなかったが、生き残った弟妹達が彼らを諭したので口を出すことはなかった。それでも歯向かいわたしに刃を向けてくる者は一瞬で殺したり、権力から遠ざけた。さすれば更にわたしの独裁状態が出来上がった。

 他の候補者に対しても、将来は王にまではなれなくとも彼を補佐する重役になるなり、地方で種族をまとめる長になることも出来ると道を示しているので、お互い切磋琢磨してくれている。種族の偏りもないので将来的には仲良く協力して運営してくれればと思う。


 その間も種族間のいざこざが起きたのでその度にその場所へ向かうのは骨が折れたが、瞬間移動する魔術を編み出せばかなり楽になった。魔力消費が激しいので遠距離を使えるのは今のところわたしだけだが、何処からともなく現れる神出鬼没な暴君に民は更に恐れをなした。


「いくらなんでもこき使いすぎでしょう……!」

「わたしとてあなたに後ろめたさはあるのですよ……忘れ形見に目にかけてやりたいと思うのはおかしいでしょうか」

「……っ」

「それに、あの魔術について知っているのはあなただけなのです」


 ベトゥラはそれを聞いてごくりと唾を飲む。今でこそ色々魔術的な機能を追加しているが、礎の正体を知っているのは今のところベトゥラ一人だけだ。おかげでベトゥラは暴君に唯一寵愛を受けている者だと周りから認識されている。


 以前、彼の父であるエライアーのいる礎に連れて行けば、彼は途端に子供のように大泣きし、しばらくエライアーを閉じ込めている魔石にしがみついて離れなかった。今も定期的に視察のついでに見に行っているらしい。墓参りのつもりだろうか。

 ベトゥラが正式に王として上に立てば、礎の正体を他の者に教えるのは自由にしろと言っているが、あの様子ではおそらく誰にも教えることもないだろう。


 それから五年ほどしてわたしはまた大陸に行く機会が巡ってきた。


 これまでもぽつぽつと手紙や文書などの書類や両国の使者を通じたやり取りはしていたが、実際に以前の偽物の使者の件で謝罪文書を送られてきた以来だ。


 今度こそ国の要人が来ることになっている。宰相という王の補佐をする役職の者だと聞いているが本当だろうか。


 内容は大陸国の友好を示すための会談だ。今回は北の国が乗っ取った属国の首都を案内するということもあり陸地の移動も長いので島を離れる期間が長い。

 それに表向きは友好を示すものだが、あちらの国も兵士の管理が杜撰なところがあったので実際のところ油断はできない。


 とはいえ前回わたしも正体を見せているため、今回はわたしも見栄を張るために無理矢理成長させなくてもいいだろうと思っていたが、身の回りを世話してくれる女たちの目がぎらついているのはなぜだろう。


