3 - 5 手紙
どことなく嫌な沈黙に包まれた店内で、初めに声を上げたのはやはり市岡稟市だった。
「さて」
名探偵の口火を切る際の響きとして有名な二文字を口にしながら、稟市は言った。
「姉と弟。これがトリガーです」
「どういう」
と、木端が三白眼で睨む。
「いきなり呼び付けられた私まで巻き込まれている理由が分からない。どういう意味なんだ、拝み屋」
「理由の半分は、ここに記されています」
稟市は口の端だけで笑い、木端と清一が向かい合わせで陣取っている丸テーブルの上に白い紙の束を置いた──封筒だ。
途端に顔を引き攣らせて木端は後退りをし、清一は訝しげに両目を瞬かせた。
「これって……」
「吉平さんがあの現場から回収してくれたモノです。もう少し遡って説明をするならば、響野さん、あなたの上司が地鎮祭の祭壇に投げ捨てて逃げたモノでもある」
そうだろう、という気はしてきた。ちらりと視線を向けただけでも、すべての封筒の宛名に鵬額社の住所が記されている。
こんなに大量の封書が届いていたなんて、知らなかった。たしかに草凪は読者からの感想や依頼を握り潰していたのだ。
「ちなみにですが」
封筒には、何らかの法則、順番があるのだろう。長い指でそれらを整えながら、稟市は穏やかな口調で続けた。
「草凪
ここもまた繋がってしまう。椅子に座るのを諦めたらしい木端が、壁に背中を預けたままで煙草に火を点ける。
「姉と弟、姉と弟ってあんたは言うが──そんなことより、その封筒からは嫌な感じがする」
私には霊能力はないけれど、と付け足した木端が紫煙を勢い良く吐き出した。こめかみを指先で揉みながら「同じく」と間宮が唸る。
「なんか、臭い」
「臭いな」
「ゲロの匂い」
「俺の話……?」
テーブルに突っ伏したままのヒサシが弱々しく声を上げ「違う」と女性ふたりに声を揃えて否定された。木端と間宮が何を言いたいのかは、響野にも理解できる気がした。匂いがする。吐瀉物のにおい。それに気配がある。誰かの気配。人間かもしれない。そうではないかもしれない。生きているのかも死んでいるのかも定かではないが、稟市の手の中にある封筒の側には間違いなく誰かが立っている。
「さて、この順番だ」
ようやく整理を終えたらしい。稟市が小さく言った。
「手紙が初めに届いたのは、半年前──響野さんが月刊海音に埋め草を寄せるようになって半年ほど経った頃。冬ですね。手紙の送り主は、響野さんの記事をおそらくいちばん初めのものから読んでいた」
『井戸の記事を書いてください。取材をしてください』
ひとつ目の封筒から取り出された一筆箋には、癖のある端正な文字でそう書かれていた。
井戸。
思わず清一を見る。清一も響野を見上げている。
『詳しくお書きします。井戸に赤ちゃんを捨てたものがいます。祟りがあります。記事にしてもらいたいです。』
ふたつ目の封筒に入っていた一筆箋にも、同じ筆跡で、少しだけ長い文章が並んでいた。
赤ちゃん。
響野は無意識に自身の腹を撫でる。あの悪夢を思い出す。
傍らの間宮が耐えかねた様子で煙草を咥えるのが見えた。
『もう少しお話しさせてください。今はXビルという大きな建物が建っている場所です。昔井戸がありました。父が土地を売りました。父も母も死にました。今はわたしと弟だけです。記者さんに直接お伝えしたいです。』
「この記者さん、というのはつまり響野さん、あなたのことです。たぶんね」
みっつ目の封筒からは一筆箋ではなく白い便箋が出てきた。文章が認めてある便箋を、何も書いていない白い紙が包んでいる。『記者さん』が自分のことを示しているというのは、稟市の解説を聞かずとも分かった。月刊海音の編集部に送られてきている手紙だ。そして月刊海音の埋め草の中で、オカルト関係の記事を扱っているのは響野憲造だけだ。
草凪はなぜ、この依頼を握り潰そうとしたのか。
『赤ちゃんはわたしの赤ちゃんです。弟のこどもです。』
よっつ目で不意に話が方向転換する。
わたしの赤ちゃん、弟のこども?
思わず稟市に声をかけそうになるが、祓い屋は静かに首を横に振っている。
『お返事をいただけませんか。記者さんにはお会いできませんか。たすけてください。』
いつつ目。訴えかけるような一文。
草凪がこの時点で、この手紙をすべて寄越していたとしたら。
(──どうにも、なりはしなかったか)
『読んでくださるか分かりませんが、書かせていただきます。わたしは姉ですが、弟は長男です。誰も弟の子を産まないので、姉のわたしが引き受けました。ですが弟は、お見合いでお嫁さんを見つけてしまい、忌み子は井戸に捨てられました。生きたまま捨てられました。赤ちゃんを取り戻したいのです。記事にしてください。人間のすることではありません。皆に知ってほしいのです。』
むっつ目。どことなく切羽詰まってきた。
『赤ちゃんは、井戸の中で待っています。早く出してあげたいんです。』
ななつ目。内容がある手紙はそれで、終わりだった。
「……差出人は?」
それまで黙っていたマスターが、不意に口を開いた。マスターと清一、それに稟市を除く全員が疲弊しきっていた。
市岡稟市は顔を上げ、封筒の裏面に書かれている住所を読み上げた。S県、某市──響野憲造はその住所を知っていた。
灰沖から聞いていた住所だった。脚を運ぶ必要はないと勝手に考えていた。
Xビルのオーナーが暮らす土地の住所だった。
差出人の名前はXビルのオーナーではない。だが、同じ苗字の女性だった。
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