清純の愛は誰の為に

カトレア

――――――


 私の一番古い記憶は、母の美しい歌声だった。

 私の母は金糸雀という鳥類の魔族であるためか、その歌は赤子の私でも美しいと感じた。


 私は先帝の第三皇子の七番目の子供としてこの生を授かった。

 皇族と血の繋がりが近い生まれの母は、父である当時の皇子とは以前から仲が良かったらしく、本来ならば貴族たちのパワーバランスを崩さないよう、皇族の結婚相手は側妃であっても厳粛な審査が必要だったが、当時の皇帝陛下のご厚意で側妃ではなく更にその下である妾として父の側に居させてくれたのだという。

 私の皇族としての血は腹違いの兄弟たちよりも濃く、しかも何十年ぶりかに生まれた魔族の人間だったが、母と違い私の翼は鳥族用の背中の開いた衣装を着る必要がないくらいとても小さく、私が魔族だと知る人間は両親と乳母と世話付きの侍女だけだった。


 そんな私が初めて母から受けた教育は、相手に表情を読まれないよう無表情でいることだった。

 どんなに心が躍る時であっても、どんなに悲しくて涙が出そうな時でも、私は表情を動かしてはいけない。冷たく、私が使う魔法のように、どんな時でも無表情でありなさいと言いつけられた。

 同じ宮殿で暮らしていた腹違いの姉からお下がりのリボンを頂いた時も、私は常に表情を消していた。


 私の髪と瞳の色は父と同じものだが、顔は母によく似ていると言われているせいか、この髪の色も相まってぼんやりとした顔だ。

 だが姉上は実母に似た髪色ではあるものの、顔の良い父に似てとても端整な顔立ちだったのが少し羨ましかった。

 そんな姉上は二人きりの時だけは私に笑顔を向けてくれと言ったので私は姉上と二人きりの時だけは表情を和らげた。


 だが私が感情を表に出すと殺される。そう実感したのは、四歳の時に母が死んでからだった。

 母の眠る棺桶の前でひたすら泣いていた時、正妃が私の前に現れたのだ。

 今まで数回しか顔を合わせたことはなかったけれど、彼女のその表情は当時の私にとって一番恐ろしいもののように見えた。


「アクイレギアさま……?」

「正妃様、でしょう?」


 後で分かったことだが、父が母の方へ寵愛が向いているので正妃は嫉妬で母とその娘である私を随分と嫌っており、私のあずかり知らぬところで嫌がらせが起きていたらしい。

 正妃はとても嫉妬深い性格で、姉上の実母もそんな正妃の嫌がらせに耐えられず、娘である姉上を置いて王宮から出て行ってしまったらしい。

 それは父も分かっていたらしいが、正妃が位の高い侯爵家の人間であったこともあり、頭が上がらなかったともいう。

 父も体の弱さ故にお隠れになり、正妃からの嫌がらせもぱったりとなくなった。その後も姉上が私を気に掛けて共に居てくれたが、私はそれでもひたすら無表情であることを務めた。


 そんな中、私は五歳、姉上は十三歳になり姉上は貴族の家へ降嫁することになった。


「私の可愛いカトレア、絶対に正妃とは必要以上に関わってはダメよ。自分を守るためにしっかりと淑女としての教育を受けなさい。そしてたくさんの本を読みなさい。知識はその後の糧となります」

「わかりましたわ。エリデス姉上」


 私を守ってくれる人は誰一人いなくなった。

 まだ教育係が付けられない歳であったため、できる限り侍女や乳母から読み書きと礼儀作法を学び、読み書きができるようになってからは、本を持ってきてもらうように頼んだりもした。

 そんな熱心な私を見て乳母たちは、今からでも教師を雇ってもいいと言われたが、正妃にばれてしまうのはよくない気がして、自分が学んでいることは秘密にして欲しいと頼んだ。

 だがそんな侍女も乳母も王宮騎士も入れ替えられ、あの正妃の息のかかった侍女が入ってきた。王宮騎士は三人で、しかもそのうち女性が一人だけだった。

 私は実質正妃に監視される生活を送ることになってしまい、まだ私は正妃から嫌われていたことを実感した。


 私は侍女が信用できず、自分でできる限り身の回りのことは自分でできるように練習をし、着替えなどの世話をしてもらう時は部屋に誰も入れず、手伝いは騎士のヴェロニカに頼んだ。


