1 - 4 響野

「Q県の山の上の神社って、何なん?」

 月刊誌が発売された直後の休日のことだった。響野は清一を伴ってライブハウスに来ていた。あんな記事を書いた直後だというのに我ながら精神が太いとは思ったが、今日は清一との共通の友人である女性がステージに立つ大切な日なのだ。ライブハウスに幽霊が出る記事を書いたからちょっとしばらくそういう場所には行けない、などという訳の分からない言い訳はできない。

「ああ、灰沖さんに伝えた」

 友人の持ち時間はイベントの後半だった。響野と清一はそれぞれジンジャーエールと烏龍茶を飲みながら、もともとの色が分からなくなるほどにステッカーが貼られた壁に寄りかかって雑談をしていた。


 フェイクを入れつつ仕上げたXビルの記事の最後に、確かに『Q県の山頂にある神社をバーの店主であるA氏に紹介した。』と書いた。『その後、A氏とは連絡が取れないままである。』とも。心霊関係の記事には、オチがない方がいい。その方が盛り上がる。本物の霊能者が現れて「破あっ!」と気合を入れて悪霊を退治してしまった──という展開は、たとえ事実だったとしても読者を萎えさせる。


「俺がマジで信用している祓い屋がいる神社だよ」

「響野くん、そういうん心当たりないって」

「ない、って言っといた方が取材がスムーズに進むから。それに高いんだよQ県の祓い屋」

「お金取るんや」

「別にボランティアでやってる訳じゃないかんね、向こうも」

「ふーん……」

 清一はなぜか腑に落ちない顔をしている。彼の身にも何か、霊的なものを原因とする悪いことが起きているのだろうか。だとしたら響野は協力を惜しまない。清一は友達だ。取材対象ではない。速やかにQ県に連れて行く、もしくは都内にいるQ県の関係者に紹介するのもやぶさかではない。

 薄暗いライブハウスの中が、すとんと暗闇に包まれた。ステージ上をスポットライトが照らしている。長身の女性がステージ右奥でギターを、小柄な男性が中央のドラムセットに、長い黒髪をお団子にした男性がステージ左手でベースをそれぞれ手に取る。遅れて登場した鮮やかな青い髪の女性が響野と清一の友人だ。曜子ようこという。

「お待たせしました、始めまーす」

 曜子も西のアクセントで喋る。清一と出身地が近いのだ。清一と曜子が先に友人関係を築いていたところに、少し遅れて響野が加わった。上京は響野の次が曜子で、その後清一が育ての親とともに移住して来た。知り合ってまだ2年ほどだが、親友、と称しても無理はない程度の距離感でやっている。


 ライブが終わり、打ち上げを適当に抜けてくるという曜子を待つために深夜営業をしている喫茶店に入った。もちろん全面禁煙だ。響野はアイスコーヒー、清一はミルクティーを注文し、深夜帯にしか提供されないという野菜とベーコンのキッシュを突きながら曜子の到着を待った。

