母よ、輝く心よ喜びよ - 5

とある女

――――――



 昨日ナルシサスから言われた話にわたしはどう反応すればいいのか分からなくなった。

 初耳の情報に困惑するわたしにナルシサスから謝られたが、わたしもどうして困惑したのかが分からなかった。


『自分の妹ですよね……?嫌じゃないのですか』

『いいや?むしろ、俺はイキシアが妥当だろうと思うけど』


 あれは妹を自分の幼馴染に任せられることに安堵しているようだった。

 幼い頃に両親を亡くして二人で懸命に生きていたのだ。むしろ幸せになって欲しいと願ってのことだろうから、ナルシサスは悪くない。


 しかしわたしのこれは一体なんだ。

 わたしはおそらくこの感情を知っているし、体感したことがあるのだろうか。


 ナルシサスの手伝いを終えた後、わたしはネモフィラの前で取り繕うことが出来ただろうか。


『お、マグノリア。おつかれ。ナルシサスとはどうだった?』

『知らない薬草や治療法を知るのは楽しかったですよ』

『おー……そっか!』

『?あ、ネモフィラ、イキシア。そのナルシサスから聞きました』

『なんだ?』

『……なあに?』

『婚約おめでとうございます。言ってくれれば良かったのに。水臭いですよ』

『ごめんなさい……恥ずかしくてナルシサスにお願いしちゃったのよ』

『あ、あぁ、あれか!ネモフィラは昔から一緒だからあんま実感無いけどな。へへ……』


 その日の夕食はネモフィラと顔を合わせることが出来なかった。



 そんなもやもやした状態で迎えた朝、自分のテントの中で朝食を食べ、毎日の日課である仕事を終えると、魔石を採掘するという口実で白木蓮のある場所に立ち寄ることにした。

 今いる拠点から私が目覚めた洞窟まではそう遠くない。普段なら二人以上で行動するのだが、近くだから一人で向かうことにした。

 一人の方が正直行動しやすいというのもあるのだけれど。


 歩きながらゆっくりとあの二人に関する記憶を振り返る。

 二人は喧嘩ばかりだったが、喧嘩するほど仲が良いというものだろうか。冬の町でも、イキシアが選んだのはネモフィラの手だった。

 それについてナルシサスは気を遣っていると言っていたが、二人がナルシサスを一人にしないようにする気遣いなのだと今更納得する。


 しかしどんなに考えてもわたしの胸の内にあるもやもやは晴れることがなかった。


 洞窟に辿り着き、いくつか取れそうな所から魔石を掘り出しながら最奥に向かう。この時自分の目で魔力を見れるのは楽だなと思う。

 最奥では吹き抜けのように上から空いた穴から光が差し込み、ちょうどその光の下にあの白木蓮が咲いていて、その下には黒い縦長の箱が置いてあった。

 以前彼らが言っていた通り、この領域だけこの土地の夏よりも高い気温を保っているようで、本来この土地に咲いていないはずの草花が育っている。


 黒い箱には土や枯葉がほとんど被っていないことから、もしかしたら定期的に様子を見に来ていた者が居たのかもしれない。

 しかしどこを探しても花が狂い咲くくらいに気温を一定に保つ魔術なんて、どこに施されているのか。

 わたしが眠っていた黒い箱を開けて見ても、中身はふかふかに綿が詰められた白いマットが入っていること以外何も無い。蓋の裏に魔術陣が刻まれていたが、この魔術陣は読み解く限りこの空間の温度を維持しているというわけではないだろう。


「〈我が力、万物の元へ還り給え〉」


 試しに詠唱付きで魔力を流してみたがなにも変化が起きない。魔術陣は【時】の属性しか書かれていないことについて少々気になったが、頭がちりりと灼ける痛みがしたので一旦考えるのを辞めた。

 黒い箱は大理石で出来ているようで、質も良いように見えるし、長期間置くことを考慮した作りになっているようだ。箱の下はなにか魔術が仕組まれていないだろうかと思ったが、石の箱なので流石に一人で動かすことは出来なかった。


