母よ、輝く心よ喜びよ - 2
とある女
――――――
この遊牧民は遊牧とは言うものの、大抵毎年決まった場所に向かう。
毎年雪が降る前の時期に自分の親族にあたる集団と決まった町に合流し、その町で一年かけて作った工芸品や手に入れた交易品を売る大規模な市を開くのだが、その売り上げは次の年に交易品を手に入れる為の資金になったり、今後南の地域で育つという穀物を買う為の銭になるのだという。
雪が降り始めた頃には、色んな地方からやってくる遊牧民がピークに達するため活気が段違いらしい。
「人が多いのですね……」
「色んな場所を渡り歩く民が一斉に来るから、この時期はこの町もかき入れ時なのよ」
街中を歩く途中、獣の耳と尻尾のある子供を見かけた。
彼らはこんな寒い中、薄着で鉄の檻の中に閉じ込められている。いくら毛皮があってもそれは一部だけだ。こんな場所では寒さで凍えてしまう。
一瞬ばちっと頭が弾かれる痛みを覚えた。帽子の静電気だろうか。
「ネモフィラ、あの子供……」
「なあに?……あれは奴隷よ」
「奴隷?首輪の魔術道具が付けられていますが、彼らは人間ではないのですか?」
「首輪?確かに付いているけど……人間ではないわ。あの首輪は魔術道具なの?」
「…………アレは魔獣を従わせる魔術が施されている道具です」
「あぁ、飼い慣らされているなら安心ね!」
ネモフィラの話によるとあれは獣人と呼ばれる種族らしい。
他にも蛇やトカゲのような姿の者もいるので、総じて『新種』と呼ばれている。
彼らも自分らと同じように魔力を持っているが、魔力は彼らの方が高く、狂暴で理性がないのだそうだ。
商店の主人らしい中年の男が檻から獣人の子供を出すと商店の中に連れ入っていく。
「あの店はなんですか?」
「奴隷商よ。お貴族様や豪商しか立ち入らないわ。奴隷だから下働きとして買う人がほとんどだけど、たまに
奴隷と聞いた途端獣の子供が問答無用で蹂躙されている光景が目に入る。違う生き物だと言われても気分はいいものじゃない。
気持ち悪さで内心の魔力が渦を巻き、ばちん、ばちんと頭の中で何かが弾けた。
頭が熱くて痛い。昨日の収穫祭よりも痛みが激しく、その場から立っていられなくなる。
そして灼ける痛みの中で見たことない子供がわたしに助けを求めていた。
『助けて姉上!!』
「っ!?」
「どうしたのマグノリア!?」
頭痛と共に現れた光景に思わず頭を抱える。目覚めてから久しく耳にしなかった言葉でわたしを慕う弟妹達の声が聞こえてくる。
弟妹?なら浮かんだアレはわたしの家族なのか?
「どうした?」
「イキシア!マグノリアが具合悪くなっちゃったみたいなの」
二人が何かを話しているようだがわたしは気持ち悪さのせいで立っていられなくなった。
結局イキシアに背負われたわたしはネモフィラに心配されながら滞在する拠点に戻ることになった。拠点にたどり着くと、留守番をしていた長老が出迎えてくれた。
「おかえり。早かったのぉ?」
「長老、マグノリアが……!」
「ほう、これは魔力酔いか?」
「じいさま知ってるの?」
「魔力が多い者がたまに起こすものじゃ。彼女も魔力が多いようだからの……魔力を抜ければ良いんじゃが……」
冷たかった体は今度は熱がこみあげてくる。おそらく今わたしの魔力を放出したら周りに被害が及ぶだろう。
朦朧とした意識の中ネモフィラに視線を向ける。
「……紙とインクを……木札でも構いません……」
「何を書くの?」
「あなた方に魔力が当たらないように魔術陣を書きます……長老、開けた場所はありますか?……出来れば拓けた場所が良い」
「良いが、大丈夫か?」
「魔術を、使います。……魔力を放出させるだけでは危ない……」
それからわたしはトナカイの背に乗せられると町から離れた草原に運ばれる。途中町の門番に引き留められたが、魔力酔いだと長老が彼等に言えばすぐに解放してくれた。
這いつくばった状態で用意された木札に、煤で作られたインクに魔力を込めながら魔術陣を書く。体内の魔力をそのまま固形化すれば魔石にならないだろうかとも考えたが、今はそのための魔術陣を考える余裕がない。
出来上がった魔術陣に手をかざすと魔力を一気に叩き込んだ。
「『我が力、万物の元に帰り給え』」
しばらく口にしなかった言葉を詠唱する。
