つながれぬまま

大塚

序 ライブハウスビル

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 都内某所にある雑居ビルに、女の幽霊が出るという噂が立った。


 雑居ビルは5階建てで、1階にはバー、2階から4階まではライブハウス、クラブ、そして最上階にはライブハウス関係の事務所が入っている。1階のバーもライブハウス関係の店舗なので、実質ひとつの会社が雑居ビル全体を借り切っている状態だった。ビルのオーナーは中部地方に住んでおり、建物の様子を見に来ることはほとんどない。

 女の幽霊は、バーには出ない。ライブハウス、クラブがある3つのフロアに不定期に姿を現すのだという。


 初めに目撃したのは客の30代男性だった。その日はそれなりに人気のあるヒップホップアーティストの新譜リリースイベントが行われており、4階のクラブには多くのファンが詰めかけていた。ライブイベントともなるとパフォーマンス中は関係者以外の写真、動画の撮影が禁じられていることが多いが、当該アーティストの方針は違った。ファンにも自由に撮影を行ってもらい、SNSなどにアップして宣伝をしてほしい──と自身のSNSで発信していたし、当日の開演前にも同様のアナウンスがあった。幽霊を目撃することになる男性も、自身のスマホを握ってイベントに挑んだ。

 前座の若手ラッパーのパフォーマンス、リリースイベントを盛り上げるために招かれたお笑い芸人によるコントコーナー、合間合間に有名クラブDJがフロアの客が休憩する暇もないほどに見事なプレイを見せ、その日の主人公であるラッパーがステージ上に登場する頃には客もいい感じに疲れ果て、会場の空気も柔らかで良いものになっていた。

 今日はありがとう、盛り上がってるか、と声をかけるラッパーに、ファンは皆手を上げ、声を張り上げて応じる。一曲目はもちろん発売されたばかりのアルバムでも一曲目を飾っている曲だ。先ほどまでDJブースにいたクラブDJとは別の、ラッパーの相棒として知られるDJが華麗なプレイを見せ、マイクを握り締めたラッパーはそう広くないステージの上を威勢良く飛び回り、軽快でありながら鬼気迫る凄まじいパフォーマンスを見せた。


 イベントが終わる頃には日付も変わり、アンコールの間に名残惜しげにクラブを出て行く客も少なくはなかった。幽霊事件の発端となった男性はイベントが終わったら適当にインターネットカフェなどに入って時間を潰すつもりでいたため、最後までパフォーマンスを楽しみ、物販でラッパー本人からCDを購入し、一緒に写真を撮ってもらい、満足してクラブを出た。朝を待つためのネットカフェには既に目を付けていたので、移動は容易かった。男性はネットカフェの会員証も持っていたので、すぐにチェックインし、つい数時間前までの余韻に浸りながらスマホのカメラロールを遡っていた。


 そこで、奇妙な現象に気付いた。


 ステージを写した写真。そのすべてに、女性……と思しき姿が写り込んでいる。


 はじめはスタッフだろうかと思った。件のラッパーは一応ソロで活動をしているが、相棒扱いされているDJ、それにマネージャー、更にクラブイベントの際には必ず彼の側で細々とした仕事をしたり、物販の整理を行う若いスタッフがふたり付いていて、ファンの間では彼らはチームとして認識されていた。そのチームの一員──ではなかった。若いスタッフふたりは坊主頭の男性と金髪の女性で、写真に写り込んでいる女性はそのどちらでもない。


 真っ黒い髪、真っ白い顔、空洞のような目。

 じっと見詰めると悪いことが起こりそうな、禍々しい気配を感じた。


 写真を削除しようとして、少し戸惑った。イベント自体はとても良かった。楽しかった。その思い出をあっさりと削除することに、抵抗があった。

 ドリンクバーから持ってきた烏龍茶で喉を潤し、他の写真をチェックした。前座の若手ラッパーやお笑い芸人のコントも気に入ったので、何枚か写真を撮ったり、短い動画を残したりしていたのだ。


 動画には、異変はなかった。ただ、写真には、必ず女らしき姿が写り込んでいた。フロアから向かって右側。上手(かみて)と呼ばれる側に、真っ黒い髪、真っ白い顔、空洞のような目──。


 男性は結局写真を削除せず、動画だけをSNSに投稿して眠りに就いた。男性は会社員で、翌朝は普通に出勤しなくてはならず、少しでも眠っておきたかったのだ。


 朝、ネットカフェをチェックアウトして駅に向かう途中の道で、男性は腹部に激しい痛みを覚えて昏倒し、救急車で搬送された。前日までは体に何の違和感もなかったのに、病院で検査をした結果、内臓にかなり大きめの腫瘍ができているということだった。

 幸い手術によって腫瘍は摘出され、男性が命を落とすことはなかった。だが男性は二度と問題のクラブには足を運ばなかった。撮影した写真もその日の主役を写したもの以外はすべて削除した。クラブやアーティストの評判を落としたくなかったので、写真を表に出すつもりはなかった。


「でも、続いてしまったでしょ?」

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