 今度はすぐ隣に植えてある白木蓮の下を、魔石採取のために持ってきたツルハシで掘ってみるが、根っこが見えるだけで特段何か埋まっているようには見えなかった。


「っ……!」


 一瞬手を緩めるとすぐに手に激痛が走る。

 両手のひらを見れば豆がつぶれている。周囲を見れば穴は既に自分の腰の辺りまで深くなっていた。

 手の痛みを自覚すれば疲労と脱力感を覚える。穴から抜け出しては既に蓋をしてある黒い箱の上にどさりと腰を下ろす。勢いよく座った為に若干臀部が痛い。

 徐ろに両手を出して握ったり開いたりを繰り返す。


 この怪我もわたしの魔法で癒える。しかし今は癒す気にはなれなかった。


 ここに来てから既に三週間は経っている。焦っている自覚はあった。手がかりはここ以外にもあるはずだからここに居ても仕方がないのは分かっていた。なのにこの場所から離れて彼らの元に行くのが怖い。


 記憶が戻ればわたしが何者か分かるかもしれない。帰る場所も分かるかもしれない。

 今のわたしの居場所は不安定で、集団の中でも異質な存在だ。わたしは一体何者なのだろう。

 記憶にない故郷が恋しく思ってしまうほどわたしは不安になっていた。


「〈いっそ、呪詛でも吐けば晴れるでしょうか……〉」


 無意識に古い言葉で愚痴がこぼれる。


 ぴちゃんと黒い箱に水滴が落ちる音が先導するように、辺りを濡らした。雨だ。帰らないと皆が心配するなと思う反面、なんだか帰りたくなかった。

 雨はすぐに本降りになり、吹き抜けの岩壁に水が伝う。この空間全てが水で滴る。わたしの体がずぶ濡れになるのもそう遅くないだろう。

 この常春の空間に降る雨はとても冷たく、自然と頭が冴え渡ってくる。


 普段はちりりと灼ける脳の奥で誰かとの思い出のようなものが聞こえてきた。


『辛い時、歌を歌うのですわ。雨が降る日は雨音に紛れて何も聞こえなくなるから都合が良いのですのよ』


 そう言って笑みを浮かべた妹がいた。

 脳が灼けるような痛みは雨によってほんの少しだけ冷やされてた。


「――ラー、ラーラー、ラー、ラーラララー、ラー」


 わたしが知っている歌声とは程遠いけれど、無意識に紡いだ旋律が吹き抜けの洞窟の中で雨音と共に響く。


『何も考えず風になるの。そうすれば勝手に舞うことができるわ。……それはただ飛んでるだけだって?わたしが気持ちよく飛んでいたらそれは舞ってるの!』


 そう言って風になることを喜んだ妹がいた。

 靴や靴下を脱いで裸足になり、重い外套や毛皮や荷物などは全て外し、身軽になった恰好でゆったりとした仕草で両手を広げる。


『姉さんは、机に向かっている時ほど熱がある。私はそんな姉さんを好ましく思うよ。く、口説いてない!素直に褒めただけだ!!』


 そう言って照れた弟がいた。

 身体になんだか熱がこもり、自然と詠唱を旋律に乗せて口ずさんでいた。


「〈我が力と共にこの祈りを捧げよう〉」


『姉さんは、ボクらにとっての道だ。大地は踏み締めなければ道にならないだろ?姉さんが踏み締めてくれなければ今頃ボクらは化け物の集まりだと周りから蔑まれていた』


 そう言ってくれた穏やかな弟がいた。

 素足で草花の上を踏み締め、かかとを上げてくるくると回る。

 穴掘り作業で緩んでいた髪はすぐに解け、はらりと視界に揺れる黒髪が雨で濡れた頬に張り付く。


「〈我が元に集まり給いし此の力、我らが母へ捧げよう〉」


『言葉は全て力を持ってる。呪いにもなるし祝福にもなる。……なに当たり前なことを言ってるのかって?姉上は言葉が足りない。この前も訳が分からなくて妹が困惑していましたよ?』


