母よ、輝く心よ喜びよ - 3

とある女

――――――



『その時は改めてわたしの名前を教えますね』


 記憶が戻ったら自分の本当の名前を名乗ると約束してからというもの、ネモフィラとは時折念話で内緒話をするようになれば、心の中にある澱が澄んでいくようで、内緒話をする時に繋ぐ彼女の手の温もりに安心すら覚えた。

 そういえばわたしが言葉を覚えるまでは彼女の手が必要不可欠だった。言葉を覚えてから念話の必要がなくなれば必然的に彼女と手を繋ぐことがなくなったのだ。無意識に不安になってもおかしくないのかもしれない。


 不安な時は人肌が有効だ。だけどわたしはその知識を一体誰から教わったのだろう。


 自分の服を完成させたわたしはネモフィラ、イキシア、ナルシサスの四人で街に繰り出すことになった。

 街は建物の商店だけではなく、この時期にしか売らない出店もあるようで、活気に満ちていた。


「この時期でも人が多いのですね」

「そりゃあそうよ。この辺で冬ごもりをする集団は多いし、他の町の商人も入れ替わり入ってくるから売れるものは買い取ってくれるわ」

「なるほど」


 とは言えこんな寒いのに出店をするなんてご苦労なことである。

 聞けばこの場は物の売り買いだけではなく、未婚の若い男女の社交場でもあるらしく、別の集団から嫁や婿を探す者達が父親を連れて色んな集団の人間に声をかけるのだそうだ。


「だから二人は俺らから離れるなよ」


 そう言ってイキシアがネモフィラの手を引いてきたのでわたしは思わず目を見張った。ネモフィラも一瞬戸惑いナルシサスを見たが、ナルシサスが苦笑しながら頷いたのを見てネモフィラはそのままイキシアの腕を掴む。

 しかし今度はナルシサスがわたしに手袋をはめた手を差し出してきたので、困った顔でナルシサスを見上げた。


「ネモフィラは兎も角、わたしを欲しがる殿方がいるのか甚だ疑問なのですが……」

「それは君の主観だろう?中には嫁以外の目的で女を求める奴もいるから、顔や見た目は関係なかったりするんだ。それもあってか本人の意思を無視して無理やり攫う奴等もいるんだよ」


 思わず顔をしかめた。いくらなんでも治安が悪すぎる。


「ネモフィラでもいいですか?」

「……俺だと不安か?」


 「早くしろー」とイキシアに急かされたわたしは、泣く泣く彼の手に自分の手を置けばぎゅっと握られ、そのまま案内するように手を引かれた。イキシアほど強引ではなかったのは幸いだったのだが。

 イキシア達の背中を眺めながらナルシサスはぼそっとつぶやく。


「去年は俺たちでネモフィラの両手を握った」

「仲が良いのですね」

「俺に気を遣ってたんだよ」


 いまいちよく分からなくて首をかしげる。「君は人の機敏に鈍感なんだろうな」と嫌味を言われたのでわざと彼の足を踏んづけてやった。


 出店には木彫りの器や細かい絵が刻まれた革製の鞘に納められた小刀などの工芸品や、既婚者を示すためのアクセサリーも目に入り、これから妻になる女に送るのであろう男が真剣な顔で吟味しているのが目に入った。上手くいけばいいなと心の中で彼を応援した。


 人込みが少ない場所に行けば行くほど高価だったり珍しいものが並ぶ出店が多くなる。

 中には魔石を売っている者も居たが、値札を見れば気が遠くなった。これでは買うのは富豪や貴族くらいだ。


 その出店の中に魔術書が売られているのを見つけ、吸い寄せられるように足が向いたが、「アレは必要無いものだろう?」とナルシサスに手を引かれて引き留められた。

 これではまるでトナカイに繋げる手綱のようだ。彼も同じことを考えたのか「イキシア図ったな……」と呟かれた。まさかあのイキシアはこうなることを予知してこの組み合わせにしたのだろうか。あのイキシアが。

