燃える神秘の愛は誰の為に - 2

ガーベラ姐さん

――――――



「ユーカリ」


 女性の言葉に孤児院に来てから封じていた記憶の蓋が開かれた。


 以前大人に連れ去られた仲間の少女を見つけ、当時のガーベラはその少女をそこから連れ出そうと彼女は裏口の窓越しにその少女に呼び掛けたことがあった。


『ここを出よう!今は良くても、絶対よくねえよ!逃げよう!!』

『――あのね、ユーカリ。ここは毎日ご飯がもらえるんだよ。雨風もしのげる。ただ、毎日男の人の相手をするだけで』

『そんな』

『私はここを出ない。気持ちは嬉しいけど、もう夜に怯えることはないんだ』


 少女はガーベラが見たことのない艶のある笑みを浮かべる。「それに、ここに来る男の人は優しいんだよ」と。


「生きてたんだ……」

「ユーカリって、あの人間爆竹か?てかそいつ女だったのか!?」


 その男性もその名前にガーベラのことを見る。当時は子供だったのだから、一年すればあっという間に成長して見違えるだろう。目の前の少女も2、3年すればあっという間に少女から女性に変わるように。だが二人とも同じスラム街の出身だったということにガーベラの背筋が凍る。


「二人は、ガーベラの知り合い?」

「おいやめろ」

「ガーベラ?あいつは俺のいた街では有名だったぜ」

「やめ……」

「バチバチって爆竹みたいな魔法を使って相手を混乱させてモノを盗むんだ。その後仲間のガキとの連係プレーで逃げるんだと。俺は花街にいたから見たことないけど噂は聞いてたぜ。ユーカリって燃える毒を持ってるだろ?それでユーカリって呼んでたな。すばしっこいから鼠花火とも呼ばれてたよ。てっきり流行り病でくたばったのかと思ったけどパン屋なんて想像できなかった。しかもよく見たら美人じゃねえか」

「やだ、浮気しないで」


 震えるガーベラをよそに次から入ってきた客や奥にいたパン屋の主人も何だ何だとその男の話に釘付けになる。

 そして終始話を聞いていた客の中にはガーベラのことを見てはひそひそとあの子は犯罪者?と話す者もいる。

 隣にいる女性は男の腕に自分の腕を絡めてはいるが、ガーベラには見向きもしない。

 走馬灯のように過去のトラウマが彼女の脳内を走る。


「ありがとうございます。ガーベラの昔話教えてくれて」


 シードは男に対して丁寧にお辞儀をした。その丁寧さに男は少々身を引く。


「あ、あぁ、妙に律儀だな坊主」

「彼女が教えてくれなかった理由が分かったよ」


 後でねと彼はガーベラにそう言い残して店を後にした。彼は十数人分のパンを抱えては颯爽と店を出た。そこそこ付き合いのあるガーベラはすぐに気付いた。彼の目は笑っていなかった。


「あの坊主はお前の恋人か?」

「――るな」

「あ?」

「来るな!!」

「ガーベラちゃん!?」


 彼女はそう言って店の奥に引っ込み、工房の中でしゃがみこんでは泣きだした。

 昔はこんなことで泣くことなんてなかったのに、どうしてこんなに弱くなったのだろう。



―――



 その後ガーベラはアルバイトを辞めた。パン屋の主人はガーベラの過去なんて気にしないと言っていたが、客に知られてしまえばあの店にも悪影響だ。まさかこの街で自分の過去を知っている奴に出くわすなんて思ってもいなかった。あの男のことだから。もしかしたら他の誰かに吹聴するかもしれないと思えば外に出ることも拒んだ。

 ここ最近、魔法の授業にも参加していない。


「ガーベラお姉ちゃん。どこか痛いの?」

「どこも痛くないけど心が痛い……」


 ガーベラは健気に接してくれるダリアを迷わず抱きしめた。小さな子供は健気だから可愛い。年下相手ならガーベラは素直になれた。くすぐったいと彼女が捩るも離せる気はしない。


「ダリアも大きくなったなぁ」

「ホント?ロイクを追い越すことできるかなぁ」

「それは一生できないだろうなぁ」


 二人は五つも違う。しかもロイクも元からガーベラよりも背が高い。ゲリーが長身なのだからきっとそれくらい背は伸びるだろう。その容姿であの喋り方だから初めてガーベラと対面した時てっきり年上なのかと思った。ダリアがロイクの身長を抜かすことはできないだろう。


