第13話 穏やかに包まれ


 あの日から何度も太陽が昇った。


 タンジは二人をシュレイロードの元に託し、船にはたくさんの荷物を積んで次の目的地に向かっていった。リーネはシュレイロードと共に祈りを捧げ、ソラは二人の魔法使いから熱心な指導を受ける日々が続く。この街は相変わらず、何日か置きに魔物がやってきては護衛団が迎え撃ち、その度にお祭り騒ぎが続く。ソラとリーネはそんな雰囲気に少しずつ慣れてはいるが、未だにぎこちなく街に収まっている──



 本日も水平線から太陽が顔を出し、燦々さんさんとした光を降り注ぐ。辺りを見渡せば遠くにサンティオーネの港が見えるが、それの他には水平線が続くばかり。

 ここはサンティオーネ沖。凪の海に浮かぶ小舟には二人の姿があった。


「くぅー気持ちいいね! さぁ、ソラ! 準備はいい?」


 フィリアは立ち上がって体を伸ばすと、ソラにとびっきりの笑顔を向けた。その眩しさにソラは思わず顔を逸らす。


「フィリアさん……あの……服を……」


 違った。眩しいわけではないようだ。白い肌に締まった太もも、更に露出した手足を目の前で伸ばされては目のやり場に困ってしまう。ソラの顔がみるみるうちに熱を持ち赤くなっていくのが分かる。そんな事を気にもとめず、フィリアでいいよ、と優しく笑う彼女は、早くしたくてうずうずしているみたいだ。


「ほら……こんな所まで来て汗もかいちゃったし、恥ずかしがってないで早くしよ?」


 フィリアは慣れた手つきでソラの体に手を伸ばし……


「フィリア! だめだって! ここはいくら何でも……」


 必死に抵抗するソラ。いつもはここまで来ないのに……いくら何でもそれは……


「ソラ。こっち見て」


 フィリアがぐいっと顔を近づけて目線を合わせる。そしてほのかに微笑むと……海に向かって放り投げた。


「……港まで遠すぎるよー!!」


 ソラの叫び声と同時に激しい水飛沫が広がる……!! 小舟の上からはフィリアの楽しそうな笑い声が聞こえた。


「少しだけ泳いだら船で追いかけるからー! 今日は日が沈むまでに帰ろうねー!」


 フィリアの指導は、可愛らしい顔から想像もできないほど厳しかった。毎日、小舟で海に出ては投げられる。後はひたすら泳いで帰るのだが日に日に距離が伸びて行く。今日は港が手で収まる程小さい。


 こんな毎日を繰り返す所為で、目に見える勢いで体力が付いていく。それを見込んでこの距離なんだろうけど……


 凪の海を泳ぐだけとは言え、全身に疲労が蓄積し、とても港まで体力が持たない……動力源の手足は次第に動きが鈍くなり、体を海中に引きり込む重りとなっていく。それでも、幸か不幸かフィリアは親愛の魔法使い……


「沈んだら引き上げて回復してあげるからねー! ほら! 泳いだ泳いだ!」


 いつもこの調子だ……ぼくが大きくなったら絶対にやり返してやる。と、溺れる度に心に誓う。……ブクブクブク──




 ──って言うことが昨日あってね。と、隣に座るエルビスに話しかける。今はフィリアにしごかれる方が多いけれど、たまに休息も兼ねてこうして二人で瞑想する時間もある。


「それはフィリアの奴も気合いが入ってるみたいだな」


 エルビスは小さく笑った。そのまま目を瞑り会話を続ける二人。


「ソラ、自分のその感情は何だと思う?」


「んー……何だろう。怒ってる訳じゃないし……本当にやり返したい訳でもないし」


 ソラはしばらくの間考え込んだ。遠くで小鳥のさえずりが聞こえる程、静かでゆったりとした時間が流れる。


「やり返せるようになるのが楽しみなのかも……自分がどこまで大きくなれるのか、どれだけ強くなれるんだろうって」


「うん。自分の気持ちを言葉にできるのは難しい事なんだ。だから今のは上出来だ」


 そのままエルビスは語り続ける。


 自分の感情と向き合う事は大切な事なんだ。今どんな気持ちでいるのか、この感情は何なのか、それを知る事は自分を成長させる事にも繋がる。


 迷ったら自分の感情と向き合え。自分の心が分かるのは自分しかいない。今は怒っているのか、悲しいのか、何かを許せないのか、楽しいのか、一つずつ紐解きながら本当の心を探すんだ。するといつかは自分が何を求めているのかが分かり、自分の感情を上手く操ることができる。

 だからこうして魔法使いは瞑想に時間をかけるんだ。戦いの中で感情を見失うことが何よりも危険だ。それはよく覚えておくんだぞ。


 エルビスは感情との向き合い方について語った後、小さく呟くように言葉を吐き出した。


「魔法は感情を知り、感情は自分を知る事に繋がる。これは俺の恩人の言葉だ」


「え……その言葉、マザーもよく言ってた」


 ソラは静かに目を開けると隣に目を向ける。けれど、エルビスは目を瞑ったまま動かずにいた。


「そうか……そろそろ時間かな。でも今日はもう少しだけ続けようか……今はそんな気分なんだ」


 瞑想をしているエルビスの表情が僅かに動いた気がした。けれど、ソラはそれ以上の事は聞かず、再び瞼を閉じた。


 暖かな光をそよ風が運ぶ。穏やかな空気が流れる中、そこに漂う静けさがエルビスとソラ、二人だけの空間を包み込んでいった。


 心を落ち着かせて耳を澄ますと、普段では聞き逃してしまう音も聞こえてくる。葉が揺れる音がする。鳥の囀りが聞こえる。遠くで笑い声もする。シスター達の声だろうか。水が流れる音。その水を汲む音。そう言えば近くに水場があったっけ。誰かの話し声も聞こえてくる。誰かが通り過ぎる足音もする。足音が戻ってきた。くすくす笑う声。誰かが近づいてくる。その足音は目の前で……止まった?


 …………バシャーン!!!


「え、え!? なに!?」


 急に水をかけられ、慌てて目を開くソラ。体はびしょ濡れで顔からは水がしたたりり落ちる。目の前には空になった水瓶を持ちにやにやと笑うフィリアがいた。後ろにはシスター達もいて、くすくすと肩を震わせている。


「まだまだ修行が足りぬようだな!!」


 そう決め台詞を吐くと悪戯いたずらな笑顔を向けるフィリア。


 うう、でも! 流石のエルビスも怒るに違いない! いや、もう怒ってもらわないと! そう思って隣に助けを求めるが……


 まだ瞑想してる!? しかも濡れてもない!


「甘いなソラ。自分の感情と向き合え……だぞ?」


 エルビスは魔法の壁を作り出し女神フロディアの加護・プロテクションで水を弾くと、ようやく瞼を開き目線をソラと合わせた。その時に口元が緩んでいたのをソラは見逃さない。


「もう!! 二人ともズルすぎるよ!!!」


 さぁご飯の準備でもするぞー。と、二人の魔法使いは並んで前を歩いて行く。もちろん二人とも、にこやかな笑顔で。


「この気持ちは怒ってるんですけど! フィリア! エルビスってば!」


 その後ろ姿をソラが追いかけて行く。

 三人が去り、瞑想をしていたこの場には再び穏やかな空気が流れ始めた。


 こうしてまた平和な一日が終わってゆく──

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