叩き付けるように放出された魔力は一気に周辺の枯れ果てた草原に伝わった。秋の終わりなのに一気に枯葉から若葉が芽生え、草原が新緑に満ち溢れる。
しかし生え広がる草は全て私の背丈を越すくらい伸び、視界が緑で覆われてしまった。
「マグノリア!?」
ネモフィラの声に気付くと、やり過ぎた光景にわたしの顔が引き攣った。
魔術陣から手を離し、残った魔力で全て枯らせば萎びて枯れ草の山になる。
「大分魔力は治まったと思います。ご心配をおかけしました。……放出した魔力を固形化できればといいのですが、これは研究が必要ですね」
「……元のマグノリアに戻って安心したわ」
ネモフィラは心底安心したような顔を浮かべていた。ちなみに立ち上がるとネモフィラの隣で見ていたはずの長老はまた気絶していた。本当に大丈夫なのだろうかこの人。
枯れた草は刈り取って冬の飼料の足しにすることにした。私の魔力のおかげである意味豊作だ。
しかしわたしは先ほど見た新種の子供たちが気掛かりで仕方がなかった。
―――
雪が降らない時期は忙し無い日々が続く。手始めに家畜の毛を刈ったり、栄養を蓄えるために草花を食べさせ、繁殖の準備を行う。拠点を移動しながら草木を刈り、薪などを得て蓄えを得る。
そして秋の終わりに行う収穫祭では、老いた家畜を肉や脂や毛皮などに分けるため、生き物の恵みを感謝しながら屠殺し、血抜きをする。
「血を万物に感謝するために還すの。でもその血を還すのは一匹だけよ。家畜の血は私達にも必要だから」
一匹分の抜いた血は神事で使うのだそうだ。
そして皆が使う分は食事に混ぜたり塩分を抽出して塩に加工したりするなどして今後の糧にするのだという。
わたしは今回初めての参加になるため、後ほど毛皮の処理や肉加工などの手伝いはするが、祭の儀式は手伝わず全て見学となった。
住居に囲まれるようにできた広場の中央では即席の祭壇が作られ、供物として酒や家畜の乳や卵。あとは干し肉やチーズなどの発酵食品。そしていくつかの質の良い魔石が南向きに並べられている。
長老の掛け声によって足が縛られた1番大きな家畜のトナカイが運び込まれる。苦しまないようにそのトナカイは魔法によって一瞬で首が切られた。
胴体は血抜きの為に数時間宙吊りにされるが、一匹目のトナカイは神に捧げるため、血抜きが行われたまま神にささげるそうだ。
その様子に泣き出す子供達を女達があやすのをわたしは遠目で眺め、また正面に視線を戻すと、胴体と切り離されたトナカイの首と目が合い、わたしはそっと目を逸らす。
その供え物の前へ長老がイキシアとほかの首脳陣の男たちを引きつれて立った。
「『母の愛する大地へ還そう』」
長老の口から伸びやかな歌が紡がれる。まさかこのしわがれた爺の口から伸びやかな声が出るなんて思わなかったなんて失礼なことを考えてしまう。
初めの言葉を合図に後ろの男たちが続き、今度は周辺の者達も歌いだす。周囲の皆は慣れているのか笑顔で歌っているが、何も知らないわたしは置いてけぼりとなったので歌を聞くことに徹する。
そんなわたしの感情を差し置いて歌は続けられるが、その歌詞にわたしはまた目を見開いた。
「〈愛憎の果てにこの血潮は
果てに皆を温める火となり
果てに踏みしめる大地となり
果てに慈愛の雨となり
果てに風となって巡り
闇で包み、光となって我らを導く
生命を育み、万物を愛した
だがその愛は我が心に在らず――〉」
この歌はわたしが知っている言葉で歌われている。彼らはこの歌詞の意味を知っているのだろうか。いや知っているならこの集団に入ったばかりのわたしと言葉の壁はなかっただろう。
「〈ただ一人の誰かのためにあり
我はその愛をここで裏切ろう
故に我は母へこの血潮を力と共に還す〉」
歌い終わると皆から一斉に魔力が放出される。魔力を神に捧げたのだろうか。
血抜きされている最中であったはずのトナカイは首が切られてそんなに経っていないにもかかわらず、すでに体内の血液が抜けており、血液の受け皿になっていたたらいの中身も空になっていた。
魔力と血液が捧げられたのを確認すると、皆は広場から家畜が集められている柵まで移動する。すると今度は柵に入った男たちが屠殺する家畜を捕まえようと奮闘するらしい。
