燃える神秘の愛は誰の為に - 1

ガーベラ姐さん

――――――



 お湯係、薪係、マッチ、人間爆竹、爆裂女、鼠花火。

 これだけならただの渾名あだなだったからよかったが、仲間や周辺の大人達たちからユーカリという女なのか男なのか分からない名前で呼ばれる様になった時は辺りを死ぬ気で燃やしてやろうかと思った。


 自分は何処で生まれたのかどうしてここに居るのか全く知らない。物心ついた時から自分はゴミ捨て場にあった残飯やら肉を食らい付く日々を送っていた。

 年齢も推定でしかなく、何人もの仲間が大人に唆されては何処かに行ってしまったと思えば次の日死体になって道端に転がっているなんて日常茶飯事。この前そのうちの一人を見つけた時は綺麗な服を着て窓の外を眺めていたのを覚えている。


 強くてずる賢いヤツでなければこの世界は生きて行けない。だけど自分の生まれ持った魔力をコントロール出来なければ死んでしまうし、最悪自分の周囲を巻き込む。だから一緒に行動するの仲間は何度も入れ替わった。

 盗み、闇市、汚れ仕事は当たり前。店の物を盗む時加減を間違えて辺りが燃えてしまってもお構い無しの生活をしていた。

 だが冬に差し掛かった頃、流行り病で仲間が全員死んでしまい自分一人が生き残ってしまった。

 一人ではろくな盗みはできない。だが行動しなければ生きていくことはできない。結局大人達から巻くことが出来ず自分は捕まり、最終的に連れてこられたのはでっかいお城みたいな孤児院だった。

 そこで知ったことは自分は人族同士の掛け合わせだということ、学のないスラム街出身の人間にしては魔法がうまく扱えているということ、推定で11歳くらいだということ、そして大人達からユーカリと呼ばれていた理由だった。

 比較的植物の名前が付いた女は多いが、ユーカリは引火性の毒を持っていることからそれがお似合いだったのだろう。



―――



「名前は?」

「……」


 目の前に立っていた白髪の男に自分は睨みつけた。どうやら自分はそこで暮らすことになったらしいが、まだ監獄で暮らしていた時の方がマシだと思った。

 それに目の前の白髪の男には当時自分が信用出来ない大人に含まれる三要素に含まれていた。

 信用できない奴とは、子供にやさしくする大人。ちょび髭の生やしたデブ。洒落た服を着た奴だ。目の前の白髪男は子供に優しくて、洒落た服を着ていた。


「ガーベラ」

「あ?」

「名前だよ。ユーカリもあまり女の子らしくないだろう。他に何か欲しい名前があるか?」

「んだよガーベラって」


 あの花だと白髪の男は指を差す。よく道端に咲いてたタンポポや貧乏草とは違い、自分の髪と同じ橙色だけれど、とても豪華だった。

 似合うわけがないと思ったけれど、ユーカリよりはマシに見えた。


「勝手にすれば」

「よろしくガーベラ。私はゲリー・フォン・カレンデュラ。この家の主だ」

「名前長い」

「ゲリーでもなんでも呼び方は好きにすればいいさ」


 彼はそう言って家の中に入れば丸い眼鏡をかけたリスの老婆が迎え入れてきた。

 魔族と人族の違いは聞いたことがある。魔族は見た目が可愛いから実際に売れるらしいとも聞いたことがあるし、きれいな服を着る奴らの中にもちらりと見たことがある。だが間近で見るのは初めてだった。


「り、リス!?」

「魔族は見るのが初めて?私はマーガレット」


 あとは頼んだとゲリーはその場から立ち去り、マーガレットと名乗った老婆と二人きりになる。


「じゃあ、先にお風呂に入りましょうか。その後ご飯があるから」

「飯!?」


 思わずはしゃいで部屋を出ようとした。だがどこからともなく出てきた鉄パイプにより自分の体は止められた。


「お風呂が先よ」


 笑顔がなんだか怖かった。

 その後風呂の入り方を知った。泡を見て昔食べたことのある綿あめを思い出し、食べてみたらとても苦くて吐き出したしマーガレットからこれは食べ物ではないと後から言われた。

