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     †


 麻樹がああなったのは、彼の母親が亡くなったころだと思う。あのころわたしたちは二十歳そこそこで、夢を追う若人がその巨大すぎる夢を前にして挫折する、その最中にいた。

 そして、あの街が黒と白だけになったのも、ちょうどそのころだった。わたしと麻樹が二十歳になる年だったから、いまからだいたい十年も前になる。あらためてわたしがそのときから十年も歳をとったんだと考えると、ちょっとだけゾッとする。小学一年生は、中学を卒業して高校生になるし。あのころ高校生だった後輩たちだって、早いやつはもう結婚して子供だっているのだから。

 あの時間に取り残されてるのは、ある意味で麻樹とわたしだけだ。もっともそれを望んだのも、麻樹とわたしなんだけどさ。



 Rewind 2014/10/12


 忘れもしない。十年前の十月の十二日、日曜日だった。わたしと麻樹は昨晩あったライブでひとしきり疲れて、当時わたしと麻樹とで住んでいたアパートで飲んだくれたあとだった。たしかライブが終わって、一次会で飲んで終わったのが零時前。それから麻樹の家で飲み直そうって話になって、ドラムの藤代君と、ベースの里江ちゃんの二人も呼んで飲んでいた。里江ちゃんだけ先に帰って、けっきょく藤代君は朝ぐらいに「気持ち悪いから帰るわ」って言ってさ。わたしはたしか、麻樹の背中に寄りかかりながら朝まで映画を見ていた。

 別にわたしと麻樹は付き合ってたかって言うとそういうわけじゃなくって。わたしが単に一方的にあいつのこと気になって、通い妻をしているうちにこうなってただけで。じっさいわたしたちって恋人らしいことをしたことなかったし。二人の関係をなんだと問われたら、それに返すのは難しくって。バンドのギターボーカルと、ギターって答えるか。中学からの腐れ縁って答えるか。そんなとこだった。藤代くん(彼は高校から知りあったんだけど)曰く、「麻樹と菜帆は長年連れ添った老夫婦というか、パートナーって感じがする」とか言ってたから。わたしも感覚的にはそれが近い気がする。もっともわたしがほとんど麻樹の面倒を見ているようなもんなんだけどさ。


 朝、わたしたちは二日酔いの頭で映画を見ていた。麻樹がベッドに腰かけ、わたしは眠い目を擦りながら彼の肩にもたれていた。ヨレヨレになったオアシスのTシャツは、もうかれこれ中学からずっと着ていたものだった。完全に色が落ちて、もう寝間着になっている。たしか大昔のツアーTシャツとか言ってたっけ。

 たまたまツタヤで一昨日借りた映画。ニューシネマパラダイスと、フォレストガンプ。あとファントム・オブ・パラダイス。どれも麻樹のチョイス。わたしが「見たことない」って言ったら、「それぐらい見とけよ」って言って借りたのだった。そのとき流れていたのはフォレストガンプだったけど、すっかりエンドロールになってたし、ぜんぜん見てなかったから内容は覚えてない。ほとんど藤代くんの恋バナにかき消されちゃってた。

「……ねえ、麻樹」

 わたしは半分寝落ちしそうな頭で言った。

 麻樹が諦めたようにディスクを取り出し、画面をテレビに戻す。NHKの朝のニュース。左肩の時間表示がもう九時過ぎだって言っていた。わたしたちどんだけ飲んでたんだって話。

「なんだよ」

「昨日のライブ、良かったかな?」

「菜帆が良いと思うなら良かったと思う」

「なにそれ。あんた、売れたいんじゃなかったの?」

「まあ」

「行くんでしょ、東京?」

「うん。レノンの店長の紹介でさ、下北沢のライブハウスに出させてもらおうと思ってる」

「そうしたらクルマいるね。ハイエースみたいなの買ってさ、機材乗っけてみんなで東京までドライブしちゃったりして」

「だな。でも、菜帆は運転できないだろ。免許持ってるの僕とフジだけだ」

「そのうち合宿免許でとるよ」

「はやくしてくれよ。僕たちにはそんなに時間がないんだ」

「大学生のうちに売れないとって?」

「まあ、時間があるうちに結果を出せないと。きっと僕は社会人に向いてないだろうし」

「たしかに。麻樹が会社員してる姿は想像できない」

「うるさい」

「はは、ばーか」

 そう言ってわたしは、両手で彼の背中を抱きしめて、首筋あたりに顔を埋めた。五年も着てるオアシスのTシャツは、彼の皮脂と洗剤の匂いとで不思議な匂いがする。わたしはけっこうこれが好きだった。

「やめろ、菜帆。くっつくな」

 って、彼はいつもわたしを追い払う。

 麻樹はわたしのことが好きじゃない。嫌いでもないし、わたしと一緒に生活できるくらいには愛してくれてるけど。でも、いつも彼はこうやってわたしを邪険にした。わたしはそれに慣れてたし、それが彼なりの愛情表現だし、パートナーとしては正しいって思ってたけど。

     †


 でもさ、今思えばもっとしつこいくらいに抱きしめていれば良かったって思うのよ。肺いっぱいにあいつの匂いを吸い込んで、それで湖の底まで潜れるくらいに。やってもよかったって思うのよ。


 コトが起きたのは、その直後だった。

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