 しかしナルシサスの嘆きはこちらの知ったことではない。さっさと手を離せとナルシサスに笑みを送るが「そうはさせない」とまた笑みを返される。


「あなたが手を離せば解決するのです。離してください」

「それは最初に言った通り君の身が危険だ。それに君は吸い寄せられるように色んな所に視線が行くから迷子になりそうだ。離そうにも離せないよ」

「わたしはそこまで子供ではありません。ナルシサスこそ女性のおねだりに応じてくれないと甲斐性なしと言われますよ?」

「俺ははなから君を甲斐甲斐しくどうこうする気はないし、君が強請るものは大抵貢ぎ甲斐のないものばかりだろう?」

「まさか。例えば装飾品に魔術を施せば良い魔術道具なると思いませんか?ということで――」

「ダメなモノはダメだ。というか君は最近僕らの言葉を一通り覚えたばかりで文字の読み書きはろくにできないだろ」


 しかし魔術は自分の生活を豊かにするには必要だし、読めるように文字も早急に覚えるからと必死に懇願してもナルシサスは首を横に振るだけだった。

 「見てるこちらが恥ずかしくなるからやめなさい」とネモフィラがわたしの空いてる手を引いてこの場から去るまで、わたし達のやり取りを周囲から遠巻きに見られていることに気付かなかった。子供が駄々をこねているように見えたらしい。解せぬ。

 ちなみにネモフィラに同じことを懇願してみたが結局答えは同じで、その時の二人はそろって同じ表情をしていたのでよく似ていた。そういえば二人は双子だった。


 その代わり長老が持っているこの民に伝わる古文書を見せてもらえるよう取り合ってみると言ってくれたがわたしが欲しいのは魔術書だ。わたしの憂いは消えなかったのだった。


 帰りにちらりと路地裏を覗けば、寒い中井戸から水を汲む獣人を見かけたが、わたしはその場から去った。

 今のわたしに彼らを助ける術はないのだ。



―――



 冬ごもりも終わり、春の兆しが来た頃。街からぞろぞろと旅立つ放牧民の集団を見送りながらわたし達も出発する日が来た。向かうのはわたしが眠っていた場所だ。

 街を出る途中、街の出入り口に限りなく薄い紅色の小さな花を咲かせた大きな木が目に入った。


「見たことない花ですね」

「『サクラ』という花だよ。大陸の東に咲いているのを商人が持ち込んだらしい」

「へぇ……」

「そうなのか。俺も知らなかった」


 近くにいたイキシアもナルシサスの同じように関心そうな顔をするが「お前も説明受けた時隣にいただろうが」と顔を顰める。どうやらこの地の住民に聞いたようだ。


「初夏頃に真っ赤な実がなって、味は甘酸っぱいらしい。枝を切り落とすとそこから腐りやすくなるから扱いが難しくて、今は町で管理しているとか」

「詳しいのですね」


 関心な顔を浮かべたが「町の人から聞いただけだよ」と誤魔化された。


「ナルシサスは植物に詳しいわよ。マグノリアが来る前はこのなかで一番薬草に詳しいのはナルシサスだったんじゃないかしら?

 薬草もそうだけど花にも詳しいから、おかげで行く先で女の子は簡単にころっと――」

「ネモフィラ」


 ナルシサスはネモフィラをにらむが、慣れているのかネモフィラはほくそ笑む。

 しかしナルシサスに花を嗜む趣味があるとは知らなかった。薬草にも詳しいということは自分がこの集団に入る時に何となく察知していたが、自分が来る前はここの民もナルシサスを頼っていたのではないだろうか。


