第34話 ピシュグリュとアンギャン公

 さて年は1803年になった。


 アルザスなどを巡ってオーストリアやロシアの軍と争いは避けられぬようになってきた情勢下で、我がフランスは戦時体制を整えている。


 フランスはこの時代で唯一徴兵制を完全に実施しており、有能であれば誰でも出世できた。


 多くは農民出身の兵士も自分の得た権利と国を守るために戦っており士気が高かった。


 これは常備兵が傭兵を主力としており高級将校は貴族出身者で占められ、平民出身将校には出世の見込みがない当時のヨーロッパの他の君主制国家との大きな違いである。


 無論若者を徴兵したからと行ってすぐに戦えるわけではないから、行軍や銃器の扱い方などの必要な訓練を施した後に軍へ配備していくわけだが。


 そして参謀本部の設置により、予め敵の行動などを予測して戦略や戦術の作戦計画を立てておくということも可能になった。


 それに付随して工場で動員兵力に足りるような武器弾薬の生産とその配送の手配、鉄道や徒歩等の手段での国境線への人員や大砲、騎馬の配備や人員の食料と宿泊先や騎馬用の飼葉の手配など戦闘がいつ起こっても対応できるように準備を進行させている。


 そんな中でイギリスからジャン=シャルル・ピシュグリュが海を船で渡り、フランスに戻ってきて私の拉致もしくは暗殺を企てているらしいとの報告がフーシェからもたらされた。


「ふむ、ピシュグリュがな」


「はい、お気をつけください」


「分かった、気をつけよう」


 イングランドは相変わらずフランスから亡命した王党派の人間に金銭的援助などを行いフランスの内部に騒乱をおこさせたいようだ。


 もっともイングランド内部では工場の安すぎる賃金に対しての労働者による打壊ラッダイト運動が起こり、労働者によって主に繊維産業の工場の機械の破壊が相次いでいた。


 フランスでは最低賃金を定めさせていたがイギリスではそのようなものはなく、資本家は女子供を安くこき使うことで工場主は多大な収益を得ていた。


 そして、イギリスではすでに1769年に工場の機械の破壊を死罪にする法律は制定されていた。


 しかし法律を定めたからといって、労働者による機械の破壊を止めることはできなかったのだ。


 それはともかく、フランスの警察にしても、ロンドンなどの王党派の過激派残党の動きをある程度はつかんでいる。


 フーシェは逮捕させずに泳がされている梟党員シュアンを法廷で裁かせ、死刑判決を出し、その執行を行う前に減刑という司法取引を持ちかけることで、情報を得た。


「ピシュグリュとその仲間はパリに潜伏している。

 彼はモローともあっておりブルボン家のプリンスを帰国させるつもりだ」


 と。


「ふむ、ピシュグリュとモローが接触したか。

 ブルボン家のプリンスとは誰であろうな」


 ジャン=シャルル・ピシュグリュはジャコバン派の将軍として革命戦争で活躍したが、のち王党派に転じた将軍であり、彼の地位を失墜させた理由が私であることから私を深く恨んでいるらしい。


 彼は貧しい小作農の子として生まれたが、修道院の計らいでブリエンヌの幼年兵学校を出たのち王立砲兵隊に入隊し、アメリカの独立戦争に参加して戦功を立て、中尉に昇進した。


 フランス革命が起こると革命戦争ではライン方面で従軍し戦功を上げ続けて昇進を重ね、93年に准将にまで昇進し、ライン軍司令官に任じられて将軍に昇進した。


 ネーデルランドの制圧を行いオランダ艦隊を拿捕した。


 彼は有能な将軍であったのは間違いない。


 そして彼は将軍の地位を保持するために王党派に鞍替えして、ヴァンデミエールのクーデターの前に辞任をちらつかせて政府を脅迫したがそれが裏目にでた。


 バラスは彼の代わりに私を登用してクーデタをあっさり鎮圧し、彼はヴァンデミエールのクーデターに関与していた容疑で罷免された。


 その後五百人議会議長となるが、フリュクチドール18日のクーデタで逮捕、南米ギアナへ流刑となった。


 その後にギアナを脱走してイングランドのロンドンにたどり着いたのち、私への復讐を果たすべくパリに戻ってきたというわけであるな。


 そしてピシュグリュはモローの元副官だった部下のラジョレをわざわざイギリスから同行させてモローを計画に加えようと説得したが、モローは彼らに言質を与えなかったらしい。


