閑話休題 病院にて
病院での出来事。
時系列は第二章が終わった頃
――――――
また、同じ夢を見る。
微睡の中、白い光と共に現れるわたしの愛する人。わたしの夫だ。
わたしが涙を流しながら、彼を抱きしめるのは何回目だろう。
あの時はごめんなさい。でもあなたを愛しているのは本当よ。お願いだから許して。
手を伸ばした先に自分よりも大きな手が包まれた。
「おはよう。目が覚めたか」
その言葉に目が覚める。私はフィラデルフィアで
「……おはよう、ロイク」
知らない間に捕まれた手はすぐに離される。その手をロイクの顔に向かって伸ばしたが、彼の身長が高いため届かず触れるのは諦めた。
「医者から話は聞いたよ。心身ともに問題ないようだ。だがしばらく検査のため一週間入院らしい」
「そう、なんだ」
昨日自分がオーキッドに連れ去られてからというもの、色々あり過ぎて今目の前の事に対して実感が湧かない。
私の純潔がとか卵子がとか周りが騒いでいたがその心配もないらしい。なんで私の細胞一つでオルキデアがあんなに騒いだのかは分からなかったけれど。
どうやら私がここで入院する間だけロイクも
シャリシャリとリンゴの皮をナイフで器用に向きながらロイクは話を続けた。
「ところでフィア、何故これまで手紙を寄越さなかった」
「……」
ぎくりと私は暑くもないのに汗が出る。
確かに自分は
魔術の勉強に没頭していたというのもあるけれど、ロイクに、というか孤児院に手紙を送らなかったのは私なりのけじめだった。
「べ、勉強に集中していたから」
「おかしいな。ウルはマメに手紙を寄越してくれたが、それにはお前がこの前ウルの所属する小隊に菓子を振舞ったのが好評だったとか。あそこも孤児院並みに大所帯のはずだが、よくそんな暇があったなぁ?」
確かに以前自分一人のために第三小隊のみんなに代わる代わる護衛してもらっているのが申し訳なくて、お礼にとウォルに自分が作った梨のマフィンを配ってもらうようお願いしたのだ。
思わず苦笑がでてしまうが、それにロイクはあからさまに呆れていた。
「あはは……」
「別に必ず寄越せとは言わんが、今回のことと言い、ガーベラが心配していたぞ。俺もそうだが彼女もお前を娘のように見ていたんだ。せめて近況報告くらいはしてくれ」
「ごめんなさい」
私が孤児院を出てからもう三ヶ月が経つ。魔術学院に編入したのは十月だからもう一月である。この土地は旧カレンデュラ領より南にあるので暖かい。雪は降らないものの、今は冬。あちらではもう雪化粧を纏っているだろう。
本来なら自分もアイーシュで木の枝の飾りを作ったりして年末祭を楽しんでいたはずなのだが、今はアイーシュから遠く離れたシャトーバニラの病院のベッドの上である。
ロイクも自分のせいで年越しを家族と過ごせなくなったのは申し訳なく思う。
切り終えたリンゴを一切れロイクから差し出されれば、私はそれをぱくりと食べた。
「謝る必要はないよ」
「でも、私は」
ポンとロイクに頭を撫でられる。昨晩のわしゃわしゃしたような撫で方ではなく、小さな赤子を撫でるような手つきだった。
「お前が進学を急いたのは、また誰かを殺すことを恐れてからの行動だったんだろう」
「……なんでわかったの?」
「お前の昨日の話と、俺が知っている女神の記憶から。女神は何度も俺を殺したんだ。それくらい人間が憎かったんだろう?」
「……」
「だが今のお前に俺は殺されるつもりはないよ」
前も似たようなことを話してくれた。今思えば昨日オーキッドに刺された場所を巻き戻したように、自分の魔法でどうにでもできると言いたかったのかもしれない。だけど。
「それに女神と夫を結び付ける呪いは過去の夫たちですら恐らく考えたことがないことだ。そう簡単に上手くいくわけがない。それにお前はまだ11歳の子供。二年も早く孤児院を出る必要もなかったはずだ」
「それは違うよ」
「帰ってこい」とまでは言わない。だって私を送り出したのは彼本人だ。だけどロイクからはそんな気持ちを持っているように見える。
有象無象多種多様な種族の人間達に囲まれた軍や学院より、孤児院の閉ざされた子供の楽園に閉じ込められた方が幸せなのだろうと思うのだろうか。
「……私は【女神】じゃない。でも記憶に引っ張られるし、ロイクも【女神の夫】じゃない。だから私にロイクへの殺意がなくとも、自分と女神を区別させるためにロイクと距離を置く必要があった」