移動する際、背筋が凍るくらい寒いのに汗をかいていることに気付いた。誤魔化すためにそれとなく自分の手を左腕に持っていくが指先もピリピリと震えている。
これは身近にいた生き物が殺されて行くのを見て泣く子供達のそれとは違う気がする。
怖いと思うのは見慣れない光景だからだろうかと目を逸らすけど、周囲の者が身に着けている赤いものが目に入るとそれは余計に鮮明になった。
「……っ」
家畜を殺すことは生きる為に必要だ。分かっているから今まで獣の首を切って血を抜くことも厭わなかったはずなのに、あの盥に溜まっていく血の赤を思い出すと胸がざわざわするのは何故だろう。
観戦している幼子の薄い色の髪に巻かれた赤いリボンに、その隣に立っている女が羽織っている赤いストール。広場には供物の下に敷かれた赤い布に、祭壇に捧げられている家畜の首を切られた赤い断面。
――もしかしてわたしは赤に連想するものが怖いのか?
「君にも苦手なことがあるんですね?」
ちりりと灼ける痛みを覚えそうになった瞬間、横から声をかけられて思わず肩が跳ねる。
自分の役目が終わったらしいナルシサスは感情の読めない笑みを浮かべている。その笑みはわたしを心配しているようには見えなかった。
「……それでも、このまま見てますよ。食いっぱぐれるのはごめんですから」
「でもここで気を失ったら何も出来ないだろう?これが終われば他の家畜も全部血抜きするのに」
ナルシサスは目敏い。さすが普段から笑みで感情を隠すだけある。
あちらもわたしの考えていることを察したのか、お互いに笑みでにらみ合うが結局折れたのはわたしの方だった。
「……わたしはこの場から離れて休みます。もし戻らなければ、血抜きが終わった時に呼んでください」
「分かった。ぜひそうしてくれ」
ナルシサスはあからさまに安堵したかのような顔を浮かべるが、わたしは何も言わずこの場から去った。
彼の言う通り一匹目が終われば他の家畜も屠殺されるのだ。きっとわたしは終わるまで気持ちが持たない。
拠点から離れた場所まで歩けば血の臭いから開放される。そこから眺めると、即席で作られた柵に囲まれたテントの集団から煙が立ち昇る。料理を振舞うために火をおこし始めたのだろう。
そして血抜きをしている場所からだろうか、煙とは別にキラキラと白い靄が霧散しながら空へ昇るのも見える。
(どこに行ってもアレが見える人はいないようですね……)
わたしの目には、生き物や植物の周囲を覆う色とりどりの靄のようなものが見える。それは太陽の光に照らされた湯気とは違い、靄そのものが発光しているのだ。
それは生き物や植物から放たれており、色もそれぞれ違う。それらは生命活動が終わると大なり小なり白い輝きに変って霧散し、空へ昇るのだ。
わたしはその生き物に覆う靄は『魔力』で空へ昇る白い輝きは『魂』なのだろうと考える。
季節が廻れば、草原の草花は徐々に枯れていくため、草原は多くの小さな光を放つ神秘的な光景となり夜はその美しさがいっそう増すが、雪が降りはじめる頃には次第にその輝きは減り、最終的にその光を見る頻度は狩りをする頻度と同じになる。
これはわたしの魔法に付随された能力のようなものなのだろう。
わたしはこの集団で過ごしている間、魔術を使いこそすれども、ネモフィラが触れた相手に念話を送るような、狩りをする者が水や炎を使用して仕留めるような、自分の魔法そのものを使って見せた事はなかった。
ネモフィラの魔法を知った時、何故か明かすのは危険だと判断したからだ。
わたしは地中にある魔石がどうやって出来るのかを知っている。
彼らはわたしが眠っている間、あの土地の魔力を吸い取ったために魔力が多いと思われているが、あの土地で魔石が取れるのは、わたしの魔力が土地に吸収され、蓄積されたからだろう。
そして今彼らが行っている儀式は、おそらく家畜の血を代償に詠唱した者の魔力を自然に還し、今後この近隣で魔石が採掘できるようにするために行うものであるはずだ。
そのできた魔石を採掘するのは自分たちではない別の集団だろうし、わたしもいまいち魔石の生成過程が理解できないから言わないけど。
(……下手に彼らに伝えればまた崇められるでしょうし、教えるつもりは無いですが、あの儀式は何時から行われるようになったのでしょうか?)
