76.偽古庵君。あなた隠してたわね。



「私と偽古庵君が?」


 茫とした表情で、ハル子さんは小首を傾げて見せた。


「ハル子は松ぼっくりちゃんの従姉妹だったわけだから、そもそも当初に僕が立てていた推理は見事に的外れていたわけになった。それから、偽古庵にせこあん蜻蜒せいてい博士に推薦されてきたのも事実だろうけれど、それ以上に、お前達二人はここにいるべき理由があった。それがこの資産にまつわるゲームだった」


 うつぼ君は眉間に皺し、忌々しげに前髪をかき回し、そのまま掌で額を支える。落ちた沈黙の後、うつぼ君は腕の隙間から、鋭いひとみでハル子さんを見やった。



「立破さんが『予定外の偽物ダミー』ならば、ハル子。お前は『偽物ダミー代理ダミー』だったんだな」



 ハル子さんは茫と微笑み、うつぼ君の眸を見つめた。うつぼ君の鋭い眼差しが次に捕らえたのは、蚯蚓博士の姿だった。


「今回の〈見合い〉で、本当にダミー婿として参加するはずだったのは、ハル子でなく蚯蚓きゅういん博士、貴方だったのでしょう? 古生物学会に問い合わせて、貴方が二ヶ月以上前から、この一週間を休暇にあてていたと聞きました。急に竜骨が発掘されたりしなければ、貴方はきっと〈見合い〉に参加していたのでしょう――の動向、及び様子と結果を見張るためにね」


 うつぼ君は立ち上がり、自分がそれまで腰を置いていた椅子の腕にそっと掌を這わせた。「何故、僕を選抜したんですか。僕には、それを問い質すだけの資格があるはずだ」


 蚯蚓博士は、うつぼ君の顔を真ッ直ぐに見すえ、じっくりと言葉を紡いだ。


「貴方の父上が検挙される以前から、貴方と云う人の鋭敏さ、怜悧さは承知していました。純粋に、貴方が婿に来られたらどうかと考えたのです。それだけですよ」

「だが、僕は違った」

「結果がそうであっただけです。ワタクシの眼に狂いはなかったと確信できた」

「貴方の確信は僕には関係ない」


 ばっさりと切り捨て、うつぼ君はハル子さんを睨んだ。





 全員が沈黙する。

「――……。」


 痛いほどの視線を一身に浴びながら、しかしハル子さんは、なおも気だるげに椅子へその身をあずけていた。茫とした眼差し。無関心な、しかし美しい顔立ち。やがて、それも溜息となって吐き出された。脚が組みなおすのと同時に、ハル子さんは艶然とした微笑を唇に上せた。


「――ねぇ。私はずっと疑問だったのよ」

「疑問?」

「『魂音族』システムなんてナンセンスだわ。私は、この莫迦莫迦しい運命システムくつがえしたいのよ」

「つまり反発、か」


 呟いてから、うつぼ君は鼻先で笑い飛ばす。


「推薦者が鬼打木さん――フェイク姫の中に婿候補がいたとはな……横紙破りもいいとこだ。ハル子。お前は――」


 云いかけた言葉が中途で途切れる。ハル子さんの眼が、不穏にぎらり、と光った。



「まにまには、女の王國なの。男がどうであろうと結局何の変化もない」



 突然だった。大宴会場からハル子さんが駆け出したのは。そのまま風のように走る。うつぼ君が腰を浮かせた時にはすでに、彼女の身軆からだは割烹旅館・御還屋の玄関から踊り出ていた。


「ハル子!」

「待てハル子!」


 追ううつぼ君の後から、偽古庵様もまた駆けてくる。うつぼ君はそれを振り捨てるように走った。うつぼ君の眼の前で、ハル子さんの白い素足が砂を蹴立けたててゆく。玉造達が駆け行く少年少女に驚いて顔を上げる。突然ハル子さんの姿が掻き消えた。驚く間もなくうつぼ君は脚を止めた。続いて、ざぼんっ、と軽快な音。脚をとめたすぐ先は、思いも寄らぬ唐突さで切り立っていた。湖へ飛び込むのに丁度いい高さだ。すでにハル子さんは泳ぎ始めている。目指す先にあるのが水湧祠みずわきほこらだというのは、すぐにわかった。次の瞬間、迷いもなく、うつぼ君の身体が霧西湖に沈んだ。


「ふはっ」


 水面に顔が出ると、慌てて水を掻いた。真水には海水ほど浮力がない。衣服が肌に絡み付き、びっとりと絡む。それは、魂にとっての肉軆にくたいほど不自由な存在だった。


「うつぼ!」


 崖の上から自分の名を呼ぶこえが降りかかる。


「偽古庵! お前はくるな!」


 うつぼ君はクロールで水を掻き分けながら、息の合間で叫んだ。


「これは僕とハル子の喧嘩だ!」


 偽古庵様の動きはそれで封じられた。

 ――と、桔梗色の狭間でハル子さんの動きが止まり、ふわりとふり返る。その姿に偽古庵様は生唾を飲み込んだ。まるでセイレーンのようにハル子さんの表情は穏やかだった。



 霧西湖に浮かぶハル子さんの姿は、天の色と交じり合い、やがて彼女に与えられたビーズの色ほどにも透き通っていった。掌が持ち上げられ口許にメガホン状に当てられる。



「偽古庵くーん!」


 ハル子さんの澄んだこえが、水面に響き渡った。


「私、市役所に行ったって云ったでしょうー? まにまにもねー、管理システムからの情報取得は可能なのよー。私が何云ってるのか、もうわかったでしょうー」


 ばしゃばしゃと跳ねているのは、うつぼ君が水面を叩く音だ。 


「『春夏冬国』の一番上のお兄ちゃんはねー、高學三年生なんですってー」


 ハル子さんの身軆からだがゆらりと遠退とおのく。脚の動きだけで進んでいるのだ。


「だけど不思議ねー。『春夏冬国あきないこく』にわ。高學三学年、十五歳の息子一人しかいないの。つまり、次男を自称するあなた以外に息子はいないはずなのよね。そうでしょう?」

「ハル……」




「偽古庵君。あなた隠してたわね。




 ぱしゃり、と静かな音がした。




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