 ちなみに服は人のおさがりを着ることになったけれど、女が着るような服を着る勇気は無かったので男物の服を着せてくれた。それについてマーガレットは何も言わなかった。


 食堂に付いた時、顔合わせということでこの家に住む奴ら全員の前に立たされた。

 自分と同じくらいの年の子供の魔族の数に思わず目を見開いた。化け物の集まりかよと呟いた時それに噛みついてきた奴がいたのでその喧嘩を買ったら、色んな奴から引きはがされた。

 自己紹介については魔法と先程与えられた名前をゲリーが言うだけなので別に大したことはなかった。

 ちょうど今はお昼時らしい。よく分からない言葉を言って手を合わせるとようやく食事が始まった。

 食器を使ったことが無かったので周りの人間たちを見よう見まねで使って口に含んでみると、一気に口の中で食べたことが無い味が広がった。


「……なんだこれうまい!!」

「大きな声で言ってくれるなんて嬉しいわ。おばあちゃん涙出ちゃう」


 初めて缶詰以外のご飯を食べた。缶詰のモノも自分の火で温めて食べたこともあったけど、こんなに温かくて美味しいものが存在するのかと感動した。


「みんなが作る料理はとてもおいしいの」

「あぁ、こんなうめえもん初めて食った」


 丁度隣に居た女の子が人形みたいににこやかに笑った。

 何だか舐められたかと思ったけれど可愛かったから気にしない。後々気付いたけど自分は可愛いモノが好きらしい。


「ご飯は当番制よ。作り方教えてあげる」

「あぁ!」


 正直ここに来るときも働かされるのだと思ったら、働くのは要相談ではあるが任意。あくまでここを出るときの資金集めという理由でなければ働けなかった。それでも洗濯や食事の準備、部屋の掃除はしなければならなかったけれど。

 孤児院に入ってからというものの、ガーベラはまず読み書きを憶えることに逃げては捕まり、食事マナーを学ぶことから逃げては捕まり、ゲリーと一対一で学ぶ日もよくあった。なぜこんなことをしなければならないのかと思ったが、全うに生きるためだと言っていた。

 ガーベラは普通の人間として生きる方法を知らない。全うに生きるなんてきっと汚い大人になることだと思っている。

 そう彼女が呟いたらゲリーはそうならないように努力しなさいと言われた。そんなことしたって騙されてこの世の地獄に落とされるだけだと彼女は納得しなかった。



 とはいいつつも、彼女は大人が信用できないだけであって子供相手とは馴染むのが早かった。

 なかなか文字を覚えられず、ゲリーの息子であるロイクに鼻で笑われた時は何度も喧嘩したが、一つ年下の癖に悪知恵に長けていたので何度も負けてしまい、その度に「クソガキ」と罵った。

 女の子たちとも一緒に遊ぶようになる。スラム街にいた時も小さい子供とは子分としてよく行動を共にしていたので、彼女なりに世話をすることは容易かった。

 そうして3か月ほど経っても男物の服からは離れることが出来ず、癖のあるオレンジ色の髪の毛をベリーショートに切っていたので街に出かける時は男の子かと勘違いされることが度々あった。


 孤児院には色んな奴がいた。ウサギ耳や猫耳の人間。揺れる尻尾を見るのが楽しくて尻尾を触るとき怒られたけれど。使用人という名の子供の世話係もマーガレット含めて3人もいる。

 混血の存在も孤児院に来てから知った。

 スラム街でも体が弱い奴はすぐに死んだためそういう奴らは弱者として見向きされなかったしガーベラもそういう類のものには見向きもしなかったが、この生活で魔法の使い方が変わると考え方も自然と変わっていった。


