【第九話】「淫魔、未知との遭遇 昭和から来た男!?」

 平日午後。都内S区のマンション、508号室のキッチン。

 この部屋に住む独身会社員女性、守屋美希・通称ミキちゃんの従弟で帰国子弟の大学浪人生(と言う事になっている)守屋アランは海外在住中に知り合った留学生のガールフレンド(と言う事にした)キアラと共にぐつぐつ煮立つ鍋を見守る。

「キアラ、煮物で大事なのは調味料を入れた時点で野菜の固さが決まる事。例えばこのお芋は……箸で触ってみて」

「はい、アラン様!」

 キアラは肉じゃが作り中の鍋内で煮られる芋を箸で押してみる。

「……確かにまだ固いですね」

「うん、これでもうちょっと煮れば透き通って箸が通るぐらいになるから……もうちょい待とうか」

「はいっ!」

『茶摘ハニートラップ篭絡作戦』の一環としてアランのお料理講座を受けるキアラはアランと共に鍋を見守る。

「アラン様は本当にご飯作りが上手なんですね。 ミキさんに教わったんですか?」

「いや、 ミキさんじゃないんだ、実はここに来る前……」

 アランがキアラの素朴な疑間に答えようとしたその時、玄関でピンポンと鳴る。

「ミキさんが言っていたオンラインショップ配送員だな、今受け取ってくる」

 鍋の火を消して玄関に向かったアランの後をキアラは追う。

 

「はぁい……」

「おう、こんにちは……あれ? ここの住人はボンキュッボンでグラマラスな別嬪さんだったはずだが……ホストとギャルちゃんが越してきたのかい?」

 戸惑うアランとキアラに構うことなく勝手に玄関に上がり込んで来たランニングシャツ&腹巻上にジャンパーを羽織り、薄汚いズボンの見知らぬおっさんは鳥打帽をとって挨拶し、手にもった風呂敷包みを勝手に開き始める。

「さて初めまして、若いモンは知らないだろうがおっちゃんは昭和に絶滅したとされている哀れな押し売りの生き残りだ。同情するより金をくれ! と言うわけで今日の一品目はこちらだ! 昔懐かしのレモン石鹸2個で500円だよ!」

 押し売りのおっさんが汚い段ボール内から取り出したのはいつの物かもわからないカピカピに乾いた粗悪品のレモン石鹸だ。

「4個買ってくれれば800円の赤字大セールだ……よ?」

 露骨な嫌悪感を示すどころか、キラキラした羨望の眼差しでレモン石鹸を見る若者達におっさんは言葉が止まる。

「これが本物のレモン石鹸……僕たちは無理だけど一部の種族にとっては超高級食材になる事で有名なこれをどこで仕入れたんですか? しかも人間界のお金でたったの二百円? 魔界の超高級レストランにこんな熟成品を仕入れたら2万サンクスは下らない代物じゃないですか!」

「マカイ? サンクス?」

「あっ、ええと……僕と彼女は日本に来る前、ヨーロッパのとある国のマカイって町に住んでたんです。サンクスって言うのはユーロ圏に入る前の独自通貨なんです」

 興奮のあまり、口が滑りかけたアランはでまかせの嘘でごまかす。

「へっ、へえ……そいつは何よりだぜ。ならこいつは何サンクスよ?」

 次におっさんが取り出したのは古い着物の端切れと思しき布の端切れが大量に入ったビニール袋だ。

「うわあ……とっても素敵です! ジャパニーズドリームな柄がどれも素敵です! これはお幾らですか?」

「おう、そいつは2000円だ! まいどあり!」

 ゴミ同然の端切れ詰め合わせにお買い上げ宣言したキアラに押し売りのおっさんはここぞとばかりにふっかける。

「これが2000円ですって!? 魔界ならこの中の1枚で最低でもウン10万サンクス、レートにもよるけど日本円で言えば10万は下らない美術品が2000円? おじさま……本当にそれでいいんですか? 買ってから返せと言われても困るんですけど?」