「ナルシサス。もしかしてわたしは知らずに貴方の仕事を奪っていたのではないでしょうか……?」

「……いや、気にしなくていいよ。君が女である分、僕が見れないところもある。それに君のおかげで僕も知識を深めることが出来たから」

「ならよかった。今度あなたの知っている知識を教えてください」


 わたしが安堵した顔を見せればナルシサスは無言で顔を逸らし「移動が終わったら」と答えた。


 街の出口まで着くと、ネモフィラとナルシサスは荷物をわたしとイキシアに押し付けては木の方まで駆け足で向かった。

 サクラの花びらが舞い、ネモフィラの白く長い髪がそれに合わせてなびくと、その髪もサクラ色に染まったかのように錯覚する。

 ナルシサスは何に使うのか花びらをかき集めて子袋に入れるが、ネモフィラは近くの枝から咲いているものを摘み取るとわたしの髪に飾った。


「貴女によく似合うわ」


 花びらが舞い散る中花がほころぶように笑みを浮かべたネモフィラを見て、わたしは飾られた花をネモフィラに返すように花を挿す。


「サクラの精のようですね」


 やはり良く似合うとわたしは満足気になる。

 ネモフィラは一瞬目を見張ったが、「私があげた意味がないじゃない」とむくれ、見兼ねたナルシサスが「君を飾りたかったんだろう」とフォローを入れてきた。

 そして彼が持っていたサクラの花を彼の手自らわたしの髪にさしてきたので、ネモフィラは複雑な表情を浮かべながらも喜んだのだった。



―――



 初夏から冬にかけて滞在する土地は開けた土地が多いが、春の終わりから初夏にかけて滞在する土地は活火山が近くにあり、土地が入り組んでいた。

 北側では珍しく火山の地熱があるおかげで雪解けも早く自然豊かな地域であるため、この土地にいる間は魔石の採掘や植物の採取をメインに生計を立てる。

 滞在期間は1ヶ月と短い。川を見つけると滞在する場所に辺りを付け、皆で一斉に家を作り始める。慣れているのか、彼らは掛け声もなく視線といくつかのかけ声で協力しあえばあっという間にそれは出来上がった。


「近隣の村を見てくるが、君も行かねえか?」

「わたしが行っていいのですか?」

「他のヤツらも確認しにいくからな」


 「君も何か思い出すかもしんないだろ?」というイキシアの言葉でわたしはその村に向かうことになった。

 異民族同士敵対こそしているが、彼らも狩猟を行うため、互いの縄張りを侵さないように毎回挨拶は行い、冬の間南の地で買い取った物を引き換えに穀物をもらうのだそうだ。

 わたしはイキシアとナルシサス含む6人と共に物々交換するものを詰め込んだ荷物を持った馬を連れて向かうことになった。


 森を抜けると畑が見え、管理小屋なのか畑の中でも中でちらほらと石造りの家が点在している。この地域は火山の地熱のおかげか雪も残りにくく、しっかりと耕せる畑があるようだが、その畑仕事をしている村人の中に新種もいることに目を見開いた。


 彼らは種族問わず似たような恰好をしており、男性は白いシャツにベストとズボン。女性はブラウスの上に色鮮やかなボディスとスカートを履いていた。それはどこか目覚めたばかりのわたしの格好とよく似ている。

 彼らの着ている服はイキシア達同様に動物の毛で織られた素材で作られているが、ぴったりと体型がわかりやすい格好をしていたのが興味深い。特に女性は騎乗しないからだろうか、スカートの裾が長かったのは印象的だった。


