3 - 3 新宿歌舞伎町、純喫茶カズイ

 ──新宿歌舞伎町、雑居ビル地下1階。

 響野の祖父がマスターをしている純喫茶カズイという名の小さな喫茶店には、雑誌記者響野憲造、ヒモで拝み屋の市岡ヒサシ、それに私立探偵の間宮かなめが既に顔を揃えていた。そこに鳶職兼定時制高校の学生である長谷川清一を伴った拝み屋兼弁護士の市岡稟市、それに横浜中華街の秋から現場に顔を出すよう指示を受けた掃除屋・木端こばが現れたものだから、カウンター席に加えてテーブル席がふたつあるだけの小さな店内はあっという間に満員になってしまった。

「こりゃ今夜は閉店だな」

 苦笑いした祖父がカウンターの外に出て、雑居ビルの入り口、喫茶店まで降りるための階段のすぐ側に出ているスチール製の看板を片付けに行く。「手伝う」と言って響野が後を追いかける。

「名探偵、皆を集めてさてと言い──ってやつ?」

 カウンター席で煙草を咥える赤髪の女探偵、間宮がいかにも嫌そうな口調で言う。これだけ多種多様な業種の、性別も年齢も違う人間が1箇所に集められたとなれば、確かに謎解きが行われるとしか考えられない。その間宮の隣席で背中を丸めて熱いコーヒーを舐めていたヒサシが「稟ちゃん」と兄の顔を見て小さく呟いた。

「清一、無事で良かった」

「響野くんも」

 スチール製看板を片付け、店の前に『本日休業』と書かれた札を下げて戻ってきた響野が、稟市にしっかりと手を握られたままの清一を見て顔を輝かせる。清一は稟市という素性の分からない大人と手を繋いでいるという現状に少しばかり混乱しているようだったが、友人の響野の声を聞いて、ようやく強張っていた顔に笑顔が戻った。

「何の会合? これ……」

 ブラックデニムに白のタンクトップ、黒いレザージャケットを羽織った木端が眉を顰めた。そんな彼女の背中に「まあまあ」と逢坂が声をかける。

「カウンターは埋まってるから、そっちのテーブル席に座んな。市岡のあんちゃんの方も、それに清一も」

「あ、はい……」

 言われるがままに木端、それに清一は丸テーブルを挟んで向かい合って座り、稟市は清一が腰掛けた椅子のすぐ隣に丸椅子を引っ張ってきて腰を下ろした。

 響野がカウンター席、間宮を挟んでヒサシとは反対側の席に落ち着いて、これでようやく登場人物が出揃った。カウンターの中に戻った逢坂は黙ってコーヒーを淹れ始めている。深く関わるつもりはないらしい。

「さて──と言わせてもらいましょうか。私は名探偵ではありませんが」

 稟市が口を開く。響野と清一が真っ直ぐに彼を見詰める。響野はメモ帳を開き、稟市の言葉を一語一句聞き逃さぬよう耳を澄ます。間宮は煙草を灰皿に放り込む。木端は逢坂が用意した水の入ったグラスをカウンターまで取りに行き、稟市、清一と、自身の席の前に置く。

 市岡ヒサシは、黙って自分のスニーカーの先端を見詰めている。

「きっかけは間違いなくXビルです」

 稟市が語り始める。


 響野が所属している鵬額社内雑誌編集部には、読者からの無数の手紙やメールが寄せられる。響野たち、関西から移動してきた『週刊ファイヤー』編集部の面々が、鵬額社内でも随一の売り上げを誇る月刊海音に加わるまでは、その月の記事に対する感想だとか、プレゼント企画への応募だとか、そういう内容が手紙とメールのほとんどを占めていた。

 変わったのは、おそらく、間違いなく、週刊ファイヤーの面々が埋め草──紙面上で余ったスペースを埋めるための短い記事を寄せるようになってからだ。

 埋め草として採用されているのは、何も響野の書く怪奇現象についての記事だけではない。週刊ファイヤー時代はそういった記事を書く機会がなかった女性記者が趣味と実益を兼ねて韓国、中国をはじめとするアジア圏のプチプラコスメについての短期連載を持ったり、未だ関西に気持ちを残したままの男性記者が月刊海音の読者は決して知らないであろう関西ディープゾーンのグルメ記事を書いたりと、少しずつ増えていく埋め草はそれなりに評判が良かった。

