【第十話】「ミキちゃん's カントリーロード feat. アラン 【前編】」

 爽やかな土曜日の朝。都内S区のS駅とK県を結ぶ電車路線・K線車内。

 その車内のロマンスシートに1人座ってアンニュイな表情で窓の向こうを眺める美女がいた。

「にゃあ?(ミキさん?)」

 そんなアンニュイな美女の隣に置かれたプラスチック製のかご内から可愛い声が漏れだす。

「アラン君、大丈夫よ……気にしないで」

 新品の猫キャリーケース内に入って大人しくしている白ソックス黒猫に守屋美希・通称ミキちゃんは優しく声をかける。


 数日前の夜、S区のマンション508号室。

「旅行かあ……」

 夕食後のくつろぎタイムにアランと共に旅番組『金山かおりの欧州紀行』を見ていたミキちゃんはやさぐれ気味に呟く。

「旅行っていいですよね、気候もよくなったしヨーロッパは無理でもどこか行きませんか?」

 年度変わりで生じる大量の採用関連業務と新卒研修で疲れ切ったストレス鬱状態のミキちゃんをアランは気分転換を提案する。

「そうねぇ……行く場所を決めて、荷物作って、ホテル取って、有給取得時期を同僚と調整して希望提出して……はぁ」

 旅行の負の側面を連想してしまい、疲れ切ったミキちゃんがテーブルに突っ伏してしまったその時、FAX電話が鳴る。

「もしもし、守屋です……」

『ミキ、どうしたの……死にそうな声じゃない?』

「おっ、お母さん? どうしたの急に電話してきて?」

 K県の実家からの電話にミキちゃんは思わず腰を伸ばす。

『この前オーストラリアのジェニーさんの所に帰国する前にそっちに寄った剛がメールして来たんだけど……あなた、猫ちゃんを飼い始めたそうね?』

「猫ちゃん……? ああ、アラン君の事ね! それがどうしたの?」

 3週間前の事をすっかり忘れていたミキちゃんは再びアドリブで話を合わせ始める。

『白ソックスの黒猫だなんてもう大山鳴動級に可愛い大天使じゃない!  猫又一歩手前のナベシマもいつまでもつかわからないし……週末だけでもいいからアランちゃんを連れて帰省するのはどう?』

「……週末はおうちで休みたいんだけど」

『そんなこと言わないでよ! おいしいご飯たくさん作ってあげるから……お母さんも生アランちゃんを堪能したいのよぉ』

「そうは言われても……アラン君、どうする?」

「にゃあ(僕はいいですよ)」

 白ソックス黒猫に変化してミキちゃんの膝上で話を聞いていたアランは可愛らしく鳴く。

『その声はアランちゃんね! はじめまして、あなたのママのママでおばあちゃんよ! おばあちゃんのお家に来る?』

「みゃおん!(もちろんです!)」

『アランちゃんもそう言ってるし、決まりねミキ!』

「わかったわ、じゃあ今週末で……また連絡するね」


(アラン君と多数決の力に背中を押される形とはいえ……遠くて近い実家に帰省だなんて何年ぶりだろう)

「にゃお、なぉぉぉ!(ミキさん、 ミキさん!)」

『間もなくY駅、Y駅に到着いたします。ご利用のお客様は……』

 数日前の事を回想しつつぼーっとしていたミキちゃんに黒猫アランはにゃおにゃお鳴きつつ猫キャリーをガタガタ揺らして到着を知らせる。

「えっ、もう着いたの? 教えてくれてありがとうアラン君!」

ミキちゃんは慌てて足元のスーツケースとバッグを掴み、網棚上のお土産を下ろす。


「ミキ! 久しぶりだなぁ!」

「お父さん!」

 スーツケースとバッグにアランの猫キャリーと共にK県Y駅前のロータリーに降り立ったミキちゃんを出迎えるサングラスにアロハシャツとジーンズのエイジドダンディ。ミキちゃんの父にして個人事業主の司法書士である守屋 弘樹(もりや ひろき)は久方ぶりに週末帰省した娘に手を振る。

「お父さん!」

 相変わらずのワイルドファッションが似合う元気な父にミキちゃんは思わず抱き着く。

「……大きくなったなぁ、 ミキ」

「にゃあお? にゃぁぁぉ! (おっきいってどこの事だ? 言ってみろ!)」

「おお、お前が剛の言っていたアランちゃんか! はじめまして、ママのパパのじいじですよぉアランちゃん? にゃあお?」

 キャリーケース内を覗き込んで来たミキさんパパをアランは至近距離でじっと観察する。

「にゃあ(……はじめまして)」

「さて、そろそろ行こうかミキ。アランちゃんのキャリー以外の荷物はそれだけか?」

 ミキパパは愛車ロールスロイスのトランクを開け、娘の小型トランクと鞄を積み込む。

「ありがとう、父さん。アラン君は後部座席で一緒よ」

 ミキちゃんはアランの猫キャリーを持って後部座席に乗り込む。


(へえ、ここがミキさんのご実家なのか……いいところだな)