 その一番の要因として、ロイクがよく気にかけていた五つ年下のダリアの存在が大きいと思う。

 紫がかった髪と菫色の瞳。愛くるしい5歳の女の子だが、常時魔力が放出されるという状態なので魔法のコントロールが利かず、ひどい時は発熱で倒れ、彼女の周辺で起こる暴風で物が壊れたり窓ガラスも割れた。


「安心しろダリア。この部屋全体に暴風の結界を張った。暴走しても森の中に行くなんてことはしないからな」

「……?う、うん」


 氷枕で頭を冷やしている彼女は兄貴分であるロイクの言葉に分からないながらもこくこくと頷いていた。

 彼は彼女の魔力が放出されやすい体質をどうにかしようと人体実験ギリギリのことをしているらしく、おっかない実験をしようとする度にゲリーに止められていた。


「それってこの部屋だけ大荒れってことじゃないの」

「――――……ダリアの風を浴びられるから問題ない」

「アンタ、ダリアのことでポンコツになるのはいい加減にしろ!」


 結局部屋の中は大荒れになり、ダリアはごめんなさいと起き上がろうとするのを遠くから物陰に隠れながら必死にロイクと止める状態になった。

 それ以降は彼女が横になるベッド周辺に限り結界を張ることで解決したが、その時だけは彼女を閉じ込めているようで可哀そうに思えた。

 それからというものガーベラはダリアとは遊べない日もあったが構ってやるようになったのだった。


 春になりアイーシュ街の外は段々種族間同士のいざこざが多くなってきた。その内戦に巻き込まれた子供が一人この街にやってきた。


「シード。魔法は雷。種族はチンチラ。年は10」


 バイオレットの髪にぴょこぴょこと弾む耳、ふわふわの尻尾が可愛かった。だがガーベラが触れようとすれば静電気程度の弱さの魔力ではじかれた。

 それでもガーベラは自分の次に入ってきた子供ということもあり先輩として親近感があった。ゲリーからも孤児院の案内をお願いされたので鼻が高い。


「ここは談話室で、あの扉開けたら食堂。飯が美味い」

「そうなんだ」


「あっちは書斎。ゲリーとロイクがそこでよく引きこもってるからよく絡みに行く。あ、ロイクはゲリーの息子な」

「へえー」


「ここが畑。草の魔法を持ってるやつらはよく駆り出されるな。シードは雷だっけ」

「うん」


「ここは家畜小屋。この牛はメメとモルモルだ。鶏は知らない」

「うん」

「アンタさっきからホント無反応だな、しけた顔すんなよ。おい」


 シードは表情の変化がないし反応が薄い。やはり特に会話がないのはなんだかつまらない。

 少し俯いたのでなにかトラウマを抱えているのだろうか。そういう事情は他の孤児たちからも聞いており、ガーベラも表面上理解はしていた。


「そうかな」

「家がなくなるのってそんなにショックなのか?」


 ガーベラには家で暮らすという感覚がない。住処を作ってしまえば捕まる確率が高くなるし、何より自分のモノを大切にする感覚が無かったのだ。


「……そんなに僕のこと知って楽しいの?」


 図々しいねと言われ、ガーベラはカチンときた。


「『親』がいた奴ってホント弱い奴らばっかりだな。どうせ生まれても死んでも生きていく時は一人なのに、なんでそんなしおれるんだよ。女々しい」

「なにも知らない癖に、僕だって好きでここに来たんじゃない!」


 シードに両腕を掴まれ、ガーベラは押し倒される前にシードの足を蹴ったせいで二人はほぼ同時に小屋の前のぬかるみに倒れこんだ。

 その後は汚れるのも構わずつかみ合いの喧嘩になり、その後ゲリーが駆け付けた時には二人は顔まで泥だらけだった。