私は女神が自分の夫を殺す夢を何度も見た。それに何度も恐怖し、女神の感情に自分の心が乗っ取られそうになった。(実際に乗っ取られたが)
だからまた自分は人間が憎いという理由でその夫によく似たロイクを殺すかもしれないと恐れて逃げようとしたのだ。
「ウルに唆されたわけではなく?」
「ウォルのは……孤児院のみんなを巻き込みたくなかったんだと思う」
ロイクはそれに「なるほどな」と納得したようだった。
ウォルが知っているのは誰にも存在を知られず生きる
母親が家から出てこられない日。それは混血による魔力の暴発か、それとも女神の記憶に引っ張られた暴走だったのか分からない。
だがそれを抑える自分の父親や村人たちの手が必要だということも知っていたのだろう。
「さっき言ったように、俺は簡単に死ぬつもりは無いが」と前置きをした。
「俺が死んでも次の【女神の夫】は必ず生まれる。お前が恐れていた『世界の魔力に異変が起こる』可能性はないだろう。俺は『呪い』とは言ったが所詮過去の記憶。たとえその記憶に心が侵されていたとしても、カレンデュラ家はずっと子供を守ってきたし、皇帝も皇族も途絶えることなく機能していた」
「でも目の前にいる誰かへの愛に気付けなかった」
事実、ロイクはそれも含めて『呪い』だと形容していた。
幼い頭で長い長い記憶を見せつけられるのはとても苦痛で、自分を失いそうになる。それはフィーも同じように経験した。きっとカレンデュラ家も過去のファレノプシス家もずっとその呪いでこの先の人生が左右されてきた。
別に子供を育てることが悪というわけではないけれど、もっと領地を持つ貴族らしく裕福な暮らしをしたり、必要以上に
「そうさな。それは俺も含めて歴代の【女神の夫】は愚か者だ。……確かに女神との長いあの時間は愛おしいものであったよ。だがたとえ呪いにかかっていたとしても目の前の愛に気付くことは絶対できた。逆に記憶がなくともカレンデュラ家の意思を受け継ぐことも可能だろう。俺の父も、記憶を継承していなかったがこの家の使命を誇りに思っていたしな」
それでも父は貴族らしくもあったがと付け足す。
ロイクの父も以前はシャトーバニラの復興に協力していたらしいが、現在は託児所を作って自らその経営しているらしい。確かに既に隠居しているのであれば、資金援助くらいで十分だ。わざわざ自らの手で経営する必要はないだろう。
ロイクは私の頭を撫でていた手を耳、頬、肩、腕と滑るように撫でると最後私の手を握った。
ロイクから私へくれる愛情はちょっとちぐはぐだ。
「だから、また戻ってきてもいい。お前の魔力核の中にいる女神も学院に任せれば何とでもなるはずだ」
「ロイク」
孤児院にいた頃、ロイクが私にくれた優しさは子供に対する愛情そのものだった。
だけどロイクから感じるのは女神に向けていたそれと似ている。
「私は【女神】じゃないし、ロイクも【女神の夫】じゃないよ。それは前にも話したでしょう」
分かりやすい拒絶。本心として私はロイクと離れたくない。だけど今はダメだ。己の恋心ごと忘れるまで、会いたくないし、これ以上触れ合いたくない。
孤児院を出てもう三ヶ月。女神の記憶を持っていても私はまだ子供だ。知らないことが多すぎる。今回の一件も含めて自分は大人の庇護下にいないと何もできないこと、自分が未熟であることを何度も思い知らされた。
だからロイクの言いたいことも分かるし、守りたいという気持ちは伝わった。でもこれは自分自身の問題だ。
「それに、これは私の手でどうにかしたい。それに他の人に任せるなんてことをしたら、また女神が暴れちゃうかもしれないよ?」
「それも、そうだな……」
複雑な表情をしている。女神、子供、呪い。私に取り巻くものは多くてその負担は重い。
今じゃなくともいいと言っているのは分かる。だけど何度も言う様に私はロイクと距離を置く必要があった。
ロイクが私の手を離そうとしたが、私は掴みなおした。
「でも、ロイクが大好きなのはずっと変わらない。心配かけないように、手紙もこれからはちゃんと送るよ。ロイクの魂にある呪いも、必ず生きているうちに解いて見せる」
あなたの恋路を邪魔させないように、また愛する人ができますように。
私は貴方にかかった呪いを解きます。
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