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テレビがNHKに切り替わり、わたしが眠い頭を叩き起こして朝食を作り出したころ。といっても、八枚切りの安い食パンをトースターに入れて、コーンスープの粉をお湯で戻すだけなんだけど。
トースターにパンを入れてタイマーを右へ回した。ジリジリと音が鳴って、赤い光が中に灯る。それと時を同じくして、テレビの向こうで警報が鳴った。ピロリン、ピロリンって。また地震かよって、そう思ったけど、違った。
「噴火警戒レベル、上がったとかなんとかって」
麻樹がそう呟く。
富士山のことだと、わたしは画面を見ずとも理解した。
「珍しいね。噴煙が上がってるって?」
「らしい。ほら、前にニュースになってたろ。新しくクレヴァスみたいなのができて、そこが雪解けして湖になってるって」
「五年前くらいに滑落があったってやつ?」
「そう。登山者が何人か死んだだろ。あそこさ」
わたしたちが中学生くらいのころだ。
富士山の山頂で大きな滑落があった。あの当時は、三・一一があったから、その影に隠れてすっかり忘れられてしまったけど。でも、このへんでは大事件だった。だって三十人くらいが死んだのだ。原因は地震を含む地形の変動だって話だけど、それだけじゃなかった。実は山の中に眠っていたマグマとかそういうのが活動していて、大地震を起爆剤にして動き出した……とかなんとか。詳しいことは知らないけど。でも、それ以降何度かこの辺でも噴火警戒レベルがあがったり下がったりを繰り返していた。もっともそれ以降一度も噴き上がったことはなくて、あの滑落以降誰も死にはしなかったんだけど。
その日も何事もなく終わると思っていた。
わたしたちのアパートからは、ちょうど雑居ビルの合間から富士山が見える。今日は良い天気で、白く雪を被った富士の峰が綺麗に見えていた。
チン、とトースターが鳴った。わたしは目線を富士山からトースターに戻す、そのときだった。
轟音がした。
人生で一度も聞いたことのない音。それは、麻樹に連れられていったフジロックでも、狭苦しいライブハウスで聞いたメタルバンドとも比較にならない。文字通りの轟音で、その音の波は、家の窓ガラスを震わせて部屋中を震動という震動で支配しようとした。
音。直後に、煙。わたしには見えた。富士山の横っ腹から何かが噴き上がっている。黒い煙、それから何か粒のようなものも。
「おいおい、嘘だろ」
麻樹が思わず窓にかじりつく。
「菜帆、ちょっと出てくる」
「は? 出てくるって?」
「母さん、今日仕事なんだよ。道の駅のレジ打ち。危ないかもしれない」
「どこに行くのよ」
「とりあえず山中湖」
「危ないよ。何が起きるか分からない」
「僕は母さんに会えないほうがつらい」
麻樹はそういうと、ベッドサイドに投げてあったアライのヘルメットをひったくった。メットの中には手袋とキーが一式入っていた。
「行ってくる。なにかあったら電話する。たぶん大丈夫だと思うけど」
「噴火したとしたら、噴石とか落ちてくるかもしれない。バイクで行って大丈夫なの?」
「わからない。でも、とりあえずいけるとこまで行ってみる。僕のシェルパなら、まあ山道でもどうにかなる」
麻樹はそれだけ言うと、わたしの作った朝食も食べずに玄関を出た。すぐに外からセルの回る音が何回かして、二五〇ccのエンジンがかかったときのあの乾いた爆音が轟いた。
スロットルが開いて、回転数が上がっていく。麻樹の姿は消える。わたしはそれを窓から、コーンスープを飲みながら見ていた。NHKが緊急報道番組に切り替わり、山梨放送局との中継が繋がった。
そしてそれ以降、わたしは正常な麻樹の姿を見ていない。
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