「ここまで泥ネズミになったのは孤児院に入ってきた時以来だな」

「っるせえ……」


 様子を見に来たロイクからの煽りに返す気力がない。

 風呂に入ることになり後ろからシードも付いてきている。そう言えば風呂場まで案内していなかったことを思い出した。


「女湯と男湯があるから、間違えたらしばくぞ」


 念のためそう言い残したがまったく返事が来ない。振り返る気力もなかったので何も言わなかった。

 赤い方の扉を開き、脱いだ衣類を脱衣所の棚に置いていく。


「な」

「んだよ。……てかここ女湯だぞ!!」


 「なんでここにいるんだ」と同様するガーベラを前にシードはガーベラの下半身を指さし、震えていた。


「……嘘でしょ……無いなんて………」


 ガーベラは自分が男だと思われていたことに気付き、シードに平手打ちをかました。騒ぎに駆け付けたマーガレットによって止められた。

 その後ロイクは腹を抱えながらシードに対しガーベラは女だと説明していたが、シードは納得がいかなかったらしい。

 その後ダリア含めた年下の子供達がガーベラをお姉ちゃんと呼ぶことで事態は収まったが、どうして男装なんかしているんだと言えばまたガーベラの癪に障り、掴み合いの喧嘩になった。



―――



 数日後、ロイクの母であるアイリスと一緒に買い物に出た。だがなぜかその隣にはシードもいる。

 それに不満を垂れればアイリス曰く「孤児院に入ってきた順で連れて行っているんだから我慢しなさい」と言われた。

 部屋で謹慎を受けていた彼女にとって久しぶりの外なので仕方なく行くことにした。

 外にあまり出られないのはスラム街にいたガーベラにとって苦痛に等しく、与えられた仕事や作業はちゃんとこなす反面、よく憂さ晴らしに脱走をしたり、料理のおかずのつまみ食いをしたりするなど、大人達から見て彼女は孤児院の問題児になっていった。


 ふとショーウィンドウに飾られている洋服に少し目を引かれれば、アイリスはお洋服はまた今度ねとガーベラの手を引いていく。

 ショーウィンドウに飾られた服は全て女物の服だった。


「ガーベラも服に興味あるんだ」

「見るのはアタシの勝手だろ」


 口調は荒いのに一人称はアタシ。入浴も割り当てられた部屋も女専用。よくロイクと喧嘩する割には一緒に行動して遊んでいる仲間も女の子なのにガーベラは頑なに髪は短く衣服も男子用だった。

 彼女は見た目に関していろいろ矛盾している。


「こらこら、喧嘩しないのぉ。ガーベラだって、興味くらいあるものねぇ?」


 手を引くアイリスからガーベラは顔をそむける。ガーベラはアイリスがすこぶる苦手だった。

 アイリスはガーベラが入浴中、男物の服を女物にすり替えたり花冠をよく彼女の頭に乗せたり、恋愛トークをしようとしたりと、彼女はガーベラが男装するのはただスラム街でまともな服を着なかったからスカートに慣れていないだけだと思っているようだった。

 それをゲリー経由に言ってもアイリスは女の子は可愛くいなくちゃというばかりで自分の考えを曲げなかった。あれらの行為はガーベラに嫌がらせしているつもりは全くないという。


「…………嫌な奴」

「何か言ったかしら?」

「なんでもないです」


 娑婆の空気は美味いなあとガーベラは現実逃避をした。



―――



 スラム街で仕事がもらえるということはありがたいことで、たまに運び屋程度の仕事は受けることはあった。運んでいた物の中身は知らない。

 スラムにいた時もガーベラは髪の毛を短くし、魔法ですぐに燃えてしまうので格好には無頓着。その辺に落ちている人形には見向きもしなかったので、男だと勘違いされることは多かった。