この生活で文化の違いに戸惑いこそあれど、特に立ち寄る農村で所々既視感のある物が多くあった。
だから眠る前のわたしはきっと、こうしたのんびりとした遊牧ではなく、畑仕事で生計を立てる農民だったのだろうか。
思い出そうとするが、やはり脳が灼けるような痛みを覚えて止める。
そして彼らと相容れない新種と呼ばれる異種族。
彼らはここ十数年前から現れるようになったと言っているが、彼らを見てわたしは忌避感というよりも愛おしさと懐かしさを感じた。
先程震えが止まらなかったのは、あの歌でわたしの思い出せない記憶が刺激されたからだろうが、先日獣人が無体を強いられているところを見て魔力が渦巻いた時の感情とよく似ている。
私の記憶に関わることなら彼らの事を知りたいが、この民たちはわたしが新種達と関わることを咎めるだろう。
「……あの場所に戻る時に、色々調べてみましょうか」
どうしてあの場所で眠っていたのかは分からないけど、あの黒い箱を見れば何か分かるかもしれない。
少し楽になった辺りでみんなの所に戻ってきたけれど、血の入ったスープを出されたわたしはまた青ざめたので周りから心配され、せっかくのご馳走が遠のいてしまったのだった。
―――
雪が降り始め冬ごもりが始まれば町外れにある冬ごもり用の建物を一棟借りて、皆で身を寄せ合いながら暮らすことになる。流石にあの布と枝だけで出来たテントで冬を越すのは無理だ。
ちなみに中は一階は食料などの備蓄を補完し、二階は男性の部屋。三階は女性の住まう部屋となっており、5歳以下の幼い子供は男女問わず女性の部屋で暮らす。昼間は下の階への行き来は可能だが夜は厠に行く以外での行き来は不可能という大まかな規則があった。
中の仕事は家畜の脂を明かりを付けるための油や蝋燭にしたり、骨や革を衣服や調度品にするための加工が主になる。
普段は力仕事ばかりの男たちがじっとして細かい作業を行うのはなんだか面白かった。
もちろんその間も外にある家畜小屋で家畜の世話は行うが、やるのはトナカイの餌やりや餌となる草を雪の中から探り当てる程度。食べられる餌の量も少なくなるから絞りとれる乳の量も少ない。
家畜のトナカイたちは中々餌を見つけられないわたし達を見て「使えねぇヤツらだな」とでも言わんばかりの生意気な顔をして鼻を震わせる。こいつらわたし達に食われることを自覚しているのだろうか。
わたしは秋に屠殺した家畜の毛皮をひたすら鞣していき、衣服や工芸品に加工できるように準備したり、衣服の作り方や小物の編み方を学んでいた。
流石にネモフィラからもらった衣服だけでは心許ないわたしは、民の女達から指導を受けながら作った。
「同じ民でも衣の意匠は集団によって違うのさ。こうして衣の意匠を受け継ぐのは自分はこの民の人間だっていう証でもあるんだよ」
「……なるほど」
正確に言えばわたしはお客様だからこの民の人間ではないのだが、既にネモフィラからもらった衣を着ているので今更なところがある。最悪もし自分が記憶を戻して、この集団から抜ける日が来ればその衣は別の誰かが着てくれるだろう。衣服はどの場所でも手間がかかる貴重なものだから。
折角なので自分が目覚めたばかりの頃に着ていた衣服もお直しをした。解れはほとんどなかったので刺繍を施したり飾りを付けたりした。温度調節する魔術陣の刺繍である。
目覚めたばかりのわたしは綿製の白い長袖のワンピースの上に黒い貫頭衣を着て腰を紐ですぼめ、黒い
わたし達が作業している間、息抜きと称してイキシアとナルシサスは町に出かけたらしく、それとついでに冬ごもり中に出来た蝋燭を売りに行ったそうだ。
すでに冬支度をした家庭でも蠟燭を買う者はいるのか、この時期も高く売れるらしい。おかげでその日の夕飯におかずが一品増えた。
