燃える神秘の愛は誰の為に - 5

ガーベラ姐さん 最終話

――――――



 ガーベラがカレンデュラ家に仕えるようになってから四年。

 レジスタンスと皇国軍の争いはここ三、四年くらいは冷戦状態であり、身体の弱い皇帝陛下もたった三年で代替わりした。それでも尚レジスタンスの反発は収まらず激戦地だった国の南側はレジスタンスの拠点となった。

 ロイクは必要最低限の仕事はするものの、協会に顔を出すことが少なくなり、子供達の世話を熱心に行うようになった。


 そんな中孤児院では、ダリアが個室に籠るようになった。

 というのもこれまで激戦地とされていた国の南側から一人の少女が保護されたからだ。

 軍人たちに拾われ、その後検査で厄介な事になっている事を知りカレンデュラ家の孤児院に送られてきたのだ。

 そこまで頼られるくらいこの孤児院は国から認められている。国から伯爵の位を授かっているのがその証拠だ。しっかりした教育方針で子供達に愛情深く育てているからであろう。

 だがその保護された少女は孤児院に来てから直ぐに熱で寝込んだと思えば、今まで父親に虐待された反動か、人格が二つに別れてしまった。

 名前の無かったその少女はリナリアと名付けられた。


「……」

「……どうだった」

「今回もダメだ」


 どうやら彼女の父親は一部のレジスタンスに加担していたらしく、彼女は道具として魔法を酷使されていたという。

 それが原因で魔力核が歪み新たな魔法が使えるようになっており、その魔法が魔法なので危険だとこの孤児院に送り付けられたという。

 なるべく彼女の心に干渉しない為にロイクが付きっきりで世話をすることになっていたのだが、父親から暴力を振るわれたためか男性恐怖症になったようで、今ではダリアにべったりだという。


 彼女の世話をするにあたってロイクはダリアと喧嘩をした。

 この孤児院ではカレンデュラ家の人間が子供達の親代わりになる。そのため母親役であるダリアが世話をするのが自然だが、それをロイクは良しとしなかった。

 あの二人が喧嘩をするなんてダリアが孤児院に拾われてから初めての事だ。

 それくらい二人は対等になってきたという良い兆しなのだろうが、二人が感情的になるのは珍しく、その様子を見てしまった幼い子供達が一斉に泣き出すのだから、その場はてんやわんやだった。

 ロイクの母であるアイリスが代わりに世話をすることも考えたらしいが、アイリスは今ゲリーと共に王都にいる。

 国からの要請で王都にしばらくの間滞在することになったのだ。内容はよく分からないが、貴族達で今後の事を話し合うとかなんとか。議員でもない人間も招集するなんて余程なのかもしれない。

 現在は残された使用人達とロイクとダリアで孤児院を切り盛りしているため孤児院は人手不足だった。


「そんなにダリアが心配ならアタシが変わろうか?」

「逆に聞くが、ガサツなお前が繊細な子供のメンタルケアを出来るのか?」

「すいませんでした」


 だが結果的に言うとこの役はダリアの方が適任だった。

 彼女は暇さえあれば常にリナリアのいる部屋で、絵本の読み聞かせをしてやったりおもちゃを代わる代わる持ってきたりしては、心の閉ざした彼女を優しく接していた。


 そして彼女がダリアのことをお母さんと呼んだ日にはダリアも嬉しさで泣き出し、ガーベラも自分の事のように喜んだ。



―――



「ダリア、もう休んでよ。また風邪ひいちゃうよ」

「ううん、もうちょっと」


 子供達も寝静まった深夜、ダリアが行っていたのは子供達の衣服の手直しだった。

 ダリアは身体が弱い分筋力がない。力仕事が出来ないためこうして子供達の服を縫っていた。


「何時もお義母さんが縫ってくれていたから、私が代わりにやらないと」

「そんなの気にしなくてもアタシがやるよ」


 現在アイーシュには衣服を扱う店はない。だがそれ以前に素材が足りないのだ。

 実際ガーベラがスラムにいた時その辺に転がっていた遺体には衣服が無かった。その辺の人間が売るために剥いで行くからだ。それくらい今はこの島で衣服は高価だった。

 現在衣類の原料になる綿花や羊毛、亜麻は地方各地で栽培しているが、この島の殆どは森に覆われているにも関わらず気候や立地などの都合で育てられる場所が少ない。ちなみに絹は貴族や皇族しか着られないので上流階級の人間が独占している。

