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 サナトリウムと名付けられたそこは、黒湖事故に巻き込まれた病人たちを隔離する施設だ。表向きは更生施設なんて言ってるけど、本当のところは『正体不明の病』を世に出さないための隔離施設だ。だからこんなとこまで来るようなやつは、本当に限られている。実際今日はわたしくらいなもんだと思う。

 施設の中は、徹底的に白と黒で管理されていた。グレースケールじゃなくて、単純な白黒。非常口の看板すらも、白と黒の影のコントラストだけで表現される。トイレの看板だって、青と赤じゃ表現できない。スカートの有無とかいう非常にポリティカルコネクトネス的に問題アリアリな方法で区別するしかない。ここがアイルランドだったら、間違ってオッサンがバグパイプ持って女子トイレに入るかもしれない。

 木下の案内で連れてかれたのは、受付を超えた先のリハビリ病棟だった。窓ガラスで仕切られた向こうでは、麻樹と同じ病の少年少女がいた。

 彼らは椅子に座らされ、頭に何かケーブルのようなものを繋いでは眠っていた。そしてその手には受話器だとかが握られていて、ことあるごとに彼らは電話に出ていた。電話の先に何があるかわからないけど、ずっと電話に出たり切ったりを繰り返して、目を伏せたまま嗚咽のような言葉を紡ぎ続けていた。

「彼らはまだ病の進行が浅い。治る余地がある若者たちです」

「そうね、まだ話せるもの。骨の髄まで黒い水のほうに行ったら終わりね」

「麻樹君はそうなりかけてた」

「いや、もうそうなってたんですよ、きっと。ずっと前に」

 わたしはそう言って、電話をかけ続ける彼らを横目に通り過ぎた。だってわたしが知っている麻樹は、もう話すことすらできなかったもの。あのときの彼の瞳はもう真っ黒で、何も見ることができず、ただベッドに座るきりだった。

 やがて木下が連れてきたのは、ステージ4以上の患者が集う閉鎖病棟だった。そこにはもう植物状態に近い患者が集まっている。病棟に続くドアには『関係者以外立入禁止』の文字が重苦しく並び、扉の隙間からは黒い煙が漏れ出るようだった。

 そんな近寄りたくもない扉の前に医者が立っていた。白衣姿で、スキンヘッドの老紳士。くたびれた様子で背中を丸めていた。

「先生、真嶋さんがいらっしゃいました」と木下。

 言われてその老医が目を上げた。

「ああ、これは。遠路遙々来ていただいて。意外と早かったですな。明日以降になるものかと」

「麻樹がいなくなったと聞きました」

「いかにも」

 医者はそう応え、白衣のポケットに手を入れた。

「監視カメラの映像が残っておるので、まずはそれを見ていただきたい」


     *


 そのカメラは一型のCMOSセンサーを使っていて、画素数は五〇〇万ほど。暗視機能付きで、画質はそれなり。とはいえこの病棟ではそのご自慢のセンサーもすべて白黒になってしまう。暗視モードと通常モードの区別がつかず、タイムスタンプがないと昼か夜の映像かもわからないくらいだった。

 昨晩、麻樹の姿をカメラが捕らえたのは、午前三時前のことだった。隔離病棟のドアが重たく開き、麻樹がその向こうから姿を現した。扉が開くと同時に、病棟に警報が鳴る。ナースと当直医のPHSにも直通のコールが鳴り、患者が勝手に出歩いていることを知らせた。

 が、次の瞬間だった。

 一瞬、麻樹はこっちを――つまり、カメラのレンズ――を見たのだ。そして口を何度かパクパクとしたあと、突如として画面は真っ黒くなった。映像が回復したのは、それから三分後のこと。もちろんそのときには麻樹はおらず、代わりに叩き起こされた当直医が頭をもたげながら欠伸をする様子が映っていた。

「昨日は風が強かった」

 診察室のPC、そこに映った監視カメラの映像を見ながら、老いた医者は言った。

「黒湖からの影響が強かったのだと思われる。だから、カメラも調子が悪かった。昨日はあらゆる電子機器の調子が悪かったからのう」

「事情はわかりました」

 わたしはそう言ってから、次になんて言うべきか言葉を探した。

 原因不明の白黒化現象。そしてその間近にいた人間たちは、原因不明の心神喪失状態になる……。そんなこと、わたしもよく知っている。傷口が浅い人間はかろうじて回復するケースもあるらしいけど。でも、それにもリハビリが必要だ。麻樹は傷が深すぎて回復できなかった。ずっとベッドの上で、寝たきりのまま、口をパクパクと動かすきりだった。あのころ、ギターを弾いてボソボソと歌い上げる彼の姿は、もうどこにもいない。

「えっと……」

 わたしはやっとのことで言葉を紡ぎ出す。

「どうせ警察に届け出ても、モノクロ人間の捜索はしないでしょ? わたしが探します。だから、少しでも麻樹の行方の手がかりになるものを教えてくれませんか?」

「……うーん、そうさなあ。とりあえず彼の病室を見るかね?」

「お願いします」

 老いぼれドクターは、大きめのため息のようなかけ声とともに、椅子からゆっくりと起き上がる。杖でも必要なくらいの足取りで、彼はステージ4の病棟に向けて歩き出す。


 あの重苦しい、黒い煙のようなオーラを放つ扉。わたしも年に何回かは訪れていた。麻樹に面会すするときは、かならずそこを通らなくちゃいけなかったから。

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