 そんな心休まらない幼少期の最中、私が腹違いの男兄弟や城に住まう直系のいとこ達と対面できるようになったのは私が六歳になった時だった。


「始めまして、モス=オーキッドだ」

「お初にお目にかかります。カトレアと申します」


 一応公での挨拶ではあったものの、兄上のそのお姿に心を奪われた。一目惚れだった。

 正妃の子であるのに私と同じプラチナブロンドの御髪にアメジストの瞳。

 当時十二歳だった彼の天使のようなその顔立ちは私と似ても似つかなかった。本当に同じ父の血が流れているのかと疑ったりもした。


 その日から私の部屋に兄が訪れるようになった。

 当時たくさんいた兄弟の中で、なぜ私の部屋に来るのかと問えば、母である正妃から避けるためであるらしく、正妃から嫌われている私の近くに自分がいるとは思っていないだろうからと言っていた。

 はっきりと正妃から嫌われていると言われるとショックだったけど、私はモス=オーキッド兄上が来てくれるので内心とても感激した。


「オマエ、その表情で嬉しがっているのか?」

「…………なぜ、分かったのですか?」

「……まぁ、一応妹だし教えても問題ないか。これが余の魔法だ」


 兄の左目は赤く光っていた。そして私の魔法で兄を凍えさせまいと遠くにいるのに、私が読んでいた本の内容を兄はあっさりと答える。ピクリとも顔が動かない私の考えが読めないから、魔法を使って私の心を探ったようだ。

 初めて私は兄の魔法を知って驚いたし、その感情を読まれるのはとても恥ずかしかった。


 そんな兄も数日で私の部屋を訪れなくなった。そりゃあ侍女が監視しているのだ。私の部屋に訪れていたことはすぐに正妃にばれてしまうだろう。

 分かっていたことだけど、悲しかった。

 それでも兄と再会できたのは案外すぐのことで、私は大叔父である当時の皇帝陛下と共に会食をする機会が訪れた時だった。


「モス=オーキッド、もし其方が皇帝だったとして、謀叛を起されたらどうする」

「制圧後、決まりに沿って処します。そしてその後法律を変えます。また謀反を起されないように」

「現在、南方での内乱が続いているが、それが制圧できた後はどうする。中には謀反を起す理由もなく賛同していた物もいただろう」

「……問答無用で処刑します。皇帝に逆らう人間は女神に逆らうのと同義だ」


 私が生まれる前から、この国は南の方で反乱が続いていた。

 その地域が現在どのような状況なのか分からないが、激戦地の周辺はスラムができ、治安も悪いと聞く。

 南方地域は大陸に近く、外交が盛んだった時期の人口は王都よりも多かったと記憶している。

 そんな南方地域であれば大多数の人間の中にもそそのかされて動いていた人がいるはずだ。そんなのはとても可哀想に思えた。


「カトレアは?」

「――私は、拘束したうえで首謀達に話を聞きます。その後の話によっては条件を付けて解放します」


 皇族は「オーキッド」や「オルキデア」という名前を持つ者が多いため、ミドルネームで呼ばれる。

 私の言葉に周りはざわついた。「それは甘すぎる」「刑法を知らないのか」という兄弟やいとこの声も聞こえてくる。

 皇帝はそれでも優しい笑みを浮かべて更に問いかけた。


「それはなぜだ?今の法では必ず処刑するという決まりだ」

「確かに、現在は理由が何であれ問答無用で首を落としますが、それでは意味がありません。この国を良き方へ向かうためにはその者の意見や知識も必要だからです。

 確かに皇族を乗っ取る輩もいるかもしれませんが、その時は守ってくれる家臣や民がいると信じております」

「……そうか」


 その後陛下は何も言わなかったが、その顔はとても満足していたのは覚えている。

 その一月後、皇帝はお隠れになりその姪で父の姉にあたる伯母がその代を引き継いだ。

 伯母に子供は一人もおらず、皇位継承権が付与されてから結婚しても子供を作ることはしなかったという。

 皇族は男女関係なく子供を作るには命懸けだ。既にこの世にいない父が私含めて八人作ることが出来たのは奇跡に等しい。

 降嫁した皇女たちもその体の弱さ故に子供が授かれないか、出産時に体力が付きて死んでしまう者がほとんどだった。私の姉上もその体の弱さから、子供は作らないと結婚相手と話をしていたらしい。手紙にもそう記されていた。



