無情な世界にひたむきな愛を - 1

クライアン

――――――


 蘭暦264年(女神暦2063年)


 代々地方の領主を務める家の次男として生を受けた自分は、数少ない家の財産を使って生きるのは将来的に希望が無いことを悟り、この身分をかさに着ない、そして土臭くない生き方をしたいと思った経緯で従軍を選んだ。

 だが昔から一応の教養の一環で学んでいた剣術とは違い、実戦的な訓練に自分は新鮮みを覚えつつも、筋トレや走り込み。そしてエネルギーや筋肉を付ける為に高カロリーな物を胃に詰めるのを繰り返す地獄のような日々に自分は「ブートキャンプが終わったら指令局事務仕事に異動願いを出そう」と念仏のように唱えていた。


「クライアン、そんなこと言うならやめちまえば?どっかの田舎で穏やかに畑仕事しようよ」

「あんな土臭い仕事は二度とごめんだ」

「え、経験あるの?意外!」

「実家の領地は荒れているんでね」

「貴族も苦労するんだねー」

「全くだ」

「家名は紫陽花ハイドランジアなのに」

「皮肉だな」


 だがブートキャンプで仲良くなった同期も居た。人族で東方地域出身のトバイロンだ。

 平和な世界にしたいという高尚な理由で従軍を志願したという希望に満ち満ちた人間だった。

 本来貴族と平民の間には溝ができやすい。貴族が軍事学校を経由せず直接従軍することが少ないので、自分の同期に貴族がいなかった。

 そんな中身分問わず話しかけてくるトバイロンは珍しいタイプで、ぐいぐいくるタイプの彼に自分もあっさりと絆されてしまったのだった。


 自分のいた領地は主に乾燥地帯に生きている動物に関連した魔族しかおらず、土地柄のびのびとしているが人族は生きにくい環境だったこともあり、多くの種族が行き交う王都の景色には驚きを隠せなかった。

 それでも異種族と関わることが出来るようになったのは、種族も身分も分け隔てなく接してくるトバイロンの人懐っこさが功を奏したのだろう。

 身分差自体は自分の実家が実家なので元からそこまで偏見は無かったが、自分の中に無意識にあった種族の差別がこの男のおかげであっけなく解消されたのだった。



 後継者である兄貴や家族たちには一応申し訳ないと思うが、自分はあの土地に戻るつもりは毛頭ない。

 乾燥した西の内陸の土地だ。地下水や各地にあるわずかなオアシスから水を引いているとはいえ作物も中々育たないから、自分の家も領地をまとめる貴族の家でありながら、領主の仕事以外に畑仕事などをして自給自足のような生活をしていた。

 だから土臭い仕事はもう懲り懲りだ。

 かといってどこかの家に婿入りするにもあんな貧乏貴族の家出身の人間を婿にもらってくれる家なんてどこにもいないし、自分の持っている僅かな金で事業を始めるにもそんな商材も商才もない。もちろん平民のような土臭い仕事をしたいとも思わない。

 だから適当に稼いで少しの給料を実家に仕送りするという表向きの家族孝行をする生活の方がまだマシだという消去法で従軍した。この国に忠誠心を持とうだなんて毛頭思わなかった。


 そんな地獄のような2カ月のブートキャンプが終わり、あらかじめ人事に希望を出したにもかかわらず、なぜか配属された先は通称陸軍と呼ばれる第四部隊だった。

 本来なら魔石採掘や各領地の警備に当たるところなのだが、絶賛内乱中なのでそれどころではない。しかも配属された先が戦闘の真っ最中だったのであの時ほど本気で辞めたいと思ったことはなかった。

 ちなみにトバイロンは自分と同じところの配属だからなのか暢気に喜んでいたので一回ぶん殴った。


 もちろん新人ということもあり最初は少々緊張や戸惑いはあった。だが配属先は表向きでは激戦地と呼んでいるが、現在膠着状態なのでひとまずすぐ死ぬことはないことを知り安堵。現場の上官の指示に沿って警備とたまに現地の魔石の採掘をただひたすら繰り返していた。