 だがたまに勘の良い男がいたりする。その場合は相手の股間を蹴り飛ばして逃げるようにしていた。だが上手くいかないときが何度かあった。



 その日は年の近い子たちとマーガレットから女性の体について学んだ。

 魔族も人族も子供を産む場所は同じで月ものが来る。それが毎月来るようになれば子供が産める体になるという。もちろん男性と愛し合えばの話だが。


「好きじゃなくても子供はできるのに」

「どうして?」

「それは……いや、何でもない」


 女だけ苦しい思いをするのは理不尽だと思う。

 夜になれば豹変する男が嫌い。男を誘う女も嫌いだった。

 きっとここにいる奴らはスラムの花街を知らない。いろんな匂いが交じり合い、どこからともなく聞こえる女の啼き声。

 そんな汚い自分が嫌になった。


 その所為か夜は苦手で部屋からトイレまでの道のりが長いことについてゲリーに反論したものの、「流石にトイレを増設するほどの余裕はない」と苦笑いされた。偽善者貴族のくせにそんなこともできないのかと怒る気にはなれなかった。多分これ以上言ったら夜が怖いということがばれてしまうから。

 ガーベラのいる部屋は2階。主であるゲリーとその妻のアイリスが眠る寝室は3階なので物音が響きにくいというのが救いである。


 夜は嫌いだった。それなら眠ってしまえばいいものの、眠る間に何をされるか分からないから安心して眠ることすらできない。街の外で眠ればいいと思うだろうが、あいにくこの国は森林が多いので、森の動物に食われるかもしれないため人里の方が安全だった。


 ということもあり寝る前には必ずトイレに行っていたのに、どうしてこういう日に限ってトイレに行きたくなるのだろう。静かすぎて耳鳴りがする。耳鳴りに交じって花街のあの声も聞こえてくる。もちろんこの声は空耳だって分かってる。この街に花街はないのだから。