「お待ち! あ、美味しそう!」

「曜子ちゃん、お疲れ」

「お疲れ〜」

 打ち上げを1時間程度で抜けてきた曜子は、席に着くなりアイスカフェオレとキッシュを2種類注文した。野菜とベーコン、それに4種のチーズとトマトのキッシュ。

「なんも食べんかったん?」

「なんか今日レコード会社の人? が来とって。みんな商売モードやったからお酒も食事も全然」

「え、曜子ちゃんたちメジャーデビューするん!?」

「せえへんよ。今日初ステージでいきなりメジャーデビューしたら怖いやろ。対バンの……いちばん最後のバンド見た?」

 見た。ぱっと見は26歳の響野と同世代ぐらいの印象だったが、妙に貫禄のあるパフォーマンスをするバンドだった。

「名前何やっけ……忘れた」

「猫の名前やなかった?」

「分からん。とにかくトリの人らがこの先……っていう話で。打ち上げの席でそんな話が出たら、同席しとるうちらもなんとなく真面目に聞かなあかんかなって感じになるやろ」

「曜子ちゃん、メジャーデビューしたいん?」

「全然! うちは出版社の電話番で充分や。来月から契約社員に大出世やしな」

「おお〜」

 曜子、くぬぎ曜子は現在莞侑かんゆう社という中堅出版社の営業部で電話番をしている。アルバイトとして入社して一年。他の仕事を掛け持ちをしつつ生活をしていたところ、先月、営業部の上司から契約社員にならないかという打診があったのだという。うちの立派な仕事ぶりが認められたってことやな、と曜子は冗談めかして胸を張っていたが、その言葉の通りだろうと響野は思っている。関西時代はその地域一帯を仕切るヤクザの愛人が経営しているクラブで働いていた曜子は、ちょっとやそっとのクソ客には臆さない。電話番という立場でありながら、来客対応や、理不尽なクレーマーの相手も行った一年だったのだろう。莞侑社側が曜子を手放したくないと感じたとしても、別に違和感はない。

「バンドは趣味。酒飲んで歌ってあ〜楽しかった! でおしまい!」

「そうなんや。曜子ちゃんカッコええのに勿体無いなぁ」

「そんなん言うてくれるん清一だけやで〜。ありがとな〜」

 19歳の清一と23歳の曜子のじゃれ合いを眺めているだけで時間が溶けていく。厄介な取材対象を相手にして日々駆け回っている響野にしてみれば、今この瞬間こそが癒しの時間だ。

「あ、そんでな。清一、響野にはもう言うた?」

「言うてへん」

「なに?」

 4種のチーズとトマトのキッシュを清一とシェアしながら、曜子が不意に低い声を出した。自分の皿を空にした響野は、アイスコーヒーのグラスを片手に首を傾げる。

「オバケの話」

「オバケ?」

「響野、こないだ出た雑誌にも書いとったやん。響野やない名前で」

「ああね、ペンネーム……」

「Xビル! あっこやっぱヤバかったんやな、てうちのメンバーとも言うとったんや」

 曜子のバンドのメンバーについては詳しいことを響野は知らない。SNSで知り合った集団だと薄っすら聞かされている程度だ。

「うちのドラム、前のバンドで何回かXビルに出たことあるらしいんやけど」

「なんか見たって?」

「黒髪白い服の女、って言うとった」

「へえ」

「深夜イベントで、0時超えることもあるやん? そういう時に必ずスピーカーがんやって」

?」

 清一が小首を傾げる。

「ライブハウスのスピーカーから急に『ピー』とか『ブーン』って変な音することあるだろ。あれ」

 響野の解説に清一は傾げていた首を元に戻し、

「結構よくあることと違うん?」

「って思うやろ? うちもそう思って、ドラムに聞いてみてん。そしたらXビルのハウり方は異常やねんて。普通のピーとかと違くて、こう……何かを言うてる人間の声に似てる、っていうか……」

 灰沖から聞き出した情報を思い出していた。施工の際にきちんとお祓いを行わなかったXビル。自称『見える』人間である灰沖が目にした異様な影。彼はそれを『かみさま』だと言った。


 黒い髪、白い服の女と灰沖の『かみさま』は別人だ。おそらく。


 それでは、曜子のバンドのドラマーが耳にしたという『人間の声に似た音』の正体は?

「それだけだと俺にはどうにも判断が……」

「まあ、ええねんXビルの話は。もう誰もおらんのやろ? あのビル」

 曜子は自分で振った話をあっさりと捨て、アイスカフェオレをひと息に飲み干す。

 確かに、Xビルにはもう誰もいない。ライブハウス運営会社の幹部も死んだし、灰沖も行方不明だ。静岡に住んでいるというオーナーとその家族がどういう状態なのかまでは、響野が調べに行く筋合いではない。

「いないね」

「そんなら次次。うちのメンバーの話記事にしてや」

「ええ……」

 青い髪を右耳の上にかき上げながら、上目遣いで曜子が笑う。

 彼女のこの表情に、響野は弱い。

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