 今回ベトゥラは念のため留守番させることにした。未だ足りないところはあるが彼なら問題ないだろう。

 不在の間の打ち合わせで最後にベトゥラから質問をされた。


「我が君、もし例の文官がいたらどうするのですか」

「あちらから接触しなければそのまま素通りするだけです」

「向こうからきた時は?」

「……あちらが何を考えてわたしに接触するのかが分かりませんから……」


 あの時は本当にわたしをどうにかして民の中に縛り付けることに必死だったのかもしれないが、あれは未だに許せずにいる。

 一発孕ませれば残ってくれると思ったのではと淡々と言えばベトゥラは残念なものを見る目をわたしに向けてきた。なんなのだ一体。


「御子のことは何も言うつもりはないのですね」

「必要がありません。過ぎたことですし彼にはわたしが石女だと話していたのにややこしくなります」

「……」


 あの時の実行犯も何も知らないと言ったのだ。魔法を使ってみても同じだったし、他にも手がかりを探したが見つからず終いだ。彼が子の手がかりを持っているとも思えない。


「簡易ですが転送魔術を作りましょう。魔石は必要かもしれませんが木札の一つくらいは飛ばせるかもしれません」

「……分かりました」


 それでも遠隔で念話が出来る彼からすれば心許ないはずだ。連絡手段を考えなければならないなと思考を巡らせた。



―――



「今回は本来の御姿を見せてくれないのですね」

「……所詮ただの見栄です。そちらもこの姿の方が話しやすいのでは」


 結局今回も大人の姿で参加しろと譲らなかった。魔力を放出するくらい別にどうってことはないが、見栄を張るために重い衣装を纏うのはしんどい。

 衣装合わせをする際も思ったが島の女たちはわたしが怖くないのだろうか。もう少し我儘に振舞えればよかった。


「なるほど。……では改めまして、お初にお目にかかります。急遽代理をすることとなりましたナルシサスと申します。北では宰相の補佐を勤めております」


 恭しく頭を下げる彼にわたしは内心頭を抱えた。

 変装するのをやめたのか髪は染めていない白髪を晒し胡散臭い笑みを浮かべるのはまさに例の文官様ご本人だった。


 前回の会談から約五年。わたしが遊牧の民を離れてだいたい六年くらいだろう。出会った当時は14だった彼も20を超えたのだなと伸びた背と大人びた顔付きを見て思う。


 宰相は移動中、急用が出来たとかで帰国せざる得なくなったらしい。

 今回の対談場所は北の国の属国だ。属国の長もおり、数年前までは少数民族から逃亡生活していたわたしが参加するにはかなり釣り合わない催事である。


「どうかわたくしのことは『鏡』とお呼びください」


 断固としてわたしは他者に名前を教えるつもりはない。

 今わたしは周りから『姉様』『伯母上』『主様』などと呼ばれているが、最近はわたしの名前になぞらえて『鏡の君』、またはそれに転じて『我が君』と呼ばれることが多くなった。

 自分の顔を見たくないから鏡は好きではないのだがわたしの花の別名が『鏡草』らしく納得した。

 『赤』は女神に冠するものだと教えているので周りもそう呼ぶことはないのは安心した。


 わたしの花を知っている者は多いが、両親から呼ばれた本当の名前を知っているのは弟妹達と母が生きていた頃にいたベトゥラなどの甥姪くらいだ。

 己の名前にコンプレックスを持っているわけではないが、呼ばれるつもりはもっとない。


 こちらが偽名を名乗ったことに、あちらはあからさまに残念そうな目で見てきた。名前を呼ばれたくない。


 それから事前に話した通り、今後の交友関係について何度か話し合い、食事会や宴会を行う。そしていくつか視察を行うことになった。


「では鏡の君、お手をどうぞ」

「……」


 そう言って白い手袋を纏った手を差し出されるがちらりと周囲を見る。この男から随伴エスコートされるのはあまり嬉しくない。

 しかし今まで使者として勤めた経験のある文官からは肯定の合図をされる。

 この場合手を取るのが礼儀というものだろう。仕方なく彼の手に黒い手袋を纏った自分の手を乗せる。


 お互いに手を繋げば歩調を合わせて脚を進めた。


『君はマグノリアだろう?』


 確信を持った感情で聞いてくる。今更、どの面下げてわたしの前にやってきたのだ。


『……わたしはマグノリアではありません』

『それが本当の名ではなないことは分かってる。でもネモフィラ達が呼んだ名前はマグノリアだっただろう』

『人違いではありませんか』

『君と話す時間が欲しい』


 無視をすることを決め込んだ。



―――



 滞在中宴会続きではあったもののそれらを何とかこなし、ようやく自由な日が来たので滞在している館の中を散策する事にした。

 しかし同じく休みだったのだろう、何故か彼から「館の散策ですか共に回りませんか」とわたしに誘ってきた。


「この魔術は温度を下げる仕組みがあるようですね。私の故郷にも衣服に刺繡する魔術陣がありますが」

「まぁ、どちらも興味深いですね。こちらのは水路で循環しているからだと思っていましたが……」


 和やかに会話が進んでいるはずだが、後ろでは付き添いの文官と二人の護衛が堅い表情で見守っている。わたしが臨戦態勢を取っていることを察しているようだ。

 大方ベトゥラがわたしを抑えないと他国の者を殺してしまうと彼らを脅したのだろう。

 わたしは逆鱗に触れるとすぐに人を殺す暴君だと思われている。やらかした前科が二つほどあるのでそう思われても仕方ない。


 しかしナルシサスは飄々とした態度でわたしを案内するが、あちらの二人の部下も心なしか危機感を抱いているように見える。相手国も表向きのわたしの情報を知っているからだろうか。