 評判という意味では、怪奇現象、実話怪談といった趣の響野の記事は、賛否両論でもあった。あんな怖い話を載せないでほしいというクレームが来たと編集長の草凪からお叱りを受けたこともあるし、それならばとSNSで知り合った人間から聞かされたいかにも作り話をいった話を提出したら「誰でも知ってる話を出してくるな」とその月は原稿自体が没になったりもした。


「月刊海音の『怖い話』のコーナー。これは基本的に、響野さんが自分で探し出したネタを原稿として膨らませている、そうですよね?」

 丸椅子に腰掛けた稟市が、今月号の月刊海音を手に尋ねる。Xビルのエピソードを掲載した号だ。

「コインパーキングにクルマを停めて、ここまで歩いてくる途中のコンビニで普通に購入できました」

「そ、そうですか……」

 既に売れてしまった雑誌についてはどうすることもできないとしても、せめて今店頭に並んでいるものを回収することはできないのだろうか。心臓が痛い。

「まあ、私は別に今月号の響野さんの記事を読むのは初めてではないんですが……ご存じの通り、法律事務所を構えておりまして。本業で。事務所で定期購読をしている雑誌が幾つもあるんですよね。月刊海音もそのひとつです」

 淡々と語る稟市の顔には、何の翳りもない。対して、長い脚を投げ出して座る木端の顔色はどうにも良くないように思える。いつもの飄然とした表情はどこへ消えてしまったのか。薄い眉をきつく寄せた険しい顔付きで、稟市の言葉を聞いている。

「響野さん」

「あっはい!」

「普段は──響野さんご自身が自力でネタを探している」

「は、はい」

「でも今回は違う。そうですね?」

「……そうです」

 隠したり否定しても何の意味もない。こくりと首を縦に振る響野をじっと見上げた稟市が、

「これですね」

 と、ふところから何かを取り出した。

 それは白い──封筒だった。

「っ、拝み屋、おまえっ!」

「稟市さん、何そんなヤバいもん持ち歩いてんの!?」

 引き攣った声を上げたのは木端と間宮──。清一は戸惑ったように首を傾げているし、ヒサシはカウンターの上に置いた腕の中に顔を埋めている。眠っているようにも見えるが、市岡家の兄弟の上下関係は絶対だ。稟市が話をしている時にヒサシがぐうぐう眠るなんてことは、有り得ない。

 そうして響野もまた、稟市が手にする封筒から嫌な気配を感じていた。


 禍々しい。厭らしい。どう表現すればいいのだろう。


 腐臭がする。

 あの女が──いるような気がする。


「いません」

 稟市が、まるで心を読んだようなタイミングで言った。

「彼女はここには入れません。私がそうしました」

「そうした……!? 何を意味の分からないことを」

 木端が苛ついたように唸り、それだけでは足りなかった様子で席を立ち、稟市から距離を取るように後退りをする。初めて見る表情、姿だった。木端は関東玄國会の幹部が管理するという組織の筆頭で、裏側の人間関係を齧ったことがある者ならば彼女の顔と名前を知らないものはまずいない。掃除屋の長い歴史の中でも、女性が筆頭となったのは当代が初めてなのだという。木端は優秀で、冷静で、冷徹で、そして強い。

「片付けろ拝み屋! 私はそれが、気に食わない……!」

「彼女に同調するわけじゃないけど、同じ気持ちだよ稟市さん。片付けてほしい。それがそこにあると、なんだかすごく……気持ち悪くなる」

 火をつけていない煙草を片手に、間宮が呟くように言う。響野も同じ気持ちだ。

 ただの白い封筒。であるはずなのに、目を離すことができない。

 あそこで、あの女が、こちらに、手招きをしている。

「あの……弁護士さん」

 清一が口を開いた。

「こんなこと言うたらあかんのかもしれんけど、俺には……」

「言っちゃ駄目ってことはないよ、清一くん。要するに、そこで線引きが成されているんだ」

 稟市は軽やかに言い、微笑む。

 そのタイミングで、ヒサシがカウンター席から転がり落ちた。

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