いつつ 覚悟なき者は去れ
5 - 1 無藤、市岡、響野
「全員黒髪でしたね……」
響野の台詞に「何を言っているんだ」とでも言いたげな視線を市岡兄弟が同時に寄越す。響野とて自分の台詞に何か中身があるとは思っていない。ただ、沈黙があまりにも、重すぎたのだ。
「無藤
S県までは市岡稟市の運転する自家用車で来た。普段こういった長距離移動をする際にはヒサシ、もしくは響野がハンドルを握ることが多いのだが、今回は、
「おまえたちに運転させたら目的地に辿り着くまでに事故で死ぬ」
と稟市が断言したため、体調不良コンビはS県──無藤明星が代表取締役を勤めるイベント制作会社のオフィスに到着するまで、後部座席で意識を失っていた。響野は、もちろん夢を見た。黒髪に白い服の、あの女の夢だった。女は笑っていた。S県に行けるのが嬉しいのかもしれない。ヒサシが夢を見たかどうかは分からない。ただ、常に饒舌な彼にしては珍しく、無藤
状況が少し変わったのは、夜になってからだった。無藤初子から、無藤明星の実姉・絹子が勤めているクラブの名前を聞き出し、営業時間になる直前に飛び込もうという打ち合わせをした。ほかの客がいては、絹子も核心に触れるようなことは口にしようとはしないだろう。だから金を積んで、店を貸切状態にして、話を聞く。金はすべて稟市の財布から出た。弁護士というのはやはり儲かるのだろうか、と茫然と考える響野の肩を小突いた稟市は「コツコツ貯めた小遣いだ」と唸った。小遣いも何も稟市は独身で、自分の金は自分の好きなようにできるはずなのに。「独身だから、将来のこととか考えるでしょ、余計に」そういうものだろうか。少なくとも響野は、自分の将来についてあまり真面目に考えたことがない。あまり考えたくないとすら思っている。こうやって無茶な取材を繰り返しているのも、いつか不意に死ねればという気持ちがあってのことだ。希死念慮というほど立派なものではないが、響野はあまり長く生きたいとは思っていない。理由は色々ある。色々ある、が。
「俺、ちょっと無藤家に戻ろうかな」
ヒサシが、何の前振りもなく口を開いた。稟市が訝しげに眉を寄せる。
「何のために?」
「話聞いてない人がいる」
「……初子さんの娘さんか?」
さすが兄弟、話が早い。感心する響野を他所に至極真面目な顔で首を縦に振ったヒサシとの待ち合わせ場所を決め(稟市が先に手を回し、駅前のビジネスホテルに部屋を取ってあった)一同は一旦解散した。今はビジネスホテルのすぐ近くにある、古びた喫茶店で顔を合わせている。時間もだいぶ遅い。店構えはいわゆる純喫茶のそれだが、中では酒を飲んでいる客が多い。夕方何時以降はバーになる、とかそういうタイプの店なのだろう。ヒサシはビールを飲んでいる。響野はコーヒー。稟市は烏龍茶だ。
「どうやって入り込んだ、無藤家に」
「忘れ物をした」
と、ヒサシはふところから一台のスマートフォンを取り出す。普段使っているところを見たこともない、蛍光イエローの派手なスマホだ。
「何それ……」
「忘れ物専用のスマホ。響野くんも一台持っとくとこういう時便利だよ」
悪質である。
ともあれ、スマホを部屋に忘れてしまったという言い訳をして、ヒサシは再度無藤家に入り込んだ。無藤家は広い。大きな庭に池があり、建家は二階建ての日本家屋。二階の最奥にある12畳の和室が絹子と七花の部屋であり、初子の仕事部屋でもあった。
戻ってきたヒサシを初子と七花、叔母と姪は大いに歓迎した。無藤家には無藤明星の両親──初子にとっての義両親、それに義祖母がいるのだが、離婚して実家に戻ってきた絹子を加えた全員が一日中仕事に精を出しているため、部屋で絹細工を作ってはネットショップで販売している初子はちょうど良い留守番役として過ごしているのだという。客人が訪れることも、ほとんどない。田舎らしく玄関の鍵は開けっぱなしで、時折義理の両親の友人や知人が野菜などを持ってきてくれることもあるのだが、野菜の受け渡しとちょっとした世間話で終わり。本来ならば七花を保育園にでも入れるという話もあったそうなのだが、比較的人口の少ないこの土地でも保育園への入園のハードルは高く、結局血の繋がりのない叔母と姪は長い一日を互いの顔だけ見て暮らしているのだという。
「やっぱり、飽きちゃいますから」