 だがそんな膠着状態が続く中、状況が把握できるようになっていくと南部地域の様子を見る隙、あちらのレジスタンスを壊滅させる隙がたくさんあることに気付く。だが何も動かない上層部に自分は違和感を抱くようになった。

 それとなく当時の上官に言えば「言いたいことは分かるが上からの指示だ」と返されるだけだった。


 現在王宮内部でも議員同士の派閥争いが水面下で行われている。

 王宮内部の情報は出稼ぎと称して王宮へ仕えに行っている姉や妹たちの手紙から聞いていたが、宰相であるロータス公爵筆頭の保守派と、財務大臣のパウロウニア公爵筆頭の革命派。そして中立派の三つに分かれている。

 皇帝の実権が薄い現状、政治は宰相であるロータス公爵がどうにか手綱を握っている状態だが南方地域の問題は動かすにも議会自体も膠着状態だった。

 そんな上の指示に不満を持った人間もそれなりに居たが、こればかりは仕方がなくどうこうすることが出来なかった。



―――



 蘭暦265年(女神暦2064年)4月中旬頃。


「……うへぇ、もう汗だく。ホントにこんなところに魔石なんて眠ってるの?」

「探知機がここら辺にあるって言ってるの。わがまま言わずに掘れヴェロニカ」

「お嬢様が私に指図するな」

「なに、平民の癖に簡単な労働も出来ないの?」

「アコナイト、ヴェロニカ。しょうもないことで喧嘩をするな」


 配属されて2年目、自分らの部隊にも後輩が入ってきた。女二人。卒業できれば軍の中でエリートコースに入れると言われる軍事学校の中では優秀な生徒。のはずだった。

 長年国に忠誠を誓い、多くの騎士を輩出してきたベノム家次期当主のアコナイト、平民出身だが戦闘センスは高いヴェロニカ。

 自分より格上の家出身であるアコナイトは軍人家系故か一応それなりの礼節を持って接してくれているし、ヴェロニカは人懐っこいトバイロンと馬が合うのか仲良く一緒に鍛錬をしているところも見かける。だが。


「せーんーぱーいー、魔法使っちゃダメですかー?」

「なんでもかんでも雷落とせばいいってもんじゃないわよ、この脳筋!」

「痛っ!毒針刺すな!殺す気!?」


 こうしていつも二人の中で争いが始まるのだ。この辺荒らしてしまえば敵に察知される可能性も高くなるし、発掘されるべき魔石が使い物にならなくなったらどうしてくれるんだ。

 16歳のアコナイトに15歳のヴェロニカ。自分も現在16歳だが本当に自分と同世代なのかと胃が痛くなる。

 きっと人事もそんな彼女たちが手に余ったのだろう。むしろ激戦地で勝手に動いてくれればそれでいいとでも思ったのかもしれない。戦況は変わらずだし、お互い様子見をしているだけの状態なのだが。


 だからと言って自分らにこの問題児たちを押し付けないでほしい。


「……お前らいい加減に」

「はいはいクライアン、どーどー」

「お前も教育係なら彼女たちに何か言ったらどうなんだ!!」


 トバイロンも彼女たちの教育係として付いていた。貴族出身であるアコナイトが自分で、平民出身のヴェロニカがトバイロンの担当だ。現在この4人で下っ端らしく本来の業務である魔石の採掘を行っている最中だった。

