第4話 高価い肉
春目は小熊と自分が友達であることを、身振りで拒絶した。
小熊としては、それは残念ではあるが、そのほうが気楽でいい思ったのもまた正直な気持ち。
バイクの新しく買って取り付けたパーツが、メーカー純正品ではなくアフターパーツと呼ばれる、メーカー以外の法人から発売された部品だったような気分。
実際に使い込み、そのパーツの特性を熟知した結果、強度や精度の問題で使い物にならなかった時、純正品ならメーカー全体に不満を抱くが、どこかのパーツメーカーが作ったアフターパーツなら、さっさとゴミ箱に放り込み、そこのメーカーのパーツは二度と使わなければいい。
人の人の関係だって、そいつがイヤな奴や馬鹿な奴だった時、友人か知人かで厄介さの度合いも変わる。
人とバイクのパーツに違いがあるとすれば、人はイヤな奴や馬鹿な奴であることが、必ずしも関係を遠ざける理由にはならないこと。
バイクも同じだ、と言う奴は小熊も何人か知っているが、そっちは理解できない。でも、それを言った馬鹿でイヤな人間との関係は今でも続いている。
自分とは友達じゃないという春目が、洗濯機に寄りかかりながら何か聞いてほしそうに小熊の顔を見ている。
春目がよく見せる、何かまずい事を言っちゃった時の気まずそうな後悔の顔じゃなく、乞うような、飢えるような目。
世にいくらでも居る社会的な弱者から利益を吸い上げる人間から自分を守るため、自らの人として劣った部分を出来るだけ他人に見せないように生きてきた春目が、小熊には自分の恥を見て欲しいと願っている。春目とは短い付き合いだが、それくらいの事はわかるようになった。
春目が洗濯機の横に置いてあったビールケースに座っているので、小熊は近くにあった丸椅子を引き寄せ、腰かけた。
人の話を聞くなら、まずは目線の高さを合わせることから。正直なところ小熊は、自分がひとつ間違えば落ちていたかもしれない人生のダークサイドの話がしばしば出て来る春目の話を、好んで聞きたいと思わなかったが、トレンチコートの洗濯乾燥が終わるまでには、まだ時間がある。
小熊が自分の前に座ったのを見た春目は、ひとつ息を吸ってから話し始めた。
「わたし、竹千代さんに会って良かったと思ってるんです」
小熊は洗濯機の横に置かれた洗剤の紙箱に書かれた注意書きや宣伝文句を読みながら、春目に視線を投げて話の続きを促す。
「何もない暮らしをしていた私が、住むところに困らないようになって、大学にも行かせて貰って、お腹いっぱいご飯を食べられるようになりました」
小熊は自らの十代を思い返していた。自分には何もないと思っていたが、奨学金のおかげで雨風を凌げる家と、質はともかく腹の満ちる飯には困らなかった記憶がある。それでも何も無いと思っていたのは、楽しみとか潤いとかそういう部分。
春目はまるで突然自分がシンデレラか何かになったような口調で、今暮らしてる次の台風で倒壊しそうな木造アパートと、廃棄品の缶詰や近所で摘んだ野草をおかずに食べる茶碗に山盛りのご飯について話している。それから大学で受ける、正直小熊は興味深いとは微塵も思ったことの無かった講義。主に警察や債権者に捕まらないために全知全能を駆使すると言う意味でワクワクドキドキするというサークル活動。
そこまで話した春目は、自分の腹を押さえながら言った。
「お腹、いっぱいです」
春目は小熊を見て、それからプレハブのサークル部室を見まわして言った。
「いいお肉って、たまに食べると体がびっくりして、お腹を壊しちゃうことってありますよね」
小熊には覚えが無いが、きっと春目にとってはそうなんだろう。気取ってレアで焼き上げた牛肉や新鮮な刺身の魚には、通常食べる上では特に困らない、旨味要素の必須でもある雑菌が結構潜んでいて、体が弱っている時に食べるとたちどころに下痢をすると聞いたことがある。
小熊はといえば血の滴るミディアムレアな肉は大好きだし、二日か三日冷蔵しっぱなしで少々悪くなったマグロを食えないようでは山梨で暮らせない。
「おいしいご飯と楽しい大学、その上友達なんてものが居る暮らしなんてしたら、私のお腹は食べきれなくてはちきれちゃいます」
春目の微笑みからは寂しさや物悲しさは感じなかった。一度壊れた自分の人生を、強い薬を打つことなく、自分が壊れないペースでゆっくり、ゆっくり修復していっている。その充実感が窺える表情。
春目の生活レベルは、高額報酬のバイトに恵まれた小熊や、世の多くの人たちに比べても決して高い物じゃない。
しかし、その歩みは確実で自信と幸福に満ちていて、生活の質は小熊よりずっと高いのかもしれない。
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