「そうなんだ……わたしね、お医者様からも大人になれるか分からないって言われたの……」

「そんなことねえよ!だってロイクがなんとかしてくれるって」


 ロイクは必死に彼女の体質を改善するために今も尚書斎であがいている。聡明なロイクものことだ。きっと彼女の体質をなんとかしてくれるはずだ。


「ロイクは私のことなんて見てないよ」

「馬鹿言うな!!」

「……お兄ちゃん、どこか遠くを見てるの。前にお風邪ひいたことがあってね、それから私と一緒にいても私を見てくれないの」


 ロイクは熱で頭が馬鹿になったのだろうか。今でも頭がいいのに熱で馬鹿になってもまだ頭が良いというのは羨ましい限りだ。だがダリアが少し転んだだけでも大げさになるロイクがダリアのことから目をそらすなんてありえない。


「でもね、シードはお姉ちゃんのこと好きなんだと思うな」


 ダリアわかるの。とダリアはガーベラの頭を撫でた。

 ガーベラは硬直する。あの笑っていない目が頭をよぎり、彼女を両腕から離しては全身で否定した。


「無い無い!アイツがアタシのことなんて!えぇ!?」

「お姉ちゃん声が大きいよ!これはダリアの秘密なの!!」

「お、おう。で、でもな、シードがアタシのこと好きになるのはありえねえんじゃねえか?」

「お姉ちゃん顔が赤いよ?お姉ちゃんもシードのこと好き?」

「好き!?いや好きと言っても、それは……」


 魔法をぶつけ合える喧嘩友達としてだ。だが彼はガーベラに月ものが来るようになってから相手することを避けている。彼が喧嘩を吹っ掛けてこないのはガーベラが女性だからか。


「分からないのね……恋をするのは良いことなのに」

「ダリア」


 男女が惹かれあってハッピーエンドなんていう御伽噺なんて夢のまた夢。読み書きの授業で呼んだテキストにあった物語の内容は、全部まやかしだ。

 人間に心を開かなかった獣の男だって、ガラスの靴を履いた灰被りの女の子を見染めた王子だって、相手の見た目が美しかったから惹かれあえたのだ。そしてその愛の下には薄汚い欲がある。

 だが幼気な少女相手にガーベラはそんな反論は言えない。


「お姉ちゃん。いい考えがあるの」


 そんなことを考えているうちに、ダリアは目を輝かせてガーベラに耳打ちをした。その後ちょっと待ってねと部屋から出て行った。

 ガーベラは初めて知った。彼女は行動力に長けているということを。



「あの、なんで女装?」

「お姉ちゃんだからじょそうって言わないの!!」


 魔法は絶対に使わないでねとダリアはぺたりと魔法封じの札を背中に直接貼る。ちなみにその札はロイクが作ったものらしくダリアの服の下に貼っている物と同じだが、いや待て嘘だろ。せっかくの予備の札をこんなことで使っていいのか。

 そしてなぜか他の女子たちも周りを囲んでいる。一人はガーベラのことを羽交い絞めにした。いや待て。ホントに待て。

 そしてよく見れば畳まれた女物の服やらアクセサリーやらが学習机に置いてある。


「だ、ダリアちゃん、これどういうこと?」

「シードをガーベラに振り向かせよう作戦。面白そうだから参加しちゃった。もちろんお母さんアイリスには秘密」


 同室の女子の一人がそうウィンクする。あと引きこもってるガーベラにお仕置きをしたくなったともう一人の女子が言えば結局自己満足かよとガーベラは叫んだのだった。


「きゃー!!かーわーいーいー!!」

「努力した甲斐があったねー!」

「嫌だ!ぜってー脱ぐ!!」

「私シード呼んでくる!」

なるはやなるべく早くでねー」

「呼ぶなばかあああ!」


 暴れるガーベラを女子たちが魔法やら色々手段を使って女の服を着せてみせた。

 ぼさぼさだったベリーショートの髪もブラシで綺麗に整えられ、服は紺のエプロンドレスだ。部屋にあった全身鏡に映る自分の姿を見て少し見とれてしまったが流石にこんな姿をシード、いや孤児院にいるメンバー及び全世界の誰にも見せたくない。