 確かに採掘を進める必要はあるが、お前も関係ないような顔をしていいわけがないだろうトバイロン。

 配属当初はまだ猫被っていたのか多少は可愛げがあったのに。

 今こそあんなだが、配属当初人見知りを起していたアコナイトにトバイロンがぐいぐいと迫ってきたのだ。


『凄いじゃん、毒の魔法って!敵も見て分からないもんね。えっ、毒の効果って口にしないと使えないの!?死なない?大丈夫?』

『えっと、その……』


 まだあの時は可愛げがあった。あの時は。

 その後トバイロンは先輩に首根っこ掴まれて退場されたが、まさか配属2年目である自分らが彼女らの教育係に回されると知った時は内心高揚していたが、こんな問題児だと分かっていたら引き受けることなんてしなかった。

 そんな自分の心情を読み取れないのか、トバイロンは更に自分を煽る言葉を向けてきた。


「そんな怒ってたら血圧上がっちゃうよ?ただでさえ馬は血圧高いのに」

「そんなわけあるか!」


 どかー-ん!!!


 この森一帯に自分の声がこだましたと同時に後ろの方から大きな爆風が自分達の髪を大きくたなびかせた。

 どうやらアコナイトの毒とヴェロニカの雷が化学反応を起して爆発したらしい。これはこの土地の森林破壊以上に不味そうな音だった。最悪岩盤が崩れて後から山一つなくなりそうな。

 よし、逃げよう。と足を反対方向に向けたものの、逃がすまいと自分の同期が自分の肩を掴んで現実を見せようとしてくる。


「ヤバいクライアン、人がいる」

「は?」


 爆破した箇所から魔石がどこにも見当たらない代わり、爆破した穴から人工的に作られたトンネルが露わになった。

 そこから人間たちがなんだなんだと開けた穴から顔を出してきている。

 彼らと目が合い、あちらもトンネルを爆破させたのが軍の人間だと認識したのか次々と男たちが武器を取り出して迎え撃とうとしていた。

 レジスタンスだ。自分達は敵陣の隠しトンネルの真上を掘り起こそうとしていたのだ。あの魔石探知機、トンネル内で使われるランプの魔石に反応しやがった。

 何が何だか分からない新人たちはぽかんとした顔で突っ立っており、状況を理解したトバイロンと自分は彼女たちの首根っこをそれぞれ掴んで一斉に走りだした。


「敵襲ー!!」

「軍人だ!!」


 逃げ出した自分達を彼らも追いかけてくる。あとから状況を理解出来たのか彼女たちはすぐに体勢を整え自分達の後を追いかけ始めた。


「マジの戦闘とか久しぶりだね!ここから拠点までどれくらいかな」

「能天気なことを言うな!!直接行ったら敵にばれるだろうが!!」

「申し訳ありません!!私たちは何をすればいいですか!?」


 自分に非があると理解したのは良いが、敵に追われているこの緊急事態に指示を仰ぐな。


「戦闘なら私ら火力に自身があります!!」


 先程見たから知っている。

 だが自信満々に目を輝かせるな。この山を更地にするつもりか。


「お前らは何もするな!!」


 瞬時に緊急事態のための閃光弾を上げ、魔術水晶で拠点にいる人間へ現状報告をする。

 自分の魔法を駆使してどうにかこの場から逃げ切ることができたものの、拠点に戻ると全員上官からこってり絞られるのであった。



―――



「先輩、俺辞めて良いですか」

「仲が良くていいじゃないか」

「他人事だと思ってますよねぇ!?」


 自分が先輩と慕っている上官に泣きつくが誰も取り合ってくれない。しかもこのやり取りを何度もしているので、もういつものことだとスルーされてしまっている。

 以前結局偶然見つけた隠しトンネルはその後調査をすると、この要塞から東にある村にたどり着いたらしい。レジスタンスへの物資をあの村から運んでいたのだろうというのが上の推測だ。

