第37話 第四次対仏大同盟とベートーヴェン交響曲第3番”ボナパルト”
さて、年は明け1804年になった。
アウステルリッツにおける連合軍側の主戦力であったロシア軍は、あの敗北の後ロシアへ逃げ帰った。
その際に皇帝アレクサンドル一世は敗戦の責任を名目上の総司令官としていたクトゥーゾフに押し付けた。
「今回のアウステルリッツの敗北の原因は戦死したクトゥーゾフの稚拙な作戦提案によるものであり、彼はその罪を戦死によって償った」
というものだ。
実際の総指揮権はオーストリア軍のワイロッテル少将に有ったのだが、もちろん彼もロシアの皇帝と口調をあわせている。
「愚かなことだ、正しい作戦提案を行ったものに罪をなすりつけ、敗戦の責任を誤魔化せば今後正しい作戦提案を行うものはいなくなるであろうに」
バグラチオンやバルクラーイなどロシアには有能な将官はまだ残っているが、名声ではクトゥーゾフには及ばない、ロシアは大きな過ちを犯したと言えるであろう。
私はクトゥーゾフの訃報に対しての声明を発表した。
「クトゥーゾフ将軍はフランス軍と停戦を行いオーストリアとの心中を避け撤退をしようとしていた優秀な士官である。
そのクトゥーゾフ将軍の助言を却下し、フランスに戦いを挑んで敗北したロシア皇帝の無能を考えればロシアの軍人の無念さは余りある。
私は彼をフランスに招聘したかったのであるが今や彼はこの世にいない。
誠に残念なことである」
そう対外的に発表した。
無論、ロシアの皇帝は事実無根であると私の声明を否定したが、オーストリアは無言を貫いた。
クトゥーゾフの部下などはどちらが正しいか知っているであろう。
これでロシアやプロイセン、オーストリアなどの貴族中心の軍に不満を持つ人物がフランスに来てくれれば良いと思うのだがな。
もし来てくれるのであればナポレオン三世が活用した義勇志願兵としてのスイスやドイツ、ロシアなどの傭兵軍隊いわゆる「外人部隊」の指揮官に抜擢しても良いと思うのだが。
プロイセンならシャルンホルストやグナイゼナウ、ロシアならミハイル・ミロラドヴィチあたりが来てくれれば嬉しいのだがな。
そしてオーストリアがフランスと講和を結んだことで対仏同盟から脱落し、更にはドイツ諸侯のライン同盟を結成させたことで神聖ローマ帝国は地図上から消滅した。
プロイセンには約束通り英領ハノーヴァーを譲渡した。
しかし、イギリス、ロシア、スウェーデンの同盟は未だに維持され、プロイセンはライン同盟成立によりフランスの影響圏と領域を接する事になった。
プロイセンの国王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世は、フランスとの開戦には反対していたが、その王妃ルイーゼや王子であるルイ・フェルディナント、更にはそれに同調する貴族たちがさかんに王を焚き付け、ついに国王にフランスとの開戦の決意を固めさせたことで第四次対仏大同盟が成立するのである。
第三次対仏大同盟からオーストリアが脱落し、プロイセンが加わって、フランスの同盟にドイツ諸侯のライン同盟が加わったくらいで状況はあまり変わらない。
第四次対仏大同盟の成立で、これに参加した国家はイングランドおよびウェールズ連合王国、プロイセン、ザクセン王国、ロシア帝国、スウェーデン王国。
一方こちらの同盟国はフランス、スペイン、ポルトガル、デンマーク=ノルウェー、オスマントルコ、アイルランド、スコットランド、エジプト、ライン同盟。
そしてフランスの占領下にあるオランダ、ベルギー、ナポリ、シチリア、サルディニア、マルタ、スイスなどだな。
今回はアメリカ、オーストリアは中立だ。
私は陸軍の編成は前回と変わらずオッシュとマッセナを最高指揮官にしている。
「そろそろ本格的にイングランドも叩かねばな」
海戦用の装甲艦などとは別に平底で砂浜などに突っ込んで兵を下ろすことができるスクリュータイプの揚陸艦も現在建造中だ。
風まかせの帆船では上陸用艦艇は波が高くても風がなくても運用できなかったが、スクリューを持った動力船であれば風の有無や向きに関係なく運用できる。
「もっともイングランドも上陸に対する対策はしてくるであろうがな」
上陸する側はある程度上陸できる場所は決まってくる。
揚陸艦を用いれば港だけに限られるわけではないにせよ、銃器や砲の技術はすでにイングランドもフランスと同等のものがあると考えた方が良いであろう。
立憲君主制をしいているイングランドは経済と政治と軍事と諜報を切り離して柔軟に運用できる面倒な相手である。
「イングランド方面軍最高司令官はマクドナルド元帥。
補佐はケレルマン元帥とモルティエ元帥。
艦隊司令長官はピエール・ヴィルヌーヴ元帥。
協力しイングランドに痛撃を与えよ」
「はっ」
しかし、イングランド軍の武装については諜報の必要があるな。
ミニエー銃やシャスポー銃クラスならばともかくスペンサー騎兵銃のような連発銃やガトリングガンでも作られていたら恐ろしいことになるであろう。
そんな中でルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが私に交響曲第3番変ホ長調『ボナパルト』を献呈してきた。
「フランス共和国の偉大なる執政にこれを捧げます」
私は楽譜を受け取る。
「天才ピアニストであり作曲家であるあなたに曲を献呈してもらえるとは誠に光栄な事だ。
是非生の演奏を聞かせてもらえないかね?」
彼は頷いた。
「わかりました、よろしいでしょう」
彼がみずから作曲した曲を自らの手で演奏してもらうというのは贅沢な話であるかもしれない。
もちろん作曲した曲を誰かに贈るということは無償での提供ではない。
作曲家は作品を自分が演奏して稼ぐだけにとどまらず、名声を得て、楽譜を出版して稼ぐのが仕事である。
演奏が終わり拍手で彼を迎えつつ私は金を彼に手渡す。
「では、こんなところか。
今後もよろしく頼むよ」
相応と思われる金をベートーヴェンに手渡すと彼はニコリと笑った。
「ええ、今後もよろしく」
彼がナポレオンへの献呈を取りやめた理由が金銭的に折り合いがつかなかったからなのか、皇帝に即位してしまったことが楽曲の内容と合わなかったのか、皇帝に即位したことに対してベートーヴェンが怒ったためなのかは分からないが、歴史に残る名曲を手にすることができたのは良いことであろう。
本来はオーストリア貴族であるフランツ・ヨーゼフ・マクシミリアン・フォン・ロプコヴィッツへ献呈されるわけであるが、彼は芸術に理解があり財産を惜しげなくつぎ込んだということを考えれば結局は献呈の際の金額の問題だったかもしれないな、私にはナポレオンは音楽という芸術をあまり理解していたとは思えないのでな。
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