 大陸の国と国交を結んでいた時は輸入していたらしいが、現在は国交を封鎖しているのでもう数年は物資が調達できていない状況である。


「もう少ししたら布地が届くはずだ。それまでの辛抱だな」

「ロイク」


 だからもう寝なさいとロイクもダリアの肩に手を乗せた。ダリアは大人になってからというものガーベラの心配は聞かないのにロイクの心配事は聞く。

 ダリアの容体は安定しているものの、筋力、体力はあんまりない。子供たちに心配かけさせないように振舞っているが、子供達も分かってるのかあまりダリアに無理強いはさせない。

 ダリアは仕方ないなと手を止め部屋に戻っていく。その様子にガーベラは肩をすくめた。


 アイーシュに衣類用の生地が配られたのは一ヶ月後だった。

 国が布を掻き集め地方の領主に一斉に配ったらしい。そして協会からの厚意によりその一部を寄越してくれた。その量はまさかの子供達に一着ずつ与えられることが出来る量。流通が滞っていた分、地方には在庫が沢山あったらしい。


「奥様、いくらなんでも貰いすぎでは……」

「ええ。でも案外大丈夫だったみたい。既製品も同じくらい調達できたみたいだからそれらは協会の方で商会に売るそうよ」


 ゲリーはそれに困り果てたものの、何か思い出したのか他の使用人一人を呼びその場から離れた。

 すると程なくして運ばれてきたのは足漕ぎ型のミシンだった。昔はよく使ったらしいが今も油を差せば使えるらしい。


「ガーベラ。確か服を作れるそうだな」

「学校でひたすら学びましたからね」


 家政学校では毎朝授業前に刺繍を行う時間があった。こんなに布が有り余っているなら、孤児院に持ち帰れば沢山服を作ってやれるのにと思いながら教材で使う布たちを見て何度も思ったくらいには。


「子供達全員分作ってくれないか。勿論その間の仕事は気にしなくていい」

「はい。……え?」


 今なんと言った?孤児院にいる子供達の人数を考えた事があるのか。今受け入れている子供の人数は現在四十人以上いる。

 中には育てられる余裕が無いために一時的に預かっている子供もおり、無条件で受け入れている分、仕方ないのだがいつ引取りに来るか分からない状況。

 中には同じベッドで一緒に眠る子供もいた。定員オーバーだ。

 年上の子供がなんとか世話をしてくれているものの、赤子の世話まではさせられないので協会がボランティアを募集しているくらいなのに。


「四十人分だからな。一人でやるには大変だろう。今は協会も落ち着いてきているから、必要な物があるなら言ってくれ。ロイクに遣わせる」

「俺もそれで構わない」


 かなり負担のかかる仕事だがガーベラはうずく。家政学校に通っていた頃ガーベラは制服以外の私服を全て自分で作っていた。

 その度にああしたらもっと可愛くなるのにと思いながら自分が着る物なので飾ることを諦めていた節があったのだ。


「簡単なものでいい。生地にも限りがあるからな」

「やらせて頂きます。ですが自分の好きなようにさせてください」


 そう言ってスカートをたくしあげては一礼をするガーベラの姿にゲリーとロイクは背筋が凍った。

 ガーベラは口角を上げて今後の計画を立て始めた。



―――



 ガーベラは早速子供達の身体の寸法を測りだした。特に女の子達は自分達に服を作ってくれると知った途端すぐに並び始めたので、ガーベラはますますやる気に満ち溢れる。

 そして全員分の採寸が終われば部屋に閉じこもってミシンを漕ぎ始めた。

 朝から晩までずっと引きこもるので心配してダリアやアイリスが声をかけるも全く反応がない。だかロイクが煽るとすぐに反応したので食事などの呼び出しはロイクに任せた。

 因みに布は足り無かったため、着古した服を解いて布を所々使い回すこともした。

 何故こんなに急いでいるのかというと、今は木枯らしの吹きはじめる晩秋だからである。冬服向けの生地の厚い素材は無いが、せめて重ね着の足しにできるものを着せてやりたいと思った。冬に備えて衣服を早めに作らなければ子供達が凍えてしまう。