 もう自分を襲う男はどこにもいないのに目を閉じても大きな手が目の前にくる気配がした。


「来るな来るな来るな!オレ、は……」

「ガーベラ」


 思わず目を開く。目の前にあるのは大きな手ではなく天敵であるシードだった。

 涙目になって震えているガーベラに驚いているらしい。むしろ嘲笑ってくれればよかったと舌打ちをする。

 だが安心したというのも事実でそんな自分に腹が立った。


「もしかして怖いの?」

「見んな。クソが」


 シードから聞かれる前に彼女はトイレに行こうとしてたと打ち明ける。僕もと彼は言った。

 二人は一緒に行くことにした。なぜ年上である自分が彼から手を引かれているのだろう噛みつけなかった。


「先に行っていいよ」

「……チッ」


 譲られるのも癪に障る。


「別に僕は朝まで我慢できるから部屋に戻るけど」

「それはやめろ!」

「なら早く行ってよ」


 ガーベラはまた舌打ちをする。

 その後シードと入れ替わり、彼が出るのを待っていたが不思議と待つことが怖くなかった。


「先に部屋行ってても良かったのに」

「アンタ、アタシのこと舐めてるだろ」

「さあね」


 彼はにこりと笑う。喧嘩ではいつもガーベラに負ける所為か面白いのだろうか。またガーベラはシードと手をつないだ。


「おい部屋とは真逆じゃねーか」

「夜の孤児院って初めてだから案内してよ」

「むむむ無理!!」

「なんだよ仕方ないなぁ」


 シードはそのままガーベラの手を引いて前を歩いた。食堂をの前を横切って離への通路手前。

 中庭の出入口のドアノブに手をかけた。


「おい、夜に中庭に出るのはダメだって」

「脱走常連者に言われてもなぁ」


 夜の外も悪くないよとシードは扉を開けてガーベラを外へ引き出す。

 今日は満月でとても静かなのに風や虫の音が聞こえる。満月の光で星は全く見えないのに花壇の植物はみんな満月を見上げているようだ。人の声はこの世界で二人だけ。


「怖くない……」

「でしょ」


 出入口の段差に二人は腰かけ、その世界の静寂に身をゆだねる。


「僕のいた村は穀物を育てる広い畑があってね。人族に燃やされたんだ。家族も財産も友達もみんな死んでいった。

 軍が来た時にはもう遅くて、結局ここに来たんだけど、君みたいに今からでも一人で生きられるような子は羨ましかった」

「………それでも楽しいことなんてねえよ」


 その辺の死体を見るのは当たり前で夜は男と女の啼き声を聞きながら夜を明かす。唯一の救いは魔法が上手く扱えるということだけ。

 その日の食糧が普段よりも多くとれた時の幸福は人一倍だったけれど、それは腹に入ればすぐになくなってしまう。

 親の顔なんて見たことはないし、仲間はいてもすぐに死んでしまうか大人に拾われていなくなる。ずっとガーベラは一人だった。


「アタシは、大人が嫌いだ。大嫌いだ。大人になんてなりたくない」

「でもならないと僕らは弱いままだよ。一人で畑を耕すこともできなければ家族もできない」

「――アタシは家族なんて知らない」


 ガーベラは苦楽を分かち合う仲間は知っているが、家族。血のつながりでできる集団というものを知らない。寝食を共にし喧嘩をしても共にいるような存在を知らない。無償の愛を知らない。


「僕、ガーベラの話聞きたい」

「なんでだよ」

「家がないのに、どうして夜が怖いのか分からないから」

「――アンタが聞くにはまだ早い」


 もう少しお頭おつむがよくなったらなと言ってごまかした。これ以上自分が惨めな気分になるのは嫌だった。

 それに、多分自分の話は今の彼に教えてはいけない。



―――



 ガーベラはそれからというもの、脱走壁やいたずらをやめ、12歳になりアルバイトを始めると同時にふるまいも徐々にまともになっていった。

 これまで女の子らしくしろと言っていたアイリスも、ガーベラが大人しくなることで口調を正せとは言われるものの見た目に関しては何も言わなくなり、成長して新しい服が必要になっても尚男装することを選んだ。もちろん炎耐性のある特注品である。


「この電気ネズミ」

「なんですか?爆弾女」

「生意気にロイクからアタシに勝てる方法を聞き出してるみたいじゃねえか?女々しいだけじゃなくて卑怯な手を使うようになったじゃねえの。それでもアタシが勝つけど」

「作戦会議と言ってよ。せっかく魔法が使えるのに、手段を考えなきゃ意味がない」

「上等だオラァ!!」


 シードは口調が柔らかい癖にガーベラに対しては敵対意識があるようで、魔法の授業は大体二人の喧嘩の場になった。その時だけ二人が本気で殴りあえる時間だったので。

 因みにロイクとは喧嘩で未だに勝てたことがない。


「この根暗が!!」

「不器用が!!」

「ネズミ!」

「爆発頭!」

「田舎者!」


 攻撃を互いに交わしながら罵倒しあう。結局この勝負はガーベラの勝ちになった。この時間だけは楽しくて自分が孤児院から去る時が来ても、シードとはずっとこの時間が当たり前に来るのだと思ってた。



―――



「マジかよ……」


 彼女は自分の体の変化に戸惑いが隠せずにいた。こればかりは自分でどうにかすることが出来ず、唯一心が許せるマーガレットに助けを求めた。おめでとうと言われたが嬉しくなかった。

 ほんの少し膨れた胸と臀部。括れに顔立ち。別に女であることを否定するつもりはないが男装しても女であることは隠せなくなることが嫌だった。


「ガーベラどうしたの?」


 アイリスが談話室に置いてある大きめのぬいぐるみを抱えてじっとしているガーベラに声をかける。

 基本的に大人しくできない彼女が談話室でじっとしているのに驚いたらしい。


「……」

「たしかお仕事の日よね?」

「休むってさっき連絡した」


 月ものがこんなに辛いなんて知らない。

 腹を気にするガーベラにアイリスは何かを察したらしく、彼女の背中を優しく撫でた。きっとマーガレットが教えたのだろう。誰にも広がっていないということはきっと自分の体の変化を知っているのはこの二人しかいない。