 その後も軍内部で調査を続けているらしいが、どうなったのかは不明。この辺は自分らの管轄ではないから心底どうでもよかった。


「それより、ヴェロニカは兎も角、アコナイトはあのままで良いのか?」

「は?なにがですか」

「彼女また毒を飲んだらしいぞ」

「……またですか」


 アコナイトは戦うのが怖い癖にプライドは高かった。

 ベノム家には自分の魔法以外の毒も慣れるために幼い頃から対毒訓練をする慣習があるらしい。だが彼女の場合、対毒以外に毒の感覚を知らないと魔法が使えないからという理由で今も毒を体内に取り込んでいた。

 現在戦争中で、お互い様子を見ている状況ではあるものの今も尚敵陣と隣り合わせの状態。誰かが何かを言ったわけでもない停戦状態だが、もし何かが起これば出陣しなければいけない。魔法の使用できる幅を広げるのは良いが、なぜ今も尚毒を飲み続けるのだろうか。


「一応、様子見てきます」

「おう、つまみ食いするなよ」

「しませんよ」


 病人に手を出す男がいるかよ。


 自分らがいる拠点はサイプレスヒノキ城塞と呼ばれ、激戦地からそう遠くない城壁の中にある。南方を守る山岳地帯の端から端まで伸びている境界線のようなものだ。

 南方地域でレジスタンスが占拠しているのは現在シーダスギガーデニアクチナシオズマンサスキンモクセイダフニージンチョウゲの4つの区域で、シーダ領の端にある山岳地帯にこの城塞はある。

 この内乱が始まってから数年かけて作られたその城塞は一度も破られたことがない。というより国民のこれ以上の反乱を恐れて作られたようなものなので、ここまでレジスタンスに攻められたことは一度もなかったが。(今回の一件でこの山の中をトンネルで突っ切って通っていたことが発覚したけども)


 その城塞の中で女性軍人が滞在している区画まで行くと途中ヴェロニカと合流した。


「アコナイトは昔からビビりなんです。ああやって自分を苦しまないと安心できない馬鹿」


 唯一残ったベノム家の一人娘。殉職した兄の代わりに跡取りになった彼女は彼女なりの苦痛があるのだろうか。ヴェロニカ曰く、彼女が訓練以外で服毒をするようになったのは学校を卒業してからだという。


「分かってて喧嘩を売るのは良いがほどほどにしてくれ」

「わざとじゃないですよ。うじうじしてるアコナイトが悪い」


 アコナイトがいる部屋に入り、ヴェロニカに中を確認してもらった上でプライベートを仕切るカーテンを開けると、ベッドに横たわっているアコナイトがいた。頬が蒸気して汗ばんでいる。

 突然入られた客が自分だと分かると彼女も驚いた顔をしてすぐに起き上がった。


「クライ、アンさんっ!?」

「アンタがまたうじうじするから連れてきた」

「なんで、連れてくるのっ!」

「なんだよいつも寂しそうな顔してるくせに」

「っちが!でも本当に今日は」

「あーハイハイ、分かった分かった。どうぞごゆっくりー」


 いつものことだと言うかのようにヴェロニカは部屋から去ってしまった。

 自分は念のため持ってきた解毒剤を取り出すとアコナイトはそれを断るので呆れながら自分は近くにある椅子に座り、持っていたハンカチで彼女の汗ばんだ頬を拭う。彼女の肌に自身の黒髪を貼り付けるくらいには汗ばんでいた。

 驚いたのか彼女の大きく体が跳ねあがった。


「いつも言ってるが、鍛錬は自分を苦しめるもんじゃない。自分の身体が使い物にならなかったら緊急時どうするんだ」

「……分かって、ます」


 ヴェロニカ曰くいつもならその辺にある毒草を煎じたものを肌に塗ったりしているらしいので、少しの傷程度で済んでいるはずなのだが今回は全身に回っているようだ。

 もし今敵襲が来たら何もできないではないか。


「分かっているならとっとと解毒しろ。どうせ出来るんだろ」


 自分の魔法と同属性の物質なら自分の身体に取り込めば魔力に変換できる。自分は【空間】の魔法なので出来ないが、そうでなくても彼女の魔法は自分の解釈次第でクスリにもなる。以前本人が出来るとそう公言していた。