 なにやら部下同士で同情めいた視線を送り合っているが何故わたしと彼ではなくその部下が仲良くなっているのだろうと遠い目になる。


『……前回見せた魔石は、赤毛の、君らが竜人族と呼ぶ者たちから献上されたモノだ』


 一瞬手を離しそうになるが、あちらに手を握られているので叶わなかった。


『また新たな魔族……新種を奴隷にするのですか?』


 獣人だの新種だの化け物だと色々呼ばれていたせいで混乱する。差別しないように名前を統一しようとしているのだが、何も知らない彼らに話すのは面倒である。

 それにわたしが明らかに動揺したせいかわたしの反応を固唾を飲んで見守っている。


『好ましいと思わないだけで、必要あれば流石に話はする』


 ならば、どうしてヴァイオレットは殺されなければならなかったのだ。殺した本人では無いが憤懣ふんまんやるかたない。


「……この国で咲く植物に興味がありますね」

「貴女のような美しい方に似合う花は中々ないのでは?」

「道端の花でも美しいものはたくさんあります」


 お互いに微笑み合う。分かっている。彼は二人きりで念話がしたいのだろう。

 しかし正直今の彼の様子がおかしいので関わりたくない。


 おそらく相手国も彼の魔法を知っているはずだ。その様子からして本気ではないだろうが、わたしを垂らし込んで情報を抜き取ろうと考えているかもしれない。

 早く帰りたいのだがとさりげなく文官に視線を送れば気まずそうに視線を逸らされた。宴会の時は色々フォローしてくれたのに薄情者め。


「植物園……とまでは行かなくとも、花を愛でる場所はあるでしょうか。庭師からも話を聞きたいです」

「それならこの館の温室も素晴らしいと聞いています。いかがでしょう」

「喜んで」


 その言葉で文官が去った。今は館の中の散策となっているが、お茶など多少の準備は必要だろう。侍女に伝えに行くなんて申し訳ないことをした。逃げる隙を与えてしまったので。


「こちらは医学の進歩が乏しいですから、薬の材料になるものがあるか気になりますね」

「流石、民へのお心が厚い」

「……」


 上っ面の会話をして表向きは終わったように見えただろうか。

 温室に向かう途中も彼のエスコートを受けた。


『なぜあの種族だけを追いやったのかを聞きたい』


 ほら、こちらの情報を聞き出そうとしてくる。


『……あの者達がかつてわたしの妹を喰らったからです』

『君は家族のことばかりか』


 当たり前だ。それはあなた達も同じだっただろう。


『……彼らが妹を食らった目的はわかりません。ですが彼らはわたしも取り込もうとしていた』

『……』


 念話もすこし途切れる。なにを考え込んでいるのだろう。想像すらしたくなかった。



―――



 温室に入ると、館で働く侍女から植物の説明をされながら回った。千年前には無かった品種も植えてあったのは興味深かった。

 一通り回ると用意された椅子とテーブルに座り茶を嗜みながら花々を鑑賞する。

 温室の植物は鑑賞用ばかりだったから流石に薬草になるのは少なかった。


「先程の部屋では魔術に関心を寄せていたでしょう。これを試してみませんか?」

「それは?」


 懐から取り出した紙には魔術陣が書かれている。

 興味はそそられるが、何を目的としているのかが分からない。ただどんなものか気になる。


「開発中である魔術道具の原型です。……人の魔力によっては使えないのが難点なのですが」

「開発中と言いましたが、それをわたしに見せてもいいのですか?」

「これを見せた所で我が国に影響は出ませんから」

「自信がおありなのですね……どういった魔術なのでしょう」


 その魔術は大まかに見る限りでは主に闇と風の属性が使われている。使えないのは使う本人にその属性がないからだろう。

 しかし風は本来砂や雪でも巻き込まない限り目に見えないものだ。どういった用途で使うのだろうと分析したくなったが控える。


「試してみては?……あぁ、攻撃の意図はありませんのでご安心を」

「益々興味深いですが……」


 周りは不安げだ。わたしはそう簡単に死ぬ訳ではないが、周りにどう影響が及ぶか分からない。

 そちらもそれに気付いたのか簡単に説明した。


「魔術陣に触れた者の声が周りに聞こえなくなります。複数の人間で触れた場合はお互いにしか聞こえません」

「防音、盗聴防止……堂々と内緒話をするにはうってつけですね」


 自分の魔法を明かさない代わりに魔術を出してきた。

 純粋に心配している顔、どんな会話がされるのか興味深い顔、情報を引き抜かれて足元が掬われることがないかハラハラしている顔。わたし達との会話を聞いている控えの者達は三者三様の感情を持っているのだろう。