 しばらくしてシードの困惑した声と、それに引き連れて何の騒ぎだと野次馬らしき声がドアの向こうから聞こえる。


「あ、ガーベラ顔を隠すな!」

「え?ガーベラ?」


 羽交い絞めされている状態で顔を必死に隠そうと両目をぎゅっと瞑った。もういっそのこと殺してくれとガーベラは辱めを受けられてるような状況でそう思った。

 部屋の入口には可愛いじゃないかと褒めるゲリーの使用人もいれば、普段男装しているガーベラが女の子の服を着ているという戸惑いを隠せない男子がざわついている。

 ちらりと瞼の隙間から様子をうかがうと、目の前のシードは何とも言えない表情でこちらをじっと見つめていた。


「……………いいんじゃない?」


 ガーベラから目を逸らし、シードはそう小さく呟いた。

 その言葉に女子たちは黄色い歓声を上げている。男子もシードに茶々を入れたりするなどしてからかい始める。

 ガーベラの中で、ふつふつとマグマが沸き上がる感覚がする。

 足をダンと大きく踏み鳴らせばあたりは一気に静まり返り、羽交い絞めしていた女子も驚いて両腕をほどいてしまった。


「アンタが!!アタシと勝負しないのは、アタシが女だからか!?アタシが弱くなったからって舐めてるからなのか!?」

「ガーベラ!?」


 その場を動かないシードの胸倉をガーベラはつかんだ。本当なら感情につられて炎でシードのことを燃やそうとしただろう。だがロイクお手製の札の所為でそんなことも叶わない。

 シードは目を逸らしたまま、何も答えない。


「それとも、アタシが汚いから、もう近寄りたくもないのか!?そういうことなんだろ!シード!!」

「お姉ちゃん!!」


 この場でタコ殴りしようとするガーベラをダリアが真っ先に後ろから抱きついた。


「お姉ちゃんごめんなさい!!ダリアもうこんなことしないから!お姉ちゃんシードをぶたないで!!」


 ダリアの言葉を合図にガーベラの手は緩む。こんなんじゃあ、また犯罪者と呼ばれても仕方がないではないか。


「一人にしてくれ……」

「お姉ちゃん?」

「ごめんなダリア。もうお姉ちゃん疲れた」


 状況を察した大人たちがこの場から散るように促す。そして部屋で一人になったガーベラは、崩れるように座り込んではひたすら泣いた。

 弱い。こんなことになるなら、女に生まれたくなかったなと一人。せっかくの服がぐしゃぐしゃになるくらいに泣いてはいつの間にか眠ってしまい、目が覚めた時には服は寝巻の状態で、外はすでに夜だった。


 夕飯を食べ損ねたので空腹でまた眠る気にもなれず部屋の外へ出た。

 シードが自分の知らない夜を教えてくれてから夜が怖くなくなったのに。ここ最近の出来事のせいでまた胸がざわつく。


「あ……」

「や、やあ」


 下手くそに笑うざわつく要因が目の前にいた。思わず部屋に引き返そうとしたが、すぐに引き留められた。


「ごめん」

「…………何が」

「その、色々……」

「どうせゲリーにも聞いたんだろ……」

「パン屋の前から、お前の話は聞いてた……スラム街に、いたんだよね」


 ガーベラが、花街や男性に対してトラウマを抱えていることも知っていたと彼は言う。それにガーベラは思わず目を見開いて後ろを振り向いた。すべて知っているゲリーは一体何者なんだ。