「できません……」

「はあ?」


 【毒】を服用して体調が悪くなっているなら【解毒】もできるはずだろう。だがアコナイトはその場でもじもじして言いづらそうな顔をしている。

 さらに頬が赤くなっており、涙目になっている状態に自分も思わず目を逸らす。


「その、今回初めて摂る毒で」

「あぁ」

「しかも毒は毒でも害はない毒なので、解毒はできなくて」

「害のない毒?」

「……媚薬です」


 びやく。ビヤク。媚薬。回春薬。催淫剤。性欲を増進させる薬。数秒の沈黙にアコナイトもブランケットに顔を埋めて隠している。


「……おい」

「はい……」

「これは、そのまま安静にしておけば治るのか」

「えっと……多分。魔術は、かかってないので」

「……分かってて服用したのはもういい。いや良くないが、これは誰から入手した」


 彼女の言い方からして自分から分かってて飲んだことに間違いはないだろう。しかし媚薬なんてこの状況下において使用する機会はないはず。


「それは――」


『おう、つまみ食いするなよ』


 その名前を聞いて先ほど会話した先輩上官が脳裏によぎり、大きくため息を吐いた。媚薬だと分かってて服用する彼女も大概だが、それを渡す上官も大概である。

 彼も彼女を抱くつもりは無いようだし真面目な彼女を面白がってのことだろう。余計性質が悪い。


「次からはもう魔力変換の目的以外に毒を体内に取り込むな」

「はい……」

「ヴェロニカに水か何か持ってこさせる。俺は――」

「あの、そばに、いてくれませんか……?」


 引き留める俺に対してアコナイトはまた涙目で訴えてくる。

 自分は理性を総動員させ彼女の額に向けて頭突きをかました。


「~~~~っっ!!?!?」

「甘えたことを抜かさないでさっさと寝ろ!この馬鹿!!」


 自分はカーテンを閉め、すぐに部屋から出ていった。

 ヴェロニカに彼女へ水を飲ませるように、そして念の為見張っておくよう伝えると自分の部屋に直行した。

 部屋に戻りドアを閉めると、ある程度緊張が解けほっと安堵のため息が漏れる。

 だがまた彼女の顔が脳裏に蘇り、ずるずるとその場から崩れ落ちた。

 野郎から見れば据え膳。だが今の彼女は風邪を引いた時の寂しさと同じような状態だろう。後であの上官に苦情でも申さないと気が済まない。


「……もう、辞めたい」


 口癖になったその言葉を漏らす。すると部屋にいた同室のトバイロンに散々慰められるのであった。



―――



 彼女たちが入隊し半年たった頃、自分達はチームを解散しお互いそれぞれの場所で任務を行う頻度が増えた。

 それでも新人二人の喧嘩は相変わらずのようで、自分は彼女たちのそれを呆れながら見守るようになった。


「はいはい、もうクリス眉間に皺を寄せない。笑って笑ってー」

「トバイロン、その顔腹立つからやめろ」

「硬派だねー、女の子にモテないよ?」

「今の状況で必要か?」

「日頃からの行いが大事なんだよ」

「……お前もそれは同じ事が言えないか」


 だがそんな身分種族関係なく和気あいあいと接する自分らを良く思わない人間は一定数いた。


「貴官も苦労するな。厄介な奴らの手綱を握ることになって」

「……全くです」

「彼女らの教育係は直接従軍した君には手に余るだろう」


 一人で行動していると、なぜか自分にばかり妬みなのか同情なのか判別し難い言葉をもらう。目の前にいるこの男も別の隊に所属している人間だが、あの問題児の噂を聞いていたのだろう。

 トバイロンはあの性格なのでおそらく「あの子たち可愛いですよね!それでいて強いなんて俺の立場がありませんよ!」なんて素直に笑顔でそう返しているのだろう。あのまっすぐさが羨ましい。