「今度はマグノリアも行こうぜ。前は途中で倒れちまったし」
「ぜひ、その時は呼んでください」
―――
冬ごもりの間冷気を部屋に入れないようにするため、窓は粘土で窓の隙間を埋め、その上にテントで使うフェルト生地の防水布を覆って冷気を出さないようにする。
そのため家畜の世話をしに行ったりする以外はほとんど外に出ることはないし、室内にる時は手仕事をする以外何もしない。
大人数で狭い部屋にいるので皆が鬱憤をためないよう、この民は念話が出来る者と手を繋いで内緒話をする。
所帯を持った者は一つのテントの中で家族と暮らすので、こうして家族以外の人間と長期間過ごすことはこの時期だけだ。女性たちは夜、定期的にみんなで手を繋いでぐるりと手を繋いだ状態で内緒話をすることで愚痴を言い合ったり、同性同士しか話せないことを話すのだそうだ。
しかし貴婦人達の話について未だに理解できないわたしはついていけず、襲ってくる眠気とあくびをかみしめる。そして念話のために繋がれている手を離してしまっていいのだろうかと逡巡していた。
『マグノリアはどうなの?』
『……わたし、ですか?……何の話ですか?』
知らない間に話が振られ、寝ぼけた頭で返事をすると女性たちからは呆れた顔を向けられた。
旦那の愚痴やおしゃれとか異性の話とか本当に興味ないのだから勘弁してくれ。
『もう本当に興味ないの?気になる人とか、いないの?』
『……面白いと思った途端、勢いで行動する者の思考回路なら興味があります。魔獣に囲まれたような危険な生活をしているのにどうしてあんな自由気儘に行動ができるのでしょうか』
『マグノリアが気になるのはイキシアかい?』
少女たちは『子供っぽいのは玉に瑕よね』とか『でも狩りをする時の彼は勇ましいわ』と口々に話す。
『彼は確かに短絡的ですが長としてみんなを率いる才能はあるでしょう。情には厚いと思います』
『じゃあ、ナルシサスはどうなんだい。あの子も力は強くないけどああいうのって理知的っていうんだろ?』
ネモフィラはナルシサスが話に出て顔をしかめる。こうした話に自分の兄妹が出てくるのは複雑なのだろう。
わたしは自分の記憶がないので具体的な年齢は知らないが、どうやら彼女たちはネモフィラたちと同じくらいの年齢だと思われているらしい。
『ナルシサスは気さくでいい人よね』
『笑顔が素敵だわ』
10歳くらいの少女たちは頬を染めているが、彼と一番長く過ごしているだろうネモフィラが呆れた顔をしていた。
『ナルシサスは笑顔で誤魔化しているだけよ?厳しいし、腹黒いし、よく街の女の子を誑かしてしまうから将来嫁にくる子が可哀そうだわ』
『あぁ……確かに』
『なにかそんな話があるのですか?』
何か思い当たるのか年上の女性たちはネモフィラの言葉に複雑な感情を持つが、わたしの質問に対して曖昧に誤魔化すだけだった。しかしマグノリアはどう思うかと逆に問われた。
『彼は確かに理知的で、打算的な行動をしがちなのは確かでしょう。彼はどちらかというと長の補佐をするような人間ではないでしょうか。笑みが嘘くさいなとは思います』
『初対面でアレを見抜いたのかい?』
『わたしも言葉も通じなかったので、怪しむはずの相手に人の良い笑みを浮かべているのはかなり胡散臭かったですが、今ならアレはわたしを警戒していたのだと理解できます。それに現在もわたしを警戒しているのではないですか?』
冷静にわたしなりの見解を返せば、頬を染めた少女達は夢が破れたような顔をし、年上の女性たちは情緒のかけらもないというような呆れた反応を示されるが、一部はぎくりといったような顔をする。やはりな。