 そしてその頃から私はまだ学ぶべき年齢にもなっていないのに帝王学を学ぶことになり、兄と関わることも少なくなってしまった。


「皇位、継承権……」

「左様でございます」

「なぜですか?私は女であり、側妃ではなく妾の子です。そんな私に皇帝など」

「先代の皇帝陛下からの遺言です。それに現在の皇帝陛下も女性ですし、先代も正妃の子ではありませんでした」


 先代の遺言なら私は承知するしかなかった。私も皇族の一人だと自覚していたのに、皇位継承権があるなんて思いもしなかったのだ。


 皇族はその血筋であれば誰でもなれるというわけではない。皇帝が自分より若い皇族の中で優れている人を相談役である元老院と共に選ぶ。

 それは年下であれば自分の弟妹でもいとこでも、なんなら叔父や叔母でも良かった。

 だがその継承権は時に変動するものだ。もしかしたら自分よりも優れた者が現れたら除外してくださるかもしれないとある意味希望を持って過ごしていた。


 そんなある日、自分は元老院との会談の際、彼らから皇族の権威はもうどこにもないという諦めの言葉を聞いてしまう。

 今の皇帝は混血で代替わりが激しく、その在任期間は早いと一年も満たないお方も居たくらだ。

 多くの血を取り入れるため、たくさんの家の人間と契る。時には名も知れぬ辺境貴族の娘を輿入れさせた時もあった。

 その所為で議会に出る貴族たちは皇族に自分の血を取り入れてもらおうと必死だ。そんなことをしてもその権力は絶対に及ばないというのに。彼らは決まった家同士でしか婚姻関係を結ぶことがほとんどな純血主義の家ばかりだった。


 ふと私は『純血主義』という言葉の意味をよく考える。

 純血主義は魔族または人族同士でのみの婚姻関係を結ぶことまたはその思想のことを指す。魔族の場合はそこから種族が分かれるため、その中でもまた狭まった純血主義があるのだが、それくらい貴族は血統を重要視し、家の財力や権力が削れないよう所縁ある家同士で婚姻関係を結ぶ。

 つまり皇族はその逆である『混血主義』ということになる。皇帝が貴族たちの手本にならなければならないのに、矛盾したこの状況に私は首を傾げながらも、遠く離れた国の王族の家系図を見て私の思考に電気が走る衝撃を受けた。


 もしかしたら、私は兄上と結婚することが出来るかもしれない。

 そう思った後の私の行動はかなり早かった。


 皇族の家系図や皇族が王妃になったあとの国の外交などを調べ、元老院にそれとなく「私はオーキッド兄上のことをお慕い申し上げております」と子供の戯言から始まり話を持ち掛けたりもした。

 元老院は議員の役職を降りた人間と教会の人間が半々。立法や行政に関わることはほとんどないが、その代わり皇帝陛下の相談役として皇帝は定期的に元老院と対談したり、次期皇帝を形式上任命する。貴族のお目付け役やじいやにも近い組織だ。


 そんな皇帝の忠臣が揃っている元老院も、現在の皇族の在り方に不満を持つ者も多くいたようで、その話はすぐに皇帝に渡り私は女帝であった当時の皇帝陛下とお茶会という形式で対談する機会がこっそり設けられた。

 陛下は触れてしまえば壊れそうなくらい細い身体だった。でもそれが気にならないくらい気高いお方だった。


「カトレア、其方は兄君のことが好き?」


 赤い口紅で紡がれたそのお言葉はかなり率直で、動かさないようにしていた顔も目を大きく見開いてしまった。


「はい……っ……大、好き……です……」


 消え入りそうな声で陛下に返答し、ついには顔を両手で隠した。

 思ったことを口にはしないようにしていたので、自分の想いを言葉にするのはとても難しく、とても怖かった。

 どうしてだろう。元老院に離した時は何とも思わなかったのに、自分の感情を表に出すことはこんなにも怖いことなのだろうか。


「そう……」


 陛下はそう反応を示すが、私が顔を隠しているのでどう思っているのか分からない。

 あぁ、だから母上は表情を動かすなと教えてくださったのだと初めて実感する。

 兄上のように私は良き皇女を演じることはできない。だけど感情を表に出すことが命取りだというのは既に身をもって体験しているけれど、その意味を私はよく分かっていなかったのだ。

 そんな考えをよそに、陛下は席を移動して私の隣に座り直しては私を優しく包み込んでくださった。


「其方は死んだ弟と義妹に似てとても可愛いわ。でも、その固い顔は良いこともあるけど悪いこともある。近い未来、たくさんの敵を作ってしまうでしょう。それらから彼が守ってくれると良いわね」