 そういうことだけは優しいのだから頬がむくれる。


「部屋に戻ってなさい。ホットミルク作ってあげましょうか」

「……砂糖もちょうだい」

「そこだけは相変わらずで安心したわ」


 ぬいぐるみを抱えたまま談話室を後にする。うめき声をあげそうになるのを堪え、階段を上る。現在は午前中で大半は中庭で遊んでいるか授業を受けている。廊下には誰も居なかった。


「そのぬいぐるみ、談話室のだよね」

「うげ」


 後ろを振り向けば電気ネズミ……ではない。シードがいた。男装した女子がぬいぐるみを抱きかかえている図はあまりにも滑稽だろう。


「ほっとけ、アタシの勝手だろ」


 今まで喧嘩で使わなかった魔法をチラ見せては近寄るなと牽制する。

 それについて癪に障ったのかシードはビリビリとふさふさの尻尾を尖らせては上等だよと言わんばかりに今からでも攻撃ができるような状態になっている。不完全な状態で激しい動きをしたくない。


「恥ずかしくて魔力放出ですか。可愛いねぇ、ガーベラ姐さん!」

「アンタを弟にしたつもりはねーよ、シード」


 一触即発の状態でアイリスが来たので結局その場は収まったが、その後シードはガーベラの体の変化を察したのか喧嘩を吹っ掛けることはなくなった。



―――



「ということでつまんないから中庭いこーぜ、ロイク」

「お前の憂さ晴らしの相手になるつもりはない」


 ロイクは魔術のほかに呪術にも手を出すようになっていった。ここでの独学にも限界が見えてきたらしく、現在魔術学院に行くために勉強中らしい。

 現在も尚書斎のテーブルで本を積んでは何かを紙に書き記している。


「相変わらずダリアにはお熱だねえ」

「どういう意味だよ」

「だってダリアのこと好きなんだろ?」

「アイツは妹みたいなものだ。それ以上でもそれ以下でもない」


 六歳になったダリアはどうにか自分で魔法をコントロールしようと孤児院の外にある森の中で練習をするようになった。もちろん大人が近くにいるときであるが。

 やはり彼女もロイクばかりに頼りたくないらしい。この前彼女はロイクが作った魔力を砂に変える魔術陣のせいで魔力が枯渇して倒れそうになったばかりだというのに。健気すぎて抱きしめたくなる。


「お前はどうするんだ。来年にはもうここを出るんだぞ」

「アタシは……」


 アルバイトを始めて早3か月。パン屋で働いている彼女は根っから人懐っこいために彼女に会いに行くために来る客も増えた。

 ゲリーの言う『全うな生活』というものが段々理解できるようになってきたが、それでも自分が何をしたいのか分からない。魔法をぶっ放すことは好きなので軍にいくということも考えたがどうしても孤児院以上に厳しい規律を守ることは出来る気がしなかった。


「どうせ俺は学院を出てもここから出ることは出来ない」

「お坊ちゃまは大変だな」


 ロイクにはこの家の後を継ぐと生まれた時から決められていた。生まれた時からこの家で子供の巣立ちを見守る宿命であるせいか、同い年の子供とは一線距離を置いている。

 ロイクは子供なのに子供のために生きなければいけない。


「『子供に救いの手を出せ。たとえそれで世界を敵に回しても』」

「なんだそれ」

「この家の家訓だ。身寄りの無い子供に救いの手を差し伸べ、大人になるまで責任を持って育てる。俺はそれを誇りに思うし、この国ができる前からこの家はそうしてきた」


 自分がこの孤児院に来た時を思い出す。冬になる前の時期。流行り病で自分の仲間たちが死んでいったあの頃は道端の死体が普段よりもたくさん詰まれ、いつの間にか知らない大人達が運んでは無残に燃やしていくのを彼女は見守っていた。

 当時は特に何も思わないが、今はそれに心が痛む。その燃やされた遺体の大半が子供たちだったから。


「……アタシは、そんなの偽善者だと思ってた」

「なぜだ」

「女を抱きたがる男はたくさんいるのに、子供を捨てる女は減らない。それでも花街の女は男を誘って苦しいのを分かってて受け入れるんだ」


 その男に組み敷かれるのが嫌で、大人になることを拒んだ。大人は信用できない。もしかしたらこの孤児院を出てもなおそういう道に行ってしまうのではないかと思うと震えてしまう。