 親が引取りに来るかもしれない一時保護の子供を優先的に服を作る。親に引き取られる際に笑顔で感謝の言葉を伝えてくれたのでガーベラのやる気は益々上がっていった。


 ひと月以上はかかるその作業は途方もなく、寝る間も惜しみながら行っている作業は、一週間を超えたあたりから大きな音がしても気付けなくなるくらい集中力が研ぎ澄まされてきていた。


「……ラ、ガー……ガーベラ」


 細かい所を手縫いで作業している時、すぐ近くで声が聞こえた。何となく聞き覚えのある声がしたので、手を止めて声のする方を見れば会って久しい青年が目の前にいた。


「あれ、……幻覚かな」

「現実だよ。クマが凄いけど大丈夫?」


 なら何故こんな所にシードがいるのだろう。先ほどロイクからまた煽られた気がするがもしかして来てくれたからだろうか。だが集中力が途絶えると同時に力が抜けてしまう。

 ああ、もう少しで子の服も完成するのに。手を止めたら子供達に服を作れないではないか。


「なんでここに?」

「時計が壊れたから来たんだよ。ついでにガーベラの顔を見て来いってロイクが…………え?」


 ガーベラの手から作りかけの衣服が落ち、身体が崩れ落ちるのをシードは受け止めた。

 「ボタン縫わなきゃ」という言葉を最後にガーベラの意識が途絶えてしまう。シードが慌てる中ガーベラは身体を預けた状態で眠ってしまった。



―――



 倒れてからガーベラは丸一日眠りについた。

 ガーベラの負担を考えて服作りに専念しろと言われたのに、その服作りで倒れるなんて本末転倒である。

 子供たちに服をあげたい気持ちは分かるし、実際に早く作って欲しいのは山々だが身を削るほど作業をこなさなくともいいとゲリーから叱責された。


 結局服を全て仕立て終えるのに一ヶ月ほどかかった。そしてガーベラは全ての服を仕立て終えるとまたなだれ込むように眠ってしまったのだった。


「なんとか全員分作り切ったよ」

「ガーベラにしては頑張ったね」

「それ煽ってんのか?」

「いや褒めてる」


 シードとガーベラの二人はガーベラの慰労会ということでいつも通う酒場にいた。

 シードはウイエヴィルからアイーシュに戻り時計屋の跡を継いだ。シードの師匠であった時計屋の主人が亡くなったからだ。

 後から知ったのだがその主人もカレンデュラ家の孤児院出身らしく、昔から孤児院に居るマーガレットも主人の葬儀に参列していた。孤児院を出てからずっと天涯孤独の身だったという。

 一体マーガレットは何歳なんだ。


「でもシード、一人でやってけるのか?」

「確かにウイエヴィルの見習い終えたの先月だからね。国もこんな状況で、店も殆ど暇だったからずっと時計を作らされてたし、店の経営は経験が浅いから……」

「この状況だもんなぁ……」


 正直時計は高級品だ。孤児院にも大きいモノが一台あるが、百年近く動いている年期ものだ。小型の時計は部品が細かいため価格はもっと張る。量産するための技術は大陸の戦争が勃発してからやってきた難民のおかげで少しずつ広まってきたらしいが、このカレンデュラ領にその技術を知る者はいない。


「こちらも色々考えてるよ。時刻を知るだけの役割を持たない時計とか」

「時計は時間を知るための道具だろ?」

「砂時計とか。それに近いものを僕は作りたい。砂時計は決まった時間しか知らせないけど僕は任意の時間を知らせる時計を作りたい。既に王都の時計職人が作っているらしいけど、そういうものって魔力石や魔術が必要なんだ。どちらかと言うと魔術道具だね」