 ミキパパのロールスロイスに乗り込んで出発して20分ほど。閑静な住宅街の風景をアランは猫キャリーの窓から楽しむ。

「ナベシマは元気なの?」

 昨日までの仕事ストレス鬱で死にかけていたのが嘘のようにすっかり元気になったミキちゃんはハンドルを握る父に尋ねる。

「ああ、お前が高校生の頃からいる老猫だけどキャットフードを3食バリバリ食べ、水をよく飲み、お気に入りの座布団でよく寝ているよ。ワクチンの時に獣医の先生がこんなに頭が良くて健康そのものな老猫は見たことが無い! って驚いていたな」

「へえ、冗談じゃなくて本当に尻尾が2つに割れてそうね……」

「ははは、そうだな。時々俺もそう思う事はあるぞ! さて、着いたぞ……車を停めるから先に降りてくれ」

 ロールスロイスは『守屋司法事務所』の表札が出た瀟洒な一軒家の前で止まる。


「ミキぃ! お帰り!」

「お母さん! ただいま!」

 守屋 美佐子(もりや みさこ)と守屋 美希、数年ぶりに再会した守屋家の母と娘は喜びのあまり思わず抱き合ってしまう。

「そして初めましてアランちゃん! 美佐子おばあちゃんですよ!」

「にゃあ!(はじめまして!)」

 美佐子ママに猫キャリーから出され、仰向け抱っこされたアランは愛想よく答える。

「うふふ、元気なご挨拶ですねアランちゃん!」

(なるほど、ミキさんほどのエネルギッシュさは無いがそれなり以上の魔力反応。そしてミキさんに負けず劣らずのグラマラスボディ……ミキさんの遺伝的ルーツはこの人なんだな)

 娘が連れて来た猫の正体が淫魔で、可愛らしいクリクリの眼で観察されているとはつゆにも思わない美佐子は初孫のようにアランを可愛がる。


「ぬにやあああおお?」

 そんな母と娘、猫の3人漫才にお腹を空かした不機嫌な唸り声で割り入ったのは茶毛と白毛がまだらに入り混じった灰色の大猫。守屋家最強の哺乳類にして頂点に君臨する女帝・ナベシマだ。

「ナベシマ、ミキが帰ってきたのよ? ご挨拶は?」

「ナベシマ、久しぶりね!」

「しゃあああ!……にゃあお! あぉん……あぉぉん!」

 数年ぶりに実家の老猫と再開したミキちゃんは母に唸るその背後を取ってモフモフボディを撫で回し、快感ツボ責めラッシュをお見舞いして嬌声を上げさせる。

「さて……ナベシマのご飯ついでに人間もご飯にしましょ!」

 父が猫2匹分のご飯を用意する間、母と娘は台所に向かう。


 それからしばらくして……守屋家の畳の間

「なあお、あらぁぁぁん、にゃあお? きゅるうん(初めまして、ナベシマさん。僕はアランです)」

 食事を終え、数年ぶりの再会にリビングルームでよもやま話で盛り上がるミキさんとお母さま。そしてそれを見守るお父様…… ミキさんと同居する淫魔ではなく、可愛い白ソックス猫ちゃんとして守屋家にやって来たアランはお気に入りの座布団上で食後の毛づくろいを始めた猫のナベシマとどうにかコミュニケーションを図ろうとしていた。

(ううん、猫の姿になるのはさておき……鳴き声でコミュニケーションとなると難しいなぁ。テレパシーならどうにかなるかな? ナベシマさん、ナベシマさん……聞こえますか。僕は猫のアランです)

 次の瞬間、アランの目の前でビクッとしたナベシマは目を見開いたままキョロキョロと辺りを見回す。

(今の声は…… ミキが連れて来たお前なのかい?)

 そのままテレパシーで切り返してきたナベシマに今度はアランが腰を抜かしそうになる。

(そうです、貴女の目の前の黒猫です! どこでそのテレパシーを…… ?)

(今お前がやったようにやり返してみたら出来た。それよりお前……何者だい? アタシの可愛いミキをどうする気なんだ?)

 未知の存在を前にし、瞳孔が開いて興奮状態のナベシマはアランを殺気で威圧する。

(はっ、 はい!  僕は……)

 黒猫アランは怯えつつもテレパシーでミキさんとの出会いと今に至る経緯を説明する。


(にゃははは! インマを手懐けるたぁ流石はテクニシャンミキだねぇ!)

(あの、ナベシマさんは……僕が怖くないんですか?)

(怖い? 青二才の分際で何を言ってるんだい! あたしゃ猫又に半分踏み込んでる化け猫ババァだよ。バケモノ同類なら大歓迎さ!)

(そんなものでしょうか……?)

 アランから一通りの説明を聞いたナベシマは豪快に笑いつつアランを嗅ぎまわり、喉をごろごろ鳴らしながら鼻チューで黒猫アランを歓迎する。


(うそでしょ…… ミキの匂いがついているとは言え、ナベシマが他猫にあんな事をするなんて!)

(ミキ、アランにマタタビを擦りこんでおいたのか?)

(そんな事しないわよ、お父さん! でも可愛い……!)

 ミキちゃんを除く全ての人間、そして同族を含む全ての動物を女帝オーラで威圧して近づかせない孤高の老猫・ナベシマが下座で香箱座りするアランとにゃおにゃお楽しそうにおしゃべりし、鼻チューからの引き寄せハグでグルーミングしてあげると言う千載一遇の貴重な姿をのぞき見していた守屋夫妻とその娘はスマホ動画撮影しつつ、脳内HDDにその光景を永久保存するのであった。


【完】

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