「で、どっちが良かったんだ?」

「は?」

「恍けるなハイドランジア。君らの噂は聞いてるよ」


 粘着質のある声が耳元で囁かれる。自分はその言葉の意味が分からなかった。自分が理解できないまま彼から話が続けられた。


「彼らと仲が良いのはよろしいが、軍の秩序を乱してはいけない」

「……本官があの二人との関係が良好であるのは認めます。ですがそれはあくまで先輩後輩としてです。軍としての秩序を乱したつもりは無い」


 拳を握り締めるも一呼吸おいて一旦堪えた。どうせ貴族と平民同士が仲が良いのが嫌なだけだ。


「まだ恍けるんだな。聞いているんだよ。毎晩二人の部屋に訪れていること」


 言わないでおくから、二人を私に紹介してくれないか。

 最後の言葉で己の我慢が効かなくなった。相手を真っ向面から殴りつければ相手も勢いよく後ろに尻餅をついた。

 自分が相手を殴りつけたことで周囲が騒ぎ立てる。自分を責める声が聞こえるが、それ以上に自分の怒りが抑えられなかった。


「なぜ、彼女らを貴官に紹介しなければならないのです」


 辺りがしんと静まった。

 腕に縫い付けてある紋章を見ればこの男の階級は曹長だ。口ぶりからして貴族だろうとは思ったが、まさか准尉未満の下士官下っ端とは思わなかった。

 しかし自分から見れば階級は上だ。上官を殴ったことは尚更問題になる。それでも自分の気は治まらなかった。


「もし本当に自分が秩序を乱したとして、自分が貴官に彼女らを紹介する理由にはならないでしょう!何が言わないでおくからだ!保身のために自分の後輩を売ることはしない!」