 僕はその原理を魔力なしで動かせないものが作りたいんだとシードは熱く語った。

 酒が回っているガーベラの頭には一切入ってこないが、ガーベラはそんなシードの姿を好ましく思っている。


「今この国の魔力はほとんどない状態だから、そんな魔力が要らない『ただの道具』が出来たら使う人も多くなるはずなんだ。あぁ、はやく王都の一般解放が待ち遠しいよ」


 今王都は一般人の解放は許されていない。今王都に入れるのは貴族くらいなものだが、貴族の使用人も人数が限られているくらいには規制がかかっていた。

 昔から王都に住まう一般人も数年前から完全に出入りが規制されてしまっている。その所為で既に何回か王都内でも反乱が起きたとかなんとか。

 ちなみのガーベラが卒業した家政学校は王都にあるが、カレンデュラ家貴族と既に雇用契約を結んでいるということで王都へ入ることを許してくれたのだ。

 ガーベラがシードに酒を煽るとぐいっとそれを飲み干した。酒が飲める歳になってから知ったがシードはかなり酒が強いらしい。


「ガーベラ、聞いてるか?」

「んー、聞いているよー」


 ガーベラは一杯飲んだ程度ですぐに顔が赤らむくらいには酒が弱い。

 ふにゃりとした顔をすると、シードはまたかと慣れた目でガーベラの酔った姿を見た。

 始めこそガーベラのその姿を見て戸惑ったが、何度もその姿を見れば慣れる。大体ここまで酔えば介抱を始めるのがいつものルーティンになっている。


「ガーベラ酔うの早すぎ」

「あぁ?シードが次々と酒飲むからだろうあ」

「すいません、チェイサー」


 特段進展もなく世話を焼くだけのシードに、酒場の主人はまたかいとジョッキいっぱいの水を用意した。


「シード、この嬢ちゃんにつまみ食いしても罰は当たらねえよ?」

「やだなあコイツ、中身は男ですよ?」

「そういう子ほど夜は可愛いって言うじゃねーか!」


 ゲリーから息抜きして欲しいと言われたのがきっかけで、こうして酒場で飲みかわすようになったが、ガーベラはシードが何も手を出さないと分かっているからこうして気が抜けることをシードは知らない。


「んだよ、時計の話はもう終わりか?」

「ほら水飲んで」


 説教されるのは癪だが仕方なく目の前にある水を喉に流し込んだ。いつもなら「何でこいつは酔いつぶれないんだ」と不機嫌になるが、今日はアルコールの回りが早いせいか不機嫌になる気力すらない。相当疲れていたようだ。

 ガーベラの頬をシードの指先が掠めたと思えば、その手は猫に撫でる手つきで何度も触れた。


「なんだよ……」

「いや、ガーベラが年上には思えなくて」

「子供みたいか?」

「そうかも」


 その表情はなんだか懐かしがっているようにみえるが、子供時代でもこんなことがあったっけ。なんだかシードが優しくみえる。


「シードはいい親になるかもな?」


 ぼんやりと思ったことが口から漏れた。いきなり話が飛んだことにシードは自分のグラスを倒した。中身は入っていないので無事だが。


「いきなりなんだよ!それになんで疑問形なの」

「アタシは良い親なんてわかんねえよ」


 ゲリーとアイリスがガーベラの育ての親であることに間違いはない。

 だがアイリスにはお母さんと呼んでも、ゲリーにお父さんなんて呼べるほどガーベラはゲリーに対して父親と言う感覚は持てない。


「ゲリーは父親と言うより、口うるさい先生みたいなもんだったし」

「バージンロードを一緒に歩きたいってゲリーは言ってたのに」

「いつの話だよ。大体アタシは気の許せる男なんてシードしかいねーよ」


 その言葉にシードの表情は引き攣ったがガーベラは酔いの回った頭で気にしないでおこうとまた水を飲んだ。

 色んな人からシードとの結婚はいつなのかと聞かれたが、ガーベラはやはりシードは幼馴染みでしかなく、友達以上の感情が持てそうになかった。

 大体、もし自分が結婚したら孤児院はどうなるのだろう。妻として働きながら孤児院に通うなんてことが自分の中では考えられない。夜に子供が泣いたらどうするのだ。ダリアが倒れたら誰が孤児院を回す?ガーベラの頭の中は仕事でいっぱいだった。



―――



 メイラは皇国側とレジスタンス側の二手に分かれたまま、何度目かの冬が来た。

 カレンデュラ領から軍隊が撤退してからもロイクは魔術学院時代に知り合った軍人と未だ密かにやり取りを行っているらしい。この前ロイクが寝室で手紙を読んで高笑いをしていたのはさすがに引いた。

 その笑った理由を聞くのが怖くてガーベラは家政学校で学んだ通り、主人に存在を知られないよう仕事を全うした。


 ダリアもロイクと結婚してから三年くらい経ってから徐々に、領主の奥方として孤児院の仕事だけではなく、協会の方にもロイクと共に顔を出すようになった。

 もちろん婚約した時からダリアのことを理解している者も多かったため、ダリアに無理強いをさせることは少なかったが、ロイクが協会での仕事を減らしたのもありダリアがウイエヴィルに行くのは年に1、2回程度になった。