 きょろきょろと辺りを見渡すわたしに隣を歩いていたイキシアはその場で手を掴んで引き寄せてきた。


『周囲を見てなんか思い出すか?』


 イキシアの念話が頭に響く。彼もネモフィラと同じ魔法を持っているとは知らなかった。

 念話を行っている最中は互いに嘘が吐けないらしいので、わたしは正直に伝えることにした。


『……いいえ。特段何も。思い出しそうなものは無いです』

『見知った顔を見たりは?』

『今のところは……誰もいません。何年寝ていたのかは知りませんが、そうなればこの地にいる知り合いは既に死んでいてもおかしくありませんよ?』

『へぇー……って、はぁっ!?』


 イキシアはわたしの顔を見るが『失礼なことを考えているのは分かりますがせめて抑えてくれませんか』と言えば気まずそうな顔のまま正面に戻す。


『長老が、君をうちの若い男に娶らせたいって思ってる』

『……知ってます。ですが……』


 封印同然で眠っていたわたしを見つけた彼らが近隣の集落にわたしのことを聞きまわらなかったのは、元より彼らはわたしを村で取り込むことを決めていたのだろう。

 閉塞的な農村がよその娘を欲しがることはよくあることだ。血縁同士で交わって血が濃くなると子供の体が弱くなるからなのだそうだが、それはこの遊牧の民においても同様のことが言える。

 しかしこんなの人攫い同然だ。長老は女たちからわたしから子供を望めないことを聞いていないのだろうか。


『マグノリアが子供産めないかもしんないっていうのはネモフィラから聞いてる。なんで君があんなとこで眠ってたかは知んないけど、俺は、できるなら君を故郷に帰したいって思ってる』


 わたしは思わず目を見開き彼を見上げた。だが彼は手をつないだまま前を見据えて歩いていたのでわたしも目を前に向ける。


『俺が知ってる人間がいる集落はここしかない。本当に何も思い出せねぇか?』

『……ごめんなさい』

『分かった。気にすんな』


 用が済んだのかするりと手を離された。

 イキシアはガサツな性格だが、情には厚い。彼がそんな風に考えてくれているなんて思わなかったが、彼の気持ちは純粋に嬉しかった。


 わたしは手を放した上で「妙齢の女と手をつなぐのはどうかと思います」と言えば「ま、マグノリアはそこまで老けてないだろ……?」と不安げに返す。その反応こそ失礼ではないだろうか。

 近くを歩いていた男たちからは「これはイキシアが悪いな」とからかうように笑うのだった。



 一行は集落の中でも大きな家の前に着くと、前を歩いていたナルシサスが掃除をしていた獣人の少女に話しかけた。


「今日からこの近くに滞在することになりました。長に挨拶したいのですが……」

「っ……!分かりました」


 少女が頭を覆っていた布を外すとぴょこっと耳があらわになる。あの耳と尻尾は狐だろうか。

 獣人の少女がナルシサスの顔を見て顔を赤くしながらも、呼び出すのか家の奥に引っ込んでいった。以前ネモフィラが言っていたが、確かにこれは確信犯だろう。

 しばらくすると白い髭を蓄えた狸の老人が前に出てきた。


「ほっほっほ。毎年ご苦労なことで……」


 こちらを品定めするように見つめる視線にわたしは少し眉を寄せる。

 老人がわたしを見た瞬間一瞬ぴくりと表情が動いたようだが、すぐにナルシサスに視線を戻した。

 この場でやり取りするのは代表はイキシアではなくナルシサスなのかと疑問に思ったが、あのイキシアが目の前の狸爺と腹芸ができるのかと言われると不安だ。


「儀礼的なものですよ。狩猟する場を違えば、こちらが獣と間違えて矢を射るかもしれない」

「よく言うわい。うちのモンを枯らした虫どもが」

「……」

「……」


 一瞬わたしは何を言っているのか分からなかったが、後ろに控えていた狐の少女が恐ろしいものを見るような目でこちらを見ていたので色々察してしまった。

 しばらく睨み合うが、その後狸の方が嫌そうにため息を吐き、後ろにいる少女を呼ぶ。こちらが持ってきた物と引き換えに穀物をもらえることになった。



 その後拠点に戻るとわたしはイキシア呼ぶと彼の手を握ったわたしは、イキシアを睨みあげた。何かを察したのか『なにか思い出したことでもあったのか?』と問う。


『この集落にいる者との関係が険悪なのは、貴方の先祖の仕業ですか』

『それはねぇよ!!……あー、いや違うけど違わないっていうか……』


 イキシアの話によると、遊牧の民はあの集落とお互いの若い女を交換するかのように娶り娶られる事はよくあったそうだ。

 ちなみに獣人を含む『新種』とよばれる種族は元から存在していたわけではないらしく、南からやってきた彼らはその地の定住民と融和を取りながら徐々に馴染んで繁栄していった結果、数が増えていったそうだ。