 あちらが先に魔力を当てると魔術陣はほんのりと光り出した。

 わたしもそれに倣って魔術陣に触れる。


「やはり君は使えるみたいだ」

「……本当に周りには聞こえないようですね」


 ちらちと周りの様子を伺い、彼らにも聞こえるよう手を離した状態で言う。周りの声は聞こえるのに自分たちの声が届かないなんて奇妙な状態だ。

 それに驚く余裕もなく、また魔術陣に触れるとナルシサスはすぐに本題へ入った。


「竜を迫害したのは、彼らが君を付きまとっていたのを察していたからなのか……?」

「……それは……どういう意味ですか」

「いいや、違うならいい」


 一瞬表情が動いた。視線で話を促せば彼は直ぐに話を変えた。


「あの夜のことは申し訳ないと思っている」

「こうして謝ってくるのは二度目ですね」


 ヴァイオレットに矢を穿ったこと。自分がやった訳じゃないのに、ネモフィラに変装して彼はわたしに謝った。

 どうしてネモフィラに謝罪させなかったのか、それとも彼女がそれを拒否したのか考えたくもない。それは今となればどうでもいいことだ。

 そう言い聞かせ罵倒する言葉が出そうになるのを歯奥を食いしばって堪える。


「……君を殺せと言った人はもう何処にもいない」

「それでもわたしは、あなたがしたことを許せません……こんな場がなければ会いたくもなかった」


 魔術陣から手を離そうとしたがそっと上から手を重ねられる形で止められた。


「まだ何か」

『……僕は君の事を愛していた。けれどネモフィラを捨ててでも君を追いかける事が出来なかった……君が家族を優先するように』


 魔術で聞こえないはずなのに、彼は敢えて嘘が言えない念話で伝えてくる。


「ネモフィラは、ほかの皆はどうしたのですか?」

『戦争に巻き込まれて散り散りになった。今は生きているかも分からない』


 今度こそ手を離す。


〈君は、現状に不満は無いのか〉


 彼の呟いた言葉が聞こえないふりをして魔術陣から手を離した。自分の部下たちへ部屋に戻る合図をする。


「少し休みます。本日は良い時間でした」

「……それは良かった」


 あちらもそれ相応の表情で取り繕う。もうわたしは彼の知るマグノリアに戻れない。

 わたしは温室から出ていき、わたしの前後に護衛。右側に文官を配置させた形で廊下を歩いて行った。


 階段を上り、滞在している部屋の階に向えば窓の向こうから魔力の気配を感じた。


「我が君!」


 すぐに気配を察知した護衛がわたしのことを庇う。瞬間、フロアの窓がすべて割れ、暴風が舞った。硝子の破片が肌を掠めた。


「竜人族!?」


 すぐにわたし達は元来た通路へ逃げる。階段を下り、周囲に人がいなくなった辺りでわたしはすぐに周囲を見る。


「我が君、血が!」

「わたしのはすぐに治ります。それよりあなたの方が重症では」

「問題ありません」

「傷を見せなさい」


 付き添って来た彼らの傷を癒しながら今後のことを考える。

 この騒ぎではきっとわたしの客室も荒れているだろうが、部屋を整えるために離れていた侍女は無事だろうか。

 館の主に助けを求めるか。いや、この場所が敵の胃の中だとしたら助けを求めることが出来ない。


『竜人族を保護したのですか?』

『むしろなぜあの種族だけを追いやったのかを聞きたい』


 竜人族は北の国に従っていると思っていた。これはわたしへの報復だろうか。

 守るにしても移動しながら壁を作る魔術は作っていないし、そもそも手持ちの魔術陣やお守りが無いのだ。描くにも時間がかかる。相手に武器を向けない意思を見せるという点では間違い無いだろうがこんな堂々と敵襲が来るなんて誰が思うだろうか。