 自分の声が思ったよりも響いていたことに気付く。気付けば自分らがいる狭い通には人だかりができていた。

 遠くでアコナイトとヴェロニカが自分らの所に行こうとしているのをトバイロンが引き留めているのが見え、自分も徐々に冷静になってきた。


「えらい騒ぎになっているな」

「ヴィスコ中隊長!!」


 周囲が道を空けながら次々と彼に向かって敬礼し始めた。自分も慌てて右手を掲げる。周囲の人間よりも体格が大きいため、彼を見分けるのは容易かった。

 ターゲス・ヴィスコ中佐。彼を見るのは初めてではないが、近くまで来られると恐怖で背筋に冷や汗が流れた。しかしこの要塞においての責任者である中隊長がなぜここにいる。

 そんな自分の考えも知らない彼は自分らの状況を見ると、真っ先に殴られた方に笑顔で話しかけた。


「やぁ、久しいなゼルコバ。馬に蹴られるならぬ、馬に殴られたか」

「ヴィスコ中隊長。彼が一方的に……!」


 ゼルコバと呼ばれた男は自分から殴られたことが信じられないのか、中隊長に訴えかける。

 状況証拠として自分から手を出したのは明らかである。これは罰則どうなるのだろう。懲罰房で数日謹慎だろうか。それとも重労働だろうか。


「それは事情聴取で話せ。君はハイドランジア一等兵か」

「!?」

「最後のセリフだけは男前だったんだがなぁ」


 名前を覚えられていることに驚く。

 結局自分は三日間懲罰房で謹慎することになった。

 だが被害者であるはずのゼルコバ曹長は階級が下げられ、別の戦地に異動することになった。女性兵士に対する問題行動が公になったらしい。

 元々准尉に昇格する話があったようだが、それも取り消しになったようだ。アコナイトがざまあみろとほくそ笑んでいたため、これ以上は何も詮索しなかった。

 その数か月後、自分はヴィスコ中隊長の周囲の雑用を任されるようになる。なぜだ。



―――



 蘭暦266年(女神暦2065年)1月。


 あの地下トンネルをきっかけに調査が進められた結果、徐々にこの国の中身の腐りようを見て見ぬふりができなくなった。

 レジスタンスが占拠した領地の元領主たちの納税額詐称に、平民たちの奴隷化。社会主義とはよく言ったものだがこのような惨状が各地で行われている。

 最初は粛清すれば解決できると軍も国も皆そう思っていた。

 だが内乱がはじまって七年くらい経ち、その現状はトカゲの尻尾切りでは意味がないくらい、この国は腐りきっていた。

 動くのが遅いと思うだろうか。気付くのが遅いと思うだろうか。議会にいる貴族たちが同じような過ちを犯して何度も議員職が処分されていたが、どれも首を挿げ替えただけで全てうやむやにされていたのだ。


国家転覆クーデターを起こそうと思う」


 ターゲス中隊長の言葉でこの隊は明確に国との決別を選んだ。

 綿密に、入念に。国にはギリギリまで諭されないように。じわじわとその全貌を把握して皇帝の息の根を止める。

 現在この南方地域の状況は相変わらずで、一部の小隊が別の所へ異動され、この城塞に支給される物資は少なくなった。

 これら全てを知っているのは、この頃から側近として雑用をこなしている自分を含めた少人数の人間だけだ。

 だがこの言葉で軍を離れる人間はいたものの、クーデターについて否定する者はいなかった。

 国に不満は多々あれど自分の意志で反乱を起こせるほど肝が据わっていなかったのだ。


「クリス、辞めたいって言わなくなったね」

「お前はどうなんだ」

「いいや? むしろ」


 「隊長についてよかったって思うくらい今が楽しいよ」と笑う。

 トバイロンは何も知らない。彼の直感がターゲス中隊長を信用に足り得る人物だと判断しているからだろうか。その溌剌とした顔に自分も思わず笑いがこみ上げてきた。


 その後間もなくしてヴェロニカとトバイロンは他の中隊へ異動。アコナイトは通称情報部と呼ばれる第二部隊に三か月間出向することになった。あちらには彼女の父親も在籍しているから多少顔は効くだろう。

 徐々にこの城塞から人族が減ったように思える。別に差別しているという訳ではなく、肉体に特徴がある魔族より人族の方がある程度変装が効くから、そして南方地域を潜入する際は魔族の方がやりやすかったのだ。


 この国は西から南にかけた地域に魔族が多くいる。

 実際この内乱が起きた要因にもこれまで魔族と人族交代交代で皇帝が代替わりしていたのに、ここ六十年の間ずっと人族が皇帝を務めていることが挙げられている。そのせいか現在南方地域の人族の待遇は極端に悪いようだ。


 その現状がよく分かったのはヴェロニカと街へ降りた時だった。

 必要な物資を調達するためにいつもとは違う街に向かったのだが、角も尻尾もない、かと言って翼もないその姿を見て彼らは遠目からじろじろと見つめる。


「俺から離れるなよ」

「分かってますって。何なら恋人っぽく腕を組んで歩いてみますか?」

「ふざけるのも大概にしろ」

「だってー、クライアンさんと一緒に行動するの久しぶりじゃないですか」

「……ならせめて上官らしく威厳を保て」

「はーい」


 アコナイトとヴェロニカはその実力のおかげか、一気に昇進し、今では先に従軍した自分やトバイロンよりも階級は上だ。騎士として氏を貰うのも時間の問題だろう。

 今回の物資調達もヴェロニカの指名で動いている。人族だからということもあるがそれ以前に女なのだ。仕方あるまいと付いてきている。


「先輩って、女性私たちを守る癖に見下しはしませんよね。アコが自分で媚薬飲んだ時も一切手出ししなかったみたいですし」

「当り前だ。大体、相手が部下でも襲えば罰則ものだぞ」

「だから堅物って呼ばれるんですよ」

「は?その話は知らないんだが」


 自分に女の機嫌は理解できなかった。


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