個別で念話を送り合っているのだろうか、なぜかわたしをのけ者にした状態で彼女たちは互いに目配せをしていると、ネモフィラが代表で口を開いた。
『マグノリア、将来の旦那さんはどんな人が良いの?』
『わたしを娶っても魔力以外の利はありませんよ』
『っそんなことないわ。それに私はあなたの理想を聞いているだけよ?』
これ以上誤魔化そうにも追及はやめてくれないらしい。なぜ女性はこういった時の団結力が高いのだろうか。
『…………わたしが好きなことをしても許してくれる人ですかね』
『アンタ、本当に変ってるね』
『わたしは、あの地で目覚めてから月ものが来ていません。おそらく子供は望めないでしょう。それなら妻の役目をせず好きなことをしたいのですよ』
ずっと秘密にしていたことを告げれば。一同がしんと鎮まった。
気まずい雰囲気の後、年長の夫人が別の話を持ちだしてこの話は終わった。そしてわたしはこれ以上は婚姻の話を振ることはないだろうと、内心安堵の息を吐いた。
―――
わたしの衣服の必要なところへの刺繍が終わり、仕上げも大詰めとなった。
火の神のお守りの刺繍はしっかりと入れるとなると複雑になるため、女性たちも手伝ってくれたが、刺繡が終われば後は物凄く楽に感じる。
「手先は器用だと思ってたけど、これは本当に苦手みたいだね」
「薬の調合や研究は好きですが、こういったものはちょっと……それなら狩りの方が好きです」
「そこまでかい」
苦笑するご婦人たちは、もうわたしに無理に女の仕事をしないことはないだろうか。
以前よりこの民は自分の若い男と結婚して欲しいような雰囲気を見せていたから内心げんなりしていたのだ。
昨日女として致命的な欠陥を伝えたばかりだから、このままわたしの評価が下がってくれることを願うばかりである。
「母さん!見てみて!父さんと狩ったんだ!」
「あらまぁ。よくできました!今夜はこれも食べましょうか」
「やった!」
ふと聞こえてきた微笑ましい親子の会話を見てわたしは目を細める。
わたしには家族の記憶はないが、なぜか『母親』に憧れを抱いていることに気付いたのは夏ごろからだった。
わたしはあの白木蓮の領域で眠る前より両親はいなかったのだろうと漠然と考えている。そもそもどれくらい眠っているのか分からないから、もうわたしの家族と呼べる人はこの世界のどこにもいないのかもしれない。
少し感傷に浸りすぎたか、肩に手を置いたネモフィラが気づかわし気にわたしを見ていた。
「マグノリア、少し休憩しましょう?」
作業をしていた部屋から出て釜戸のある部屋に移動すると、ネモフィラは小さな鍋を用意しながら釜戸の前に座るよう促す。ネモフィラはその日に街の者から貰ったヤギの乳を温めたものを用意してくれた。
「山羊の乳なんて飲んでよかったのですか?」
「本当は白湯でもよかったんだけど、気落ちしてるみたいだから……昨日の話で色々察しちゃったかしら?」
「……何もないわたしを迎え入れる彼らの狙いは限られていますから、以前より察しはしていました」
「相変わらず冷静なのね」と関心した顔をするがすぐに困った顔を浮かべ、手を差し伸べてきたのでわたしは空いた手で彼女の手を握る。
『爺さまは貴女をイキシアと結婚させようと思ってるわ。石女だって聞いてもそう考えてると思う』
『若い男は彼らしかいないのですね』
『居ても大体はすぐに結婚するから……』
あなたはどうなのですかと問おうとして口を閉ざした。ナルシサスと双子である彼女はすでに成人している。年周りの合う独身の男となればイキシアくらいしか思いつかない。
『わたしや彼らがどう選ぼうが、わたしを娶る上での利は魔力程度しかありません』
『マグノリアは十分魅力的よ?』
『事実ですし、変に気を遣わなくていいですよ』