 そう言ってわたしに叱った弟がいた。

 濡れたスカートがわたしの脚に張り付くが、それも厭わず脚を広げ、腕を動かす。

 自分の体から魔力が漏れるのを感じる。魔力が虹色の光となり、動いた軌跡を残していった。


『私は、私が言ったことが呪いになるのが怖いから闇に隠すように、伏せるのです』


 自分の思いを告げるのを恐れた妹がいた。

 それでも、この望みを聞いて欲しい。


「〈我らが神よ、どうか我の声を聞き届け給え〉」


 自分自身が徐々に見えない何かに縛られていくような感覚を覚える。

 足元の小石を踏んだのか足裏が痛い。周りを見ていなかったせいか、手の甲に白木蓮の枝が引っかかり、傷から僅かに鮮血が散った。


 それでもわたしは歌い踊った。


「〈我が血潮、母の愛する大地へ還そう〉」


『――あなたは、わたしと同じだと思ってたのに……』


 わたしの想いを告げた時の母の返答は諦めだった。

 ちりりと脳が灼ける。あれは絶望と羨望と諦観を浮かべたような顔だった。


「〈愛憎の果てにこの血潮は

 果てに皆を温める火となり

 果てに踏みしめる大地となり

 果てに慈愛の雨となり

 果てに風となって巡り

 闇で包み、光となって我らを導く

 生命を育み、万物を愛した〉」


 吹き抜けの天井から覗く木漏れ日に目を細める。緑の隙間から青空が垣間見えた。


「〈だがその愛は我が心に在らず

 ただ一人の誰かのためにあり〉」


『お前の母は、決してお前を嫌っている訳じゃないんだよ』


 そう言って母を庇う父がいた。それでも、お互いの気持ちを分かり合える気がしなかったから、別離を決めた。


「〈我はその愛をここで裏切ろう

 故に我は母へこの血潮を力と共に還す〉」


 歌い終えると同時に両手を天に上げて何かを捧げるようなポーズを取ると、体内の魔力が放出されキラキラと白く輝き天上に登る。あの光は魂ではなかったのか?


「〈おば様……?〉」


 突然声と共に現れた存在に、わたしは思わず肩をビクつかせる。

 目の前には切羽詰まった様子で肩で息をする人間がいた。外套のフードを被ってるが体格から少女だろうか。しかし外套の隙間から見える狼の足を見てわたしは体をこわばらせた。獣人だ。


「〈やっぱりそうだ……!お久しぶりですおば様〉」

「え……?」


 鈴の音が転がるような声で古い言葉を流暢に話し、駆け寄ってきた少女は15、6歳くらいだろうか。

 笑顔の隙間から鋭い犬歯を覗かせながら、雨に濡れたフードを外せばその特徴的な耳がぴょんと顕になった。すみれ色の髪に薄い黄色の瞳を持った狼の少女だった。

 初対面でありながら馴れ馴れしく「おば様」などと呼んで接してくる女性にわたしは後退るが、それでも少女は追及を辞めなかった。


「〈すっごく若返ってますけどおば様ですよね!?わたし、封印から解けてからずうっと貴女が目覚めるのを待っていたのですよ!!知らない内にいなくなったと思ったら、『先見の民』と一緒にいるなんてどういうことなのですか!?まさか研究と称して放浪していた訳じゃないですよね!?〉」

「???」


 近くの村にもその髪色の者は居なかった。装いから見ても現地住民のそれではないし、さっきからずっとわたしにとって馴染み深い言語で話しているのだ。遠方から遥々わたしを訪ねにきたのだろうか。