「あとさっきの、勝負しなくなったのは……えと、せ、生理が…その辛そうだから……」

「……やっぱりアタシが弱くなったから挑みたくなくなって」

「違う!その、負担にさせることはしたくないし、それに、好きな人を傷つけたくないって」


 意味が分からない。少しだけ彼の手が緩くなった。


「アタシが好きなら大丈夫な日に勝負くらい誘えよ」

「は?」

「それにアンタマーガレットばあさんから生理のこと聞いてねえの?」

「き、聞けるわけないだろ!」


 大声を出してしまい、シードは思わず口をふさいだ。

 それと同時にぐうとガーベラの腹の虫が鳴り響いて思わず腹を抱える。


「聞こえた?」

「聞こえた……」


 残り物はないがミルクくらいならあるだろうと、二人はこっそり食堂に忍び込んでは、牛乳をコップに注ぎ二人はそれを口にした。


「怒られるよね……これ」

「言わなきゃばれない。これ常識」

「これで前科2かー……」

「何言ってんだよ。アタシなんか前科いくつあると思ってんだ」

「……そうでした」


 コトンとマグカップをテーブルに置き、シードはガーベラをじっと見つめる。


「ガーベラ」

「あ、マグカップ洗わないと。証拠隠滅しなきゃ」

「……そうだね」


 その後出したものを二人で仕舞い、シードはまた改めてガーベラのことを見つめた。


「ガーベラ」

「なに」

「好きっていうの、多分ガーベラが思ってるのと違う」

「え?」


 ガーベラの両肩をがっしり掴み、シードはじっと彼女の両目を睨みつける。喧嘩かと彼女は思わず身構えるが、今までの雰囲気と違うシードに何故か胸の奥が密かにざわつく。


「僕はガーベラのこと」

「お前らこの夜中に何をしているんだ?」


 カンテラを手に、キッチンの出入口に立っているゲリーがそこにはいた。



―――



「……お前本当に懲りないな」


 両手に水の張ったバケツを持ち、ガーベラとシードの二人は1階の風呂場で立たされていた。

 ロイクが呆れた顔で彼女のことを見る。


「しーりーまーせーんー。真面目そうな顔でシードが変な事言うからー」

「真面目そうってなんだよ僕はお前にちゃんと」

「お前達バケツ以外にどんな仕置きをご所望かな?」

「「いいえ。なんでもございません」」


 「一時間ここで立ってなさい」とゲリーはロイクを見張りに任せると、風呂場から去っていった。


「……シード。話があるなら続けてもいいぞ」

「言えるかよ」


 ロイクは自分は無関係な人間と言わんばかりに乾いた浴槽の縁で足を組み、読書を始める。


「シード、アンタ口調変わってきたね」

「そうかな……」


 ガーベラは彼のその口調を弱々しい口調だと思っていた。とは言いつつ彼は何やかんや強い。自分には勝てないけれど。


「それでも、僕はガーベラに勝てないよ」

「挑むならいつでもいいぜ!もちろんアタシが勝つけどな」

「俺には勝てない癖に」


 そう口を挟むロイクは鼻で笑っていた。


「坊ちゃん風情が!アタシ知ってんだからな!この前魔力使って息切れしてたろ!」

「え、ロイク魔法使うの?」


 ガーベラの前で戦った時はただの肉体強化だろうと彼女は見込んでいる。

 視覚では直接見えない重力や風、中には透視という千里眼のような魔法を持つ者もいるらしいが、ロイクは絶対に自身の魔法を使いたがらない。


「…………ただの肉体強化だ」

「コイツ絶対に魔法使わねえから結局肉弾戦になるんだよ。つまんねえ」

「そういうところ律儀だね」


 だがシード自身も手加減しろとは言わない。彼も彼なりに負けず嫌いなところがあるし、普段穏やかでも農業を中心に生活していた彼は自分の魔力の限界と戦闘での使い方を知った途端、味を占めたのかガーベラ限定で戦闘狂になった。(ガーベラのストレス発散の相手には丁度いいが、将来どちらかが本気で暴走しないかゲリーは胃を痛めている)


