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 女の幽霊を、次に目撃したのは20代の女性だった。女性は、2階のライブハウスで行われていたアイドルのイベントを見に訪れていた。特にアイドルのファンというわけではなく、中学の頃の部活の後輩から「今、アイドル活動をしているので、ぜひ見に来てほしい」という連絡をもらって、ライブハウスに足を運んだのだ。

 後輩が所属しているグループ以外にも4つのグループがパフォーマンスを行う、賑やかなイベントだった──とはいえ、トップバッターだった後輩のグループにはあまりファンも付いていないようで、フロアは正直がらんとしていた。来場した女性を後輩は大歓迎してくれて「来てくれてありがとうございます、ドリンク奢るから好きなだけ飲んでください!」と言ってくれた。そこまで感謝されるようなことをしたつもりはなかったのだが、この客入りでは──

(……無理もない、か)

 女性はアイドル、特に地下アイドルには明るくなく、取り敢えずすべてのパフォーマンスを見終えたらCDを買い、後輩とチェキを撮るつもりでいた。後輩も、そのグループも決してレベルの高いパフォーマンスをしていたとはいえなかったが、それでも頑張ってるようには、見えた。頑張っているのにファンが付かないのは悲しいことだろう。女性と後輩は中学時代にテニス部で共に汗を流した仲で、殊更仲が良かったわけではないが、その程度の関係に過ぎない先輩に「見に来てほしい」と連絡を入れるほどに切実だということだけは伝わった。


 後輩にドリンク代をすべて持たせる気にはなれず、自腹でカクテルを飲みながら他のアイドルたちのパフォーマンスをぼんやりと眺めた。フロアには徐々に観客が増えていて、5つ目のグループがステージ上に姿を現す頃には然程広くないフロアがまるで武道館のような盛り上がりを見せていた。後輩はステージから少し離れた右側の壁際に設置された自身のグループの物販コーナーの近くに立ってステージを見詰めていた。くちびるをぎゅっと引き結んだ横顔は、テニス部の公式試合で負けた時の表情に良く似ていた。


(──うん?)


 その時、不意に気付いてしまった。立ち尽くす後輩の傍らに、人影がある。

 後輩の顔を覗き込んでいる。


 鳥肌が立った。


(人間じゃない)


 咄嗟にそう思ってしまった。それほどまでに、異様な雰囲気を持つ人影だった。

 女性だと思った。黒い髪、白い顔。服も白い──ような気がする。今回のイベントでは並行物販というものが行われるのだと事前に聞いていた。他のアイドルのパフォーマンス中にお目当てのアイドルからCDを買ったりできる、のだという。後輩はその並行物販のために自身のグループの物販コーナーに立っているのだ。


 では、後輩の傍に立つ人影は、あの女はなんなのだ。


 後輩は悔しそうにしている。決して暇そうにはしていない。新しいファンをキャッチできないことを、或いはいつも来てくれる客が立ち寄ってくれないことを不甲斐なく思っている。そんな彼女に初めての客が声をかけたら──とても喜ぶことだろう。

 だが、人影はピクリとも動かない。人影が仮に人間だとしたら、あんな至近距離で顔をじっと見詰められたら後輩だって気が付くだろう。呼吸が頬をくすぐるほどの距離だ。

 手にしているグラスをカウンターに戻して、後輩の元に駆け寄ろう。そう心に決めて、グラスを手に一瞬ステージ、物販コーナーに背を向けた。

 カウンターにグラスを置く。ご馳走様。他に何か飲まれますか。いいえ、大丈夫です、後で。そんなやり取りをしてすぐに振り返る。


 ──目の前に。

 女が立っていた。


 病院のベッドの上で目を覚ますまでの数時間の記憶が、女性の頭からはすっぽりと抜け落ちている。

 目を開けるとそこには白い天井があって「病院だ」と気付く。消毒液の匂いもしたし、何より左腕を点滴に繋がれていた。辺りを見回し、ナースコールを鳴らす。すぐに看護師と医師が駆け付け、体調を確認された後、目を真っ赤に泣き腫らした後輩と、それに女性の母親が白いカーテンに囲まれたベッドの元にやって来た。

 ごめんなさい、ごめんなさい、と後輩はずっと謝っていた。別に何も、あなたが悪いわけじゃない、と返したいのに、言葉が出てこなかった。舌が回らない。なぜだろう。

 倒れた時に頭を強く打ったようです、と医師は冷静な口調で言った。それから──。


「脳に小さな腫瘍がありますって言われて。正直自分が昏倒したことより、そっちの方がショックでした。だって、三ヶ月前に受けた健康診断では何の問題もなかったんですよ?」

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