クデロの王国

珠邑ミト




 千とも万ともつかぬ幾多の植物が、その森には植わっていた。



 溜息すら忘れて彼は風景に見入った。霧煙る中、見渡す限り青やら赤やら黄金の光がさんざめいている。どの葩弁かべんも茎も葉も幹も、幻としか思えぬほど美しかった。あだと思われるほどにも、美しかった。


 これほどの風景が、自然にできあがったとは考え難い。しかし、一体何者の手によってすれば、これほどの〈庭〉が成され得るだろうか? これほどのものを人の手が創り上げる――それこそ絵空事だ。



 静謐な自然に囲まれた時、決まって思いだす云い伝えが、彼にはあった。



 日本こと蜻蜒州せいていしゅう秋津島あきつしまには、寿命の切れた魂が《御霊ごりょう》を沈めにくると云う。


 魂は肉軆にくたいを仮宿とし、幾星霜かけて輪廻転生りんねてんしょう繰りかえす。しかし、魂にもまた限りというものがある。永劫転生しつづけることは不可能なのだ。

 転生の限りを悟った魂は、最後の生を営むため蜻蜒州に生まれ落ち、やがてちる。最後の肉軆にくたいが朽ちると共に、魂も朽ちるのだ。時折、解脱げだつして上位の次元に転生果たす聖人もいるが、大抵の魂はそのまま朽ちる。


 朽ちた魂は空気のむくろとなり、骸は摩擦されて雷電の欠片を生じ、雷電の欠片は骸を焼いて、焼かれた骸は樹木ナムの養分となる。

 そんな潔い魂を養分に育つ樹木は、大層潔い植物となる――。


 彼は無言のまま、更に奥へと進んだ。歩めば歩むほど幻想色は濃くなる。しかし、ふと、このまま先へ進んでどうするのか、と思ってしまった。当て所もない散策に興じている己の姿に気付いたのだ。――いい加減にきびすを返そうか? 逡巡しながら、次の一歩を惰性で踏み出したその瞬間、樹柱がとぎれ、視界が一面に開けた。



 歩みを止めたのは、踵を返すためではなかった。



 一面に生えた、一種の植物。

 柘榴ざくろ――かと思った。しかし色彩が違った。その茎は鈍色にびいろの輝きを放ち、鉛の葉脈は月光を浴びて自身の果実を彩る。黒い外皮の内にとつめ込まれた琥珀の粒は、まるで一粒一粒が別の生き物のよう。生々しくきらめいては、そっと、落ち着く。



 そして、その果実に伸ばされた白い手。



 言葉を失った己の気配を嗅ぎ取ったのか、その、手の主がふり返る。

 磁器ほどに白く滑らかな頬。まつげは黒々とし、どこかしらぼうとしたひとみを彩っていた。整った鼻梁。長い長い真直ぐな黒髪が背中に垂れている。そして何より印象深いのは、柔らかそうで瑞々しい赤の唇。その上下が、そっと開かれる。



「――どうして」



 一音で、魂は絡めとられた。

 徒な美貌と、徒な植物が、そっと、そこによりそっている。





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