 それでもダリアは元気に孤児院で子供たちの世話を行っている。子供たちも積極的に手伝いを続けており、年上の子供達は年下の面倒を見ることも欠かさなかった。そんな様子にゲリーは安心したのか王都に邸を構えると宣言した。

 ゲリーは王都が一般開放された時を見越し、孤児院または託児所を王都内に作ることを考えていたという。すでに国と掛け合っており、いい方向へ向いているそうだ。


 ほどなくしてゲリーとアイリスはガーベラとマーガレット以外の使用人二人を連れて王都へ転居した。


 子供たちのロイクとダリアに対する「お父さん」「お母さん」呼びも板につき、一時保護の子供が実の親から引き取られたり、十三歳になった子供が卒業するにつれて徐々に子供たちの人数も減ってきた。

 ボランティアも減らし、ようやく忙しさが落ち着いてきた時だった。


 今まで元気に過ごしていたダリアが喀血して倒れた。

 すぐに医者が来てくれたので何とか一命はとりとめたものの、もう二度と家事をさせるなと険しい顔で告げた。

 なぜだ。どうしてこれまで無理をさせず元気に過ごしていたではないか。ガーベラはその場で涙し、それをマーガレットが慰める。

 そんな中ロイクだけは冷静に医者と話を続けている。


「何も対処が出来ず、申し訳ない」


 医者が謝罪する。若い医者だが魔術学院の医学科に進学する前は王都の国立病院にいたらしく腕は確かだという。

 マーガレットはそんなこと言わないで頂戴と医者の頭を上げさせた。

 ロイクの口が開いた。


「…………余命は、どれくらいだ」

「……春まで、持つかどうか」


 ロイクは医者の肩を叩きその場を去る。ダリアを頼むと言い残して。

 昔から見ているはずなのに、彼女を一番愛しているはずなのに、なぜこの男は一番冷静になっているのだろう。

 兄として夫として幼い頃から一番彼女を大切にしてきた男だ。本当なら一番涙を流してもいいはずなのに、なぜ表情を変えずそのままでいられるのが不思議で仕方なかった。


 その後ダリアは寝室で絶対安静を取られた。

 なるべく部屋に子供たちを入れないようにしていたが、ダリアは出来る範囲で子供たちに愛情を注いだ。きっと彼女も自分に余命はないと気づいているのだろう。

 大分精神が安定していたリナリアもダリアの治療に助力をしたが焼け石に水だった。

 彼女の体は何も食べ物を受け付けず、体はやせ細っていく。ロイクは冷静でありながら、一番彼女に寄り添っていた。


 そうして彼女は旅立って逝った。

 ダリア・フォン・カレンデュラ。享年二十歳。春の日差しが心地よい朝だった。



―――



 彼女が亡くなってから二日後。彼女の訃報はすぐに王都まで届き、葬儀には多くの人間が来た。その中には孤児院を卒業した者も多く参列していた。


「ガーベラ、今夜は仕事を休んでもいい。好きなところに行け」

「でも」


 今日自分は外に出られないリナリアと一緒に留守番していただけだ。特段それらしい仕事をしていたわけじゃない。子供達のことも見る必要があるから墓参りは明日行こうと思っていたけど。