「……はい」


 頭を撫でられるのは初めてではないし、毎日ヴェロニカが髪を梳くときにしてくれる。だが、陛下のその手つきは母を思い出すものだった。



 そんな陛下も私が八歳になった時にお隠れになってしまった。

 陛下を母と重ねていた私は葬儀の時、無表情のまま涙だけ流していたので周りからは気味悪がられた。


 私の兄弟やいとこ達もその体の弱さで次々と亡くなり、私の皇位継承権は兄上に続いて序列二位になってしまった。

 兄がその皇位継げば私は次の皇帝ということになる。そのせいか私は兄上と顔を合わせる機会が多くなった。

 私は兄と共にいるたびに自分の想いを兄にさらけ出すのが怖くて、彼の魔法で感情が読まれないよう目を合わさず会話することに必死だった。


「オルキデア。なぜ、其方は笑わない」

「……己の身を守るためでございます」

「……確かに、考えと行動が一致しないよりかはマシだな」


 そう答える兄の言葉の真意は分からなかったけれど、私は心が読まれることを避ける反面、兄と話せるこの時間はとても嬉しかった。

 だけどその心は兄には読まれなかった。


「私は幸せ者ね。だって兄さまは私の兄だから、一緒に居られるの」

「…………今の貴女には難しいかもしれませんが、永遠なんて無いのですよ」

「貴女らしくないですね。でも、私は長くない。でもこの時間が過ごせるまま死んでしまえば永遠と同じことです」

「…………」

「ヴェロニカ、貴女は既に知っているでしょうが、私、アクイレギア様に嫌われております」

「姫様」

「貴女も彼女の所には行かれるのでしょう?前のヴェロニカも同じでした」

「……貴女の騎士ヴェロニカは侍女も含めて私め一人だけですよ?」

「今は貴女一人だけ。でも母上が土に還ってからもずっと一緒に居てくれた騎士のヴェロニカがいたの。すごく厳しかったけど。急にいなくなったけど、今はどこにいるのかしらね」

「…………」

「でもね、私前のヴェロニカは憎くないのですよ。今のヴェロニカも信頼してます」


 ヴェロニカ皇女の騎士。名前が同じなのはただの偶然かもしれないけど、それでも私にとっては大切な家族のような存在だった。

 ヴェロニカは眉間に皺を寄せた。最近ヴェロニカはそんな顔をすることが多い。



 そしてある日、私はとある書物で血族結婚を繰り返した果てに遺伝子疾患を抱えて生まれる子供の事例があるということを知った。

 この島にある国が一つになる前は、下級層の民の中でも血族同士での婚姻が多かったせいか、そういう遺伝子疾患の事例は多く残っていた。それ故この国は血のつながりが一切ない義理の兄弟姉妹でない限り兄弟姉妹同士での結婚は不可能だ。

 時に親子や兄弟、叔父と姪など近い血縁同士で生まれた子供を不義の子供と呼ばれることもあるらしい。

 社交場に慣れるための練習として、他の皇族やその妃たちと日常的に多く関わるようになってから、私は色んな貴族の噂話や家族に対する愚痴などの雑談を聞いたりすることが多くなった。

 継母である正妃から嫌われているのは相変わらずだったけれど、どの人間も家族として可愛いと思ったり愛情を向けることはあっても、夫や妻でもない家族に恋慕を向けることはない。


 私が兄上に向けるこの感情は罪なのだろうか。おかしいことなのだろうか。


 唯一打ち明けた先代の伯母上が亡き今、そんなことを相談できる人はいない。

 実際私が兄上と結婚したいと元老院に話した時は子供の戯言のように彼らは受け止めており、私がこんな事例があったと大陸や、国が統一される以前の婚姻について話し始めた時は正気かという顔を浮かべる人間もいたのだ。


