3 - 2 ヤクザと拝み屋
地鎮祭が行われた建築現場に乗り込んだのは、ハーレーに跨った掃除屋・木端だった。既に現場は変わり始めていた──だが、良いことがひとつ、悪いこともひとつ。
まず、地鎮祭を終えた市岡
本社の一角にある小さな会議室に紙の束を持ち込んだ吉平は、撚り合わせることで一本の紐のようになっていた髪の毛を丁寧に解いた。
『鵬額社 月刊海音内 週刊ファイヤー編集部御中』
鵬額社という名前には覚えがあった。祓い屋を呼ぶと伝えに来た雑誌記者、息子の清一の友人、響野憲造の勤務先だ。なぜ、あの若造の勤務先に送られたはずの手紙の束が、地鎮祭を終えたばかりの祭壇の上に放り出されていたのだろう。
それに、この紐のような髪の毛。
不気味だ、と思った。現場に出てこない現場監督も、「髪の長い女の幽霊が出る」と言っていた。髪の毛と、女の幽霊。何か関係があるのだろうか。
──吉平の息子である清一から取れた証言は、そこまでだった。吉平は現在Q県にいる。市岡稟市が手続きを行った。
「ご自身であの手紙を現場から持ち出したのは大正解です。でも、紐を解いたのは良くなかった」
吉平はあの日地鎮祭を行った市岡逆と、その息子で埼玉県で法律事務所を開いている弁護士の市岡稟市両名から名刺をもらっていた。ヒサシは職業ヒモなので名刺を持っていない。社屋で吉平が卒倒し意識不明になっているという連絡を、清一は定時制高校の教室で受けた。清一が通っている学校は三部制になっており、日の高いうちに学校に足を運ぶことも少なくなかった。
保護者が倒れたという旨担当教諭に伝え、清一は速やかに早退した。吉平が担ぎ込まれたという病院に、清一は入ることができなかった。病院の前では、あの日地鎮祭を行っていたふたりの男のうちの若い方──市岡稟市が清一の到着を待っていた。
「お父さんのことが心配なのは分かるけど」
と、稟市は柔らかい声で言った。そういえば彼の本業は弁護士なのだと誰かが言っていたのをぼんやりと思い出した。
「今は入っちゃダメ。清一くんにも感染する」
「感染?」
父は、吉平は、それほどまでに重篤な病に倒れたのか。感染してもいい。もし彼が死んでしまうようなことになったら、今ここできちんと話をしておかなければ凄まじい心残りに苦しむことになる。そう必死で訴える清一の顔をじっと見詰めた稟市は、
「私の言うことを信じられるかな」
と、やはり陽光の下でふかふかになった毛布のように優しい声で尋ねた。清一は壊れたように首を縦に振る。
「つい先日、地鎮祭を行ったよね」
「はい」
「どうしてだったか、清一くんは覚えてる?」
覚えている。もちろん。
「地鎮祭は……一回、やって。オジキの、吉平さんの会社の、知り合いの神社さんに頼んで。せやけど現場監督が、オバケがおる、オバケが見えるって騒ぐから仕事が進まんようになって、それで……もう一回」
「そうだね。そうだった。私も確認した。吉平さんが──というよりも、吉平さんの勤務先が懇意にしている神社は確かに存在したし、地鎮祭も間違いのない手順で執り行われた。それでも、清一くんの言う通り『オバケ』は現れた」
目線を合わせてゆっくりと喋る稟市の声を聞いていると、ささくれ立った心が少し落ち着いてくるような気がした。
「オジキ……死ぬんですか」
言葉にしたら急に悲しくなった。吉平は頑健な男だった。ヤクザであった頃も、ヤクザではなくなった今も。日本刀で体を袈裟懸けに斬られても、死ななかった。喧嘩が強く、舎弟も大勢いた。絵に描いたようなヤクザだった。だが、組織に捨てられて、舎弟も、愛人も、すべてを捨てて清一だけを連れて東京にやって来た。清一には血の繋がった親や兄弟はいない。吉平だけだ。吉平が、いなくなってしまったら。どうやって生きていったらいいのだろう。
くちびるを噛んで俯いた清一の肩を、市岡稟市が優しく掴んだ。あたたかい手をしていた。
「まだ間に合う」
力強い響きだった。
「これ以上伝播させるわけにはいかない。ここで食い止める」
稟市が何を言っているのかは分からなかった。ただ、助けようとしてくれている。それだけは理解できた。
施主との交渉は、吉平の代理人という形で稟市が行った。施主は響野が記事にしたXビルの持ち主のようなタイプではなく、購入した土地に一軒家の自宅を建てたい、と考えているごくごく普通の男性だった。妻子もいる。
弁護士で、祓い屋の稟市がどのような交渉を行ったのか、清一は詳しいところを知らない。ただ、施主は工事の延期に理解を示してくれた。一筆書いてもらったから安心してください、と稟市は吉平の離脱に右往左往する会社に乗り込み、施主から受け取った書類を社長の机の上に滑らせた、らしい。
「何もないじゃないか。秋の命令だから来てみたら……」
フルフェイスのマスクを外し、木端は大きく舌打ちをする。
「本当に何もないですか?」
清一とともに施工予定地にやって来た市岡稟市が尋ねる。
「ああ、何もないね。壊れかけの祭壇……市岡さん、あんたたちが地鎮祭を行った跡だろう、あれは?」
「ええまぁ」
「地鎮祭が終わって、工事が再開される予定だったんじゃないのか? 私たち掃除屋にも、関東玄國会にもこの現場は何の関係も──」
金髪の坊主頭をがしがしとかき回した木端が、不意に何かに気付いたような表情で双眸を見開いた。
「本当に、何もないですか?」
稟市が重ねて尋ねる。清一は困り果てた表情で眉毛を八の字に下げ、傍らの拝み屋兼弁護士と、ハーレーに跨ったままの掃除屋の顔を交互に見詰めている。
「……何だい、あれは……」
「どうやら木端さんも関与するための条件を持っているようですね。行きましょう」
「どこへ?」
清一の手を引いた稟市は、施工予定地のすぐ側にあるコインパーキングに自家用車を停めていた。
「歌舞伎町」
「またあの店か」
「作戦会議にはうってつけの場所でしょう?」
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