 ロイクはガーベラのそんな姿を見て目を見開いたが、黙った。

 目の前の大きな机で話を聞いているであろうゲリーも視線は本にあるが何も口を挟まない。


「俺はその男の気持ちはまだ分からない」

「一生分からなくていいよ」

「でも人間には必要なことだろう」


 そうやって人間は増えるんだからとロイクは言う。

 男は女の抱える痛みを一生知ることはない。ただ欲を吐き出すだけ。きっと冷静に言ったロイクも女に対してそういう感情を知ることになる。そして女の痛みを知ることなく女に欲を吐くのだろう。


「ロイクの馬鹿!!もう知らない!!」


 書斎を飛び出したせいで目の前の誰かにぶつかり、そのままぶつかった相手を下敷きに倒れてしまう。


「ご、ごめ……」

「いてて……ガーベラ?」


 下敷きになったのはシードだった。

 彼はガーベラをどけようと彼女を腕に手をのせる。彼の手の大きさを直に実感した彼女は彼の手を払い、逃げるようにその場から去っていった。


「……ガーベラどうしたの」


 シードは書斎に入り、そこにいたロイクとゲリーを見ては首を傾げた。


「ロイクは女心が分かっていないな」


 その状況を傍から見ていたゲリーはぽつりとそういったのだった。



―――



 ここ数日、ロイクとシードと全く会話をしていない。

 正直シードに対してはとばっちりだと思うが、正直ガーベラが友人として関わりのある異性はあの二人しかいない。他は子弟とか先輩後輩のようなイメージで接していたため普通に話すことは出来たけども。


 ガーベラが働くアルバイト先は男装するガーベラに対しても何も言うことはなく笑顔で迎え入れてくれた。

 制服は特にないので白いバンダナと白のフリルのエプロンを借りている。シフトの時間は昼頃。

 昼間になれば菓子パンや昼ご飯目当てに来る仕事人たちが来て、夕方にはまた夕飯目当てに買いに来る者たちで賑わう。

 だが目の前には同じ屋根の下で寝食を共にする天敵が居た。


「……なんでアンタが来てるんだ」

「今夜の夕飯。今日のお使いは僕だから」


 もう気付けば今日の授業も終わっている時間だった。家畜や畑がある孤児院でも小麦の栽培まではしていない。このパン屋の主な顧客はこの周辺にいる住人と孤児院だ。最近はこの近所に難民を受け入れるアパートメントというものを作るとかで、大工も昼飯を買いにここに来るけれど。

 しばらく避けている相手だと営業スマイルも溶ける。今すぐこのパンを黒焦げにして寄越そうかと思ったがこのパンも自分の夕飯になると思うとやめた。シードが頼んだパンの数が十数人分だったから孤児院のみんなの分だろう。今夜の夕飯が黒焦げのパンになるのは嫌だ。

 だがカランと鳴るドアの鈴と共に客が入ってくればすぐに飛び切りのスマイルを貼った。シードはその豹変ぶりに顔を引き攣らせているが知ったことではない。


「いらっしゃいませ!」

「初めてなんだけど、ここってパン……屋…?」


 客がガーベラを見てはこちらを見ては硬直する。露出の多い恰好。煌びやかなアクセサリー。遊女のような容姿だが見ない顔だから最近故郷を追われた難民だろうか。

 そう言えば自分がいた街も木端微塵になくなったらしい。だが首にはチョーカーがあるし、こんな知り合いがいたかどうか覚えがない。


「あの、お客様?」

「エリカ、知り合いか?」


 夫だろうか連れの男性が女性の様子を不審に見ている。


「ユーカリ」


 女性の言葉に孤児院に来てから封じていた記憶の蓋が開かれた。

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