 もっとも、彼らの行動は密告者によって知らされており、フーシェ率いる警察はピシュグリュとモローとが少なくとも2度の面会をしていることを確認していた。


 さて、警察はすぐに動きモローとピシュグリュが逮捕されるとタンプル塔に身柄を移され、ピシュグリュは公開で銃殺刑とされた。


「さて、ブルボン家のプリンスとやらは誰かね」


 私の言葉にタレーランが言った。


「プリンスというのは、アンギャン公ルイ・アントワーヌ・ド・ブルボン=コンデのことではありませんか?」


 アンギャン公はブルボン家の分家であるブルボン=コンデ家の出身で革命のときに亡命したあと、亡命貴族からなるフランス王国軍を率いて前線でフランス革命軍と勇猛果敢に戦った男である。


 アンギャン公は現在はライン川対岸のバーデン公国エッテンハイム村に居住しているという話であった。


 そこはフランス国境から24キロの場所である。


 そしてその高潔な人格と勇敢さによって、存命中のブルボン一族の中でも人気が高く、王としてふさわしい人物と目されている。


 フランス側でバーデン公国に近いのはバ・ラン県でこの県の知事が憲兵をひそかにバーデン領内に行かせ、聞き込みをさせた。


 その結果アンギャン公の屋敷に裏切り者シャルル=フランソワ・ドゥ・ペリエール・デュムーリエが出入りしているという話もでたのである。


 デュムーリエもまた革命戦争の将軍だった。


 彼は1792年に勝利を得て人気を得たが翌年の93年3月ネルウィンデンで敗北を喫して人気を失った。


 革命が国王処刑に至った時点で行き過ぎと感じた彼はオーストリアに寝返ろうとするが、パリへの進撃は怒った兵士たちに拒絶され生命からがら逃げ出してオーストリア軍に投降した男だ。


 もっとも各国宮廷で敬遠されているようだがね。


「アンギャン公の屋敷に出入りしているのはデュムーリエではなくトゥムリー侯爵ではないかね?」


「はぁ?」


「まあ、調べてみてくれたまえ」


 結果としてアンギャン公はデュムーリエにもピシュグリュにも関わっていないことが判明した。


「まあ、彼はほおっておいても問題はあるまい。

 王党派がプロヴァンス伯派とアンギャン公派に分かれて内輪もめすれば儲けものだ」


「まあ、そうかもしれませんな」


 カンバセレスなどは王家に連なるアンギャン公を逮捕することに反対していたのでホッとしているようだ。


 本来であればアンギャン公はバーデンの自宅で逮捕され、軍法会議で過去の戦争でフランスに対し武器を振るい、またイギリスから金銭的援助を受け、第一統領の命を狙ったという理由で銃殺されたが、過去の戦争でフランスに対し武器を振るったと言うのは後から付け加えられたものだった。


 ちなみにアンギャン公は、自分が祖国に向かって武器をとったことはなく、第一統領についてのいかなる陰謀にも加担したことはないと反駁したが、イギリスから月に350ギニーの援助を受けていることと、逮捕時に押収された手紙の下書きは自分が書いたものであることを認めた。


 手紙というのは、公の父親ブルボン公に宛てたものでその内容は”ボナパルトを倒すのはもっとも大切な仕事で、それが自分の希望あるいは空想である”というものであった。


 尤も、彼がイギリスから金銭的支援を受けていたとしてもテロに関わっていないことは間違いなかった。


 そしてフランスが国際法を無視してバーデン公国領内におしいって入り、アンギャン公を自宅から拉致してパリに連行し、おざなりな裁判をやったあとで、銃殺刑に処した、アンギャン公の冤罪による処刑はヨーロッパ各国とのフランスの軋轢を強めたからそれが行われなかったのは良いことであると思うがな。


「モローについてはしばらく謹慎させた後、軍に復帰させる、彼には最前線で働いてもらおうではないか。

 尤も王党派と関わったと知った兵士が彼をどう思うかしらないがね」


 フーシェが聞いてくる。


「よろしいので?」


「構わないさ、彼は優秀な将軍であるのだからな」


 これでこの後に彼がどう動くかは分からないが、裏切るならそれ相応の対処をさせてもらうだけだ。

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