「ガーベラは肉体強化が弱すぎる」

「知らねーよ。孤児院ここ来る前はそんなこと教えてくれる奴なんていなかったんだから」


 ガーベラのいた街は人族しかいなかったが、基本的にスラム街では混血が多くいるので、平均の魔力が高い傾向にある。

 それ故親から魔力の放出の仕方を教えてもらっていない子供は、魔力の暴走で建物一棟。最悪街を一つ破壊する事故を起こしてしまうことがある。

 ガーベラは偶然自分の感覚で魔法の使い方を覚えたのでそこまでに至らなかったものの、人族のみが扱える肉体強化まで習得はできなかった。


「そうか」

「それにしてもロイクも馬鹿だよなあ、可愛い女の子の好意にも気づかないなんてさー」

「え、ロイク気付いてないの?」

「あ、やっぱりシードも分かるのか?」

「気付かない方がおかしい」

「一体誰のことだ?」


 教えてあげないと、二人はにやにやとロイクを見て笑みを浮かべる。

 結局話し声が外にまで漏れ、30分延長されてしまったのだった。



―――



 ガーベラにとってアイリスやマーガレットのような人間は不思議な存在だった。彼女達は娼婦とは違い、朝早くから夜遅くにかけて行うことは雑用だった。

 彼女達は朝4時に起床し、まずは家畜小屋の鶏や牛たちから食料を調達する。

 その後朝からアルバイトで働く子供たちの為に簡単な朝食とお弁当を作り彼らを見送ったら、他の召使やゲリーに昨夜の報告と本日の予定を行う。

 その後朝食当番の子供たちと共に朝ご飯の支度をし、それ以外の子供たちは朝の鍛錬をゲリーと行ったり、当番の子供たちと正面玄関の掃除を行ったりしている。

 それが終わったらようやく他に眠っている子供たちを起こしに行き、朝食が始まる。当番の子供たちと食器の片付けが終わったら授業を受けない子供たちの面倒を見たり、他の子供たちと共に掃除洗濯を行う。

 その後昼食をとり、大人数の買い物を手分けして荷物持ちの子供の手を引きながら買い物をしたり、屋敷内の空き部屋などの掃除をし、買い物から戻ってきた者たちと当番の子供たちで夕食の支度を始める。


「みんないつ休んでんの」

「別に考えてないわねえ。だって休んでいるとみんなが来てくれるんだもの。貴女みたいにね」


 そう言って彼女は紅茶を口にして手作りのお菓子をガーベラに渡した。マーガレットは家出してここにいるという。孤児院で働きだした時にはもう既に15歳だったらしい。


「その時は戦争が終わったあとで、病院みたいに怪我をした兵士がそこらじゅうに転がってたから放っておけなかったのよ。死体の埋葬なんて子供がやることじゃないわ」


 この街の丘には死体が埋まっているらしい。そんな大変なことがあったということは授業でも学んだ。埋葬もされず燃やされては捨てられる遺体を何度か見たことはあるが、彼らは己の意思で戦ったという。

 自ら死んでいくなんてスラムにいたころの自分とは正反対の思考で、それでも守りたいものがあったのだろうと、今となっては理解出来るけれど、やはりピンとこない。


「私も初めて人族を見た時びっくりしたわよ。猿みたいだけど猿じゃないんだもの」

「そりゃあ……」


 猿のように尻尾はないし、毛深くもない。人族は魔族より頭は良いらしいが身体能力や五感の一部が優れているという訳でもない。だから魔法を授けた母なる女神は人族には魔力で好きなように強化できるようにした。らしい。


「種族ってホントわかんねぇ」

「あまり考えるのはよくないわよ?ガーベラも化け物って言ったけど今は仲良くなってるじゃない」


 確かに化け物とは言ったが、ただ姿が違うというだけで普通に会話はしているし、能力にも差はあるけれどそれは人族でも同じだということを知れば仲良くなった。それに魔族の特権があるのはもちろんある。


「尻尾がふさふさしてたからな」

「ふふふ」


 ふわふわしたものはガーベラのお気に入りである。なので冬毛が多い寒い時期は大好きだ。すっかり老いたマーガレットの尻尾も日ごろから手入れは欠かさないらしく、ふさふさなのでよくガーベラもほおずりしていた。


