第23話 子どものいる風景と言うのはというのは良いものだ
さて1797年のエジプト遠征に出る前にデジレはすでに妊娠していた。
そして無事男子が生まれて、生まれたばかりの子どもを見たことはあるのだが、その後エジプトからインドに向かい、エジプトに戻ってきて、パリに戻り、クーデターを起こし、政権を掌握した後は内政、軍事の改革や海外植民地の確保に関する指示などを出す忙しい日々になかなかデジレや息子のナポレオン二世とはあえなかった。
「ふむ、国内も少し落ち着いたし、息子の顔を見てくるよ」
私はマルモンやタレーラン、フーシェなどにそう言って執政室から出て、久方ぶりにデジレのいる家に戻った。
「ではお気をつけて」
フーシェがそういうと、私の周りに護衛のものがわらわらと集まってくる。
第一執政となった私にはプライバシーなどというものはないのだな。
ちなみに私は3時間しか寝なかったなどと言われておるがそれは嘘だ。
しっかりと夜には7時間半睡眠し、昼も疲れた頭を休めるために軽く昼寝もした。
私は私が寝ている間、次のことを周りに徹底させた。
私が寝ている間はできるだけ寝室に人を入れないこと。
私が寝ている間は良い知らせが入っても起こさないこと。
私が寝ている間に悪い知らせが入った時はいかなる場合も起こし、すぐに状況を説明すること。
これは睡眠により体調の確保をおこない寝不足で判断を誤らないために必要なことだからだ。
無論緊急事態においてはそれよりもすぐさまの対処が優先なのは言うまでもない。
「やあ、デジレ、戻ってくるのが遅くなってたいへんすまない」
「おかえりなさい」
「パーパ、おかえりあしゃ」
3歳になる息子がトテトテとよってきて私に抱きついた。
「うむ、ナポレオン、しばらく見ない間に大きくなったな」
息子はニコニコして言う。
「はい、おおきくなったでし」
そしてデジレも言う。
「あなたに似てやんちゃで困るわ」
「そうか、私に似たか。
将来立派な人物になるのは間違いないな」
そう言って私は息子の頭を撫でたあと、息子を抱き上げた。
「あい、がんばるでし」
息子はニコニコしているな、うん、いい子だ。
この子が大きくなるまでには平和な世界にしたいものだ。
現在フランス本土の改革は私を筆頭とした執政政府で実行中だが、マルタ島やコルシカ島のような小さな島であればともかく、フランスのような大きな地域の改革をすすめるには優秀なブレーンと勤勉な官僚が必要である。
私がそうした仕事を進める上で頼りにしたのは、コンセイユ・デタのメンバーだ。
コンセイユ・デタは現在のフランスにおける諮問機関であり、審議会・調査会など、行政庁の諮問に応じ専門的見地から調査・審議し、意見を述べる行政機関で国の政策の立案や法律の制定に大きく関わる。
改革をするとは、いままでとは違う新しい制度をつくることで、ようはそれに有ったルール、つまり法律や条例のような物を制定したり改正したり廃止したりすることだ。
そしてコンセイユ・デタので行うことは、改革を進めるための法案を準備することだ。
コンセイユ・デタの発足時のメンバーは29名で官吏や学者、元王党派貴族など各分野の専門家のなかから私が自ら選んで任命した。
勿論優秀な人物ほどプライドが高いし、その信条も様々であるので、かれらをまとめてうまく使いこなすのは大変ではある。
だが有能な者は、貴族の出であれ、庶民の出であれ、差別区別なしに登用し功績を上げれば昇格させた。
「どんなに優れた能力も機会が与えられなければ役には立たない」
「愚人は過去を語り、狂人は未来を語る。
しかし、賢人は現在を語る」
「わたしは前進し、行動しなければならない。
わたしには眼となってくれる者、腕となってくれる者、足になってくれる者が必要だ」
私はすでに手足の立場ではなく思考し命令を下す頭である。
であれば情報を手に入れるための目や耳、行動を処理するための手足になってくれそうだと思えば、かれらが役に立ち真摯に働く限りはジャコバン派であれ、王党派であれ、気にせずにとりたてた。
大事なのは能力の性格であり、家柄や育ちではないのだ。
さて1793年3月、教会と僧侶に対する弾圧、国王の処刑、増税、30万人募兵の不公平に反感を持つようになった農民たちの蜂起によって、フランス西部ヴァンデ地方を中心大規模な反乱が起こった。
1794年に反乱鎮圧に派遣されたルイ=ラザール・オッシュが軍司令官として赴任すると、オッシュは1796年にヴァンデ地方の鎮圧宣言が出され、寛容令もあって宗教的動機をもった農民の反乱はほぼ終わったが王党派亡命貴族はしぶとく抵抗を継続した。
執政政府は西部地方の住民に向けて声明をだし、信教の自由は保証すると約束したが彼らはそれを無視した。
「仕方あるまい、軍隊を送って鎮圧する」
ヴァンデの王党派の鎮圧のために6万の軍が編成され、その総司令官は、ジャコバン派で優秀な将軍であるブリュンヌ中将。
「わたしのメッセージを無視した王党派に遠慮はいらぬ。
徹底的に鎮圧せよ」
「は、おまかせください」
大軍の動員により反乱側の指導者階級は抵抗したものの、大体は降伏するなり囚われて処刑されるなりして、ヴァンデの反乱はだいたいおさまった。
そんな中でプロヴァンス伯、のちのルイ18世が私に手紙を送りつけてきた。
彼はルイ16世の次弟に当たり、兄のルイ16世が断頭台で処刑される前にフランスを脱出してロシアに亡命して、後に王政復古で権力を手に入れるがタレーランは彼をこう評している。
”ルイ18世はおよそこの世で知る限り、きわめつきの嘘つきである。
1814年以来、私が王と初対面の折りに感じた失望は、とても口では言い表せない。
私がルイ18世に見たものは、いつもエゴイズム、鈍感、享楽家、恩知らず、といったところだ”
と
そして手紙の内容はおおよそ以下のような内容である。
「イタリアとエジプトとインドの覇者が、
栄光より空しい名声を選ぶはずはありますまい。
貴下は時間を空費している。
われわれはフランスに休息を保証しうるのです。
われわれというのは、わたしがボナパルトを必要とし、ボナパルトもわたしなしにはその仕事をなしえぬからです。
将軍よ、ヨーロッパは貴下を注視し、栄光が貴下を待っている。」
まあ要するに私は正当なブルボン王朝の王としてかっての権利を取り戻すためにフランスに戻りたいといっているわけだ。
そして、ボナパルトを臣下として厚遇するとも書かれている。
「やれやれ王族という人間は他人が自分のために生命を投げ出して働くのが当然とまだ思っているようだ」
私は返事をプロヴァンス伯に送った。
「もしあなたがいまフランスに帰国されるなら、市民10万の死体を踏み越えなければならぬでしょう」
私は王族や貴族、聖職者に絶対王政時における特権を返却するつもりはない。
王党派の貴族であれ私の政治に役に立つなら厚遇するが私の上に無条件に立たせるつもりもない。
結果的にこの回答はフランス各地の敵対的王党派の知るところとなり彼らは私を執拗に暗殺しようとすることになるのだがね。
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