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 Fast Forward 2024/10/30


 トンネルを抜けると、もうその先の森には色がなかった。本当なら紅葉が美しい季節なんだろうけど、この街には色がない。緑なのか黄色なのか、はたまた赤なのかも分からない。とにかく落ち葉がそこらじゅうに吹きだまりになっている。それだけ。ワインディングロードは最高の快走路なんだけど、わたし以外に走ってるクルマはなかった。それもそうだ、誰が好き好んでこんな危険な道を走るんだ。路肩には速度制限と国道の青看板のほかに、「死ぬならヨソで死ね」って自殺者に向けた立て看板まであった。きっとこの辺に住んでた人なんだろうな。そりゃあ自分ちの近くでバカスカ自殺してれば、イヤにもなる。でも、それももういつの話なんだろう。看板も黒く煤けて、はるか昔のものになっていた。

 なんだかんだ二時間近くクルマを走らせていた。わたしが東京の生活で運転のウデがなまってたのもあると思う。途中、登坂車線で何度か軽トラに追い越されたし。それにレンタカー運転するのってなかなか緊張ものなんだよ。

 やっとの思いで着いたサナトリウムは、相変わらず無垢が形になったみたいな建物だった。真っ白い繭のような円形の建造物。首を傾げた卵の殻みたいな現代建築。ここに百人ばかりの患者が収容されている。いつ治るともわからず、正確には隔離されている。

 ――ねえ、知ってる。ここの入院費?

 ――一ヶ月に百万は下らないのよ。

 実はそれが離婚した原因のひとつだったりする。幸いにも保険は適用になったし、麻樹のお母さんが残してくれた莫大な保険金があるから、わたしが毎月病院に入れてるお金なんて微々たるものなんだけど。でも、当時の旦那にしてみればいい気がしなかったろうね。別れる前、彼がよく言ってたのを思い出す。


     †


『なんであんな廃人を延命させるためだけに、金を払ってるんだ。これから家族だって増えるのに』


『お前は悲劇のヒロインぶって感傷に浸ってるだけだろ。いつまで昔やってたバンドとか、初恋の男だとかに囚われてるんだ。菜帆、いまお前の旦那は俺なんだぞ』


     †


 ――知ってるさ。

 でもさ、わたしってバカだし。ガキだから。だから離婚して、子供を堕ろして、まだあんたが言う『廃人』を延命させるためだけに働いてるのよ。悲劇のヒロインぶるのが好きだから、彼の命を切り取って過去に浸ってるの。その過去がいかに色を失って真っ黒くなってしまってもよ。

 わたしはひどくタバコを吸いたい気持ちになって、サナトリウムに入る前に外の喫煙所で一服することにした。ここ、医療機関なのに喫煙所あるんだよね。笑えるよ。そういう施設なんだ。そういえば結核にはニコチンが効くとか言うのは本当なのかな?

 ピース・ライトをコートのポケットから取り出し、マッチを拾い上げて火を点けた。バニラの匂いがふわっと広がり、口の中は葉の燻された味がする。その瞬間だけ心がすっかり切り取られ、無になって、あらゆる苦痛から解放されたような。そんな気分になる。

 わたしのピースが半分くらいまで来たころだ。サナトリウムの回転扉から一人の男が歩いてきた。男は首からIDカード――おそらくこの施設のもの――をさげていたけど、でも医療従事者っていう感じではなかった。白と黒(としか分からないんだけどさ)のダズル迷彩みたいな派手な柄したウィンドブレーカーに、ダークグレーのカーゴパンツ。肩には登山用みたいなザックをして、まるで樹海のガイドみたいなそんな雰囲気だった。彼は普段のルーチンとでも言わんばかりに、その上着のポケットからゴールデンバットを取り出し、ジッポで火をつけた。

「面会ですか?」

 彼は、その廃盤になっているはずのタバコを一口吸うと、わたしに静かに問いかけた。下北にあるスカした古着屋の店員みたいなヒゲモジャの顔してるのに、その語り口はとても穏やかだった。サブカルにかぶれた感じのヒリヒリした神経質な感じはしない。なんていうか、これが大自然の大らかさなのかなって思った。

「面会っていうか、失踪です」

 彼は途端に顔が険しくなる。下北にあるそんなにうまくもないバーの店員みたいに。

「……もしかして麻樹君のお知り合い、ですか?」

「ええ、まあ。いちおう身元はわたしが預かってます。麻樹のやつ、もう親もみんな黒湖の事件で喪ってますから」

「そうですか……恋人だった、とか?」

「いいえ。それよりももっと複雑で。なんていうか、同じバンドのメンバーで、仲間で、パートナーで、恋人なんかよりもずっと信頼できる関係で。でも異性として愛していたのも確かで。……まあ、有り体に言えばただの幼馴染みなんですけど」

 ピース・ライトの灰を落とす。先細りしたそれを静かに吸うと、彼もまた紫煙を吸った。

「えっと、名乗るのが遅くなりました」と、彼はタバコをいったん置いて。「僕は木下と言います。このサナトリウムで、元患者として患者の皆さんの復帰のお手伝いをしています。主に屋外でのフィールドワークをはじめとした調査とリハビリテーションを担当しています」

「……元患者?」

 わたしは彼の言うリハビリというものよりも、その元患者という肩書きが気になった。でも、彼はそこには特段触れずに話を進めた。

「実は麻樹君の捜索も、自主的ではあるんですがやってまして。麻樹君とは個人的な付き合いもあったので。えっと、真嶋菜帆さん……ですよね?」

「そうですけど……どうしてわたしのことを?」

「ここの職員ですから、ある程度は。とりあえず一服したら中へ行きましょう。早く探さないと、麻樹君はもう二度と戻ってこないかも知れない」

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