 しかしたまに遊牧で訪れる彼らにとって獣は飼い慣らすか殺して食べる存在であるため、彼らと相容れることはできなかった。

 そんな中、遊牧の民の一人がその集落の一人の娘を欲しがり、交渉したが既に婚約者がいるという理由で決裂。しかし娘にとってその婚約は本意ではなく、それを知った遊牧民は攫うように娶ると種族間の仲は険悪になったそうだ。彼女は新種の者との融和のために婚約されたからだそうだ。


『そんなの自業自得じゃないですか!』

『けど今度は向こうがうちの民の長を射殺した。長老の兄ちゃんだった』

『……』

『でもお互い欲しい物はあるから、それ以降交換はあの村長だけとやり取りすることになった。それから互いに個人的に関わり合う事はなくなった』


 長の家族が殺されたという憎悪で険悪になるのは仕方ないにしても、ならなぜここまで来るのだろう。

 一触即発の綱渡り状態で彼らとの関係を続けるのは危ないだろうに。


『俺たちが獲った魔石は半分以上が国に献上される。俺たちが毎年ここに来るのは、ここにしかない魔石を獲るためだ。そうしないと俺たちは冬場町への滞在ができない。でも魔獣の被害が多いこともあるからそれは難しい。

 君を今日連れてったのは、君を故郷に帰すために必要だと思った。けど……』


 自分がこの地に残るか、正式に嫁入りという形で仲間に入るか。この地にいる間に決めてほしいということだろう。


『……貴方の言いたいことは分かりました』


 わたしはその場で手を放す。

 その一部始終をナルシサスは隠れて見ていたのを、わたしは気付かないふりをした。



―――



 この土地に来てから一週間。本格的に狩猟が始まると、わたしはイキシアと二人で狩りをする頻度が多くなっていった。

 というのも、イキシアは魔獣の魔力を探知することに長けているらしく、魔力の多いわたしが隣にいてもすぐに別の魔力を判別することが出来るらしい。

 それにわたしの魔力は汎用性が高いらしく、こういった場面で役に立った。


「記憶の取っ掛かりが出来たのはいいけど、血が怖いなんて不便だな」

「本当ですよ」


 血の色が怖くなったことはイキシアとナルシサスにだけ伝えることにした。ナルシサスはまだわたしのことを疑っているのかやたら目敏く面倒な性格をしているし、イキシアは二人で行動することが多いからだ。