 そんな中文官が提案した。


「使用人用の通路を使いましょう」

「分かるのですか?」

「館の内部は把握しております」


 わたしは兎も角彼らが危険だ。

 文官の提案を呑み、わたし達はすぐ下の階へ向かう。文官が廊下の壁に手を当てると壁の一部が開かれた。隠し扉になっていたらしい。

 必要最低限の灯りしかない薄暗い廊下を歩き、まずは館の外に出ようということになった。

 途中文官が誰かと連絡を試みているようだったが侍女は無事だったろうか。


「この先が出口です」


 前を守る護衛が先に出て安全を確認した後外に出る。うっそうとした空気から解放され、外の光に少し目を細めた。


「ごめんなさい、


 何もないはずの場所から腹部を貫かれる。傷口から飛び散ったわたしの血液が見えない者に付着した。

 わたしの後ろにいた護衛が突然の事態に慌ててわたしを支えようとするが、その刺した本人を見て更に戦慄した。


「ベトゥラ様!?」

「……」


 島で留守居役をしていたはずのベトゥラが目の前にいた。

 先ほどまで姿を隠すために魔法を使っていたのか左目が、剣に染まった血の色と同じ赤に輝いている。魔力を使っている証拠だ。

 立っていられず、眩暈も相まってその場に崩れ落ちた。


 突かれたことで肺も傷つけたのだろうか少し咳をすれば口内で鉄錆の味が広がる。

 痛いには痛いがこの状況がなんだか面白くて、「魔法を使ってください!」と必死に訴えながら傷口を抑える護衛の声。黙ったままの文官。ベトゥラに武器を構えるもう一人の護衛。その様子が何だかおかしくてわたしは思わず口角が上がった。

 竜人族は、文官も彼と組んで計画していたのだろうか。どこまでが彼の計画の範疇だったのだろう。


 無言で涙を流し跪く彼にわたし手を伸ばした。


「言った、でしょう……殺すなら、誰もいない場所にと……」

「……何度も言いました。そんな事したって気が晴れるわけない」


 皆は目を大きく見開いてさらに動揺する。これはベトゥラには以前より話していたことだ。

 こんな巫山戯たお家芸に他国を巻き込みたくなかったのだが周囲も異変に気付いて次々と足音が響く。護衛の叫び声が響いたのだろう。先ほど敵襲があったはずなのにそれでもこちらに人員を割く余裕があるのだなと呆然と考える。

 周りはわたし達の姿に目を見開きつつもわたしを介抱しようと奔走しはじめたところでやってきたナルシサスはこの惨状に目を見開いていた。


「これはどういうことですか!?」


 しかしベトゥラははっきりとわたしを見据えて尋ねた。


「記憶が戻りましたか」

「はい……すべて……」


 わたしは一度あの白木蓮の地で自死した。

 なぜ自分が眠りについてからの時系列がはっきりしていなかったのか、なぜ目覚めてから多くの弟妹や甥姪達が生きているのかが分からなかったが、彼らは女神の血を飲んで狂ったわたしのせいで一度死んだからだ。

 その有様はもう二度と思い出したくないが、そこら中赤い血が飛んでいた。


 我に返ったわたしは彼らの魂が抜ける前にわたしの血を与えた。一か八かだったが彼らの心臓はまた動き出し、永い眠りについてから目覚めたようだ。

 目覚めたばかりのわたしが貧血だったのも多くの血を流したからだろう。


 しかし当時生き残った家族はわたしの存在を恐れた。わたしはその衝撃も相まって遠い地で自死することに決めた。

 わたしを黒い箱に入れてくれたのはヴァイオレットだろう。彼女が駆け付けて来た時にはわたしはもう己の首にナイフを突き立てていた。


 なぜ今まで忘れていたのかと言えば、単純に唯一生き残ったヴァイオレットからその記憶を丸ごと封印されていたからだ。

 彼女が千年以上経った先でも彼女が生きていたのはきっとわたしの血液のおかげだろう。


 ヴァイオレットと再会した時も頭痛の回復ではなく記憶を封じることを目的としていた。


 言動からして都合よく記憶を改ざんするつもりでもあったのかもしれない。

 何もかもを忘れ、もう一度あの島で以前のような日常を過ごしたかったのかもしれない。

 だがそれはもう泡沫の夢である。彼らに寿命がある限りそれは叶うことはない。


「早く、止めを刺しなさい」

「…………オクサリス女王陛下……貴殿は、女神の長子であることを笠に着て、数々の暴挙を起こしました。……よって……私は貴女を断罪する」


 剣が心臓に向けられる。もう本来なら死んでもおかしくない。酷い演技だと笑った。


「よく、できました……」


 次目覚めるのはいつだろう。わたしはそのまま意識を手放した。


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