「安心しろ。子供たちは俺とマーガレットが見る。今夜は教室で一緒に眠ってもいいだろう」


 使用人の事は気遣うのに自分のことは後回しにするのか、彼の目はどことなく疲れが垣間見えた。

 正直この二日間とても疲れていたのはガーベラも同じだった。

 「明日はちゃんと休みなさいよ」とガーベラは伝え、後ろ髪を引かれるまま孤児院を後にした。

 領主の妻が亡くなったため、アイーシュ街はどこも喪にふくしている。きっといつも行くあの酒場も通夜状態のままだろう。

 あそこに行くしかないなと思いながら孤児院を出ると、門の前には見慣れた青年がいた。


「……昨日と違う服だね」

「一応仕事着なんだよね。これ」


 ガーベラは今メイド服のエプロンを外した格好である。黒いワンピースだ。

 孤児院に勤め始めてから何度か新調したが、家政学校時代の制服も似たようなものだったので結局この格好が落ち着くのだ。


「あの、さ……うちに来ない?」

「女を誘うのに湿気た顔すんなよ」


 元々行く先は決まっていたので、先方が迎えに来てくれたのは有難い。

 ガーベラは二つ返事でそれに応じた。



―――



 二人は時計屋の入口からではなく、裏手にある勝手口から入った。

 孤児院を卒業してから何度も出入りしたことのある家なのでガーベラも勝手は分かっているが、突然の訪問にお互いぎこちない。

 しばらく椅子に座っているとシードは何時もの酒ではなく紅茶を用意してくれた。


「…………実はさ、二年前、ダリアがうちの店に来たんだよ」

「え?」

「買い物に行くついでだったみたいで、買い物かごを持って店に入ってきてはいきなり頼み事をされたよ。ほんと昔から行動力がある子だよね」


 知らなかった。もしかしたら秘密にしてくれと言われたのだろうか。あの子らしいなと思う。


「……それで、一つ頼まれたんだ」

「どんな」

「『ガーベラとロイクのそばにいて欲しい』」


 その言葉に目を見開いた。彼女の事だから余計なことを言うのだろうと思っていたのに、彼女からのお節介は至極簡単なものだった。

 ふとあの日の事が脳裏に過ぎった。


『お姉ちゃんはシードお兄ちゃんと幸せになってほしい』

『我が儘だけど、私が死んでもロイクのことよろしくね』


 きっと自分が死んだ後のロイクとガーベラが気がかりだったのだろう。

 きっと三人で遊んでた時のように笑い合って欲しかったんだ。

 ロイクは人を信用しないから、ガーベラはいざとなった時に無理をするから。せめてシードが二人の側にいて支えて欲しいと。

 こんな時ですらお節介だなぁとガーベラは苦笑した。


「きっと自分の中で思うことがあったんだろうね。色んなこと」

「……ごめん」

「なんで謝るの」

「あの子にアタシ何もしてやれなかった……やっぱダリア分かってたんだ、自分がもうすぐ死ぬこと」

「うん」

「でもあの子は自分よりもアタシや子供たちの幸せを願っててさ」

「うん」

「『シードと幸せになって欲しい』ってさ……馬鹿だなあ……アタシはアンタとそんな関係じゃ……」

「ガーベラ」

「なんだよ……」

「遠くから見て、僕はあの子が不幸に見えたことなんて一度もなかったよ」


 シードに抱き締められていることに気付くには少し時間がかかった。

 昔はこんなに優しくする素振りなんてなかったのに、初めて抱き締められるのがこんなドラマティックでもない状況にいつもなら呆れるはずなのに、なんでこんなに視界が歪むのだ。


「うっ……うわぁああああ……」


 シードの服とか自分のプライドなんてお構い無く子供みたいに泣きじゃくった。

 シードの手はとても震えてて、慣れない手つきでガーベラの髪を撫でた。



―――



 ダリアが亡くなってからというもの、リナリアの片方の人格がなりを潜め、ルークは相変わらずやんちゃだが空元気に振る舞うようになった。

 子供達も昼間は母親を求める素振りを隠しているが、夜になると小さい子は夜泣きすることが多くなり、3人で世話をするのはとてもではないが苦労する。

 たまにシードが手伝える事はないかと顔を出してくれたりもしたが、シードを知らない子供は警戒するので多くを頼めない。他のボランティアも同様だった。


 そんな中ロイクは事あるごとにふと窓の外を見ることが多くなった。後ろを振り向いたり、斜め下を見るようになる。最初は子供が呼んでいるのかと思った。だがその時に彼を呼ぶ子供はどこにもいないのだ。

 ダリアが亡くなって一月後。ロイクは突然孤児院から居なくなってしまった。

 ロイクは無意識にダリアを探していた。



 念の為彼の友人である軍人に手紙を寄越したり、協会に足を運んだりもしたが何処にもロイクは居ない。

 ガーベラは母親だけでなく父親もいなくなってしまい、更に心に不安がのしかかる。

 どうにかはぐらかしてしばらく帰って来れないのだと言ったのだが聞き分けの悪い子はすぐにぐずった。

 ガーベラ自身も不安だった。マーガレットこそいるものの、彼女はもう既に老婆で以前のように体を動かすことも出来ない。


「坊ちゃんは必ず帰ってくるわ。気をしっかり持ってちょうだい」


 マーガレットはかなり落ち着いていた。子供に悟られないようにするため冷静に普段通りに振舞っていた。


「おばあちゃん、なんで冷静でいられるの」


 ガーベラの口から久しぶりにおばあちゃんと呼ばれてマーガレットは一瞬驚くも、自分の頬に手を当てては考える素振りをする。


「……なんでかしらねぇ、この家の主人は奥方へ愛情を注げない代がよく居るのよ。私が来た時から……そうねぇ……5代中3代がロイク坊ちゃんみたいな人だった。気難しい人たちなのよねぇ……後悔するって言ってるのに、本当に後悔してしまうのよ」