 これまで慣れていたはずの解体が出来ないとなるとあちらも何かを疑いかねない。


 そのきっかけとなった経緯を教えると、二人はそれでなぜわたしの記憶が刺激されたのか分からないと言って首を傾げていた。

 彼らにとってただの祭りで歌う歌なのだ。無理もない。


 イキシアが先程倒した子供の背丈くらいの長さがある大きな猪の心臓にナイフを入れると青や黄緑が斑に混ざった色の石が出てきた。

 その魔石にわたしは己の魔力を注ぎ入れ、少し輝いたのを確認するとイキシアに渡した。


 魔獣の心臓は死後魔石に変わる。しかし魔力が放出しやすく劣化も早いため、劣化する前に魔力を注いで形を安定させるのだ。


「本当に器用だよな。属性を使い分けて魔力を入れるなんて」

「あなたも練習すれば出来るでしょう。練習用の魔術道具作りましょうか?」

「練習か……」


 イキシアは人の感情の機敏には鈍感でデリカシーはないが努力家な男だ。覚えておいて損はないはずだ。

 しかしイキシアは受け取った魔石を太陽にかざして眺めた。


「でもこれはあまりいい値段にはならねぇな。ハズレだ」

「……」


 現実は非情である。その後心臓がなくなった猪は営地で解体するため二人で運ぶ。

 血の臭いで寄ってくる獣もいるが、これもわたしが威嚇するように魔力を放出すれば、近寄ることは無いらしい。わたしは歩く鈴か。


 この猪は通常の魔力保有量を超えたため魔獣になったモノだ。

 後天性で生まれた魔獣は必然的に魔石の品質も悪いのだから仕方ないだろう。


 魔力を持った生き物なら魔石を取り出し放題なら、人間も大なり小なり仕留めれば魔石を取り出せるのではと思ったがその先を考えた時にぞっとしたのでこの案はやめた。

 イキシア達は魔獣と新種の人間はそう変わらないと言うが、おそらく彼らは獣人、もとい新種達の心臓から魔石を取り出すことができることを知っているのかもしれない。


 だが獣人と普通の人間が共に暮らしている集落があるように、共存できるのなら、獣人との間に生まれた子供はどうなるのだろう。

 殺生なことはしたくないが、考えるのは楽しくて仕方がない。


「……せめて獣人と話が出来ませんかね……」

「魔獣と会ってなにすんだ?」


 流石のイキシアも胡乱な目でわたしを見る。


「いえ、研究欲が湧いただけですよ」

「アイツらと関わるのはナシだからな」

「…………流石に諦めますよ」


 流石にその辺の自由は効かないようだ。今は考えるのをやめておこう。「今はとかじゃねえ、これからもだ」と付け足すように言われ、思わずひくりと頬が引きつった。


 民の者達の監視が強まったせいで、わたしは未だにあの白木蓮の領域には行けていない。

 魔石は別の者が採掘しに行っているし、わたしも民の者達から仕事を任せられてしまったり、今のようにイキシアなど他の者と狩りをするように仕事を振られてしまっているため動けないでいるのだ。


「でも北に行けば行くほど強い魔獣に遭うって聞いてたけど、大丈夫そうだな」

「結局手がかりは見つかりませんでしたが」


 今日はイキシアに我儘を言って普段狩りに行く場所より遠くに向かってみたのだ。

 出来れば最北の山まで向かいたかったのだが、そこまで行くなら数日かかるからと止められた。それに途中でこの猪に襲われそうになったため、討伐という名の狩りをせざる得なかった。


「でも食いもんは当たりだな!」


 男らしく肉が好きなイキシアはにかっと笑う。

 何だかご褒美をもらった子供を見てるようでわたしも柄にもなくほころんでしまった。


「食べるの飽きたって言っても知りませんよ」

「大丈夫だろみんなで食べればすぐ――……」


 イキシアは鼻をひくつかせるとその場に留まった。

 わたしも耳をそばだてたが、遠くで複数の足音が聞こえてくる。3人くらいだろうか。


「……村のヤツらだ」

「音を出しますか」


 狩りをしていれば音のする方へ誤って矢を放つ可能性もあるため、それを避けるために笛を持たされる。獣に逃げられる可能性もあるが流れ矢に当たって死ぬよりはいい。

 しかしイキシアは顔を顰めた。そこまであちらと顔を合わせるのが嫌なのだろうか。


「……嫌なのは分かりますが矢に当たりたくないでしょう」


 否定されなかったのでわたしは腰に下げていた笛を鳴らした。

 あちら側も笛の音でわたし達に気付いたようだが、こちらに向かう事もなくお互いに距離を取りながらこの場から離れ、少し歩いていると同じく狩りをしに来ていたらしいネモフィラと合流した。弓を引くのになぜか手袋をしていたが、手には魔石もあったので魔石も取ったのかと自己完結した。

 いくら肉体を魔力で強化しようと流石に猪を二人がかりで持つのはしんどかったので助かった。


 にしてもこの民の新種嫌いは深刻である。


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