「モス=オーキッドが皇帝になった暁には、カトレア=オルキデアも皇后兼摂政として兄の側で補佐をさせる」


 兄上と私も同席した元老院との対談では、先代の女帝の遺言通り現皇帝は私と兄の婚姻を認めてくれた。

 元老院の老人達がどよめく中、私は黙ってそれを受け止めたけれど、素直に嬉しいと思えなかった。兄上は険しい顔で私を見る。


「……進言したのはオマエか」

「皇族の血の純度を上げるには最適だと思いました。………それに兄上も私たちが短命であることを嘆いていらしていたではないですか」

「……もういい」


 正妃が私のことを嫌っていたのだ。その実の子供である兄上が私を嫌っていたのは察していた。

 あの日はじめて私は兄が怖いと思った。


 そしてある噂を聞く。私の実母は正妃に殺された。他の側妃やその子供達も同様に彼女の手によって殺されたのだと。

 正妃は皇帝の妻ではない。だけど今の皇帝に皇后はいない。だからなのか彼女が口出しする頻度も多く、皇后と同等の実権を握りつつあった。


 私が兄上の皇后になることは既に決まっている。だけど怖かった。別にヴェロニカたちを信頼していないわけではない。でも彼らは正妃の息がかかった騎士だ。

 周りが近づけないよう自分の感情を悟られないよう、自分の周囲を魔力で包み込んでは冷気で満たすようになった。


 そんな生活を送っていると、周囲から『氷雪の傾国姫』と噂されるようになった。

 傾国姫か。確かにこんな罪深い私にはふさわしい渾名だろう。

 ヴェロニカはそれに対してかなり憤慨してくれたが、私はそんな噂を取っ払うつもりは無かった。


 そして私が十歳の5月。私は騎士たちに拘束された。心から信頼していたはずのヴェロニカが私のことを裏切った。ヴェロニカはまた眉間に皺を寄せていた。

 王政や貴族制を廃止する。これが民たちの考えた結果だった。


 ヴェロニカ以外の全ての侍女を信頼していなかった私を拘束するのはきっと容易かっただろう。だって手の内を一番知っているのはヴェロニカしかいない。私はヴェロニカにすれ違いざま一言声をかけた。


「貴女が騎士団長になっているなんて知らなかった」

「……」

「……ヴェロニカ。貴女はずっと眉間に皺を寄せてましたね」

「…………皇女を、連れていけ」


 その時の何かを言いたげだっただったのは分かっていた。でも何も返事をしてくれなくて私は悲しかった。


 私は数日監獄の中で過ごしたのちに、宰相であるロータス家に引き渡された。


「君が13になったら、君は僕と結婚する。これは決定事項だ。反発しようものなら容赦はしない」

「……畏まりました」


 結局私が兄と結婚することは叶わなかった。自分を守ってきた魔法も一生使えなくなり、この小さな邸から出られなくなる。だがこれは私への罰だと受け入れた。

 正直安堵していた。結婚が決まっているなら、私は当分命を狙われることは無いのだから。

 だが自分に付けられた侍女に触れられることは嫌で、身の回りのことは自分一人でやった。そうして一人静かに邸の部屋で過ごす日が一ヶ月続き、早朝にアレクサンダーが部屋に訪れた。


「今夜、君の部屋に行く」

「…………お待ちしております」


 その瞬間私は背筋が凍った。この言葉の意味はそういう教育を受けていたから意味は分かる。でも私はまだ子供を産める歳じゃない。

 だけど私はその言葉を飲み込むしかなかった。


 その晩、私は侍女たちに体を清められ、部屋で一人ベッドに座って待っていた。本当に自分は兄以外の人にこの純潔をささげるのだと覚悟した。

 だが彼が部屋に訪れると、ベッドではなくソファーに座らされて茶を振るわまれ、私は言われるがままそれを口に含んだ。独特な香りのするが、これはハーブティーの一種だろうか。


「まず最初に、君の望みを聞きたい」


 私はその言葉に私は疑問を抱いた。私は罪人だ。権力を維持することが出来ず、国を守ることができなかった。そんな私に望みを言う権利はあるのだろうか。


「兄上に会いたい」


 思わず私は自分の口を塞いだ。そんな図々しいことを言うなんてはしたないことは今まで一切しなかったのに。

 だがその言葉に彼は目を見開いたものの、話を続けた。


「君に飲ませたのはただのハーブティーではないよ。自白剤を仕組ませてもらった」

「なんてこと……」

「答えによってはなるべく望みを叶えようと思ったけど、残念ながら君の兄とは会わせることは出来ない……彼は魔術学院に通うことになった。まぁ、君もそこに入るなら会う機会はあっただろうね」

「兄上はなぜ魔術学院に?」

「学びたいことがあると言っていた。高等部は何歳でも入ることが出来るからね。もちろん監視は付いてるから怪しい魔術を作ろうものなら即幽閉塔行きだ。学院で友人を作ることも出来ない」


