改心
「じゃあ、太郎じゃないのね」
「戸口太郎っていうのは知らないな。タロウといえば、タロウなんだけれど」
理科室は空っぽで、誰もいなかった。太郎もいない。人体模型と骸骨が心なしかゆらゆら揺れている。
タロウと名乗る男の子は、顔が本当に太郎そっくりで、でも話し方や表情は正反対だった。
裾のほつれた着物を着て、机の上に腰掛けた。私もその横に並ぶ。タロウの足にくっついたボロボロの下駄が、まるでこの世界の者じゃないみたいに見えた。
「その太郎っていうのは、華恋のクラスメイト?」
「……うん」
タロウはまるで今まで友達だったみたいな人懐っこい笑顔で、私に話しかけてくる。私も、同じように返事してしまう。
「太郎そっくりなのに、太郎じゃないなんて、変な感じ」
「そんなに太郎が好きなんだ?」
「違うんだけど!」
タロウのにたにた顔に思わず頬が熱くなる。私が太郎を好き? そん分けないじゃない。むしろ、嫌いで……大嫌いだから、いじめているんだし。
「なんだ、ケンカしてるの?」
「そういうのじゃないけれど」
気に入らないんだよね。
「でも、太郎に対して特別な感情があるんだよね」
「う……」
タロウの純粋な目に、思わず怯えっぱなしの太郎の顔が見える。重なって、見えた。
どきっとした。
特別な感情?
嫌いっていうのも特別なのだろうか。
太郎を他の人とは違う気持ちで見ているのは確か。私のことを「ハナコ」なんて呼んだから、それが嫌で。私が何をしても動じていないのが嫌で。嫌で。
なんで嫌なんだろう。
太郎にどうして欲しかったんだろう。
「太郎、私は……」
今までの私のやってきたこと、もしかしたら全部が間違っていたような気がしていて。
ムカつくんだ。全部に。
よそよそしいミカとアヤが。
反応の薄い太郎が。
冷たいママが。
全部、全部嫌いだ。
「太郎に八つ当たりしていたのかも」
「へぇ、ムシャクシャしてたんだ」
「うん。悪いことしたかも」
同じ顔のタロウにはムカつきはしないのに。あの太郎……普通の服を着て、普通の顔をして、普通の事しかしない太郎が、どうしてもムカつくのだ。
私が何をしても何とも思っていなさそうな、あの顔。私はどこまでも無関係なような気がして。
「太郎に、どうして欲しかったの?」
私が考えていたことを、タロウにも聞かれる。私を見つめるタロウは、私に何て言って欲しいんだろう。
「さぁ、ね」
どうして欲しかったかなんて、ちょっと考えれば分かることだった。
思いっきり泣いて欲しかった、思いっきり叫んで欲しかった、思いっきり反撃して欲しかった。
ただ、無反応で無感情で、その場をやりすごそうとばかりしている太郎が、嫌で。
いつしか、私ばかりが暴走していたのだった。ミカもアヤも、私が振り回した。私の態度が、表情が、二人の「嫌」を全部無かったことにしていたのかも。
「ねえ、遊ぼうよ。僕、久しぶりに遊び相手が出来て嬉しいんだ」
タロウの調子外れに明るい声が、なんだか薄ら寒く聞こえた。外は明るい。でも、もう下校時間だから。
「……帰らなきゃ」
「どこに?」
また明日ね。そう行って机から下りる。
じゅーわっ。じゅーわっ。じゅーわっ。
全部やり直したい。どこから直せばいいのか、ちょっとわからないけれど。でも、とにかく太郎に謝らなくちゃ。
今までのこと、きっと許してはくれないな。
でも、これ以上しないって言うことは出来るかも。
ここにはいられない。タロウとちょっと話しただけで、なんとなくモヤついていたものがちょっとだけ晴れた、気がした。
こうやって太郎の悪口を言わずに太郎の話をしたのはいつぶりだったんだろう。
「どこにって、家に」
タロウの異変に気が付かなかった。空がまた曇ってきていたことにも、気が付かなかった。
机から下りて、理科室を出ようとする。
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