1 - 3 響野
翌週、響野はXビル1階にあるバーを訪ねた。アポは取ってある。押しかけ取材をすると怒られるのだ、草凪に。
「まだ、何かあるんですか……」
Xビルはすっかり廃れていた。バーは相変わらず開店休業状態だという。店主の男性の顔は窶れ、前回顔を合わせた時には黒々としていた短髪に白髪が何本も混ざっているのが分かった。
「これなんですけど」
前置きはいらない。取材用鞄の中から封筒を取り出し、店主の手に押し付けた。
「ああ、前回撮ってた……この写真が、何か?」
「キッチンの写真なんですけど。これ、『息抜き』用のパイプですよね?」
店主がぎょっとした様子で双眸を見開く。清一の推理はどうやら当たっていたらしい。
「店長さんが付けたんですか? 個人的に?」
「ちょ、ちょっと、待って……待ってください。出ましょう、外に」
「ん?」
「ここだと聞かれちゃうから」
「……ああ」
手早くバーの扉に鍵をかけた店主とともに、Xビルから1キロほど離れた喫茶店に入った。都内の繁華街という立地であるにも関わらず全席喫煙という攻めた店だ。店主の行きつけの店でもあるらしい。カウンター内に立つ金髪の女性店員に黙って指を2本立てた店主に「奥どうぞ〜」という金儲けについてあまり考えていなさそうな声が響いた。
店のいちばん奥の席にバーの店主──
黒いコーヒーカップがふたつ運ばれてきたところで、灰沖も煙草を咥えた。
「なんで、アレが『息抜き』だって」
「まあ俺にもそういうアレがあるっていうか……」
アレ、が何を意味しているかは伝えない。灰沖が勝手に考えて都合良く判断してくれればいい。
案の定灰沖は『アレ』を自分の都合の良い方向に解釈したらしい。
「その……お金は払いますから、紹介してもらえませんか」
「紹介?」
「霊能者、とかですよね。結構、有名な方なんですか?」
紫煙を吐きながら響野は小首を傾げる。
「その前に、謎解きさせてもらわないと」
「ああ、あ、そうですよね。そうだ。その通りだ。いや、びっくりしたな、記者さん……ひびきのさんでしたっけ」
「きょうのです」
「響野さん。そう。すごいな、びっくりした」
「そんなにびっくりするようなことですかね?」
「だって、アレが息抜きだって、誰も……」
灰沖は大きくため息を吐いた。
「いやね、俺も、見える方なんですよ」
バーの店長の独白を、響野は黙ってメモに取り始める。
灰沖には幽霊が見えるのだという。子どもの頃からそういう体質で、見えるには見えるが、それだけ。お祓いなどができるわけではなく「あ、変なのがいるな」と思って目を逸らす、そんな風にして生きてきたのだという。
Xビルが建ったのは5年前。ビルオーナーは灰沖の高校の頃の友人だという。
曰く付きの土地だった。繁華街の中心部にあるにも関わらず、5年前にXビルが建つまでは更地だった。どういう事情なのかは誰にも分からないまま、土地の値段はどんどん下がった。土地の以前の持ち主──今はもう亡くなっていると灰沖は言った──も仲介の不動産業者も困り果てているところに、現オーナーが手を上げた。
「あいつももともとバンドとかやってたんで。ビルを丸々ひとつライブハウスとクラブとバーにするっていうの、夢があったっていうか……予算的にもちょうど良かったらしくて」
別の繁華街でバーテンダーのアルバイトをしていた灰沖に「新しく建てたビルの一階でバーをやるから店長をしてほしい」とオーナーから連絡が来て、その翌日には建物の様子を見に行ったのだという。
ビルの前に立った瞬間、
「まずい。と思いました。分かります? 今よりもっと悪かったんですよ」
「つまり」
「あのー……幽霊も、もっといっぱいいて。幽霊なのかな。悪霊? いや違うか……井戸を潰して建てたビルですもんね。かみさま……かな」
落ち着きなく貧乏揺すりをしながら灰沖は続ける。
オープン前の無人のビル。すべてのフロアに何かが居た。灰沖は早々に逃げ出したかったのだが、オーナーが提示した月給に足が止まった。バーテンダーのバイトでは決して稼げない金額。その上、1階のバーに関しては内装を変えてもいいし、会員制にしてもいい、すべての権限を灰沖に預けると言うのだ。
「魅力的すぎて。いつかは自分の店を持ちたいと思ってたから」
オープン前に内装を少しいじらせてほしい、と頼んだら、オーナーは二つ返事で了承した。それで灰沖は恐怖を押し殺して店内を隈なく捜索し、嘗て井戸があったであろう場所を発見した。オーナーには言わずに業者を呼び、キッチンにほど近いその場所に『息抜き』のパイプを設置した。水回りであるということもあって、小さなパイプはそれほど目立たなかった。