 会わせられないと言いながら、なぜこんなに話してくれるのだろう。


「なぜ、甘やかしてくれるのですか。私は国民を守ることができず、法を蔑ろにして兄と契ろうとした罪人です!私は今夜貴方に抱かれると思って覚悟しておりましたのに!」


 自白剤のせいで、本音がこぼれる。怒りを露わにしたのは初めてだしこんなに本音を話したのは久しぶりだった。


「……君のことは調べさせてもらった。君が密かにオーキッド殿下と婚約できるように手を回していたことも知ってる。でも僕ら君ら皇族に敬意を持ってる。

 乱暴をしたことは申し訳ないと思ってるけど、その皇族の中に貴族と組んで税を着服している者が居た。他にも王宮内部で議員や側妃に毒を盛って殺したりね。彼らは既に処刑されているけど、誰が処されたか聞く?」

「そんなこと聞きたくありません。貴方の望みはなんなのですか。大体、貴方は本当にロータス家の人間なのですか?アレクサンダーなんて方は聞いたこともありません」

「そりゃあ僕の母は妾だし、ずっと軍に居たから政治についてはからっきしだ。君の耳に僕の名前が入ったことはないだろう。僕は軍ではアリックス・メイビスと名乗っていたから尚更」


 それにロータス家は事実上解体されたと付け足す。兎耳の宰相がふと脳裏に過ぎる。

 「何が、起こってたの?」と私は思わず、知ろうとも思わなかった現状について彼から聞いた。


 軍はこれまで皇帝からの指示でレジスタンスを制圧を試みていたが、ある日首謀者の一人から南方地域の統治の杜撰さについて話し始めた。

 南方地域を統治する貴族たちは大陸の方で争いが始まったと聞きだした途端挙って兵力増強のために重税を課し始めた。

 だがそれはただの口実で、彼らはその税金を使って贅沢をしていると分かり、その地域に住まう民で反乱を起こしたという。

 それがきっかけで、後々他の領地の貴族はどさくさに紛れて自分の領地を広げようとしたため争いは泥沼化。

 領地を広げようしただなんて貴族は口が裂けても言えない。だからその話は一切王宮には届かず、民も北方に向かおうとしたならば殺される。そんな状況がずっと続いていた。

 だが貴族のいない南方地域は大陸の方と交流をして独自の発展を遂げており、重税が課せられなくなった分その地域は以前よりも更に豊かになったという。


 それを知った軍は敢えて皇帝を裏切るという選択をした。

 本来なら皇帝だけでなく皇太子も真っ先に殺されるはずが今はほぼ幽閉されているし、皇位継承権第二位の私も降嫁という形でその身柄はロータス家にいる。

 皇族はほとんど生き残っていなかった。


 私は一連の話を聞いて絶望した。もう反乱が起こった時点で、いや、皇帝の権力が落ちた時点でこの国は終わりだったのだ。


「まだ君の望みは全て聞けてないよ。望みを全て答えて」

「……私の騎士達に会いたいです」


 私を守ってくれた三人の騎士たち。最終的には裏切られたと思っていたが、そうではなかったことが分かった。だから彼女たちに会って感謝をしたい。


「君に仕えた騎士。男二人には会わせられるけど、騎士団長。ヴェロニカ少佐は軍を抜けた。その後の消息は不明だ。残念だけど……」

「……現在、軍が執政しているのですか」

「事実上ね」

「…………」

「辛い?」

「……つらい?」

「だって君、眉間に皺寄せてる」

「私に表情なんて、無いです……とうの昔に凍らせてしまったから」

「君が泣いても今咎める人なんてどこにも居ないよ」


 ヴェロニカのあの表情の意味を私はやっと理解した。あの子はずっと泣いていたのだ。自分がいつか主を裏切ると分かっていてそれを堪えていた。


「ロニーは……ヴェロニカは何度も同じ顔をしていました。あの人は私よりずっと優しいから、私よりも泣くのをずっと堪えていたのに、私は気付かなかった……!」

「……」

「でも、もう全てが終わったのなら、解放されたなら、どこかで笑っていて欲しい……」


 私はソファーから立ち上がり、アレクサンダーの前に立って身に着けていたガウンをたくし上げる。そして片膝を折って深く体を屈めた。

 その格好では脚が曝け出してしまってとてもはしたない。だがあんなことを知ってしまえば私は彼に、軍に敬意を示すしかない。


「この格好で申し訳ございません。ですが皇女として……皇族を代表して言います。この国を、メイラを救っていただき感謝が絶えません。ありがとうございました……」

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