「シードの尻尾も触ればいいのに」

「初めて会った時それをやったら静電気でバチってされた」

「あらあらまあまあ」



―――



 ダリアの魔力の暴走は徐々に少なくなっていった。それはロイクが作った魔力抑止の札やペンダントなどの魔術道具のおかげだ。

 医者からもたまに外で体を動かしたほうがいいと進めてくれるようになるまで体力も回復し、痩せていた体重も少しずつ増えている。


「本当にロイクはダリアのこと好きだよな」

「放っておけないからな」

「ロイクは十三になったら魔術学院に行くんだろ?ダリアが13になったらどうすんの」


 彼はページをめくる手を止めた。


「…………それはあいつが決めることだろ」

「――アタシはダリアは13になれないって聞いたけど?」

「そんなことない!!」


 ロイクはガーベラの胸倉をつかんだ。いつになく殺気を込めた目をしているので以前は喧嘩をよくしていたガーベラも驚きを隠せない。


「ご、ごめんて」


 ロイクも冷静になったのか自分の手からガーベラを解放した。

 ダリアが無事大きくなってこの孤児院を出て、愛する人を見つけて健やかに家庭を築き上げていけることはこの孤児院のみんなの願いであった。

 なので彼女が自ら魔力のコントロールを意識して行うようになった時にはみんな応援したし、魔力をたまに放出させてあげる手伝いもした。だがそれをロイクはどうしてかそれをあまりよく思っていなかった。

 おそらく彼女の幸せを一番に願っているのはロイクであると思う。だが彼はダリアの本心に気付いていない。馬鹿だなぁ……あの子はロイクと対等にいられるように頑張っているだけなのに。

 ダリアは行動力があり活発な性格ではあるものの、あまり本心を言うことはない。

 おそらくそれを言ってしまえば皆が甘やかしてくれるということを分かっているからだ。行動を起こすにも自分のためではなく誰かのためである。

 それはロイクがよく分かっているから「欲しいものがあるなら言ってくれ」と常日頃から言っている。


「……ロイクってダリアと何の話してるの」

「アイツの独り言を聞くだけだが」


 何だかその様子は想像できる。たまに彼女の魔力が暴走してベッドから離れられなくても、彼は彼女のベッドを囲う結界越しにずっと隣にいるし、そうでなくてもよく彼はダリアの話し相手になっていた。


「ロイクはそれをちゃんと聞いてるのか?」

「『結婚してお母さんになりたい』とはよく言っている。申し訳ないが結婚相手を探すにも簡単には見つけられないし」

「お前がしてやればいいじゃん」

「――は?」


 今度は口をぽかんと開けて目を見開いた。今日のロイクはやけに反応が面白い。


「だから、アンタと、ダリア」

「お前何を言ってる?第一、ダリアは今六つで、俺は十一だぞ」


 きっと年の差を気にしているということではない。お互いまだ子供だから、そんなことは早すぎると言いたいのだろう。


「あの子が十三になったらそうすればいいんだよ。生かせるんだろ。絶対に」


 大事な【妹】は絶対に死んで欲しくない。弱者である混血。カレンデュラの財とロイクのなけなしの叡智がなければ少なくともここまでダリアは生きていけなかった。

 それを見てきたガーベラはロイクの頭の良さを過信している。きっと魔術学院でもっともっと知恵を蓄えていつかダリアを天寿まで全うさせることができるようになると。


「当たり前だ。だがダリアを十三まで生かせるのと結婚は」

「それとも何?お前好きな奴でもいるの?」

「…………いない」


 そう言って本のページをめくる。今回は表情を変えなかった。以前ダリアが言っていた言葉を思い出す。


『ロイクは私のことなんて見てないよ』

『……お兄ちゃん、どこか遠くを見てるの。まるで夢を見てるみたい』


 彼女に対していくら献身的であっても、それが恋愛感情に結び付くかと言えばそういう訳ではないのかもしれない。本当にロイクはダリアを【妹】としか見ていない。もしダリアの言葉が本当なら彼もいるのかもしれない。好きな人。


「何だよその間は。いるなら教えろし」

「いないと言ってるだろ!!」


 大げさな咳払いが書斎に響いた。机の上で書類と睨んでいたはずのゲリーが振り向けば冷や汗を垂らしながら手を震わせながらこちらを見ていた。


「ロイク……いるのか。想い人が……」

「父上、断じて違うと言っているだろう!」

「………いくら子供でも、結婚前の娘とは……仲を否定するつもりはないが」

「父上一体何の話をしているんだ!?」


 話が発展してしまい置き去りにされてしまった。ガーベラ自分は何を見せられているのだろうかと思ったが、話を振ったのは自分だったなと考えを思い直す。


「それを言うならガーベラもシードと似たようなものだろ!?」

「はぁ!?」


 流れ弾を食らったガーベラは思わず顔が紅潮する。以前ダリアにも言われたがそんなつもりは一切なかったのに、シードと番になるのか?ゲリーはロイクに対する反応とは逆に、目を閉じては目頭に手を当て、そのまま上を見上げた。


