75.今は



 ソホがゆらりと身体を起こす。

 ハル子さんは唇を引き結び、じっとうつぼ君の顔を見る。


「うつぼ君」

「僕が『駅名知らせの車掌お化け』の話をした時、ハル子は何も云わなかった」

「え」

「アイツが、まにまに王族の一人だと僕は云った。本当なら、ハル子はあそこで云っておかしくなかったんだ。「『駅名知らせの車掌お化け』が云っていることが本当ならね」とな。自称・皇太子の可能性だってあった。それを、お前は黙っていた。つまり、ハル子がその事実をことになるんだよ」


 うつぼ君の視線が、次に偽古庵様の顔の上で止まる。


「偽古庵。お前は、はじめから何もかも知っていたんだな。親父さんとお袋さんから云われてきたというのは、半ば真実であり、半ば真実でなかった。雲雀東風 蜻蜒薬学博士に候補者として呼び寄せられたのを切欠に、お前自身がダービー参加者になったからだ」


 うつぼ君はそこで言葉を切り、じっと――いと蜻蜒とんぼさまのほうを見た。


「なぜ、そう思うのですか? うつぼ君」

「理由は明白です。偽古庵にせこあんは優秀な薬学研究者だ。あなたの薬学研究所・最年少入所記録レコードを塗りかえた、



 偽古庵様の白髪が、ふいと風に絡められて流れた。既知の通り、これは『兎粉』を使った物特有の色である。



「だから偽古庵。お前に親父さんとお袋さんが〈見合い〉を勧めたのが本当か嘘かは知らないが、もし本当なら、それは連絡をもたらしたのが蜻蜒せいてい薬学博士という、確かな筋からの情報だったからだろう」

「ま、そうでなくとも来たやろうけどな。蜻蜒博士はオレらにとっては大先達や。当然やろ」


 うつぼ君は、そこで儚い溜息を吐いた。ゆっくりと室内へ踏み込む。やがて、部屋の片隅に忘れられたように放置された一脚の椅子の上へ腰を降ろした。前屈みの姿勢になり、膝の上で手指を組む。


「次は、歌枕さん」

「――……。」

「僕は手紙で〈お見合い〉に招かれた。立破さんは、パソコンのメールで知らされたと云っている。それで全ては明らかだ。立破さんはチャットをする人間だ。チャットは、直接顔をあわせて遠方者とトークするコミニュケーションをさけようとする人間が行なう――


 うつぼ君の手が自身の口許を覆う。


「今はS(西暦エス)2062年。今更そんなしち面倒臭い方法を用いるヤツなんか、いない。モニター上の『フェイス』と『ボイス』のメイク技術が進み、パソコン上でも仮装の互いの姿が見える。「チャット」をしようと云うのは、よほど文字にこだわりがある者、あるいは顔を合わせてリアルタイム・コミニュケーションを避けたいという者に限られる。単純に考えて、松ぼっくりちゃんのように引っ込み思案な人間か、よほどの文字マニアでなくては今更用いない通信手段ですよ。しかし、皇太子自らが候補者を選抜することはない。それに彼女自身も知らないと云っていたそうじゃないですか。そうなると、彼女に最も心を開かれている従者が、彼の存在に眼を留めたのだと発想したほうが、無理はないのではないですか? ハル子もチャットのことは知らなかったし」


 歌枕さんは、否とも応とも取れる仕種で頭をふった。


「確かに――そうですわね。ですけれど、うつぼ様は一つ誤解をしてらっしゃいます」

「誤解?」

「私がお呼びしたのは、立破様ではありませんの」

「――どう云うことですか」

「私はまにまにの王族に使える従者の一族です。母方が、そうでした。私達一族は、『魂音族』か否かを見定める能力を持っています。例えメールのように遠隔であっても、『魂音族』が形成したものならば、何かしらこう、滲み出るものを感知することができるのです。メールであの人の作成した文章を、私は――松ぼっくり様に内証で見ました。『ハナブサ・ナル』と名乗った人物が形成した文章は、確かに『魂音族』による文字だったのです。しかし――」

「しかし?」


 歌枕さんは立破さんを見た。「彼は、私が認めた人物ではありませんでした。彼は、自発的な『フェイク』だったのです」


 うつぼ君がふり返ると、立破さんは溜息をついた。


「そうだ。オレはハナブサ・ナルの偽者だ」


「彼が私達の前へ姿を現した時、もちろんすぐ彼が偽物だと気付きました。古里さんが、婿の中には偽物がいると云った時の立破さんの顔――ひどく真剣でしたよ。ご自分のことを云われたのだと思われたのでしょうね。……ですけれど、私はこれも運命だと、いえ、正確に云うならば私の心に適っていると思いました」

「選ばれた者、つまり『魂音族こんいんぞく』ではない偽物が現れて、それでも貴女は好都合だったと云うのですか」

「ええ。だって私は『宿のですもの」


 歌枕さんは嫣然えんぜんと微笑む。そしてちらりと首を後ろに回らせた。


「ね、ハル子さま。ハル子さまだってそうお思いでしょう?」

「そうね。そうなれば面白かったのにね」

「ハル子……?」


 ハル子さんは「はああ」と溜息を吐いた。なんとも気だるげな脚がすらりと服の裾を割ってのびる。うつぼ君がどきりとした眼の前で、彼女は更に気だるげな仕草で猫脚の椅子に腰を下ろした。


「皆気付かなかったようだけれど、鬼打木さんは歌枕さんの恋人よ」

「は?」


 面倒臭げな顔でハル子さんは腕を組む。


「鬼打木さんは男よ。毎年一人はいるのよね、姫さま達の中にフェイクの男が。ばれなかったのは今年が最初で最後だろうけれど。――彼は『魂音族』よ。そして歌枕さんは『魂音族』ではないから、彼は半身を捨てる気でいると云うこと。歌枕さんは、松ぼっくりちゃんにも同じ道を歩ませたかったと云うわけ。……たといそれが、まにまに王族の血統を途絶えさせることであろうと、彼女は見せて欲しかったのよ。宿命を裏切れるだけの「心の結び」をね」


 ハル子さんはおとがいを持ち上げ、ふうと目蓋を伏せた。


「――本当。奪ってくれればよかったのだわ」

「それが、ハル子の本音か」

「そうね」

「お前達は、自分のエゴのために松ぼっくりちゃんをダシにしようとしていたのか」


 ハル子さんは気だるげな顔のまま、眉間に皺した。


「そんな通り一辺倒で莫迦な言葉を吐かないで。耳障りだわ。彼女の倖せを願っているのも本当。これだから、単純で歪みのない論理ロジックを愛する男というのは嫌いよ」

「もう嫌いでもなんでもいいよ。だから聞け」

「随分居丈高ね」


 鼻先で笑い飛ばしたハル子さんを無視し、うつぼ君は椅子の上で前屈みの姿勢を取り、左掌で口許を被った。そして鋭い眼を偽古庵様に、ひた、と向けた。偽古庵様もまた、その視線を静かに受けとめる。二人の間でひっそりと銀の糸が張られ、ふいに、ぴん、と音を立てた。


 沈黙は現実の音よりもうるさく、うつぼ君は目蓋を閉じた。



「この時点でいと蜻蜒さまは選抜されている訳がないし、立破さんも違う。……ここで問題になってくるのは、ハル子、お前と偽古庵なんだよ」





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