程なくして、1階ではこの世のものではないナニモノかを見かけることはなくなった。
やがてXビルのすべてのライブハウスとクラブ、そしてバーが営業を開始する。1階に息抜きを設置したのが良かったのだろうか。他の階をうろついていた不穏な存在たちも、次第に姿を消していった。
「それが、今年になって、どうして急に──」
「灰沖さんも見たんですか?」
吸い殻を捨て、新しい煙草に火を点ける響野を灰沖は怒りに満ちた目で睨む。
「当たり前でしょう!」
響野と灰沖以外に客のいない喫茶店に、大声が響き渡る。金髪の店員が呆れたような顔でこちらを見ているのが分かる。灰沖は一瞬息を止め、
「……見ましたよ。あの女」
「黒髪に白い顔」
首を縦に振った灰沖は、
「でも、違うんですよね」
と小さく呟いた。
「違う?」
「俺が最初に──5年前に息抜きを付けた時。あの時にビルん中にいたのは、あの女じゃないんです」
響野は無言で顎を撫でる。話が変な方向に向かっているような気がする。
「言ったでしょう。井戸を潰して建てたビルだ。オーナーはお祓いをしなかった」
「しなかったんですか? 間違いなく?」
「してたらこんなことになってないと思う……そもそもあいつ、そういう、なんていうんですか。神様とか、信じてないっていうか」
あいつとはオーナーのことだろう。なんという名前だったか。
「それに俺が見たのも、人間の姿をしてなかったっていうか、影みたいな……」
「影?」
「神様ってそういうものじゃないですか? ガキの頃から色々見ましたけど、人間の姿をしているやつほどタチが悪いんですよね。人間のふりをして、人間じゃないのに、こっちを惑わそうとしてくる」
そういうものか。響野には見えないのでなんとも言えないが。
「だから、俺の中では人間っぽく振る舞ってくるやつはスルー。逆に影だったり、うーん、明らかにヒトじゃない姿形のは神様っていう判断でずっとやって来て」
「それで息抜きパイプを」
「なんで5年も経って急にあんなのが出てくるのか全然分からないんです。なんとかなりませんかね。オーナーもノイローゼみたくなってて、家から一歩も出ないって嫁さんから連絡があって」
「オーナー、結婚されてるんですね」
「そうです、今S県で……」
「あ、もしかして?」
そこでようやく響野も嫌な予感を感じる。手元のブレンドがいつの間にか空になっている。
「S県にも出るらしいんです、黒い髪、白い服」
「うわ」
「響野さん、頼んます。霊能者、紹介してください」
「ううん……」
響野には霊能力者の知り合いなどいない。いるのは建築現場で起きる怪異の話ができる年下の友人だけだ。
「……一旦この話、記事にしていいっすかね」
「は!?」
灰沖の顔色が変わる。完全に期待していたようだ、響野の『霊能者』に。
「フェイクも入れますし、その上で腕に覚えありの人を募集するっていう」
「ぼ、募集……え、響野さんの知り合いの霊能者じゃだめなんですか?」
だから、霊能者の知り合いなどいないのだ。
「俺の方もお祓いができるほど強い力を持ってないんですよ。だから」
記事を通じてお祓いが可能な霊能者を募集するということで、どうにか同意を取り付けた。職場に戻った響野は虚実入り混じる記事を書き上げ、草凪に数度のダメ出しを受け、どうにか来週発売の最新の月刊誌に載せるための原稿を仕上げた。
雑誌の発売日に灰沖から連絡が入った。5階の事務所に引きこもっていた、ライブハウス運営会社幹部が自死したという報告だった。ライブハウス運営会社の社長はビルオーナー、静岡在住の灰沖の高校時代の同級生だ。
「ビルを全部壊してやり直すしかないと思いますよ」
響野の言葉に、ですよね、と灰沖は溜息混じりの声を返した。
『実は、今、俺にも見えてんです。黒い髪の、白い服──』
「神社行ってください神社。Q県分かります? 特急乗って2時間。Q県の山ん中にある神社、狐の神社なんですけど、俺が知ってるホンモノはそこだけです」
『Q県? いや、でも……』
「いいから! 灰沖さんも死にたいんですか!?」
以降、Xビルのオーナーとも、バーの店主である灰沖とも、連絡は取れていない。
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