「……ガーベラ、式でお前の手を取る役目は任せてくれないか」

「アンタホントに何の話をしてるんだ!?」

「大きくなったなあ……」

「アタシ、アンタと会って1年しか経ってないんですけど!?」


 ゲリーの中で話が飛躍しすぎたので、それ以降ゲリーの前で恋愛話をすることはするなという孤児院内でのルールが決まったのだった。



―――



 秋になり、シードがアルバイトを始めた。

 基本的にアルバイトは十一歳になった年の春からという子供がほとんどの中、彼だけは誕生日を知っていたのでその後あっさりと面接に受かり、その後定休日以外はアルバイト先に向かうようになった。

 時計を作る店らしいが、確かに物資が少なく賃金を与える余裕がない店は冬の間アルバイトを雇うようなことはしないが、時計なら別に部品の在庫は腐ることはないし、購入や修理依頼は年中やってくるから金に困ることはないらしい。それにシードは基本的に細々した作業が得意だ。

 彼の魔法。電気は扱い方によっては明かりを灯したり、魔術を使わない機械を動かすことが出来るらしい。

 何もない農耕地から来たので機械という存在も知らなかったらしく、今思えば初めて時計を見た時じっと見ていたのは感動していたからだろう。


「そのままシードの仕事は時計職人かねー」

「流石にまだ作らせてはくれないよ。店番と部品の整理をするだけ」


 シードがアルバイトを始めてからというもの、彼とはあまり遊ぶことは無くなった。ガーベラがあの日の一件以降あまり喧嘩を望むことはしなくなったのもある。

 その代わりガーベラは未だスカートは履けないものの、女物を身に付けるようになった。髪の毛も伸ばしてみようと思った。


「……アタシはどうするのかなぁ」


 ギルドに入って賞金稼ぎも考えたが、ゲリーがそれを認めてくれなかった。それは大陸の国々とメイラの国境が繋がるようになってからにしろと言われた。メイラは島国であるため、資源には限界がある。あんな職業で生活なんてできる訳がないとも言っていた。

 それに以前は魔物という魔力の持つ生き物が居たようで、魔物の巣がたくさんある大陸は退治や素材回収で懸賞金がかけられているらしいが、その大陸から切り離された島国であるメイラは既に魔物を狩りつくしてしまった。

 この街を出ていくにも外は治安が悪く、噂によれば自分のいた地域からそう遠くない金持ちが住むようなところでさえ簡単に燃やされてしまったという。

 中庭で大の字になって空を仰ぐ。


「まるで鳥かごだな。ここは」

「そうかな?」


 自分が居た街よりも知ったことはたくさんあるのに、空ははスラム街にいた時の方が広かった。子供にとっては世界の全ては親が支配している。

 ガーベラは生まれてからずっと親が居ない。もしこの孤児院が自分の新しい【親】であるならば、見たくない空も屋根になってくれているのだろうか。だがやはり今でも思うのは絶対。


「あー大人になりたくねー」

「相変わらずだなあ」


 シードも呆れ半分で彼女の隣に寝転んだ。思っていたよりもお互いの顔が近いことに気づき、二人は目を逸らす。ガーベラはなぜ今更シードと顔を合わせるくらいで恥ずかしくなるのかと思った。


「ガーベラ」

「何」

「……僕いつになったら勝てるかな」

「し、知らねーよ。アタシはぜってーに負けねー」


 今、羞恥心で目を逸らしたのに、何を自分は今強がっているのだろう。多分この前、ロイクに余計な話を振られたせいだと誤魔化した。

 熱いのは自分の魔法だけで十分だ。



―――



 ガーベラは床を踏みしめて医務室へと向かい、大暴れして怪我をした時くらいしか入ることがないそのドアを開けた。

 薬の匂いが鼻に付くも、先に気付いたダリアはお姉ちゃん!と笑顔で迎えてくれた。可愛い。だがこれは決めたことだとガーベラはダリアの独り言に付き合っていたロイクに近付く。


「ロイク」

「なんだ急に」

「アタシを雇え」


 ロイクは口をぽかんと開け、数秒硬直した。彼のその顔を見るのは二度目だ。

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