 だから慣れちゃったの。とマーガレットは笑った。

 愛情を注げないという意味は分からないが、これはカレンデュラ家の宿命らしい。

 だがガーベラから見てもロイクはダリアのことを心から愛していたし、愛情も注いでいた。

 だがロイクはその感情から目を背けることなんてあっただろうか。もしそんな感情が彼にとって否定すべき感情であるならば、彼女を娶るなんてひどく矛盾している。


 だが過去の記憶を遡っていくと、ガーベラの頭の中ですとんと腑に落ちてしまった。

 きっと彼はダリアに対する想いに一切気付かないフリをしていたのだ。

 そのまま納得してしまうと、ガーベラはその場でずるずるとしゃがみ込んでしまう。


「……言えって言ったのに……なんで言わなかったんだよ……」


 嘘でもいいから、「愛してる」を本人の前で口にしていれば、きっと彼の中で彼女を探すことなんて無かったはずなのに。


『我が儘だけど、私が死んでもロイクのことよろしくね。あの人、きっと落ち込んで遠くに行ってしまう日が来るから』


 ダリアの言った通り、彼は本当に心が遠くに行ってしまった。


「……自分の心に嘘をついてでも、自分の信念は貫きたかったんでしょうね」

「意味わかんねぇ……」


 こればかりは何とも言えない。マーガレットにしか見えない何かがあるのかもしれないが、これ以上幼馴染の心情を読み取ろうなんざする気も起きなかった。

 だが目の前にやるべき事は沢山ある。赤子達のオムツを変えなればならないし、昼餉の準備もしなければならない。

 子供達のことを守らなければ。


 そうがむしゃらに走り回り、それから一週間後。二人の子供を抱えて帰ってきた時のロイクは随分とスッキリしたような顔をしていた。



―――



 国に忠誠を抱いていた軍が、叛逆して国を乗っ取った。

 その際軍内部でも争いが起きたらしいが、レジスタンスでも同じように分裂が起きたらしい。そんなカオスな状況の中で取り仕切った軍師のお陰で全てが終結したとのこと。

 最終的にレジスタンスも崩壊。今の国が建国されてからずっと続いていた蘭の朝廷は終わりを告げた。


「しかしまぁ、なーんか出来すぎている気がするけどな」

「まぁそんなもんじゃないの?実際レジスタンスが出来た理由も流れみたいな物だし」


 カフェのテラス席でガーベラは普段読みもしない新聞を広げていた。一面には号外と書かれている。『日替わり新聞』と呼ばれる魔術道具ではなく普通の新聞紙だ。

 レジスタンスが組織として現れるに至ったのは大陸側の国が二つに別れたのがきっかけだった。

 この国も元々隣国が二つに分かれる十年前から、これまで皇帝は魔族人族交互に入れ替わっていたのが、連続で人族が王位を継承していたことに不満を持っていた国民もいた。

 その為何かしらのきっかけで反乱が起きるのは至極当然とも言える。


「まぁ、お陰で国中ボロボロだし助けを求めて国交が戻るのも時間の問題だな」


 そう言ってガーベラは読んでいた新聞を自分の炎で灰も残さず燃やし尽くした。

 その様子にシードは「引火させないでよ」と呆れながらアイスコーヒーを口にする。

 本当に平穏な日々がこれから先待っているのだろうが、それはまだ先の話だろう。

 難民孤児の受け入れに、もちろん子供達の世話はこれからもしなければ行けない。それに今まで補助金をくれていた国からどんなお達しされるのかも分からない状況だ。もしかしたらこれまでの積み重ねてきたものも全ておじゃんになるのかもしれない。

 それなのに忙しい日々がこんなにも楽しみで仕方がない。ドタバタの日々が続いていくのだろうこの生活が、いつの間にかガーベラにとっての生き甲斐になっていた。


「ガーベラ」

「なーに?」

「僕たち結婚しないか」

「……は?」


 またガーベラにとってドタバタの要素が追加されるのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る