と、ヒサシに冷たい麦茶を出しながら初子は笑う。
「はなちゃんが? 初子さんに?」
「ええ。だってほら、私の仕事……っていうかもう、趣味の延長ですけど、これだって単純作業だから見ていて面白いものでもないですし」
作りかけのタッセル──だかなんだか分からないものを示しながら、初子は眉を八の字にして笑う。なるほどねぇ、と適当に相槌を打ちながら、もしよかったら、とヒサシはできるだけ自然に聞こえるように切り出した。
「俺、はなちゃんの面倒見てましょうか」
「え? め、面倒?」
戸惑ったように視線を泳がせる初子に、ヒサシは両目を細めてにっこりと笑う。他に何の仕事もせずに『ヒモ』として生計を立てているヒサシはマメな性格をしているし、それに何より顔が良い。十代の頃は良くモデルや俳優の事務所にスカウトされることもあった。
初子の頬が薄っすらと赤くなるのが分かる。配偶者である無藤明星は強権的な男だろう。一度話をすれば分かる。それに、先ほどの稟市と響野の聞き取りに対して、無藤初子は良く喋った。普段彼女の話を聞く人間がほとんどいないということは、それだけで理解できた。だから。
「洗い物とか〜、洗濯物取り込んだりとか〜、できないこと結構あるんじゃないですか? 庭に洗濯物いっぱい下がってるの見ました!」
「えっ、やだ、恥ずかしいな……でも、そうなんです。ここではなちゃんと一緒に過ごしてると、なかなかそっちまで手が回らなくて」
「スマホ落とした俺のことすぐ入れてくれて初子さん優しいし。俺結構子どもと仲良くできるから、もしアレだったら」
「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて……」
ヒサシの前にわらび餅とお茶のボトルを追加して、初子はパタパタと12畳の部屋を去って行った。
「──でまあ七花ちゃんの証言よ」
ビールを片手に呻くヒサシの顔色はあまり良くない。本調子でもないのにアルコールを入れるのは間違っていると響野は思う。だがヒサシは「バータイムの店で誰も酒頼まないとか極悪な客じゃん」と言い張ってビールとジャーキーを注文していた。
「絹代ちゃんはお庭から来る、か」
煙草に火を点けながら稟市が唸る。彼は彼で、無藤絹子の証言を得た後貸切の店でかなり大量の酒を飲んでいた。無藤絹子の店は17時にオープンし、24時には閉店するのだという。地元の人間が溜まり場にしているような店で、採算は度外視だ。平日は毎日朝9時から農協で働いていると言っていたので、生活費のメインはそちらで稼いでいるのだろう。
「庭から来て、じいじの部屋──これは?」
「初子さんの義理の祖父母……の、祖父の方はもう亡くなってるっぽくって。七花ちゃんの証言から想像するに、仏壇が置いてある部屋って意味じゃないかな」
「なるほど。庭からやって来て、室内に入ることができるのか。絹代という女性は」
「そこそこそれそれ」
グラスに入ったビールをひと息に空け、ヒサシは言った。
「俺おかしいと思うんだよね。だって大抵幽霊は招かれないと入れない」
「それはおまえの主観だが、まあ──同感だ」
灰皿に灰を落としながら、稟市は小首を傾げる。
幽霊は、招かれないと入れない。そういう説は確かにある。幽霊に限らず人外の存在は、家、という閉鎖空間に勝手に侵入することができない。住人や関係者に招かれてようやく、家の中に入ることができるのだ。
家は結界だ、と聞いたこともある。そして結界の主は、家の主──住人だ。
『絹代』には、そのルールが通用していない。
「……ん、電話? 誰?」
追加オーダーを取りにきた黒いエプロン姿の若い男性にオレンジジュースを注文したヒサシが、耳聡く反応する。響野の尻ポケットで、スマートフォンが揺れている。
「すみません出ます。──曜子さん? どうしました?」
連絡が取れなくなっていた猫田が死んだ、と友人は言った。
腹の中に石を詰め込まれた状態で、ダムに沈められているのが発見された、と。
「ニュース……」
自身のスマホを覗き込んだヒサシが、ぼそりと呟く。
猫田は他殺で、既に犯人は逮捕されている。
顔写真付きの悪趣味な記事。
犯人は、五橋典子だ。
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