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 パジェロミニは悲鳴みたいなエキゾーストノートをあげながら未舗装路を行く。それは獣道と言ったほうが正しいような道で、とてもじゃないがクルマが通っていいようなところではなかった。かろうじていくつかの轍があったけど、でもそれだけだ。アスファルトはもちろんないし、整地もされてない。確かにレンタカーなんかで突っ込んだら、走り出して一〇分もせずにスタックしていたかも知れない。

「ここは溶岩の上にできた森なんですよ」

 彼はギアを下げ、泥の間を登りながら言った。

「こうした噴火による溶岩は比較的歴史が浅いものなんです。だからその上に覆いかぶさった土というのも非常に浅くて、そのすぐ下には冷えたマグマ――要は石のように固い地面が広がっている。そのため木々は生長したくても、溶岩にぶつかって根がうまく張れない。だからある一定のラインまで成長すると、成長しきれずに倒れてしまうんです。ここの木々が同じような高さで揃っているのは、その高さまでしか成長できないからなんです。皮肉ですよね」

「そうやっていつもガイドしているの?」

「まさか。昔ガイドの方に聞いたんです。大昔に」

「そう。成長したくても、けっきょく何かが原因でそれまでに死ぬしかないってことか。まるで二十七歳で死ぬロックスターみたい」

「まあ、似てるかもしれません」

「じゃあ、ああいう貼り紙が多いのは?」

 と、クロスした倒木の合間に、立て看板とでも言わんばかりに巨大な貼り紙がしてあるのが見えた。ブルーシートみたいなのをトラロープで括り付けてある。シートは雨に打たれて破れかけだったけど、でもゲバ文字で『自殺したいならヨソへイケ』と書いてあるのがすぐにわかった。

「よくいるんですよ。黒湖に行けば死ねると思って、向かう人が。まあ、その多くはたどり着く前に挫折して、消防の厄介になるんです。レスキューの人たちなんて、そのためだけに平地からこのモノクロまで上がってくるんですから。ああ書きたくなるのもわかります」

「ふーん、じゃあそのへんに屍は転がってる?」

「たまに」

「引くわ」

「僕もそう思います」

 彼はそう言ってから、ラジオの電源を入れた。砂嵐が流れたあと、微かに電波を受信する。わたしは不思議に思った。ほら、よく樹海の中は電磁場が乱れるとかって言うから。だから方位磁針は効かないとかいうし。

「ラジオ、入るんだ」

「海賊局です。トンネル近くにいる老紳士が一人でやってるんですよ。好きなレコードをひたすらかけるだけの海賊局。たまに彼からレコードを譲り受けることもあります。実は麻樹君の部屋にレコードが増えてるの、気付いてました?」

「まさかあのフェイ・ウォンって?」

「僕があげました。つい先週だったかな? 聴いてるとは思ってなかったですが」

「麻樹は自分でレコードはかけられないはず」

「ですね。じゃあ、誰がやったのか」

「あなたとか?」

「まさか。僕は一昨日まで樹海にいました。黒湖が荒れると聞いたので、そのデータを取りにフィールドワークへ。それから帰ってきたら、麻樹君がいなくなっていると聞いたんです。だからすぐに引き返して探しに行こうとしたんですよ」

「そっか。ねえ、仮に麻樹が湖に惹かれていたとして。歩いてたどり着けると思う?」

「常人には無理です。その前に樹海で迷いますから。でも、病になった人間ならできるかもしれない」

「というと?」

「僕も元患者だから言えるんですけど。なんでしょう、あの心神喪失の状態――僕の場合は意思が薄弱で、ずっと眠たいような感じだったんですけど――あのときに、ふと思ったんです。『僕らの魂は、ほんとはあの湖の中に囚われているんじゃないか』って。身体は此処にあるのに、僕らの記憶とか思い出とか魂みたいなものは、あの黒い水の中に封じ込められてしまっている。思い出そうにも、その情景は判然とせず、白と黒に染まってしまって、色彩豊かにリアルには思い出せない。思い出せるのはおぼろげな輪郭だけ……。だから、あの湖の場所がなんとなくわかるんです。自分の精神の在処とは、すなわちその湖なんですから」

「そういうあなたはどうして完治したの?」

「完治したわけではないです」

「でもこうして普通に話せてる。なんで?」

「そうですね……」

 彼はしばらく考え込み、そしてシガーライターの電源を入れた。上着のポケットからゴールデンバットを一本取り出し、ついばんでから火を点けた。彼はそのまま熱くなったシガーライターをわたしに寄越す。「ありがと」と一言だけ言って、わたしもピース・ライトに火を点けた。

 パワーウィンドウが開き、二人の紫煙が流れていく。

「忘れることにしたんですよ」と彼。

「忘れるって、なにを?」

「あそこに置いていった自分のことを、です」

 流れていく煙は、まるで木下の魂の発露のようで。彼がゴールデンバットをひと吸いし、それを燻らせ吐き出すたび、彼の中の何かがこの樹海の中に消えていくみたいだった。

「僕は昔どうしようもない不良でしてね。けっこう悪いことやっていたんです。実はあの事故に巻き込まれたのも、もとを正せば鑑別所を脱走して、知り合いのバイクをふんだくって、山の中に逃げ込むためでした。野宿でもしてしばらくほとぼりが冷めるのを待とうと思ったんですね」

「待って、あなた少年院にいたの?」

「ええ」

 彼は相変わらずの朗らかな笑顔、あの下北のカレー屋が自慢げに南インドだかベンガル仕込みの料理でも出すときみたいな顔をして言った。

「だけどもう過去の話です。あのころの木下少年はもう此処にはいない。湖に置いていきました。おかげで僕はこうしてヒトのために働けている」

 ぬかるみを抜け、パジェロミニはさらなる樹海の深部へ。海賊局のラジオが段々とノイズにまみれていく。

「人が変わって更生すれば、あの心身喪失から立ち直れるって……あなたそう言いたいわけ?」

「わかりません。すくなくとも僕がそうだっただけで、誰にでも当てはまるとは。ただ僕が思うに、あの湖に吸い込まれた精神とか魂とか色彩みたいなものに縋るのをやめたら、僕は意識を取り戻すことができた。ただそれだけのことです」

「……じゃあ、麻樹は過去の自分に――まだ二十歳になるかならないかだった自分に執着してて、だから帰って来れないと?」

「なので、わかりませんよ。これはあくまでも僕の一例に過ぎないので」

 彼はそう言うと、吸い止しのゴールデンバットを灰皿にねじ伏せ、パワーウィンドウをしめた。

 わたしはもうしばらく吸っていたかった。だからフィルターの近くまでチリチリと燃えていても、なお煙が熱くて辛くなろうとも吸い続けた。

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