「おい嬢ちゃん! おっさんをからかうのも大概にしろよコラァ!」

「私は真面目に言っているんですよ、おじさま! 芸術を侮辱するのも大概にしてくださいませ!」

 ドンと立ち上がって同喝する押し売りのおっさんに対抗して立ち上がったキアラは気迫で黙らせる。

「おっ、おう……どうやら嬢ちゃんは芸術家肌らしいねぇ? ならこいつはどうよ? あんたらならいくら出す? 100万円? 1億円?」

 顔をひくつかせる押し売りのおっさんが出したのは紙ラベルが変色するほど昔の歌謡曲のカセットテープに映画のVHSの数々だ。

「これは海賊版じゃない……本物なのか?」

「どうやらそうみたいです、アラン様……メーカーの公式ロゴに、版権コード番号。この経年劣化感も偽造の類ではないようですね」

 どこからか取り出した白い手袋を装着し、スマホでメーカー情報の検索確認を始めたキアラは必死に冷静さを保つ。

「おじさん、僕の故郷マカイではいまでもVHSやカセットテープが現役の家庭も多い。でもこの手のメーカー公式の映像音源は入手が難しくコピーのコピーに頼らぎるを得ないのが現実となっています。素人目でも1本ウン10億サンクスクラスの貴重品の数々……どこから盗んで来たんですか? 悪いことは言いません、僕らが付き添ってあげるから自首した方がいいですよ?」

「ええ、そうですわおじさま! 釈放の暁には私がお出迎えに行ってあげますから!」

「腐った石鹸が2万、ぼろ布が100万……VHSが10億…… ? 10億……?」

 リサイクルショップで仕入れたゴミのせいでブタ箱行きにされそうな押し売りの脳内で芸術概念や物の価値、桁数がゲシュタルト崩壊し始め、全身から冷や汗がしたたってガタガタ震えだす。

「おじさま、どうしましたの? 低血糖になったんですか?」

「キアラ! すぐに救急車を呼んでくれ! 僕は糖分たっぶりのジュースとチョコレートをもってくる!」

「はい、アラン様!」

「うわぁぁぁぁぁ!」

 守屋家のFAXから緊急通報しようとしたキアラと冷蔵庫のジュースを持って来たアランの目の前で押し売りのおっさんは商品を放り出したまま508号室を飛び出す。

(神様、仏様、キリスト様! 明日から私は迷惑な押し売りをやめ、まっとうな就労を目指してハローワーク通いする事を誓います! だから今だけでもガチキチガイからお守りくださぃぃぃ!)

 マンションの階段を一気に駆け下りた押し売りのおっさんは5階の渡り廊下から茫然と見下ろすアランとキアラに見送られつつ逃げ去るのであった。


「と、言う事が日中ありまして……」

「へぇ、それは大変だったわね」

 それから数時間後、夜。煮すぎで芋が崩れ気味の肉じゃがと焼き魚の夕食を食べていたミキちゃんは神出鬼没の迷惑な押し売りに発狂級のトラウマを植え付けたアランとキアラに心の中で感謝する。

「それでおじさんが置いて行ったこれらはどうすればいいと思います?」

 洗濯した風呂敷に包まれた段ボール内の商品を見せつつアランはミキさんに聞く。

「そうねぇ……多分そのおじさんはもう二度とここに現れないだろうし、魔界で価値がある物ならアラン君がもらっちゃえば?」

「えっ、でも……」

「きっとそのおじさんは、アラン君とキアラさんの熱意と鑑定眼に感服してプレゼントしてくれたのよ……自分よりも君達が持つべきだと悟ってね。だからおじさんの粋な計らいに感謝してもらっちゃいなさいな!」

「それもそうですね! 是非ともそうします!」

 思いがけぬ宝物をゲットしたアランがニコニコしながら寝床であるクローゼット物置を開け、風呂敷包みを大事そうに枕元に安置する様をミキちゃんはほっこりと見守るのであった。


【完】

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