 彼女の事を思い出そうとするが脳の奥がまたちりりと灼ける痛みを覚える。彼女もわたしは知っているのだろうか。


 ばち、ばちんと頭が弾かれる痛みを覚え、とっさに頭を抱えた。


「〈おば様!?〉」

「〈……手を、あなたの魔法でわたしを診てくれますか……ヴァイオレット〉」

「っ!?」


 大きく目を見開くが、彼女はわたしの手を取らず、わたしの目を見た。彼女の名前を思い出したはいいが全てを思い出したわけではない。

 彼女は何かを察しているようだったが、わたしが記憶を失うきっかけを知っているのだろうか。


 魔法を使い始めたのかわたしの瞳を通じて彼女の魔力が頭に流れ込んでいる気配がするが、わたしの知っているヴァイオレットは人に触れないと魔法を扱えなかった。

 小さかったこの子も成長したのだなと薄らぼんやりと関心している間、彼女はわたしの頭痛を癒してくれた。


 正直、できる限り彼女から情報は引き出したい。

 しかし今ここで動くのは危険だ。

 視線を合わせたまま、わたしは彼女と念話を試みた。


『ありがとうございます……ずっと頭が熱くて痛かったの』


 少女は「〈おば様も記憶を……〉」と呟き安堵したような顔を浮かべる。他にも居たのだろうか。


 この狼の女はヴァイオレット。血筋上、わたしの姪にあたる。

 わたしの記憶は膨大だ。記憶が全て蘇るまでに時間がかかるだろうが、道筋は掴めた。


『わたしのこれは応急処置です。完全に記憶を取り戻すには時間がかかるでしょうが、おば様は先ほど【許しの詩】を歌ったので、眠る度に自然と思い出すと思います。日中も何かしらのショックを受けない限り痛みは起きないでしょう。今はわたしを見たから驚いたのでしょう?』


 同意の頷きを返し、わたしは口を開いた。


『再会したばかりで申し訳ありません。わたしもすぐにみんなのところに帰りたいのだけれど、今すぐには無理なの。見ての通り、とある種族の世話になっていますから……』

『そんな、せっかくお会い出来たのに……!』


 悲しそうに顔を歪めた彼女にわたしは手を伸ばす。

 しかしそんな彼女にわたしが触れようとした瞬間、わたしと少女の前に矢が飛び、すぐに距離を置いた。


「触れるな!!」

「イキシア!?」


 洞窟の入り口の方を見れば、矢をつがいヴァイオレットに威嚇するイキシアがいた。イキシアの後ろには民の男が二人もいる。監視の目から掻い潜ってきたのを忘れていた。

 イキシアはわたしの止めも聞かずヴァイオレットにまた矢を射るが、ヴァイオレットの方は顔を軽く傾ける事で瞬時に避ける。

 対話が不可能だと判断したのかヴァイオレットはそんな男たちを前に短いナイフを取り出して構えた。


「やめてくださいイキシア!」

「離れろマグノリア。あの女に騙されるな!」

「騙シテイルノハ貴方達デショウ?ソレニ、コノ御方ハ、ワタシ達ノ家族デス!!」


 現地の言葉をモノにしていないのか訛りの強い喋りで彼女がわたしを家族だと宣言することにわたしは胸の奥がじんわりと暖かくなるが、警戒して耳と尻尾の毛が逆立っているヴァイオレットにイキシアはやはり「顔も見た目も全くちげぇのに見え透いた嘘つくな!」と譲らない。

 彼女は「〈このガキが……!〉」と舌打ち混じりに悪態をつきつつも、両手を上げ、そのままナイフを地面に落とした。降参することにわたしは内心安堵した。


 しかし未だ警戒を解かないイキシア達とは別の場所から来た矢が彼女の身体を穿った。


「っ!?」


 背中から矢が穿たれたヴァイオレットの口から血が吹き出る。


「〈おば、様……?〉」

「ヴァイオレット!!」


 彼女に手を伸ばそうとするがもう一発、今度は矢がヴァイオレットの頭に突き刺さった。


「あ」


 一瞬だった。しかし唖然とした彼女の顔が二人の人間と重なる。この二人は誰だったか。


 ばちん、ばちん。


 「どうして?」と彼女の視線がわたしに向けられたまま、その身体はどさりと白い花びらを散らして崩れ落ちる。

 崩れ落ちた彼女の傷口からは真っ赤な血がとめどなく溢れ、周囲に生えている花や葉、白木蓮の花びらも赤く染まった。この黄色い小さい花はなんという名前だったったか。


 ばちん、ばちばち、ばちん。


 グラグラする視界で色んな色が見える。


 紫の髪、黄色の目、緑の葉、黄色の花、白い花、翡翠色の髪、つつじ色の目、黒い岩壁、白い髪、金色の瞳、金色の髪、白金の髪、白い肌、赤いスープ、白い髪、緑の目、赤い髪、赤い目、赤い血。


 ばちん、ばちん、ばちばち、ばちばちばち、ばちん!


 水、金、白、紫、黒、緑、赤、黄、赤、金、白、赤、赤、あか、あか、赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤――。


「あ、ぁあ、いやあ”ぁああああ”ぁ”あ”あぁあああ”あ”っっっ!!!!!」


 ばちん。


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