手にしていたカップを口付ける。ホットミルクは程よく体を温めてくれた。ネモフィラはパチパチと薪を燃やす釜戸に視線を動かし、ゆっくりと燃える赤い火を眺める。
『イキシアが……ましてや長になろうとしてる男の妻の魔力が少ないのは威厳に損なうわ』
ぽつぽつとネモフィラはこの民の事情を話し始めた。
この民はいくつもの国をまたいで旅をしている民族だ。遊牧と狩猟、そして魔石や工芸品などの交易で生計を保っていた。しかし国が発展するにしたがい、領土を跨ぐ際の規制が多くなってきたという。
その際魔石を献上することによって滞在が許されるのだが、この数年南にいる国が要求する魔石が多くなっていたという。
本来魔石は農村が豊穣祈願するために使うものであり、今まではほんの少しのお金だけで良かったのだ。
しかしここ十数年で増加してきた魔獣被害によって遊牧する民が次々と死んで行っており人手が足りないにもかかわらず、国は農作民から魔石を献上するよう言われているようで、農作民から遊牧民が搾取される現状、どこの遊牧民も生活が苦しい。
通常その民の集団が採掘する魔石の採掘地は秘匿するのだが、少しでも多くの魔石を得る為に、その集団が知る採掘地の場所を虎視眈々と狙っているようだ。
特にネモフィラ達の集団はその中でも献上される魔石は希少であるため、国からだけでなく、同じ民からも狙われているため、隙を与えないよう力を付けなければならないのだそうだ。
そしてイキシアはこの集団の長老の玄孫だ。祖父や父を幼い頃に亡くした為に、若いながらも次代の長として力を蓄えなければいけないらしい。
『次代の長を決める時、長の子供のうち一番魔力が多い子供を選ぶことになるわ。それに強くないと、彼らを守れないもの。仮に本当に貴女が石女であっても、他に魔力が多い男が長になるわ』
『そう、でしたか……』
しかしイキシアよりわたしの方が魔力が高いだろう。他所から選ぶよりはいいだろうが。
遊牧民も家畜を育てる時も魔石の魔力を使用する。だから採掘するための人手が増えればそれは銭だけではなく、財産のためにもなるのだという。
自分はこのまま他人が選んだ相手と結婚していいのだろうか。イキシアは悪い奴ではないが如何せん忌避感が強い。
とはいえネモフィラはわたしの気持ちは兎も角、わたしには集団に居て欲しいようだ。
わたしの手を取り、彼女は懇願する。
『イキシアと結婚して欲しいとまでは言わないわ。でも私はマグノリアに居て欲しいって思ってる』
『…………考えさせてください。今のわたしは現状を受け入れることが難しい……』
今までわたしはわたしを集団に取り込みたいと思う理由はわたしが産んだ子供の魔力に期待しているからだろうと思っていた。
だから今わたしはネモフィラに大きな手札を明かしたが、それでも彼らはわたしを取り込みたいと思うのだろうか甚だ疑問だ。
周囲の環境を見るかぎり、きっとわたしは何十年も長く眠っていたと思われる。だからもしわたしの故郷が見つかってもそこにわたしの居場所はないだろう。
わたしはどうしたらいいのだろうと冷めたミルクを眺める。
ネモフィラはそんなわたしの手を握り直した。
『ねぇ、もし貴女の記憶を思い出したときは、私に貴女の本当の名前を教えてくれる?』
「え……?」
思わず声に出してしまった。ネモフィラは変わらず優しい笑みを浮かべてこちらを見ている。
『改めて自己紹介をしたいの。だって貴女、マグノリアって呼んでもすぐに反応してくれないじゃない』
バレていた。わたしは苦笑しながらカップを膝に置いて両手で彼女の手を握った。
『その時は改めてわたしの名前を教えますね』
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